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CASE5 両親の話 中編

「――ここ、は?」



 目を開けた瞬間、視界に広がった白い天井を見て首を傾げる。しかし頭を動かそうとすると直後鈍い痛みがじわりと広がるのを感じ、頭を押さえながらゆっくりと上半身を起こした。

 頭を押さえた手には包帯の感触が伝わってくる。そして周囲をぐるりと見回した所で、此処が病院で今までベッドに寝かされていたことを理解した。

 そうして、ようやく眠る前に起こった出来事を思い出すことになる。



「っ二見さん!」



 そうだ、彼女と一緒にいたあのおばあさんに突然殴られた。そして気を失う直前、動かない体で二見さんが同じように殴られて連れて行かれるのを見ていることしか出来なかった。

 枕元にあったナースコールを押し、冷静になれと何度も言い聞かせながら深呼吸を繰り返す。すると大した時間も掛からずに部屋の扉がノックされ、看護師の女性と医者の男性、そして警官らしき男性が入って来た。



「目が覚めましたか、ご気分はどうですか。気持ちが悪かったりしたら教えて下さい」

「いえ、大丈夫です。あの……警察の方、ですよね?」

「はい。免許証を確認させて頂きましたが、吉良さんで合っていますね? あなたが路上で頭から血を流して倒れていると通報がありました。誰にやられたのか覚えていますか?」



 医者の言葉に答えながらもう一人の男性に問いかけると、彼は頷いて警察手帳をこちらに見せ、事情を尋ね始めた。しかし、自分のことを話す前にもっと大事なことがある。



「僕と一緒にいた女性が同じように殴られて、その犯人に連れて行かれたんです! 僕のことよりもその女性を探して欲しいのですが」

「な……それは本当ですか!? その女性の名前は?」

「二見詩織さんという方です。大学生なのですが」

「分かりました。署に連絡して何か情報が入っていないか確認してみましょう」

「……よろしくお願いします」



 彼女の名前を手帳に書き込んだ彼は、こちらに軽く頭を下げて病室を出て行った。医者が頭の傷の具合を診察しながら「災難でしたね……」と声を掛けて来るが、言葉を返す余裕などなく、軽く頷くだけに留まった。

 二見さんは、無事だろうか。どうして彼女だけ連れて行かれたのか。あの凄まじい力を持ったおばあさんは一体何者なのか。

 疑問ばかりが降り積もり、何一つ答えを見つけることが出来ない。己の無力さに歯噛みしながら無言で診察を受けていると、不意に病室の外から慌ただしい音が聞こえて来て顔を上げた。



「吉良さん!」



 先ほどの警官が戻って来たのだ。彼は血相を変えて病室へ入って来ると、ベッドの傍までやって来て「先ほどの女性なのですが」と焦ったように口を開いた。



「少々大変なことになっておりまして……ここで話すのはまずいので、一緒に捜査本部までご同行願いたいのですが」

「分かりました」



 迷う暇もなく頷く。それよりも大変なこと、そして捜査本部という言葉が気になってしょうがない。彼女が今どうなっているのか、嫌な予感を覚えながらベッドから立ち上がった。

















「失礼します、先ほど連絡した男性をお連れしました!」

「あなたが……」



 殆ど訪れたことのない警察署内の、更に上階の会議室へ案内される。そこでは慌ただしく人が動き回っていたが、一緒に来た警官の声を聞くと皆一様に顔を上げてこちらを振り返った。

 真っ先にこちらへやって来た女性がこちらを観察するように鋭い視線を向けて来る。それに僅かにたじろぐと、女性は我に返ったようにはっとして「ごめんなさい、気が立っていて」とこちらに頭を下げた。



「いえ……」

「あなたが事件当時、娘と一緒にいた方ですね?」

「娘? ということはあなたは」

「詩織の母親です。そして――」

「私が父だ。……私達の問題に巻き込んでしまって、本当にすまない」



 母親と名乗った女性が後ろを振り向くと、そこには気難しそうな顔の長身の男性がこちらへ来る所だった。周囲と似たような制服に身を包む彼らは被害者の家族、というよりも犯人を捕まえる側の人間に見える。



