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第3話「神代も聞かず竜田川」~調達屋~

マルコとコルティナはゴロウに連れられて初めて相撲見物をする。

その夜、3人は横綱竜田川の邸宅に招かれ、楽しい一夜を過ごした

明け方その帰り道、ゴロウは竜田川から、ヤクザの支配する東京を脱出する計画を打ち明けられる。


 竜田川の家を辞したその日の昼間、ゴロウは葛飾にある東京特殊警備保障を訪れた。

 入口の扉を開くと、受付の女性が座っている。

 女性はごく親し気にゴロウに声を掛ける。

「あらゴロウさん、珍しい」

「よっ!」ゴロウは片手を軽く挙げ、挨拶した。

「社長は出かけてるわよ」

「ツルモっちゃんいる?」

「弦本さん?いるけど」女性は怪訝そうな表情で答える。

 ゴロウは受付のカウンターに肘を付いて頼んだ。

「じゃ、ちょっと取り次いでくんない?」


 ドアをノックすると、中から「どうぞ」という返事があった。

 ゴロウは少し遠慮がちに細くドアを開け、部屋に顔を突っ込んだ。

「ども、こんちは」

「入って。用があるんでしょ?」

 書類に目を落としたまま弦本響子が答える。

 ゴロウは部屋に入り、机をはさんで響子の前に立った。

「座れば?」

 相変わらず書類に目を落としたまま響子は素っ気なく椅子をすすめる。しかしゴロウは座らず、彼女が仕事をしている机に両手をつき、身を乗り出すように顔を近づけて言った。

「調達屋に頼みたいことがある」

 響子は書類から顔を上げた。

「姉に?」

「そうだ。あんたの姉さんは金さえ払えばなんだって手に入れてくれるって話じゃないか」

「そうね、人間以外は。けど高いわよ、本当に」

「ロシアの暗号機を一組都合してほしい」

「ロシア製暗号機。型番は?」

 ゴロウはジーンズのポケットからおりたたんだメモ紙を取り出し、そこに神代が書いた型番をそのまま読み上げる。それを聞いた響子は不思議そうな顔をした。

「これ、ずいぶん古いわね」

「そうなの?俺はよくわかんねえんだ。とにかくそいつが欲しい」

「ふーん」

 弦本はしばらく考えて言う。

「そのメモ、ちょうだい」

 ゴロウがメモ紙を響子に渡すと、響子は机の引き出しから古いジッポのライターを取り出し、灰皿の上でメモ紙に火をつけた。

「お、おい」

 ゴロウは慌てるが、メモ紙はあっという間に灰になってしまう。

 それを確認してから響子はゴロウに言った。

「言っとくけど姉は全額前金でしか取引しないわよ」

 ゴロウだけでなく、トッケイのメンバー全員の懐具合を把握している響子は念を押した。

「カネは大丈夫なんだけど、ちょっとこみいった事情があってさ。姉妹の仲でなんとか着払いになんない?」

 ゴロウは竜田川の事情を響子に話した。

「なるほどね…。じゃあ一応確認してみる」

「ありがとう。恩に着るぜ」

「だけど姉に冗談は通用しないわよ。わかってる?」

 ゴロウはサングラスを外し、響子の目を真っ直ぐに見て言った。

「わかってる」

「…ふむ。で、お届け先は?」



 ずいぶん陽も高くのぼった。

 一人の少年が海へ向かう閑散とした道を歩いている。

 少年は紙袋を片手に抱え、リンゴを(かじ)りながら歩いていた。


 海、といってもそこはかつて広大な埋め立て地で、公園や体育館、多目的ホールが整備されていた場所だ。

 その場所は10年前の巨大地震で津波が襲い、土地自体の著しい地盤沈下も加わって、今では何もかも水に浸かっていた。

 地震でできたこれらの「浅瀬」には海からは漁船やヨットの残骸、陸からは自動車をはじめとしてありとあらゆるゴミや汚物が集まり、異臭を放っていた。

 そしてその異臭は満潮と共に都内に押し寄せ、都民の迷惑な時報替わりとなっていた。

 今やここを訪れるのは違法投棄業者ぐらいだ。


 少年の名はミゲルといって、ペドロの弟分だった。

 ここひと月ほどミゲルはペドロの命令で、とある場所を偵察するため浅瀬に通っていた。

 ミゲルがしばらく歩くと、やがて無数の足場用の鉄パイプを組んで作られた、長さ数百メートルに及ぶ長大な構造物が見えてくる。それは海面から2mばかり突き出しており、鉄パイプの上には太陽光発電用のソーラーパネルがびっしりと並べられていた。

