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第1話「僕の名前は」~六本木特区~

 その娼館は目黒にある。

 かつてはアール・デコに統一された瀟洒しょうしゃな館だったが、今はけばけばしいネオンで飾られ、昔の面影はない。

 ここで大人の相手をする年不相応に着飾った子供たちのように。

 ここは紳士淑女や無法者たちが大金にあかせて自らの醜い欲望を無遠慮に吐き出す場所だ。

 娼館の廊下は白黒のモザイク模様で、ある部屋の入り口の前には、ノッポとチビの二人の男がぼんやりと座っている。

 ノッポは紫のスーツにぴっちりした赤いシャツのボタンをガラにもなく上まできちんと閉め、チビは安物のスカジャンに季節外れのウールのパンツだが、黒の革靴だけはピカピカに磨き上げてあった。

 この店の格からすれば最低限のドレスコードといえるが、どう見ても二人は三下ヤクザ、チンピラだった。

 二人は会長の護衛としてここに来ていた。

 ノッポが所在なげに長い足を投げだしてぼやく。

「まったくウチの会長の悪趣味にも困ったもんだべ」

「あんな小便くせえガキのどこがいいのかねえ」

 チビが少し苛立ちながら答える。

 タバコが吸いたいのだ。

 しかしこの店は禁煙。タバコの臭いのついた子供を嫌う客は多い。

 そこへ、ヒールの音を廊下に響かせながら少女がやってきた。

 長い黒髪、浅黒い肌、細いあご、潤んだ黒目がちの瞳。華奢な身体にはなぜか純白のウェディングドレスを身にまとっている。年のころは13才くらいだろうか。

 少女は無表情で二人を一瞥する。

 二人は少女の蠱惑的こわくてきな美しさに圧倒され、そして次の一瞬、心の奥底にこれまでにない種類の欲望の疼きを覚えた。

 この娘が会長の今晩のお相手というわけだ。

 少女が無言で部屋のドアをノックすると、中から「入れ」という声が聞こえる。

 少女は部屋に入り、後ろ手でドアに鍵を閉めた。


 部屋では40代の巨漢の男が全裸でベッドの上に上体を起こしている。

 緩みきった肉体に刻まれた竜の入れ墨は長年の不摂生でグロテスクに変色し、アール・デコで統一された美しい内装を汚していた。

 男はここ東京を牛耳るヤクザ組織のひとつ、三侠会会長龍英鉄りゅうえいてつ

 龍はいわゆるロリコン趣味で美少女に目がない。それからついでに、ウェディングドレスは彼の趣味だ。

 龍はニヤリとその分厚い唇を歪めて唸るように言った。

「なかなか上玉じゃねえか」

 だが、ウェディングドレスのスカートがひるがえった瞬間、少女の右手には魔法のように小さな拳銃が握られていた。

 乾いた銃声が響く。

 22口径の弾丸は龍の眉間の真ん中に命中した。

 銃声を聞いた二人の護衛が、ドアを蹴破って部屋に躍りこんでくるが、彼らが拳銃を発射した時には、少女の姿は窓から消えていた。


 少女はハイヒールを履いたまま猫のように柔らかにアスファルトに着地すると、ハイヒールを勢いよく後ろに蹴るように脱ぎ捨て、走り始める。

 二人の護衛も続いて窓から飛び降りて拳銃を乱射しつつ少女を追うが、100mほど走ったところで二人とも路上にへたりこんでしまう。

 日頃からの運動不足がたたったらしく、チビは足を痙攣させている。

 ノッポは息を荒く吐きながら、半ば感嘆して言った。

「速いなー!」

 チビがまだ昼間の熱を残したアスファルト上にひっくりかえり、痙攣する脚をさすりながらうめくように答えた。

