第3話「神代も聞かず竜田川」~コルティナ四股を踏む~
初めての相撲見物の後、マルコとコルティナは横綱竜田川の家に呼ばれ酒宴を共にする。
そこへゴロウの知人のミドリという女性が現れる。
「なにが芸術家だよ。ストリッパーじゃねえか」
ゴロウがミドリを小馬鹿にしたように言い放った。
「スト…」
マルコとコルティナは目を丸くする。
ミドリはゴロウに顔を突き出し、挑戦的な表情で言い返す。
「フン!むしろ肉体表現者と言ってほしいわね」
コルティナは場の雰囲気が急に険悪になった気がしておろおろする。
コルティナの不安を見て取った竜田川がすかさず言う。
「コルティナさん、これはね、この人たちの挨拶みたいなもん。いつものことなんだから気にしなくていいんだ」
ゴロウは更に言い募る。
「こいつはこう見えても元高校教師だったんだぜ。先公だ。おい、先公が裸踊りなんかしていいのかよ」
「サイテーね、職業差別!だいたい教師が裸で踊って何が悪いのさ。授業中に生徒の前で踊ってるわけじゃあるまいし」
そこへ神代が瓶ビールとグラスを持って入ってきた。
「おいおい、ビールはもうないんじゃなかったけ?」
竜田川が笑いながら言う。
「あんだだちのはもうないって意味。ミドリさんのは、はあ、ちゃーんととっであるんだから」
神代ははにかみながらミドリにコップを渡しビールを注ぐ。
ミドリはビールの入ったグラスをほんの一瞬愛おしそうに眺め一気に飲み干し、テーブルにコップを叩きつけるように置いた。
そしてしばらくうつむいて黙ったあと、絞り出すような声を上げた。
「クウゥゥ~ッ!」
そしてうつむいたまま神代にグラスを差し出すと、神代は心得たものでサッと二杯目を注ぐ。
ミドリはようやく顔を上げて髪をかき上げ、潤んだ瞳でグビリと次の一口を飲み、ため息をつく。
その艶っぽさに、マルコは思わずぼうっと見とれてしまう。
「神代ちゃん、ありがと」
「いいえ、どういだしまして。お疲れ様でした」
ゴロウと話している時とはまるで違う柔らかな表情でミドリが神代に礼を言うと場の空気は一気に和んだ。
「そんなにがぶがぶ飲んでると太って踊れなくなるぞ」
相変わらず憎まれ口をたたくゴロウをミドリは軽くいなす。
「だーいじょうぶよぉ。そのために毎日舞台で激しい運動してるんだから。ん、逆か?ま、いいや」
「ミドリさん、お腹空いてない?」
「うん、もうペコペコ」
「ちょっと待ってでね」
神代は小走りでキッチンに消える。
「ミドリさんはゴロさんの奥さんですか?」
コルティナがミドリに、無邪気に尋ねる。
ミドリは笑いながら答えた。
「違うわよぉ!こいつはただの居候。ヒモ。ゴクツブシ」
「おい、そりゃねえだろ」
「だってあんたウチに全然お金入れないじゃないのさ」
コルティナがマルコにこっそりとスペイン語で訊く。
「ねえ、ヒモとかゴクツブシってどういう意味?」
マルコはとっさに答えることができない。
「ま、また後で。帰ってから教えてあげる」
そこへ皿を抱えて神代が入ってくる。
皿には先程の料理が一人前ずつと、切ったリンゴが乗せられていた。
「この人だち全部食べてしまいそうだから、ミドリさんの分けといたの」
「わー、すごいご馳走!神代ちゃん、ありがとね」
ミドリの食欲は旺盛で、皿に盛られた料理を大口でパクつきながら、ビールを美味しそうに飲んだ。
さっきのこの人の言い方だとゴロウはこの人に養ってもらっているのだろうか。
マルコは思わず疑問が口にした。
「ゴロウさん、あんなに稼いでるのに何でかな」
「ねえ。何でかな。」ミドリは相槌をうって、嬉しそうにゴロウに尋ねる。
