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第3話「神代も聞かず竜田川」~コルティナは相撲が見たい~

中米の小国、セント・グレゴリオ諸島で共産ゲリラの少年兵として戦ったマルコ・フランスアは、数奇な運命を経て日本にやってきた。荒廃した日本で屈辱的な生活を送っていたマルコはある夜、「トッケイ」と名乗る私兵集団に誘われる。そして出逢った同郷の少女コルティナ。

マルコはトッケイで働く傍ら、トッケイの一員で東京八王子の山中に大邸宅を構えるムダイと名乗る老人が運営するコミューンで、コルティナと共に集団生活を送ることになった。



「金ないぞー金ないぞー金ないってことは…、ことは…、うーん」

 ゴロウがでたらめな節ででたらめな歌を歌っている。

 管理室には緩んだ空気が流れていた。

 

 トッケイこと東京特殊警備保障の主な職場である、ここ六本木特区の倉庫付き高層ビル(彼らはここを「シェルター」と呼んでいる。)はここ数日平穏な日々が続いていた。

 強いて言うなら、アラブの首長が保管を要請した血統書付きのラクダたちには手を焼かされたが。

 

 ゴロウは歌の続きが思い浮かばず、ため息まじりに監視モニターに目をやる。

 (から)の倉庫が映ったそのモニターには、何やら奇妙な動きをするマルコが映っていた。


「よう…」

 ゴロウは傍らで拳銃の手入れに余念のないクガに話しかける。

「あの小僧は何やってんの。踊りかなんか?」

「おめえ、太極拳も知らねえのか」

「太極拳ってあれか?中国のジジババが公園で集まってやってるラジオ体操みたいなやつ」

 クガはなかば呆れつつ、分解したベレッタ92Fから顔を上げた。

「ムダイの爺さんがいなくてよかったぜ。あのな、太極拳ってのは格闘技なんだぞ」

「へえー、格闘技!こんなトロい動きで?」

 ゴロウは少しバカにした調子で言う。

 クガは改めてモニターのマルコを見た。

「こりゃ套路とうろといって太極拳の基本の動きだ。この連続してゆっくりとした動きで体幹を鍛えたり、呼吸法や足捌きの基本を身に付けるのさ」

「ふーん、熱心だねえ。もう1時間は休まずやってるぜ」

「そりゃ大した集中力だ。お前さんも少しは見習えよ」

「賭場でも役に立ちますかね」

 クガはゴロウを無視して再びベレッタの手入れに戻った。

 それを白けた表情で見て、ゴロウは再び歌い始める。

「カネ、カネ、カネ、金な~い~ぞ~。金がなーい、金がなーい…」

 クガがゴロウのでたらめ節にいい加減苛立ち始めた時、マルコが汗を滴らせながら管理室に入ってきた。

「ゴロウさん、もうお金ないの?」

「つーかマルコ、おめえ汗まみれじゃねえか。シャワーぐらい浴びてこい!」

 クガがマルコにタオルを投げながら言った。

 マルコはとりあえずタオルで頭と顔をゴシゴシと拭く。それを見ていたゴロウが突然素っ頓狂な声で叫んだ。

「あ、格闘技!そうか‼」

マルコは怪訝そうな表情でゴロウに問う。

「なに?」

「こうなりゃ昔面倒見た竜田川ンとこへでも行ってみるか」

「竜田川ってお前…」

 クガの問いには答えず、ゴロウはマルコに言った。

「マルコ、今度相撲に連れてってやろうか?」



「マルコ、今なんて言ったの?」

 仕事明けでムダイ邸に帰ったマルコはコルティナと仲良く並んで昼食を摂っていた。

 今日も昼はうどんで、箸使いに慣れないコルティナと違い、マルコは箸を器用に操ってうどんをたぐり、啜り込んでいる。

 マルコはコルティナの問いに、うどんを食べながら答える。

「だからさ、今度土曜日の夜にゴロウさんとスモーを見に行くんだ」

 すると突然、コルティナが前のめりにマルコに顔を寄せて大きな声で言った。

「私も行きたい!」

 コルティナの大きな声と近すぎる顔にマルコは驚き、ドギマギした。

「ダメだよ。女子は17時以降外出禁止だろ?」

 

 ムダイ邸の寄宿舎の規則ではそうなっている。

 男子は13歳以上であれば夜間でも「信頼すべき成年の同伴者」があれば外泊も可能だ。一見差別的に思える規則だが、これは東京の治安が悪く女子の夜間外出が非常に危険だからだ。