「警察官、なんですか」

「ああ。……その所為で娘が狙われることになってしまった」



 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた男性――二見さんの父親は、拳を震えるほど強く握りしめながら、今の状況を端的に語った。

 一時間前、この警察署に二見さんを浚ったという犯人から電話が入り、彼ら――二見夫妻を名指しで呼び出した。その犯人に目星はついているらしく、二人が長年追ってきた指名手配犯で恐らく間違いないとのことだ。



「あなたは……すみません、まだ名前を伺っていませんでしたね」

「申し遅れました、吉良と申します。喫茶店を経営していまして、娘さん……詩織さんはうちの店の常連さんだったんです」

「喫茶店……そういえば宗司が」



 ぶつぶつと聞き取れない声で呟いた母親をちらりと横目で見た父親は「それで」と先ほどよりも若干厳しい目付きでこちらに視線を移した。



「詩織が浚われた時の状況を詳しく聞いてもいいか」

「……はい」



 あの時のことを思い出すと胸中が後悔で満たされていく。僅かに意識を残していながら、何故立ち上がって止めることが出来なかったのかと。

 駅の傍で偶然彼女に会ったこと、彼女がおばあさんを駅まで道案内していたこと、そのおばあさんが突然豹変し殴り倒されたこと、そして彼女も同じように殴られてどこかへ連れ去られたことを話す。どんどん険しくなっていく両親の顔を見て、苦い感情が余計に心に広がった。



「詩織さんを守れず、申し訳ありませんでした」

「君も被害者だろう。……それに、最初に守れなかったのはこちらの落ち度だ。あいつが娘のことまで調べて来ると予測できなかった私達が悪かった」

「二見捜査官、報告よろしいですか」



 話の途中で部屋に入って来た一人の警官がこちらへやって来ると、両親はそちらへ視線を向けて無言で頷く。警官は一度こちらを窺うように一瞥した後「息子さんのことですが……」と口を開いた。



「特に問題なく高校で授業を受けていました。まもなくこちらで保護する手筈になっています」

「分かった、報告ご苦労」



 宗司は無事か、と小さく安堵するように呟いた父親は、しかしすぐさま表情を引き締めて鋭い眼光で机の上に置かれている電話を睨み付けた。最初の電話が彼らを呼び寄せる為のものだったとしたら、次に掛かって来る時は恐らく何かしらの要求を求めてくるであろうと素人ながらに考える。



「しかし……あのおばあさんが指名手配犯だったなんて」

「あなたが見た姿は恐らく偽物です。あいつは今までも色んな姿に成りすまして犯罪を行って来ているんです。見かけはおばあさんだったかもしれませんが、中身は男ですよ」

「そう、なんですか」



 確かにおばあさんにしては凄まじい力だったが……あれが変装だとはまるで思わなかった。身長だって自分どころか詩織さんよりも低かったのだ、一体どんな方法で変装していたのか。




「――来た!」



 犯人の姿を思い描いていたその瞬間、無機質なコール音と共に誰かが叫ぶ声が聞こえた。すぐさま動き出す人々の中で詩織さんの母親が息を呑んで早足で電話に近付き、そして周囲の準備が整ったのを確認してゆっくりと受話器を手に取った。



「――もしもし」

『久しぶりだな、フタミ捜査官?』



 周囲にも聞こえるようにスピーカーにしているらしい。しかし聞こえて来た声は先ほどおばあさんの声とは全く異なる低い男性のものだった。必死に娘の名前を呼ぶ母親の声に心底煩わしそうに返す誘拐犯の声。それに怒りを感じていると、不意にスピーカーから聞き慣れた女性の声が聞こえ、思考が一瞬停止した。