「ねえ、何で?」
しかし、ゴロウの答えはない。
ゴロウは腕組みをして座ったまま眠ってしまった。
「お布団、敷きましょうか」
立ち上がろうとする神代にミドリが言う。
「いいのよ、どうせ連れて帰るんだから。ねえマル君、この人明日は非番なんでしょ?」
「マル君」
「気に入らない?」
「いえ、あの…もっと簡単で、マルコでいいです。あ、ゴロウさん明日は休みです」
ゴロウは椅子からずり落ちそうになりながら、静かに寝息を立てている。
「この人、なんか最近弱くなっちゃってさ」
そう言ってゴロウの寝顔を見つめるミドリの目に、コルティナは限りない慈しみを感じ、なせだか急に胸が苦しくなった。
ふと気づくと、神代が目にいっぱい涙をためている。
「ミドリさん、ゴロウさんがいねぐなったらどうするの?」
「ちょっと神代ちゃん、いきなりどうしたのさ」
「ね、いねぐなったらどうする?」
「そりゃあ…、ちょっとは寂しくなるかな」
神代は涙をポロポロとこぼしながら、竜田川を指さして言った。
「わだすはこの人さいねぐなったらこの世に居場所さねえ!生きてはいけねえだ。神代ちゃんはゴロウさんいねぐなっても平気なの?」
神代のただならぬ様子にミドリは押し黙ってしまう。
竜田川が神代をなだめにかかった。
「神代、急にどうしたんだ。みんなびっくりしてるじゃないか」
「わだすは…もう辛抱できねっす。いつも鉄砲さ持ってるおっかない人だちにかこまれで。最近恐ろしい電話さ、たくさんかかってくるし」
「恐ろしい?どんな?」と、ミドリが訊く。
「八百長さしろ、わざと負けろって」
「神代、大丈夫だよ。陳大人はいつだって思いっ切り勝負しろって言ってくれるし、だからこうして守ってくれてるんじゃないか」
「あんだ!もうこんなとこからは逃げてしまおう!このままではあんだは誰かに殺されてしまう」
「考えすぎだよ。それに俺はいつでも死ぬ気で土俵に上がってる。それはお前だって知ってるだろ?」
「いんや、違うです。あんだが相撲で死ぬなら、わだすは、それは寂しいけれどあんだの本懐だから納得さできる。だけど汚い弾に撃だれて死ぬのは我慢ならねえだ!」
神代はそれだけ一気に言ってワッと泣き崩れた。
ミドリは神代の背中をさすりながら言う。
「神代ちゃん、よほど気をすり減らしてんのね…。こんな環境じゃ無理もないよ。どうすんのさ、横綱」
竜田川はしばらく考えて呟いた。
「…俺はどうあっても相撲をやめるわけにはいかないんだ」
その時、テーブルをドンと拳で叩いてコルティナがゆらりと立ち上がり、竜田川を指さして言い放った。
「ヨコズナは間違っていますヨ!」
「コルティナ?」
問いかけたミドリは大事に手元に置いていたウィスキーの瓶の中身が空になっていることに気付いた。
「あーっ、あたしのジャック・ダニエルが!ちょっとコルティナ、あんた…」
いつの間にかミドリのウィスキーを飲み干してしまったコルティナは目がすわり、フラフラしながら、竜田川を指さした。
「いいですか?ヨコズナ死んだら神代さんは帰るトコがないといってます。それほど大事にしてくれるヒト、それセカイで一番大事なヒト。そのヒトのために生きるコト、それより大事なコト、ありますか?」
怪しい呂律と日本語で一気にそうまくしたてると、コルティナは急にがっくりとうなだれ、黙ってしまった。
「コルティナ?」
マルコが心配そうに声を掛ける。
「…吐きそうデス」
コルティナは自分の口を押さえてやっとそれだけ言う。
ミドリと神代が慌ててコルティナを両脇から支えてトイレに連れて行った。
コルティナを心配して付いていこうと思わず中腰になったするマルコを竜田川は止めた。
