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第2話「マルコの事情」~Japone(ハポネ)~

密航船に閉じ込められて漂流していたマルコは、瀕死の状態で奇跡的にアメリカ沿岸警備隊の巡視艇に救助されるが…。

 入国管理局の付属病院で一か月間念入りに検査した結果、マルコの体内から伝染性のウィルスや菌は一切発見されなかった。

 それからもう一か月の間に数種の寄生虫が駆除され、皮膚の大部分を覆っていた様々な感染症も、医療スタッフの根気強い努力の結果、根治された。この間、医療スタッフが舌を巻いたのはマルコの驚異的な辛抱強さだった。

 全身を度し難いほどの痒みに苛まれ続けているにもかかわらず、マルコはじっと身じろぎせず患部をまったく掻こうとしなかった。そして目をつむってただひたすら耐えていた。

 人間は「痒い」という苦痛に最も弱い。

 現にマルコはスタッフの「痒いか?」という質問に首を縦に振っている。

 ひたすら耐えるその姿に、スタッフの中には、傷を負った野生動物がじっと治癒と回復を待つ姿を重ね合わせる者もあった。

 結果、マルコは巡視艇に救われた時とは見違えるほどまで回復し、続いて現地のNGO組織のリハビリテーション・プログラムを受けた。

 一か月以上、座ったままの姿勢だった成長期のマルコの腰椎は深刻な変形をきたしており、そのままでは歩行は困難であった。

 理学療法士による治療は激痛を伴うものであったが、スタッフを心配させるほどマルコは積極的に取り組んだ。


 この間、マルコはひとつのことのみを頭に浮かべていた。

 それは「必ず日本に行くこと」

 当然ディエゴとの約束もあったが、それはきっかけに過ぎない。

 なぜ自分は生きようとするのか。

 いつ死んでもいいと思っているはずなのにどうして自分だけが生き伸び続けるのか。

 その答えは日本にある。

 マルコはそう念じ続け、常に自分の心に刻み続けた。



 日本行きを固く決意した頃から、マルコはカジローを思い出すことが多くなった。

 カジロー・ヤマモトは、マルコの生まれ育った町べナスの市街地を少し外れた山の中にたった一人で住んでいる日系移民の一世だった。

 地元の人々は彼を「サムライ」と呼んだがそれも無理からぬことで、カジローは現代のセント・グレゴリオで(まげ)を結い、着物を着て、腰には刀を下げているという出で立ちであった。

 町の人々、特に若い警察官の中には彼を狂人とみなして警戒する者もあったが、老人や子供たちには人気があった。

 カジローは時々町に下りてきて、一人暮らしの老人の住まいを修繕したり、穴のあいた鍋を直したりして手間賃を貰っていた。

 そのついでに老人たちとバックギャモンを楽しんだり、子供相手にチャンバラごっこをしたりして気ままな時間を過ごすこともあった。

 マルコはカジローが刀を抜くのを見たことがない。

 幼いころ、マルコはカジローが地元の若いストリートギャングたちにからまれるのを見たことがあった。

 ギャングたちはカジローの刀を見たがったが、カジローがそれを拒んだのがそのきっかけだった。

 彼らは手に手にナイフなど得物を持ってカジローを取り囲み襲いかかったが、カジローは刀の柄に手をかけることすらなく、あっという間に彼らを地に這わせた。

 その日からカジローはマルコのヒーローになった。

 

 ある年の夏休み、マルコは暇さえあれば山に出かけていき、カジローの一挙手一投足をじっと観察した。

 カジローの生活は単調で、単純にいえば昼間の半分が畑仕事、残りの半分が武術の稽古、夜は何やら漢字ばかりのおそろしく古い本(和綴じの本はマルコには何やら怪しげな魔導書に見えた。)を読みふけっているかと思うと、思い出したように墨を擦り、筆をもって書画をたしなんだ。

