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CASE5 両親の話 前編

「詩織、宗司、ずっと帰れなくてごめんね!」

「……何事も無かったか」



 久しぶりに帰って来た両親は、相変わらずだった。

 両親はいつも仕事で家を空けているので、うちには普段私と宗司しかいない。二人の職業は警察官なのだが、守秘義務の関係でどこでどんな仕事をしているかも教えてくれないのだ。


 昨日になって突然帰るという電話が入り、私は久しぶりに四人分の夕飯を用意することになった。何となく気分が乗って作り過ぎてしまったのは仕方がない。



「お母さん、お父さんお帰りなさい」

「お土産は?」

「ごめんね、急いでたから何も買えなかったのよ」

「えー」



 文句を言いながらも見るからに嬉しそうな宗司を見て、私は勿論両親も表情を緩める。私もだが、やっぱり宗司も慣れているとはいえ少し寂しかったのだろう。

 半年ぶりに四人でテーブルを囲んで晩御飯を食べていると、おかずを飲み込んだお母さんが「詩織、料理上手くなったわねえ」と嬉しそうに、しかし少し申し訳なさそうに言った。



「姉ちゃんの料理、最初酷かったもんな」

「……宗司、煩い」



 確かに高校生の頃は結構酷いものを食べさせていた自覚はあるので反論も少々弱くなる。今はリクエストを貰えるくらいには上達したとは思っている。



「顔も随分大人っぽくなって来たし、次に帰って来た時にはお嫁に行くとか言ってそうね」

「……気が早いぞ」

「本当にね」



 お父さんの冷静な言葉に同意するように頷くと、お母さんは先ほどの弟のように「えー」と口を尖らせた。子供っぽい仕草は流石親子というべきでそっくりだ。



「でも彼氏ぐらいいるんじゃないの?」

「いないよ」

「姉ちゃん嘘吐くなよ、この前の喫茶店のマスターは」

「だから違うって言ってるでしょうが!」



 宗司の言葉を思い切り遮るように声を出すと、お母さんが興味津々にテーブルに身を乗り出して来る。



「何々? 詳しく教えなさい!」

「詳しくも何も本当に彼氏なんていないって! それよりも宗司の方こそ私の友達と付き合い始めて……」

「ちょっと、それ言うなって!」



 わいわいと騒がしくなる食卓で、一人黙っていたお父さんが「……子供の成長は早いな」と少し寂しそうに呟いた。




「それで、今回はどれくらいうちに居られるの?」



 いつもならばまとめて休暇をとって帰って来るので一週間はいるのだが、私がそう尋ねると二人は少し難しい顔をして「それなんだけどね」と口を開く。



「ちょっとまだ分からないのよ」

「どういうこと?」

「……今回帰って来たのは休暇じゃない、仕事だ」



 眉間に皺を寄せて怖い顔をしたお父さんが「本来言うべきではないが」と前置きして、改まるように箸を置いた。自然と私達もご飯を食べる手を止める。



「指名手配されている犯罪者がこの近辺に潜伏しているという情報が入った。俺達が以前からずっと追っていたやつなんだが今まで何度も逃げられていてな、そいつを捕まえる為に戻って来た」

「指名手配犯が、この辺りに?」

「詐欺を中心に色々手広くやっててね……警戒させないように人の良さそうな顔で近づくの。顔を変えてるから今まで中々見つからなかったんだけど、やっと尻尾を掴んだのよ。もしかしたら遭遇するかもしれないから気を付けなさいね」

「気を付けろって……」



 顔も分からないのに難しいことを言う。



「姉ちゃんは特に心配だよな。何か相談持ちかけられてそのまま借金の連帯保証人とかになってそうで」

「失礼な」



 宗司の言葉に憮然として軽く睨み付ける。どれだけ不用心な人間だと思われているんだ。機嫌が悪くなったのが分かったのか、弟は少し困ったように頬を掻き、両親に聞こえないように「だって」と小さく耳打ちして来る。



「俺達のことだってすぐに信じたし……いや、あれは本当なんだけど」

「それとこれとは別でしょ? 知らない人の言うことなんてすぐに信じないよ」

「そうかなあ、姉ちゃん結構お人好しだから」

「二人で何こそこそ喋ってるの?」



 私達には教えてくれないの? と小首を傾げるお母さんに笑って誤魔化そうとする。隣の弟をちらりと窺うと無言で首を振られたので、やはりこの話題は話す気はないらしい。元々紗希から聞いていなければ私にも話そうとは思っていなかったのだろうし。



「……とにかく、二人とも気を付けなさい」



 お父さんの言葉でその話題は打ち切られ、すぐに他の話に移る。そうして夕食が終わる頃には、事件の話など殆ど頭に残っていなかったのである。
















 数日後。大学が半日で終わったその日、私はのんびり買い物でもしようかなと思い電車を降りて歩いていた。平日の午後なので人通りも多くない道をゆっくり歩いていると、ふと背後から「ちょっとそこの方」としゃがれた声がかかり、私は思わず足を止めた。