「マルコ君、女性の事は女性に任せようじゃないの」
それもそうだ。僕だったらコルティナにそんな所は見せたくない。マルコはそう思い直して椅子に腰かける。
テーブルにしばし重たい沈黙が流れた。
ーそういえば僕もコルティナも、帰るところがないんだ…。
「神代には済まないと思ってるんだ」
竜田川は腕組みをしてポツリと言った。
テーブルの上に突っ伏して眠っているゴロウがいびきをかきはじめた。
明け方近くになって、一同は竜田川のマンションを辞することにした。
コルティナは吐くだけ吐いて、スッキリとした表情をしていた。
マルコは眠かった。
ゴロウはミドリがいくら揺さぶっても起きず、結局竜田川が背負うことになった。
神代はふさぎ込み、台所の片付けがあるからと言ってついてこなかった。
五人は、エレベーターに乗って最下階のロビーに出る。ロビーにはヤクザが一人、ソファーで横になっていたが、エレベーターの到着音に跳ね起きると、雪駄をつっかけロビーを突っ切って竜田川の側に走ってやってきた。
「あ、おはようございます!」
「おはよう」
竜田川はゴロウを背負ったまま挨拶する。
「大変だね、朝早くから」
竜田川がヤクザに労いの言葉をかけるとヤクザは恐縮して答えた。
「いえ、とんでもないです。こんな時間にお出かけですか?」
「うん。ちょっと友達を向こうまで送ってくるよ」
「そうすか。じゃあウチのもんを二、三人起こしてきましょう」
そう言って管理室へ行きかけたヤクザを竜田川が止めた。
「いいよ、いいよ。みんな寝てるんだろ?起こすこたぁない。まだこんな時間だし、平気だよ」
「いや、しかし…」
竜田川はヤクザに近づいて、一瞬ゴロウを下ろした。ゴロウは竜田川にもたれかかって器用に眠っている。
そうして竜田川は懐から分厚い財布を取り出し、その中身を殆どヤクザに持たせた。
「いつもすまないな。みんなでうまいもんでも食ってくれ」
竜田川のマンションにマルコ達がやってきたのは夜なので気付かなかったが、マンションの背後にはスカイツリーが朽ちかけ、くすんだ姿で立っていた。
まだ日の出前なのに大通りは自転車と歩く人で混雑している。
「早起きは三文の徳」は今やまったくの現実で、仕事を求める者、一片の角砂糖を求める者はこの時間から動き始める。東京には仕事もモノも無さすぎるのだ。
一行は時間をかけて人混みを縫い、大通りを渡って隅田川沿いに出た。
「ゴロウさん、ホントはずっと起きてんだろ?」
竜田川が誰にもわからないようにヒソッと背中のゴロウに話しかける。
ゴロウは目を開いた。
「わかった?さっすがぁ」
「ゴロウさんの狸寝入りはネンショウ(※少年刑務所)以来の得意技だもんね」
「横綱、あのマンションもやばいぜ。盗聴器が仕掛けてある。」
「やっぱりな。ゴロウさん、とりあえず頼みがある」
「何?」
「ロシア製の暗号通信機を一組調達してほしい。ゴロウさんとの連絡用だ」
「そんなモンどうすんだ?」
「東京から逃げる。ゴロウさんにはそのために力を貸してほしい」
ゴロウはしばらく考えた。
「お前、暗号機なんて使えんのか?」
「神代が使える」
「神代ちゃんが?どうして」
「神代は元々北のスパイだったんだ。それが例の半島統一で」
「なるほどね、ハシゴ外して後は知らんぷりってわけか」
コルティナとミドリは並んで歩いていた。
ミドリは後ろを振り返り、竜田川に背負われて歩くゴロウをチラリと見て言った。
「ね、ほら。あいつは酔っぱらうとあれだから」
「ミドリさんは平気なんですね」
「あたしはああいうクズとは鍛え方が違うから」
