第3話「神代も聞かず竜田川」~マルコ悶絶する~
マルコはゴロウと初めての相撲見物に出かける。
しかし、ゴロウの車には相撲ファンのコルティナが無断で寄宿舎を抜け出し潜んでいた。
仕方なくコルティナも連れて行くことにしたゴロウは、両国橋の手前で車を降りる。
両国橋を渡り切ると、とたんに空気が変わったことにマルコは気付いた。
あちこちから、敵意に満ちた刺すような視線を感じる。
遠巻きではあるが、雑踏の中から自分たちを追う足音も聞こえる。
マルコはゴロウの耳元で囁いた。
「ゴロウさん…」
「気付いたか、さすがだな」
護衛のチンピラたちも緊張した面持ちだ。
しんがりの日本人はニヤニヤ笑いをやめ、しきりに後ろを気にしている。
「ここはな、陳大人の縄張りでな。こいつらはよそものだから」
「だったらどうして…」
ゴロウは笑って言った。
「そこがヤクザの面白いところさ。上の方はみんな自分の縄張りが大事だから戦争したくない。だからこいつらと一緒にいればは敵地のど真ん中にいても一応安全が保障される」
「だけど」
「その通り、どの組織にもはねっかえりがいる。どっから弾が飛んできてもおかしくない。少なくともよそ者にそう感じさせることで縄張りの秩序が守られるってわけだ」
マルコは自分の意識が自然と戦闘モードに入っていることを感じていた。
一方のコルティナはといえば、マルコ達の緊張にはまるで無頓着に京葉道路沿いに立ち並ぶ出店を物珍しそうに眺めていた。
もう日も暮れた。
出店はヤクザから買った電気や、自前のランプで思い思いの灯りをともし、それなりの賑わいを見せている。
と、マルコ達めがけて幼い少女が走り寄ってきた。
マルコは胃が固くなるような緊張感を覚える。
花売り娘は幼年兵の自爆攻撃の常套手段だったからだ。
少女は花の入った籠を持ってコルティナに声をかけた。
「おねえさん、おはなはいかが?」
コルティナは笑ってしゃがみ、少女の顔を覗き込んだ。
一行に緊張感が走り、チンピラ二人は自然とコルティナをガードする位置に立つ。
「これ、くださいな」
コルティナは、花かごから一本の向日葵を取った。
「おいくら?」
「せんごひゃくえん」
コルティナはマルコを振り向いて言った。
「私お金持ってないの。お願い、払ってあげて」
マルコは慌ててポケットから千円札を2枚出して少女に渡す。
「ごめんなさい。おつりがありません」
少女はまるで教わったセリフのような口調でそう言った。
コルティナが困った表情でマルコを見上げる。
「いいよ、あげるよ」
マルコがそう言うと、少女は嬉しそうに笑って「まいどありがとうございました」と言いながらお辞儀した。
「いいねえ、この太っ腹、お大尽!」
ゴロウがマルコをからかう間に、コルティナは向日葵の茎を短く切って、自分の髪に飾った。
季節外れの向日葵はコルティナの浅黒い肌と漆黒に輝く髪に映えた。
コルティナは立ち上がって言った。
「マルコ、ありがとう」
マルコは危険な状況を忘れ、その美しさにぼうっと見とれた。
「マルコ、デートデート!」
ゴロウに耳元で囁かれ、マルコはハッと我に返る。
「あ、あの…似合うね。その花」
少女も合いの手をいれる。
「たいへんおにあいですわ」
コルティナは大きく笑った。
「ありがと!小さなお花屋さん!」
二人のチンピラが焦れている。しかしコルティナは一向に気にしていない。コルティナの様子は堂々としていて、まるでどこかの国の王女様みたいだ、とマルコは思った。
一行はチンピラにうながされてまた歩き始めた。
「しかしあのお嬢さんは大したもんだ」
「心臓が止まるかと思ったよ」
「こういう時にあんまりトゲトゲしてるとな。かえって敵を刺激しちまうってもんさ」
一行がしばらく歩くと元総武線の高架越しに大きくて平べったい形の建物が見えてきた。
明かりはない。
その黒々とした巨大なシルエットを見てコルティナが叫ぶ。
「あっ、コクギカン!あれコクギカンでしょ⁈あそこで相撲見る?」
「見ねえ」
ゴロウは素っ気なく答える。