 振り返った先には腰の曲がったおばあさんがこちらを見上げてゆったりと歩み寄ってくる所で、明らかに自分に向けられた言葉だと判断して私も踵を返しておばあさんの前まで行く。



「どうかしましたか?」

「ちょっと駅まで行きたいんだけど……道がよう分からんくて」

「駅はここから二個目の信号を左に曲がって……うーん、説明し辛いな」



 今駅から歩いて来たのだから勿論場所は分かるのだが、如何せん口で説明しにくい。駅の近くまではすぐに行けるのだが、そこから中央分離帯のある大きな道路が目の前を横切っているので、いくつか分かれた地下道を通らなければならない。



「よろしければ一緒に行きましょうか?」

「いいのかい? 優しい子だねえ」



 特に急ぐわけでもないし、駅までならまた五分ちょっとで行けるので問題ない。私の提案におばあさんは嬉しそうに微笑んで私の隣に並んだ。

 おばあさんの歩く速度に合わせるようにできるだけゆっくりと歩みを進める。交差点を曲がり、少々廃れた商店街を通って地下道へ繋がる小道へ入ろうとした時、今度は先ほどとは違う聞き慣れた低い声が私を呼び止めた。



「二見さん? 外で会うのは珍しいですね」

「……マスターさん、ですか」



 声のした方へ顔を向けると、そこには私服姿のマスターさんが買い物袋を片手にこちらへやって来る所だった。いつも店で見る恰好は黒いエプロンに白いシャツが殆どだが、今日は同じくシンプルながらタートルネックの薄手のセーターを着ている。特別目に留める姿ではないのだが、普段と違うというだけでなんだか印象が少し変わるものだ。



「どうかしましたか?」

「いえ、なんでも」



 しかし不意に数日前弟に言われた言葉が頭を過ぎってつい彼から目を逸らしてしまった。何だか妙に意識してしまっている自分が嫌になる。



「そういえば今日は定休日でしたね」

「はい。二見さんは大学の帰りで……あ、すみません。お連れの方がいらっしゃったんですね」



 私に隠れておばあさんが見えなかったのだろう、少し遅れて気付いたマスターさんはおばあさんに「呼び止めてしまってすみません」と軽く頭を下げた。



「別に構わんよ、さて駅はこっちかい」

「ええ。この先の地下道に入るんです」

「駅に向かうんですか、同じですね」



 私の服の袖を引いて先を促したおばあさんの言葉を聞いて、マスターさんも同じように隣に並んだ。この辺りを歩く人間は大抵駅に向かうのだが彼もそうだったらしい。

 おばあさんは一緒に着いて来るマスターさんをちらりと見上げ、何か言いたげに小さく口を動かす。しかし結局何も言わなかったおばあさんは暫し無言で歩いた後、地下道に入る直前でぐらりとその体をよろめかせてしまったのだ。



「危ない!」



 咄嗟にマスターさんの腕を掴んだおばあさんはそのまま前方に倒れ、引っ張られた彼も釣られて膝を着く。



「大丈夫ですか? お怪我は」



 幸い腕を掴んでいたおかげで道路に思い切り体をぶつけることはなかったらしい。ゆっくりとした動きで顔を上げたおばあさんは、心配そうに手を差し伸べるマスターさんを見てこくりと頷き「ああ、平気だよ」と彼の手を取ろうとした。――いや、それは逆におばあさんの元へ強い力で引っ張られたのだ。



「――平気でないのは、あんたの方さ」

「……え?」



 朗らかに微笑んでいたおばあさんの口がにたりと三日月に引き上がる。その瞬間、腕を引かれてバランスを崩したマスターさんの頭に凄まじい勢いでおばあさんの拳が叩き付けられたのだ。



「――マスターさんっ!」



 聞きたくないような痛々しい音と共に彼の頭から血が流れ、そしてそのまま彼はくたりと力が抜けたようにうつ伏せになって道路の真ん中に倒れてしまった。

 その光景に一瞬動けなくなっていた私は、すぐに我に返ると彼に掛け寄ろうとしたのだが、それを邪魔するように私の前におばあさんが割って入って来る。



「何で! どうしてこんなことを!?」



 私の目の前にいるのは優しげなおばあさんなどではなかった。倒れた彼にしたように凶器の右手を私に振り上げて、楽しげに笑う恐ろしい何かだったのだ。



「大人しく寝てろ」



 その言葉を聞いた直後、頭に強い痛みを感じると同時に視界が真っ黒に塗りつぶされた。

















「……う」



 頭が痛い。ずきずきと脈に合わせるように痛む頭に、私は徐々に意識を浮上させた。薄目を開けるとそこは薄暗く、色々な荷物が乱雑に置かれた倉庫のような場所だった。



「え、ちょ」



 そのまま起き上がろうと床に手をつこうとした所で、私はようやく自分の現状を理解する羽目になる。動かそうとした腕は背中の方で縄か何かで一纏めにされており、同じように両足首もきつく締め上げられていたのだ。これでは手をつくどころか立ち上がることすら不可能だ。無理やり体を起こそうとしても上半身すら起き上がることができなかった。