 ここはペドロのグループと対立しているアフリカ系難民を中心としたグループ「トラノコ」が管理している。「発電所」だ。

 トラノコはここで作った電気を売ることを(なりわい)としていた。

 今の東京では、電気は高く売れる。

 目端の利くヤクザは売電の方法をいち早く手中にして、安定したシノギと縄張りを確立し、数ある組織の中でも大きな存在となっていた。

 そのため、ペドロたちの「クミチョー」はトラノコの商売に目を付け、隙をうかがっているのだ。


 発電所のすぐそばに立つ小さな送電鉄塔の脇に、やはり鉄パイプで組まれた(やぐら)の上に建てられたトタン製の小屋があった。

 小屋の小さな窓に赤いタオルがぶら下がっている。

 それを見たミゲルは嬉しそうに小走りで小屋に近づいた。

 道路から小屋まで渡してある、やはり足場材で作られた通路をほとんどひとっとびで駆け抜けたミゲルは、紙袋を片手に抱いたままスルスルと器用に梯子を昇って小屋の扉をノックした。

 すると中から扉が開き、黒人の少女が顔を出す。

 少女はミゲルの顔を見ると、喜びと不安の入り混じった顔をして周囲を素早く見渡し、ミゲルを小屋に招き入れた。


 小屋の中には電気メーターが一つ、ポツンとあるだけだ。

 ミゲルは笑いながら紙袋から缶コーラと箱入りのビスケットを取り出し、少女に差し出す。

 少女は少しはにかみながらそれを受け取った。

「ヒマ?」

「ヒマ」

 ふたりの会話は日本語で交わされる。

 少女はアフリカ系難民で、名前をサギリと言った。

「儲かってる?」

「わかんない。あたしはここで数字を見てるだけだし」

 サギリの手元にはノートがある。

 サギリの仕事は1時間ごとに電力メーターを見て、その数字をノートにただ書き留めることだけだった。

 サギリにとってそれにいったいどういう意味があるのか、わからない。

 ミゲルはサギリのノートを見て「ふーん」と言った。

「あんた、それわかるの?」

 ミゲルは笑って答える。

「わかんね」

 ふたりは思わず笑い合った。

「兄さんは?」

「今日はティゲリバに呼ばれてギンザまで行ってる。だから戻ってこないかも」

「そっか」

 ティゲリバはサギリの兄たちが所属するアフリカ系暴力組織のリーダーで謎の人物だった。

 日本人だという噂もある。

 ソマリアから兄と日本に逃げてきた時、まだ名前のない赤ん坊だった彼女を「サギリ」と名付けたのもティゲリバだ。

 この陽気で小屋の中は少し蒸し暑い。ミゲルは海に向かって窓を開けた。

 とたんに海からの鼻を()くような異臭が小屋に流れ込んでくる。

 ミゲルは激しく咳き込んで慌てて窓を閉めた。

 サギリはミゲルの慌てぶりを見て大笑いした。

「あんた、こないだも同じことを…」

「まったくここはひでえとこだぜ」

 サギリはミゲルと並んで窓際に立ち、汚れた浅瀬を眺める。

「そう、私は静かで気に入ってるけど」



 ゴロウが弦本を訪ねてから数日後、竜田川のマンションの入り口に一台の冷蔵車が停まった。

 見張りのヤクザが出てきて、車に近寄る。

 車の冷蔵コンテナには、でかでかと「直江津冷蔵」と書いてある。

 東京では今日び冷蔵車は珍しいのだが、北海道や東北、果ては九州、沖縄から食材を取り寄せる横綱のマンションを警護しているヤクザたちには慣れっこだった。

 そして彼らには、しばしばこうして届いた珍味の一部が差し入れられており、この仕事は組の他の者から羨ましがられていた。

「まいどー、お届け物でーす!」冷蔵車から降りてきたのは女だった。

 迎えに出たヤクザは驚いた。

 それは彼女が輝く金髪の美人だったこともあるが、それ以上にその見上げるような身長と立派な体格にヤクザは目を見はった。

 女は車の後ろに回ってコンテナの扉を開き、平べったい大きな発泡スチロール製の箱を引っ張り出し、頭の上で掲げるように持った。

「すいませんけど、ドア閉めてもらえます?冷気が逃げちゃうんで」

 女は図々しくそう言ってマンションの入り口に向かい、大股ですたすたと歩き始める。