 カジローはマルコという観察者の存在に当然気付いていたが、どうせそのうち飽きると思ったのか、特にマルコに声を掛けることはなかった。

 だが、マルコは飽きるどころか、カジローに魅入られていた。

 カジローの武術の稽古は独特で、持ち歩いている刀よりも更に重たい木刀をひたすら上下に振り続ける日があったかと思えば、真剣を抜いて半日、ピクリとも動かない日もあった。刀を持たず、徒手で突き、蹴りの型(マルコには「カラテ」との違いがわからなかった)を何度も繰り返す日もあった。

 最初はその激しい稽古に興味を持ったマルコだったが、次第ににカジローの日常の動きが「普通とは違う」ことに気付いた。


 それはマルコが、渓流で釣りをするため飛び石伝いに対岸へ渡るカジローの姿を見ていた時のことだった。

 渓流に頭を出している石は水流に丸く削られ、苔むしている。しかしそこを歩くカジローの動きは、平坦な普通の山道を歩くのと全く変わらなかった。

 マルコは思わず、カジローと同じように渓流を渡った。

 せせらぎから頭を出している石はやはりぬるぬると滑りやすく、マルコは水に落ちないよう慎重に時間をかけて対岸にたどり着いた。そして釣り糸を垂れているカジローのもとへ走り寄って尋ねた。

「どうして?」

 カジローは近寄ってくるマルコを静かに微笑みながら見ている。

「どうして川と道の歩き方が一緒なの?」

 カジローの表情はある驚きに変わった。そして日本語で呟いた。

「幼い子供にすらこれだけの観察力が備わっておるとは…」

 カジローは急いで釣り道具をしまって立ち上がり、マルコにスペイン語で語りかけた。

「名前は?」

「マルコ!」

「ではマルコ、謹んで君を私の家に招待しよう」

 マルコはこの日からカジロー・ヤマモトの最初で最後の弟子となった。



 リハビリも順調に進み、マルコが施設のグランドをランニングできるようになった頃、フロリダの日本領事館から役人がやってきた。

 役人はヒスパニック系のアメリカ人女性で、日本語を全く解さなかった。

 本国での大厄災とそれに続く世界恐慌の影響を受け、日本人の外務官僚たちの多くは帰国してしまい、このフロリダ州の領事館も、残った官僚と現地スタッフを中心に細々と業務を続けていた。

 マルコは役人の前で殆ど口を利かず、ただ「あなたはディエゴ・アルベルト・タカギですか?」という質問にのみ「Siそうだ」とだけ答え続けた。

 そして最後に墨と筆と半紙を用意し、たっぷり時間をかけて墨を擦るとしばらく考え、師匠直伝の筆使いで墨痕鮮やかに「(くう)」と書いた。

 役人はその美しさに驚きつつ、字の意味を尋ねた。

 マルコは「Nada(何もない)、Aire(空気)」と答えた。

 役人は涙を浮かべ、何度もうなづいた。

 マルコはその書を役人にプレゼントした。

 役人は更に感極まって、泣きながらマルコをハグした。この人は良い人なんだな、とマルコは思った。

 こうしてマルコの日本行きは決まったのだった。



 そしてここは日本。

 東京入国管理局横浜支部の尋問室にマルコは腰かけていた。


 巨大地震が引き起こした大津波で、横浜港は港湾機能を完全に失った。

 津波で砕かれた桟橋は巨大なコンクリートの塊となって街に押し寄せ、多くの人の命を奪った。

 今では朽ちて崩れ落ちそうなガントリーは放置され、その巨大な黒い影を晒している。


 マルコは入国管理局の係官に尋問を受けていた。その傍らには通訳が座っている。

 通訳はメガネをかけた小男で、先程からパイプ椅子の上で落ち着かない様子でしきりにメガネを拭いていた。

 痩せて背が高く神経質そうな係官もやはりメガネをかけていた。

 係官は手にしたボールペンで机をコツコツを叩きながら不機嫌そうに口を開いた。

「すると何か?こいつはディエゴ・アルベルト・タカギでも日系人でもない。しかも未成年だって?」

 通訳は、自分のせいでもないのになぜか申し訳なさそうに答える。

「そう…なりますね」

「困ったねぇ。収容所はいっぱいだし。とはいえ未成年を国外退去にするのもなあ」

「はあ…」

 係官は大きなため息をつきながら、足を組んで天井を仰いだ。

「中央政府の権限は東京と神奈川まで。行政機構もほぼ機能停止。おまけにハイパーインフレ。それなのに世界中から難民やら不法入国者がどっと押し寄せる。日本がまだ豊かな国だと思っているんだ、このバカな黒ゴキブリどもは」