 口はガムテープが張られている訳でもないので呼吸は問題なく出来る。しかしこの状況、どこからどう見ても……。



「やっと起きたか」



 誘拐だ、と認識した瞬間ぎいい、と酷く軋んだ扉が開かれる音がした。何とかそちらに顔を向けると、そこには先ほどのおばあさんがしっかりと背筋を伸ばしてこちらに向かって来ていたのである。怯えて咄嗟に距離を取ろうとするが、ずりずりと数センチ後ろに下がっただけで碌な抵抗も出来やしない。



「ここ、どこですか……マスターさんはどこにやったんですか!」

「煩い小娘だ。あの男は知らん。そのまま置いて来たからな」

「置いて来た?」

「俺が用があったのはお前だけだ。せっかく人通りが少なくなるまで待ってやったのに、あの男が邪魔して来たからな」



 見かけはおばあさんなのにドスのきいた低い声は先ほど聞いたものとはまるで異なる。

 私は混乱する頭を無理やり落ち着けるように呼吸を繰り返し、そして震える唇を噛み締めながらおばあさんを見上げた。



「……どうして私を浚ったんですか」

「お前が人質に最適だったからに決まってる。お前の親には散々煮え湯を飲まされて来たからな」

「親? ……ってことは、まさかお父さん達が追ってきたっていう」

「そういうこった」



 おばあさん――両親が追ってきた指名手配犯らしいそいつは、右手に握っていた携帯こちらに見せるように揺らし「お前の声聞かせねえと信じないだろうからな」とにたりと笑みを作ってそれを耳に当てた。

 静かな倉庫の中ではスピーカーにしていなくてもコール音ですら聞き取れる。その音が途切れた瞬間聞こえて来た女性の声に、私は思わず息を呑んだ。



「――久しぶりだな、フタミ捜査官?」

『詩織! そこに居るの!?』

「あーあー、うるせえ。声くらいは聞かせてやるよ」



 私が起きる前に一度電話をしていたんだろう、すぐに私の名前を何度も呼び始めたお母さんの声を聞いて、堪え切れずに涙腺が緩む。誘拐犯が私の耳に携帯を近づけると、その声はより鮮明になって一筋涙が零れた。

『詩織!』

「お、かあさん……」

『無事なの!? どこか怪我は!?』



 答えようとした瞬間にすぐに携帯が離れていく。これ以上話をさせるつもりはないらしく、「生きてると分かったんなら満足だろう」と犯人は酷く冷淡な声で電話の向こうに話し掛けた。



「俺の要求はこの町の警察の包囲網の解除、それから今捕まってる他の仲間を全て釈放することだ」

『な、そんなの――』

「無理だとは言わねえよなあ、お母さんよ。俺も忙しいんでな、三時間以内にそれが果たせなければ……分かるな?」

『……』



 張りつめたぴりぴりとした空気が充満する。ちらりと向けられた犯人の視線に殺意が見えた気がして無意識に体が震えた。そのまま電話を切った犯人は「お前に恨みはないが、あんな両親の元に生まれたのを後悔するんだな」と無表情で言い放った。



「……ふざけないでよ! お父さん達を馬鹿にするなんて許さない!」

「はいはい。そうやって両親信じて、それを裏切られねえといいな。俺もお前が見捨てられると困るから、精々お優しい両親に祈っときな」



 嘲笑うようにそう言った犯人は、もう用はないとばかりに踵を返して先ほど入って来た扉から出て行ってしまった。



「……っ」



 怒りをぶつける相手が居なくなって、途端に静かになった部屋に耳が痛くなりそうだった。そして、それと同時にどうしようもないほどの絶望が頭の中を満たしていくのを感じる。

 あと三時間、犯人はそう言ったのだ。それで、私の人生の残り時間が決められてしまう。



「……怖い」



 犯人の要求はとても大きい。一人の人間の命と比較したら、どちらに天秤が傾くかなど……決まっているのだろう。

 ましてや両親は警察官だ。私一人を私情で助けて、みすみす犯人を逃して犯罪を増やすなんてことはしてはならないし、そして恐らく不可能なのだろう。

 私が助かる確率なんて――。



「……助けて」



 それでも、そう言わずにはいられなかった。




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