 その女の放つ雰囲気に気圧されたヤクザは指図通りコンテナの扉を閉め、慌てて小走りで女の後を追った。


 マンションの自動ドアが開き、箱を持った金髪の美女が入ってきた。

 ロビーのヤクザたちは一瞬驚く。

「竜田川さんにお届け物でーす」

 女は明るく、よく通る声で言った。

「ご苦労さん。荷物はそこへ置いてってくれ。後は俺たちが横綱ンところへもってくからよ」

 ひとりのヤクザが女を見上げながら、精一杯ドスを利かせて言うが、女は全く動じることなく、微笑んでヤクザを見下ろして言った。

「これ、着払いなんです。それから神代って人に直接手渡すよう荷主から指示を受けておりまして」

「直接?珍しいな」

 するとリーダー格のヤクザが管理室から出てきて言った。

「そういうことならここで一度中身を改めさせててもらわないとな」

 女はため息をつき、仕方なく箱をロビーのテーブルの上に丁寧に置き、ガムテープをはがし始めた。

「鮮度が命なんだけどなあ…」

 と言いつつ女が箱の蓋を開けて中身を見せると、覗き込んでいたひとりの若いヤクザは思わず悲鳴を上げて尻もちをついた。

「っひ!」

 箱には氷が敷き詰められており、その上に巨大で不気味な姿のぬらぬらとした生き物が、大きな口を開いてどっかりと鎮座していた。

「何だ!気色の悪い声出しやがって」

 ロビーにいた他のヤクザたちも何事かと集まってくる。そして荷物を見て口々に言った。

「うおっ!」

「何じゃこりゃ!」

「カエル…か?」

「バケモノだ」

 女はポケットに手を突っ込み、驚き慌てるヤクザたちの様子をニヤニヤしながら眺めている。

 そのうち、ロビーの騒ぎを聞きつけ、管理室から年老いたヤクザが杖をついて現れた。

「おい、何を騒いどる」

「じい。こりゃ何だ?」

「じい」と呼ばれた老ヤクザは箱を覗いてため息をつき、嘆かわしい表情で首を横に振った。

「やれやれ、お前らアンコウも知らんのか」

「アンコウ?」

「魚だよ、魚」

「どうすんだ、こんなもん」

「食うに決まっとる。美味いんだぞぉ」

 女はヤクザたちのやり取りを聞くと、さっさと蓋を閉め、手際よくテープを巻きなおした。

「もういいですか?」

「早く持ってけ。そいつァ鮮度が命だからな」

 老ヤクザの言葉を聞くと、女は箱を担いでさっさとエレベーターに向かった。

「今晩あたり、久々にあん肝で一杯やれるかもしれねえな。錦糸町で酒買って()っか」

 老ヤクザはにんまりとしながら管理室へ去った。

「アンキモ?」

 魚などめったに口にしない若いヤクザたちに、それは禍々しい呪文のように聞こえた。



 アンコウは、箱に入ったまま神代のキッチンの調理台の上に置かれている。

 女は神代に目配せし、唇に人差指を当てた。盗聴器のことを知っているらしい。

 そして女は素早くゴム手袋をつけ、アンコウの口の中に深く手を突っ込み、中からビニール袋をズルズルと引っ張り出した。そして何重にもなっているビニール袋を一枚ずつ丁寧に取り除くと、最後にパッキングされた暗号機と、ロシア語で書かれた分厚い冊子が現れた。

 暗号機はいくつかの部分に分かれていて、どうやら組み立てが必要らしい。

 女は暗号機を指さしながら神代に訊いた。

()()()はわかる?」

 神代はしっかりとうなずいて答える。

「はい。大丈夫です」

 女は冊子を取り出した。暗号機のマニュアルだ。

「わかんなかったら一応説明書が付いてるので参考にして」

「はい」

 女は最後にニッコリと笑って言った。

「ではお支払いの方、現金でお願いします!」


            次回第3話「神代も聞かず竜田川」~新宿~に続く

今週も読んでいただき、ありがとうございました。

毎回食べ物やお酒が登場するのは、要するに著者がそういう人間だからです(笑)。

次回は3月31日(土)夜10時に更新予定です。

お楽しみに!

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