『お、かあさん……』



 酷く弱々しいその声はいつもの彼女とはまるで違う。詩織さんがそれだけ怖い目に遭っているのだと思うと、無意識に爪が食い込むほど強く手を握り締めてしまっていた。

 犯人の要求は警察の包囲網の解除、そして仲間の解放。それらを三時間以内に行えというのだから無茶苦茶だ。無常に切られた電話を茫然と眺めた母親は、その表情を隠すように片手を口元に当てた。



「……総員、人質の捜索を急げ」



 次の指示を求めるように僅かに室内が静まり返る。そんな中、最初に口を開いたのは詩織さんの父親だった。



「しかし、刑務所や包囲を敷く各所への連絡は良いのですか」

「構わん。これ以上あいつを野放しにするわけにはいかない。時間内に人質が発見できなければ……」



 彼女を、娘を見捨てるというのだろうか。



「とにかく、お前は出来るだけ時間を引き延ばすように交渉しろ。その間になんとしてでも詩織を見つけ出す」

「……分かったわ、詩織をお願い」

「当たり前だ」



 いや違う。彼らは娘を助けることを諦めた訳ではないのだ。最悪の事態は想定しながらも、それでも絶対に彼女を助ける気なのである。

 何人もの警官が部屋を出て行く。残った人間も何処かへ連絡を取ったり真剣にパソコンを睨み付けたり、各々出来ることを全力で取り組んでる。



「電話の逆探知は――」

「やはり妨害されていました。他の方法は――」

「付近で犯人がいる可能性の高い場所は――」



 そして一人ぽつんと取り残された僕は再び訪れた己の無力感に苛まれながら、しかし何か出来ることがないかと考え……そして落胆した。

 ただの一般人である自分に、この場で出来ることなどありはしない。警察ですら彼女の居場所を特定するに至っていないというのに、素人が口を出せば余計にややこしくなるだけだ。


 例えば彼女の他の知り合いだったら違ったのだろうか。自分のように何の特技もない人間とは違い、彼女の話から聞く友人達は個性に溢れとても特殊な人間が多い。彼らならば――。


 ……そう、もしかしたら。




「二見さん、少しいいですか」

「吉良さん?」

「頼みがあります」



 こんな非常時に一体何だ、と思われているだろう。しかし少しでも可能性があるのなら、引き下がる訳にはいかない。訝しげにこちらを見た詩織さんの母親に、僕は迷うことなく口を開いた。



「詩織さんの幼馴染……竜海さんという方と連絡は取れますか」

「竜海君? いえ、あの子は五年前に」

「戻って来ています。詩織さんからそう聞きました」

「竜海君が……でも、何故今あの子と連絡を?」

「彼、いや彼らならば、もしかしたら詩織さんの居場所が分かるかもしれません」

「……本当に?」

「確かでは、ありません。でも可能性はあります」



 詩織さんの話を思い出す。異世界に召喚された幼馴染の話を。

 突然異世界に連れて来られ、魔物や魔術が飛び交う世界で過ごした彼。今はこちらに戻って来てはいるものの、この間来店したヴィンセントという名の大男を護衛にし、異世界とも連絡を取っているという。

 彼らの言う魔術ならば、もしかしたら彼女の居場所を探すことが出来るのではないだろうか。逆探知など科学でどうにか出来ないのなら、あるいはと思ってしまったのだ。


 無茶苦茶なことを考えている自覚はある。そもそも彼らの話が真実だという保証すらどこにもなく、むしろ大多数は笑って流すことだろう。けれどそんな話をしてくれた彼女は、きっと心のどこかで彼らを信じているのではないかと思う。愚痴を溢しながらも、詩織さんは決して彼らを否定することはなかったのだから。