「むー、それって差別だと思うのよね」

「仕方ないだろ?規則なんだから。それに隅田川から向こうでコルティナなんかが歩いてたら、たちまちさらわれちゃうよ」

「だって、ゴロさんも一緒なんでしょ?」

「ダメだよ、そしたらゴロウさんがムダイ老師に叱られちゃう」

「でも見たい!スモウ・レスラー絶対に見たーい!」

 コルティナはテーブルを叩きながら子供のように駄々をこねた。こんなコルティナをマルコは見たことがない。

 意外だった。

「コルティナはスモーに興味あるの?」

 コルティナは何度も大きくうなずいた。

「テレビで一度見たの!日本のこと扱った番組で。すごく大きい男の人たちが闘うんでしょ?かっこいい!絶対見たい!」

「大きい男が好きなの?」

「うん!大好き!」

 無邪気に目を輝かせるコルティナは、マルコが密かに傷ついたことを知らない。

 ちぇッ、どうせ僕はチビだよ。コルティナの好みのタイプじゃないんだ。

 マルコは急に素っ気ない態度になってコルティナに言った。

「純華さんにでも相談してみれば?たぶん無理だと思うけど」

 マルコはさっさとうどんを汁まで飲み干し、どんぶりを片付けに行ってしまった。

 しかし、コルティナはマルコの不機嫌さに気付かない。今彼女の心をとらえているのは「スモー」東洋の神秘的格闘技。そして、マルコは知らない。それを見ることが、彼女が日本の裏側に住んでいた頃からの夢であることを。



 土曜の夕方、ゴロウは八王子のムダイ邸までマルコを車で迎えに来た。

 ゴロウの愛車は小さな赤いジムニーで、車体の所々に錆が浮いて古びた車だった。

 その日、マルコは外泊届を出して(これはトッケイの仕事がある度、提出していた。)、自室でゴロウを待っていた。マルコはふと今日の午後からコルティナを見かけないことに気付いて不安になった。そういえばこの一週間、二人の間にあまり会話がない。この間のことをコルティナはまだ怒っているのだろうか。

 マルコがそんなことをもやもや考えていると、障子がからりと開いてサングラスのゴロウが顔を出した。

「悪ィな、ちょっとムダイの爺さんとこに寄ってたからよ。行こうぜ」



 ゴロウのジムニーはムダイ邸の山道から八王子の市街地へ出ると、甲州街道を目指した。舗装された道路はいまだに波打ち、ところどころに亀裂が入っている。

 復興は遅々として進んでいない。

 巨大地震を引き金として発生した世界恐慌により、日本政府の財政は破綻していた。

 