 もちろん通訳はマルコにこれを訳さない。ただ下を向いて小さくなっていた。

「この庁舎だってラブホを改装して使ってるんだぞ。もう公務員なんてやめちまおうかな…、今どきはヤクザの方が儲かりそうだ」

 係官は更に大きなため息をついてそう嗤いながらぼやいた。


 結局係官はディエゴ・アルベルト・タカギという人物が日本に上陸したという事実自体をなかったことにした。

 書類はすべて廃棄され、ディエゴ名義のパスポートは没収された。マルコは名前すら聞かれず、ダブダブの古びたダッフルコート一枚だけ与えられ、「庁舎」の裏口から横浜の街に放り出された。

 マルコはうつむいて呟く。

「ちぇっ。『ゴキブリ』ぐらい知ってるよ。あれは『油虫』とも言うんだ」

 歓迎されるなんてちっとも思ってなかったけど、cucarachaゴキブリはないじゃないか。

 震災前ラブホテルだった建物は律義に自動音声で、マルコの背中に「ご利用、ありがとうございました!」と声をかけ、マルコを驚かせた。


「待って!」

 スペイン語にマルコが振り返ると、さっきの通訳が白い息を吐きながら走って追いかけてきた。

「ごめんよ、役に立てなくて」

 通訳はマルコの手に千円札を渡した。

「これ、本当に少ないんだけど」

 通訳はそれだけ言うと踵を返し、振り向くことなくまた走って戻っていった。


 日本の冬の空はどんよりと曇り、底冷えがした。マルコはブルッと震えてダッフルコートの前をかき合わせ、あてもなく歩き始める。


 横浜の街は荒廃しきっていた。

 ポートタワーは半分に折れ曲がり、高層ホテル群はところどころ崩れて廃墟と化している。

 マルコは悪夢のような風景を呆然と見渡した。

 それはマルコがセント・グレゴリオで見ていた日本製の「アニメ」に登場する光輝く未来都市とはかけ離れていた。白と黒の世界。マルコはいつかカジローに見せてもらった「墨絵」を思い出していた。