「……分かりました、電話してみましょう」

「本当ですか!」

「吉良さんが真剣に娘のことを考えて下さっているのは分かりましたから。それに、少しでも可能性があるならどんなことでもやりますよ。私はあの子の……母親ですから」



 そう言った彼女は娘が人質に取られているというのに、とても強い表情を見せていた。







 別室に移動して電話を掛ける。竜海さんの家の番号は登録されていたらしく、特に調べずとも少し操作しただけで詩織さんの母親は携帯を耳に当てた。



「これから僕は、恐らく可笑しなことを言うと思います。ですが気になさらないで下さい」

「それはどういう……あ、もしもし、竜海君?」



 電話が繋がったのか途中で言葉が途切れる。彼女は簡単に挨拶を交わした後「竜海君に用がある人がいるの、代わるわ」と携帯をこちらに差し出して来た。



「詩織さんのことは……」

「言ってもいいですよ……本当は駄目ですけど、私が責任を持ちます。それとスピーカーにしてもらえませんか」

「……分かりました」



 向こう側のプライバシーに関わることなので一瞬躊躇ったが、しかし内容を隠したままでは彼女も納得できないだろう。

 携帯を受け取ってスピーカーに切り替えると、落ち着く為に少し息を吐いてから「もしもし」と会ったこともない相手へ話し掛けた。



「お電話代わりました、吉良と申します。詩織さんの知り合いです」

『詩織の?』

「はい。……落ち着いて聞いて下さい、詩織さんは今――誘拐されています」

『な……詩織が!? それは本当なんですか!?』

「僕も嘘だと思いたいですが、本当の話です。彼女は誘拐犯に連れ去られ、行方が分からなくなっています」

『……そんな』



 愕然とした声が聞こえて来る。彼とは会ったことがないが、それでも彼女と親しかった――好意を寄せていた程――のは知っている。だからこそその衝撃は大きいだろう。その気持ちは、多分誰よりも理解できる。

 絶句したように何も聞こえなくなった電話の向こうに思いを馳せながら「突然ですみませんが、あなたに頼みたいことがあるのです」と僕は本題を切り出した。



「彼女を探し出す為に、あなたの力を貸して頂けませんか」

『それは勿論……だけどどうやって』

「単刀直入に言います。あなた方が使う特殊な力で……魔術というもので探すことは、可能ですか」

『っ、な』



 がたん、と固い音が耳を叩く。恐らく受話器を取り落したのだろう、「竜海殿、どうかしましたか」と遠くで男性の声が聞こえ来る。

 その動揺に少しだけ安堵する。これだけ動揺しているのなら、詩織さんに話したことはやはり真実なのだろうという可能性が高くなるからだ。隣で彼女の母親がきょとん、と目を瞬かせているのをちらりと確認しながら、竜海さんの次の言葉を待った。



『……詩織が、話したんですか?』

「僕が無理やり聞き出したんです。……どうか、詩織さんを責めないで下さい」



 全く会ったことのない赤の他人からそんな話題を出されれば、詩織さんが責められるのではないかとも確かに考えた。しかし何より大事なのは彼女の命だ。彼がこの言葉で納得するかは分からないが時間が差し迫っている今、それを問題にしている暇はない。



「すみません、僕のことはいくら責めてもらっても構いません。しかし今は時間がない、詩織さんの命が掛かっているんです。……彼女を探すことは、出来ますか」

『……ちょっと待って下さい』



 僅かな沈黙の後、竜海さんは悩むようにそう言って電話から離れた。



『ヴィンセント、お前探査魔術使えたか?』

『出来なくはないですが……あまり精度に自信は』

『そうか……分かった』



 少し電話から距離があるのだろう、僅かに聞こえて来るその会話に期待が僅かにしぼみかける。やはり、彼女を探すのは無理なのだろうか。

 しかし次に電話を取った彼の声は、何故かその会話の内容とは裏腹にやけに自信の籠ったものだった。



『分かりました、詩織を探すのはこちらに任せて下さい』

「え、でも、可能なんですか?」

『はい。一時間以内に何とかして見せます、必ず』



 強い力の込められた言葉は、理屈ではなく大丈夫だと思わせる何かがある。



「竜海君……よく分からないけど、本当に詩織を見つけられるのね?」

『はい、何と言っても――』



 電話越しなのに、顔も見たことがないのに、何故か彼の力強い表情が見えた気がした。



『魔術のスペシャリスト、呼んで来ますから!』





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