「フン、どうせもうフェンスの向こうだ。手遅れさ」

 少女はあっという間に娼館の庭園の闇に消えた。


 15分ほど走り続け、少女はフェンスにたどり着いた。蒸し暑い夜だが汗ひとつかいていない。

 少女はフェンスをしっかりと掴み、よじ登り始める。

 フェンスの上端には鉄条網が張り巡らされていた。

 少女はフェンスを掴んだまま、いったん重心を下方に溜め、グイっと勢いをつけて鉄条網を飛び越えようとした。

 少女の身体はウェディングドレスを翻しながら美しい弧を描き、余裕をもって鉄条網を飛び越えるかに見えたが、ドレスの長いスカートが鉄条網に引っかかった。

 スカートはビリビリと引き裂かれ、少女がスカートの下に履いた白く艶やかなシルクのストッキングが露わになる。

 だが、これでかえって走りやすくなったのか、フェンスの向こう側に降りた少女はこれまでより伸び伸びとした大きなストライドで走り始めた。

 フェンス沿いに少女は走り続ける。

 その背後にそびえる高層ビル群の廃墟は、まるで巨大な墓標のようだ。


 ここ、フェンスの向こうは通称六本木特区。

 そこは重度の土壌汚染と複雑に絡みあった利権のため、いまだ復興の手が及ばず、無法の野と化していた。

 政府はかつての六本木1丁目から5丁目、さらに南麻布4丁目にわたる広大な区画を立ち入り禁止区域に指定し、フェンスで囲った。

 西暦2020年にこの国を襲った未曾有の厄災は世界を大混乱に陥れた。世界中で経済は失速し、治安は乱れ、復興への道はまだ見えない。

 街は家族と家と失業者であふれ、大人に見捨てられた浮浪児たちは食料を探してゴミ箱を漁り、体を売った。

 日本政府はかろうじて体裁を維持しているが、治安維持を暴力組織に肩代わりさせざるを得ないほど堕落していた。

 そして、暴力の時代が始まった。


 真っ暗な廃墟を純白の花嫁が駆け抜ける。

 裸足で荒れた大地を蹴り、腕を大きく振って力強いストライドで。

 突然、少女の前に明かりのついたビルが現れた。このビルが今夜の彼女にとって「約束の地」だった。



 狭い部屋の壁を様々な監視装置が覆っている。

 ここはビルの管理室だ。

 部屋には三人の男たちがパイプ椅子に座り、押し黙っている。

 ひときわ目立つ、でかくて筋骨隆々のスキンヘッドの男。痩せて猫背でサングラスをかけたチンピラ風の男。極端に背が低く、長いあごひげを伸ばした老人。

 モニター監視していたチンピラ風の男がその沈黙を破った。

「客だ」

 管理室に「ポーン」というインターフォンの呼び出し音が響く。チンピラ風はマイクに向かって応える。

「あいよ」

 モニターにはウェディングドレスの少女の姿があった。

 少女はたどたどしい日本語でインターフォンに話しかける。

「リュウの使いで、キタ」


 管理室に迎え入れられた少女を取り囲むようにして、三人の男がパイプ椅子に座っている。

 よほど肝が座っているのか、少女は見知らぬ男たちに囲まれた状況でまったく表情を動かさない。

 少女は純白のストッキングに挟んでいた、血だらけの破れた札の半分を無言で差し出す。

 符帳だ。

 チンピラ風がやはり無言でそれを受け取り、手持ちの半分と合わせると破れ目がピタリと合った。チンピラ風がスキンヘッドにそれを見せる。

 少女がもどかしそうに叫んだ。

「残りノ、半分、ハヤク!」