 ガタガタ道を走りながらマルコは明かりのない沿道の街並みをぼんやりと眺めていた。

 東京には電気がない。

 東京湾岸に集中していた火力発電所は津波で破壊されたまま放置されている。

 そして、どの地方も地元の復興で手一杯で、かつて東京を支えていた東北や北陸地方の発電所は東京への送電を拒否していたのだった。

 いくつかの繁華街では地下に残った非常用発電機や改造した地域冷暖房システムを使って夜の街の「それらしさ」を維持していた。


「相撲は初めてか」

「うん。」

「じゃあ楽しみだな」

 すると予想外の方向、後部のラゲッジスペースから返事があった。

「うん!すっごく楽しみ!」

 ゴロウとマルコが驚いて振り向くと、コルティナがラゲッジスペースからひょいと顔を出していた。

「コルティナ!」

「あ、ゴロさん、まえまえ!」

 指さすコルティナに、ゴロウは慌てて前を見て対向車を避ける。

 その間にコルティナは背もたれを乗り越え、済ました顔で後部座席に納まっていた。


「純華さん、許してくれたの?」

「あの人が許可するわけないもん」

 ゴロウは恐る恐るマルコに訊く。

「こんなの聞いてないぞ。ムダイの爺さんの許可は貰ってるんだろうな」

 マルコは無言で肩をすくめてかぶりを振った。

「おいおい、勘弁してくれよ」

「引き返す?」

 するとコルティナが前席を掴んで前後に揺すりながら叫んだ。

「イヤーッ!絶対にイヤッ!」

 ゴロウはガクガクと体を揺すられる。

「おいやめろ、運転できねえだろ!」

 コルティナは運転座席を揺するのをやめ、今度はドアノブに手をかけて真剣な表情で言った。

「引き返すなら飛び降りて死ぬから」

 最後の一言はスペイン語だったが、これはゴロウにも理解できる。

 ゴロウは深くため息をついた。

「今から引き返したら取組に間に合わねえし、ま、いっか」

 マルコは心配そうに、しかし若干の期待を込めてゴロウに問う。

「連れて行くの?」

「俺がムダイに謝りゃ済むことだ。よし!コルティナ!連れてってやる」

「ホント⁈ゴロさんだーい好き!」

 コルティナは後ろからゴロウの首ったまに抱きつく。

 ゴロウはマルコをチラッと見てニヤついて言った。

「考えてみりゃお前ら、こっち来てから二人してどっか行くの初めてじゃねえか?」

 マルコとコルティナは思わず顔を見合わせた。

 マルコはムダイ邸に来てからトッケイの仕事の時以外外出したことがない。コルティナも純華の手伝いで八王子のマーケットに買い出しに行ったぐらいだ。

「ま、おじゃま虫が一匹いるけど、お前らこれが初デートじゃね?」

「デート…」

 マルコは思わず顔を赤くしてコルティナを見た。

 コルティナは肩と裾にレースをあしらった白いワンピースを着ていた。いつも見慣れた作務衣とはずいぶん違う印象だ。

 マルコの視線に気づいたコルティナも赤くなり、慌てて埃だらけのワンピースをパタパタと払う。彼女はどのぐらいの間、ラゲッジスペースに潜んでいたのだろう。

 

 ふたりの様子に微笑みながらゴロウはコルティナに話しかける。

「コルティナはどうしてそんなに相撲が見たいの?」

「スモー、昔テレビで見ました」

「あ、ニュースかなんか?」

「あー、いや。それはいろんな国の文化?紹介するプログラム。それでスモー初めて知りました。ヨコズナ、オオゼキ、セキワケ、コムスビ…」

「凄いねー。三役までスラスラ出てくるやつなんて今どき日本人にもあんまし見かけないな」

「それでね、リキシが結ってるのはちょんまげじゃなくて『オオイチョウ』」

「大井町?」

 マルコの見当外れな問いにゴロウが突っ込みを入れる。

「ばかやろ、ありゃ「おおいまち」って読むの」

 コルティナは構わずしゃべり続ける。

「『オオイチョウ』はね、ginkgo bilobe grande.髷の形がイチョウの葉っぱに似てるからで…」

 その後もコルティナは相撲の素晴らしさについてしゃべり続けたが、マルコの頭には殆ど入らなかった。

 マルコの頭の中ではゴロウが放った「デート」という一言がグルグルと回り続けていた。



 八王子から1時間余り自動車で走り続け、ジムニーは浅草橋付近のマンションの前でようやく止まった。

 マンション入り口には、いかにもヤクザ風の男たちがたむろしていて、ここがヤクザの事務所だということは一目でわかる。

 

 ゴロウがジムニーから降りると、ヤクザの一人が走ってやってきた。

「ゴロウさん、お久しぶりっす。珍しいっすね」

「おおサブ、元気そうじゃねえか。弟はどうしてるよ」

「弟は…、北海道に行っちまいました」

 サブと呼ばれたヤクザはうつむいて寂しそうに答えた。

「東京はシケてっからなぁ。ま、気イ落とすな」

「ゴロウさん、今日はどういったご用件で?組長(オヤジ)は出かけてますけど」

「うん、ちょっと向こっかわに用があってよ」

「じゃあ、うちのもんを付けますんで」

「頼むよ。俺だけならいいんだけど、今日は連れがいるんでな」

 ゴロウの視線の先を見たサブは思わずコルティナに目を止めた。

「ほえー、すげえ上玉ですねー」

「ばかやろ、まだガキじゃねえか。それにありゃムダイんとこの娘だぜ。変な気ィ起こすなよ」

 とたんにサブの下卑た笑いは消えた。

「失礼しました」

「あと、車預かっといてくれや」

 そういいつつゴロウはサブにジムニーのキーを投げて渡し、いくらか札を握らせた。

「承知しました」

「それと…兄貴によろしくな」

「はい!」

 ヤクザはジムニーに走って乗り込むと、マンションの地下駐車場に入っていった。

 

 ゴロウは待っているマルコとコルティナのもとへ歩いて戻った。

 コルティナが期待に目を輝かせている。

「着いたの?」

「まだだ。こっからは(ある)ってく。隅田川からあっちに車なんか止めたら、あっという間に盗まれるかバラバラにされちまうからよ」



 それから三人はチンピラの護衛に前後を挟まれて、両国橋を渡った。

 先頭を行くのはアフロヘアの若いアフリカ系難民で、おそろしく背が高く、顔に浮き彫りの刺青を入れていた。後ろに付いているのは坊主頭の日本人で、終始ニヤニヤしながらコルティナに不躾な視線を送っていた。

 夕暮れの両国橋の上を吹く風は、ドブのような隅田川の独特な悪臭を伴って、マルコの体にねっとりとまとわりついた。



           第3話「神代も聞かず竜田川」~マルコ悶絶する~に続く


今週も読んでいただき、ありがとうございました。

第3話の始まりです。

今回のテーマは「相撲」

や、決して時事ネタ狙いじゃないんです。

これはこのシリーズの構成を考えていた当初からすでにあったアイデアでして。

第3話では物語世界のディテールに力を入れようと思います。

なお、次回は2月24日(土)夜22時更新予定です。

お楽しみに!


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