「どうして?スモーはコクギカンという所でするものでしょう?」
「そりゃ震災前の話だ。あれは国技館の残骸。震災の時にドジな警備員が入り口を開けたまま逃げやがった。そっから中に火が入ってまる焼けだ」
「そうですか…」
コルティナは立ち止まり、少し残念そうに国技館のシルエットを眺めていた。
浅草橋から30分余り歩いたところで、一行は突然歓楽街に出た。
今では電車も走っていない総武線錦糸町駅を中心に屋台が連なり、売春宿やわけのわからない電子部品屋が集まった廃ビルには驚いたことにネオンまで光り輝いている。
この時間、東京の標準電気では停電のはずなのだが。
一行は人混みをかきわけながら進む。
と、コルティナがマルコの手を握ってきた。
驚いたマルコにコルティナは振り向いて無邪気に笑って言った。
「人だらけ!迷子になっちゃいそう」
マルコの胸は高鳴った。
やがて一行は人混みを抜け、映画館の入っているビルにたどり着く。
ゴロウはチンピラ二人にチップを渡し、礼を言って帰らせた。
敵地のど真ん中をまた二人きりで戻るなんて…、マルコは何だか気の毒な気がした。
ゴロウは構わず先に立って地下への階段を下りていく。
階段は薄暗く、その壁は色とりどりのポスターや落書きで埋め尽くされている。
階段を下りてドアを開けると、そこは劇場のロビーといった感じの場所で、薄暗い空間にいくつかソファーが並んでいた。ソファーには肩から刺青をちらつかせた大男たちがふんぞり返っている。
すると緑のベストに蝶ネクタイ、フォックス眼鏡に口ひげという胡散臭い男がサッと寄ってきた。
「ゴロウさんじゃないすか!お久しぶりですぅ~」
「ああ久しぶりだな、支配人」
「今日は竜田川に御用ですか?」
「竜田川」と聞いて、ソファーの大男たちがうろんな視線をゴロウに向ける。ゴロウは横目でそれをチラリと見て言った。
「あー、この子たちに相撲を見せてやりたくてよ」
男はマルコとコルティナを見やり、ほんの一瞬嫌悪の表情を見せるが、すぐに笑顔に戻った。
「それはよござんす」
「竜田川は?」
「そりゃもう絶好調。つい先だっても80連勝を達成しまして」
「すげえな!」
ゴロウは思わず笑顔を見せる。
支配人は如才なくマルコ達にもお愛想を言う。
「あー、どぅ・ゆー・らいく・すもー?じす・いず・じゃぱにーずとらでぃしょなる・れすりんぐ」
コルティナは礼儀正しく日本語で答えた。
「ありがとうございます。今日はとても楽しみです」
「まぁー、日本語お上手だこと!」
支配人はロビーに並んだドアを開き、仰々しい仕草で三人を中へ迎え入れる。
ソファーの男たちが自分たちから目を離さず、顔を寄せ合ってひそひそ話しているのをマルコは見逃さなかった。
「ありゃ陳大人とこのヤクザだ」
ゴロウが小声でマルコに説明する。
「見た通り、全員相撲取りのなれの果てよ」
「なれの果てって?」
「ん?あー、えーっとな…。つまり、ダメな相撲取りがヤクザになっちまったってわけ」
「なんだ。ボクサーやレスラーと一緒だね」
劇場内はすり鉢状になっており、思いのほか天井は高い。
薄暗い観客席は300人も入れば満員といったところだが、入りはせいぜい4割程度だった。
その客たちも所在なげに新聞を読んだり、カップ酒を飲んだり、居眠りをしている。
場内はほのかにカビ臭く、さびれきっていた。
劇場の一番低くなったところに土俵がしつらえてあった。
土俵は見たところちゃんと粘土を突き固めたもので、本物だ。
スポットライトが土俵の真ん中に飾られた榊を浮かび上がらせている。
支配人は三人を最前列、つまり砂かぶりに案内し、愛想笑いもそこそこに短い花道の奥へ姿を消した。案外身が軽い。
が、次の瞬間、スポットライトを浴びて支配人は行司に姿を変えて花道の奥に現れた。驚くべき早変わりだが、あろうことかフォックス眼鏡はそのままだ。
観客席からどっと笑いが起きる。
「よっ、待ってました!」
掛け声も飛ぶ。どうやら人気者らしい。
チョーン、チョーン、チョーン!