 その時、スキンヘッドが微かに右手首を振る。

 するとブ…ンというかすかな音と共に彼の薬指から細く七色にきらめく糸が放たれる。

 だが、少女は高く跳躍して初撃を避けた。

 スキンヘッドは顔色を変えず、再び同じ軌道で糸を繰り出す。

 少女は再び避けるが、糸は微かなきらめきを残しながら生き物のようにうねって少女を捕らえた。

 見えない糸でがんじがらめにされた少女は糸を振り解こうと激しくもがく。

「Mentiroso!(うそつき!)」

 少女はスペイン語で罵る。

「この糸は単分子繊維といってな、鉄でも切れる。それ以上動くとバラバラになるぜ」

 スキンヘッドが初めて口をきいた。そして彼の手の微かな動きで少女の全身はギリギリと絞め上げられる。

 少女はスキンヘッドを睨んでおとなしくなった。

 今まで眠ったように静かにしていた老人がおもむろに口を開いた。

「こんなちっこい嬢ちゃんが龍をったか?」

 スキンヘッドがもう少しだけ糸に力を加えると、少女の服が一瞬ですべて千切れて雪のように宙に舞った。

 糸は男の指の第一関節から先と共にスルスルと男の手に戻る。

 滑らかなベアリングの回転音。

 指先はパチンと第二関節にはまる。

 そこには一糸まとわぬ裸の子供が立っていた。

 その全身には無数の傷跡が散りばめられている。 弾傷、刀傷、火傷…。

 そして股間にぶら下がる男の証。

 チンピラ風が()()の股間を見て呆然としながらも思わず感嘆する。

「こりゃご立派。」

 メイクとウィッグのままの少年は中性的な美しさを(たた)えていた。少年はスキンヘッドから目を離さず毅然として立っている。

 スキンヘッドは少年が隠し持っていた拳銃を拾い上げてリボルバーの弾倉を見た。

「22口径で一発」

 目を細めて少年の傷だらけの肢体をジッと見たスキンヘッドは呟いた。

「少年兵か」

スキンヘッドの問わず語りの呟きに、少年が答える。

Si(そうだ)

「どこで戦ってた」

「セント・グレゴリオ」

「共産ゲリラか?政府軍か?」

「ドッチでもいいだロ。いまはただのフロージ」

 少年はぶっきらぼうに答える。

 スキンヘッドは険しい表情でしばし瞑目の後、表情を変え、笑顔で机の引き出しから札束を出して少年に投げた。

 少年がキャッチする。

 スキンヘッドは打って変わって親し気な態度で少年に話しかけた。

「悪かったな、疑っちまってよ。こういう仲介事は本業じゃないんだが親友の頼みでね。ところでお前さん、着るものが無くっちゃ困るだろ」

 少年はあわてて札束で股間を隠す。

 スキンヘッドはなおも続けた。

「ちょっと仕事を手伝わねえか」

 意外な申し出に少年は困惑した表情を浮かべた。

「どうだい、少年。どうせ行くあてもないんだろ?」

 少年はうつむき、思いつめた表情でしばらく考えて口を開いた。

「コロシか?」

 自分の経歴を知ってそういう仕事を持ちかけられることは少なくない。実際に今夜も。しかし…。

「今まで何人った?」

「Mucho!タクサン!オボえテない!!」少年は怒鳴る。

 忌まわしい日々の記憶を振り払うように

「まあ俺たちも似たようなもんだ。俺たちゃ特殊警備員、略してトッケイ。けどよ、殺しが仕事じゃねーんだ。人のな、命と財産を守るのが俺たちの仕事よ」

「トッケイ?」

 少年は改めてその場の三人の男を見る。こいつらが人の生命と財産を守るだって?