アルコールに対する耐性は訓練でどうにかなるものだろうか、などと考えつつ、コルティナはミドリに昨夜来の疑問を投げかけた。
「ミドリさん、ところで『ヨイショ』ってどういう意味ですか?」
「え?」
ミドリはとっさに答えることができなかった。
「日本の人、スモーの時だけでなく、『ヨイショ』とか『ヨッコイショ』とかよく言いまス」
「んー、考えたこともなかったな。『がんばれ』とかそういう意味かなぁ…」
隅田川沿いを少し歩くと、駒形橋が見えてきた。
鉄製のアーチ橋は鮮やかな青で、ようやく上がり始めた朝日に輝いている。
と、コルティナがサンダルを脱ぎ捨て、白いワンピースを翻して走り出し、軽くジャンプして駒形橋の青い手すりに飛び乗った。
「コルティナ⁈」
マルコとミドリは慌てて声をかける。
しかし、コルティナは構わずすたすたと真っ直ぐに細い橋の手すりを歩き続けた。
マルコは一気に酔いが醒めた。
「危ないよ!酔っ払ってるのに」
コルティナはそのまま歩き続けて石造りの橋脚の上に作られたバルコニーの手すりにたどり着いた。
半円の、やはり石造りの手すりの上に立ったコルティナは、足の裏に石の冷たくザラザラとした感触を心地よく感じながら、白いワンピースの裾を膝上までまくり、両足を肩幅より大きく開き、高く右足を上げた。
これは故郷のお爺さんお婆さんのため。
「ヨイショー!」
そう叫びながらコルティナは足を踏み下ろす。しかし落ちればそこは隅田川だ。
「コルティナ!」
マルコは叫ぶが、コルティナの耳には届かない。
コルティナは次に左足を上げる。
これはマルコのため。
「ヨイショー!」
するとバルコニーの隅にうずくまっていた酔っ払いがコルティナに下卑た声を掛ける。
「ねえちゃん、パンツ丸見えだぞぉ!」
続いて右足を上げる。
これは神代さんのため。
今度はミドリも同時に叫ぶ。
「ヨイショー!!」
コルティナは足を勢いよく振り下ろす。
パンッ!と威勢のいい音が鳴る。
「いい四股だ。」
竜田川は思わず唸った。
「よう、もういい。下ろしてくれや」
ゴロウは竜田川の背中から下りて、竜田川の肩に手をやりながらコルティナを見守る。
次第に朝日が昇り、あたりは明るくなってきた。
コルティナは左足を上げる。
これはこの国の人のため!
「ヨイショー!!」
今度は更に多くの人々が叫んだ。
マルコが驚いて後ろを見ると、人々が足を止め、コルティナの「四股」を見物していた。車道のダンプカーも停車して、荷台に乗った日雇い労働者が歓声を上げている。
橋の上にはいつの間にかちょっとした渋滞ができていた。
コルティナは右足を上げる。
最後に、これは私のため!
コルティナは昇る朝日を睨みながら足を振り下ろした。
「ヨイショ―!!」
最後の一声は、人々の大きな合唱と共に隅田川の川面に響き渡った。
コルティナは朝日を見つめながら大きく息を吐き、くるりと橋の上の観衆に向き直り、深々とお辞儀をした。
人々は大きな惜しみない拍手をコルティナに送り、そして速やかに生活に戻っていく。
「危ないじゃないか、コルティナ…」
マルコがコルティナの脱ぎ捨てたサンダルを手にして言う。
「こんなのベタ凪の海より平気。わたし、お爺さんの舟の櫓を漕いでたんだから」
コルティナはそう言って、石造りの手すりからマルコの側にひらりと飛び降りた。
次回第3話「神代も聞かず竜田川」~調達屋~に続く
今週も読んでいただき、ありがとうございました。
このお話はまだまだ続きますので、ご期待ください。
なお、次回は3月24日(土)夜10時に更新予定です。
お楽しみに!