今や行司の支配人は取り澄ました顔で拍子木を鳴らしながら土俵に上がる。
コルティナは失望していた。
これは彼女の夢見ていた「大相撲」とはかけ離れていた。
これではまるで故郷で時々興行していたルチャやサーカスではないか。
相撲というのはもっとこう伝統的で、格式があって、神秘的で…。
「ひがぁ~しィ~、竜田川~。にぃ~しィ~白露山~」
良い声をしている。
続いて支配人は土俵上に置かれたスタンドマイクのスイッチを入れ、急に声を落として真面目な口調でアナウンスした。
「東方竜田川、西方白露山、本日結びの一番です」
再び観客席が湧く。
支配人はにっこりと笑ってスタンドマイクを持って、サッと土俵から降りる。なかなか芸達者だ。
まず大関白露山が西の花道から入ってきた。
白露山は巨漢のロシア人で、金髪の髷を結っている。
マルコは白露山の節くれだった指と、掌にゴツゴツと盛り上がったタコに気付いた。そして左の耳がない。そして何よりもその容貌。
「この人、兵隊でしょ?」
マルコはゴロウに耳打ちする。
「元な。しかしよくわかったな」
「兵隊は穴ばかり掘らされるからね」
本当はそれだけじゃない。死線をくぐったものにしかわからない「眼の色」というものがある。しかしマルコは黙っていた。
コルティナの落胆は、白露山の登場で少し持ち直した。
続いて東の花道に竜田川が現れる。
その瞬間、場内から割れんばかりの拍手が鳴り、常連客から声援が飛ぶ。
「よっ、竜田川!日本一!」
「世界一!」
「宇宙一!」
ここでまた場内は笑いに包まれる。
冷え切っていた場内の空気が次第に沸き立ってくる。
コルティナはその変化にワクワクし始めていた。
そして竜田川が土俵に上がった時、コルティナの瞳はその肉体の美しさに釘付けになってしまった。
見上げるような巨体はついさっき圧倒された白露山をはるかにしのぎ、そして磨き上げたように輝く肉体には傷一つなく、無粋なサポーターやテーピングもない。
竜田川が土俵に上がると白露山は下がり、土俵上は竜田川ひとりになった。
ここで竜田川は土俵中央に出て、まず柏手を二度打ち、四股を踏む。
どこまでも高く、真っ直ぐに上げられた足。
すると観客は全員が全員声揃えて叫ぶ。
「ヨイショーッ‼」
掛け声と同時に勢い良く右足が土俵に振り下ろされると、場内が微かに揺れた。
竜田川はそのまま状態を低く折り曲げ、平蜘蛛のように大きく両手を広げた。
そしてそこからゆっくりと、まるでメラメラと燃え上がる炎のようにせり上がっていく。
再び右足。まるで体操のY字開脚のように美しく、しなやかで、なおかつ力強い動き。
「ヨイショ―ッ‼」
観客の掛け声と共に右足が振り下ろされる。
そして左足。
右足と全く同じ高い軌跡を描いて振り上げられた左足が、竜田川の並外れた肉体バランスを示していた。
「ヨイショ―ッ‼」
場内の空気が震える。
この人は強い。とてつもなく。マルコの本能がそう告げていた。
コルティナは魅入られていた。魔法にかかったように。
その時、突然マシンガンの音が場内の空気を切り裂いた。
「ウゴクナ!」
反射的にコルティナをかばいながら伏せたマルコが声の方向を見ると、すべての扉にAK47を持ったギャングが立っていた。
そしてその全員が右腕に赤いバンダナを巻いている。
マルコは呆然とした。
これは悪い夢だ…。
と、いつの間にかコルティナは身を起こして再び土俵を見つめている。
慌ててコルティナの頭を押さえようとしたマルコは、土俵上に悠然と立つ竜田川の姿を見た。
竜田川は両腕を大きく、大きく開いている。
土俵入りの時に柏手を打った時とは違い、胸を大きく開き、腕を更に大きく広げている。
「『鳴き竜』だ!耳ィ塞げ!」
ゴロウが叫んで両耳を押さえる。
マルコもそれに倣う。
だがコルティナは竜田川から目を離さない。
慌てたマルコは自分の手でコルティナの両耳を押さえた。
次の瞬間、竜田川はものすごいスピードで両手を合わせた。
パアアアァァン‼
破裂するような音にマルコの鼓膜が震える。
その直後、「キイイイィィン」という甲高い残響が場内を切り裂いた。
それは無防備なマルコの三半規管を激しく揺さぶり、マルコは気を失いそうになる。
「ピシッ!」
ゴロウのサングラスは音をたててひび割れた。
次回第3話「神代も聞かず竜田川」~マルコ再会する~に続く
今週も読んでいただき、ありがとうございました。
今回もまた、ギリギリです。
もう少し働き者にならないと…。
なお、次回は3月3日(土)夜10時掲載予定です。
赤軍を彷彿とさせるギャング団の正体とは?
そしてコルティナは念願の相撲を見ることができるのか?
ご期待ください。