 マルコはポツリと呟く。

「ディエゴ。あんた、見なくて良かったよ」


 その時、突然後ろからマルコに声をかける者があった。

「ニイさん、肉まんどうかね。ひとつ千円」

 屋台の肉饅頭屋のおやじがニコニコしながら立っていた。

 屋台からは湯気がモウモウと出ており、良い匂いがした。マルコは思わずフラフラと暖かそうな屋台に近づいた。

「あー、はうまっち?」

「わん・いず・わんさうざんと・ぃえん。オイシイよ」

 マルコは通訳から渡された千円札をポケットから出す。

 饅頭屋のおやじは笑顔で大きくうなづいて、赤ん坊の顔ほどもある大きくてホカホカの肉饅頭を手際よく新聞紙に包み、マルコに渡した。

 マルコが受け取った肉まんをじっと見つめていると、おやじは肉饅頭をもうひとつ新聞紙に包んでマルコに差し出した。

 マルコは当惑する。

「違ウ。UNO。ヒトツ」

 しかしおやじは、構わず肉饅頭をマルコに押し付ける。

「オマケ、それオマケ。もう店ジマイ。雪降るね」

「オマケ?」

 マルコはどこか釈然としないまま湯気の出る饅頭をひとつ、コートのポケットに入れ、もう一つを両手で持ってかぶりつく。

 饅頭は熱く、肉汁をほとばしらせてマルコの口の中ではじけた。

 そしてそれはマルコの喉を焼き、体の中を熱い塊となって勢いよく下り、胃の腑にどっしりと納まった。

Bueno(うまい)…。」


 その時、雪が降り始めた。

 マルコは思わず空を見上げた。

「Nieve!(雪だ!)初めて見た。これが雪か!!」

 マルコ、思わず笑い始める。

「あははは!Nieve!Bueno!」

 マルコは廃墟に向かって思いっ切り叫んだ。

「Cabrάn!(バカヤロー!)Mierda Japones!(くそったれ日本人!)Cabrάn!」

 そしてマルコは大声で笑い続けた。

 饅頭屋のおやじは腰に手をあて、太った腹を突き出しながら笑ってそれを眺めていた。

「そうそう。若い人、うまいもの食べる。元気出るね」

 マルコは口の中をやけどするのも構わず、熱い饅頭をガツガツと頬張りながら呟いた。

「生きてやる。見てろよ、チクショー」

 マルコの瞳に光が灯った。



                   ×××××


 

 ムダイ邸。

 マルコは目は開ける。

 また格子状の見慣れない天井だ。

 その時マルコの腹がグゥ~っと鳴る。

 マルコが起き上がると、傍らに皿が乗った盆が置かれていた。そして皿には大きくて不格好な塩ムスビがひとつ。皿の下にはメモが挟んであった。

 マルコは塩ムスビを頬張りながらメモを手に取って見る。

 メモには「二十へⅡてね こるちな」と書いてあった。

 コルティナが覚えたてのひらがなで書いたようだが、ひらがなが読めるマルコにも判読できなかった。まるで暗号だ。

 マルコはしばらく考え、ようやくそれが「たべてね」と書いてあることに気付いた。

「た」が左右逆になっている上、文字のバランスがおそろしく悪い。

 けれどマルコはなんだか嬉しくなってしまう。

「はは…何てへたくそなんだ。ハハハハ!」

 マルコ、ふたたび寝床にひっくり返ってコルティナのメモを眺めながら、大きな塩ムスビを2口ぐらいで食べてしまう。

 部屋の外から子供たちの笑い声が聞こえる。

 マルコは立ち上がって障子を開ける。すると眩しい陽光が入ってきた。マルコは少しめまいがした。

 手をかざして声のする方を見やると、少し離れた場所でコルティナが子供たちとゴムボールでサッカーをしている。

 マルコは縁側を飛び降り、裸足でコルティナたちの方へ走っていく。


 コルティナがボールを抱きかかえながら、笑いながらマルコと何か話している、

 ムダイと純華は遠くからその様子を見ていた。

 庭のマルコの姿に、最初に気付いたのは純華だった。


 コルティナと明るく笑い合うマルコを見て、純華は嬉しそうにムダイに問う。

「あの子はもう大丈夫でしょうか」

「どうかな。あれの抱えておる闇は我々思っているよりずっと深いね」

 そう言いつつもムダイは笑顔なのだが、純華はムダイの言葉に思わず表情を曇らせる。

「しかし、あれは運命の子。闇が彼を不幸にするかどうかはすべて彼次第」

「私たちはあの子に何ができるのでしょうか」

「大人が子供たちにできることはたくさんある。そうじゃないかね?」


 マルコは陽の光を浴びながら裸足で器用にボールリフティングを見せている。

 高く蹴り上げたボールを首の後ろでストっと止めた瞬間、子供たちから歓声が上がった。


 第2話「マルコの事情」了。

 次回第3話「神代も聞かず竜田川」~コルティナは相撲が見たい~に続く

今週も読んでいただき、ありがとうございました。

ようやく第2話が終わりです。

いやー、長かった。しんどかった。

お付き合いいただいた方、本当にありがとうございます。

皆様の伴走がなければここまで書けなかったと思います。

ここまでの感想などいただけると幸いです。特に容赦ない酷評、間違いの指摘などお待ちしております。

ちなみにあの肉まん屋は後にセント・グレゴリオで大成功することになるのですが、それはまた別の話です(笑)。

さて、次回からは「トッケイ‐東京特殊警備保障‐」第3話『神代も聞かず竜田川』が始まります。

かるた取り?

落語?

いえいえ、今なにかと話題の(?)大相撲をテーマにした格闘アクションを予定しております。

今度は明るく、楽しい話になるといいなあ。

お楽しみに!

なお、次回掲載予定は2月17日(土)22時を予定しております。


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