 チンピラ風が少年を連れてビルの廊下を歩いている。

 結局少年は今晩だけ彼らの仕事を手伝うことに同意した。

 ずっとうつむいている少年にチンピラ風が気さくに話しかけた。

「俺、ゴロウってンだ。そんでいかついおっさんがクガ、爺ィがムダイ。で、おたくの名前は?」

 少年は即座に答えた。

「名前、言イたくナイ」

「そっか。そんならいいや」

 少年が名前を隠したがる理由はゴロウにも察しがつく。外国人、未成年、元少年兵。こういう手合いはまず不法入国の移民だからだ。


 ゴロウは少年を廊下の突き当りのシャワー室に案内した。

 シャワー室は廃墟のビルの中とは思えない清潔さで、おなじみの汚水くささもまったくない。これはこのビルが誰かの手で丁寧に維持されていることを意味する。

 磨かれた鏡の前にはシャンプーや石鹸がきれいに揃っている。

 ゴロウはシャワー室のドアを閉めながら言った。

「そこにあるもんは全部使っていいから」

 そして、下着などが入っているとおぼしいビニール袋をどさりと床に置いた。

「着替えはここに置いとく」

 ゴロウがドアを閉めると少年はシャワー室の内側から鍵をかけた。

 少年は鏡に映った自分をじっと見る。映っているのは少女の顔だ。

 そしておもむろにシャワーから湯を出しながら、長い黒髪のカツラをベリベリと頭から剥がす。

 その下からはまっ白な短髪が現れた。

 顔を腕で乱暴にグシャグシャとこする。付けまつげがとれ、ルージュが流れる。

 鏡に映った自分の顔。

 惨めさが突き上げてくる。

 途端にこれまで押さえつけてきた罪悪感、嫌悪感が一気に噴き出した。

 少年の目にジワリと涙が浮かぶ。

 突然、少年は獣じみた叫び声をあげた。

「Mama,papa,por favor perdõname!(許して、パパ、ママ!)」

 少年の頭の中に、これまで生きるために犯してきた様々な罪の記憶が奔流のように浮かんだ。

 共産ゲリラに両親を殺されて拉致されてからの日々。

 罪もない多くの村人の命を残酷な銃弾、刃で奪った。

 大人の兵士たちに犯され、慰み者にされた。

 特にその中性的で美しい顔立ちから彼を抱きたがる兵士は多かった。

 少年にとって特に許せないのは、自らがそういった行為にいつの間にか微かな快感を覚えていたという事実だ。

 日本に流れ着いてからは、一切れのパン、一杯の雑炊にありつくため、盗みはもちろん、殺しもやった。

 なかでも少年にとって一番屈辱だったのは男娼まがいの仕事だ。

 それらを思い出したとき、突然少年は嘔吐した。そしてシャワーを浴びながら狂ったようにいつまでも泣き叫び続けた。


 ゴロウは壁に背をもたせかけ、シャワー室の前の廊下に足を投げだして座り、タバコを吸っている。

 シャワー室の中からは少年の嗚咽がかすかに聞こえてくる。

 ゴロウの表情はサングラスで見えない。 

 くわえたタバコの灰が長く伸びてポトリと床におちた。



 シャワー室から出ると少年はダブダブのタンクトップに短パン、ビーチサンダルという服装に着替え、ゴロウに連れられてエレベーターで別の階へ向かった。行先はどうやら地下のようだ。

 エレベーターのドアが開くと、そこにはクガが待っていた。すっかり変わった少年を見てクガは嬉しそうに白い歯を見せてニカッと笑った。

「お、スッキリしたじゃねえか」

 少年は少し照れて赤くなる。

 少年を残して、ゴロウだけ再びエレベーターでどこかへ去った。

 クガは少年を連れて廊下歩き始める。少年のサンダルが薄暗い廊下にパタッ、パタッと音を響かせる。

 やがてクガと少年は廊下の突き当り、鉄扉の前に立った。

 倉庫だろうか。

 大げさにも思える鉄扉の巨大さに圧倒されつつ、少年はその警戒システムの厳重さに油断なく目を配っていた。

 クガは複雑な警戒システムをひとつずつ慎重に解除しながら言った。

「俺たちの仕事は今夜一晩この中のお宝を守ることだ」

 やがて警戒は解除され、鉄扉はゴロゴロと音をたてながらゆっくりと開き始める。

 鉄扉の向こうは別世界だった。

 少年は目をみはった。

 そこは美しく可愛らしい、様々な意匠で隙間なく飾られていた。

 少年は昔両親や妹と出かけたカーニバルで見たメリーゴーランドを思い出す。実際、空中にはペガサスの像が流れ星と共に吊られている。

 それよりも少年が驚いたのは、部屋の中で思い思いに寛いでいるきらびやかなランジェリー姿の少女たちだ。

 年令は10才から15才といったところか。ただし、メイクときわどいランジェリー姿で全員が少年より年上に見えた。

 問題はその数で、見たところざっと20人はいる。

 しばし呆然としている少年に、クガが芝居がかった調子で説明する。

「さる大富豪のご令嬢たちだ。紳士的にな」

 そんなはずがない、と少年は理解する。

 自分はさっきまでこの子たちに化けていたのだから。

 するとクガがしゃがんで一人の少女を手招きした。

「コルティナ!」

 呼ばれて一人の少女がこちらに小走りにやってきた。

 少年と同じで浅黒い肌をし、長くつややかな黒髪をお下げに結った少女は、薄く素肌が透ける紫色のベビィドールを身にまとっていた。

 目のやり場に困った少年は思わず少女の顔をまともに見て愕然とした。

「Maria!(マリア!)」


                第1話「僕の名前は」~コルティナ~に続く


 

生まれて初めて書いた小説です。


面白く読んでいただけると幸いなのですが…。


なお、更新は毎週土曜日の午後10時を予定しております。


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