CASE4 異世界人の話 後編
来店した二人――宗司と紗希はこちらを見るなりきょとんと目を瞬かせ、そして二人ともこちらへ近寄って来る。私の様子が可笑しいと思ったのか、ヴィンセントさんも私の視線を辿って彼らの方を振り向き……そして、固まった。
「な、何で二人ともここに」
「何でって、姉ちゃんがよく買ってくる美味いクッキーが此処のだって言ってただろ? 一回来てみたかったんだよ」
「前に詩織が言ってたよく来る喫茶店って此処のことだったんだね」
「……」
タイミングが良いのか悪いのか分からない。完全に沈黙したヴィンセントさんを恐る恐る窺った私はこの状況にどうしたものかと頭を捻っていたが、カウンターからお冷を持って来るマスターが視界の端に入って少しほっとした。
「お知り合いですか?」
「はい、弟と友人です」
「でしたら、お隣の席にどうぞ」
「それで、姉ちゃんそっちの人は? 彼氏?」
「違います」
隣のテーブルに案内されながら、弟が物珍しげにヴィンセントさんをじろじろと見て楽しそうに尋ねて来る。あまり彼を刺激して欲しくないと思いながらきっぱりと否定すると、宗司は途端につまらなそうな表情を浮かべた。
「えー」
「えーじゃない。この人はヴィンセントさんと言って、竜海の……知り合いの人」
「竜兄の交友関係ってホントに広すぎて意味分かんないよなー。どうも、詩織姉ちゃんの弟の宗司です」
「詩織の友達の森原紗希です」
「……っも、森原、さんとおっしゃるのですか」
「はい」
ようやく冷凍状態から戻って来たヴィンセントさんは、紗希の顔を見るや途端に今度は沸騰状態に陥ってしまった。急激に顔を赤くしたヴィンセントさんを見て少し面白くなさそうに口を尖らせた宗司は、紗希にメニューを渡して「何にする?」と話し掛けた。
勿論すぐさま宗司の方へ振り向く紗希にヴィンセントさんは何も言えずに俯いた後、何故か助けを求めるようにこちらを見る。……いや、見られても困ります。
「じゃあ私はミルクティーで」
「俺も。すみません、ミルクティー二つ下さい」
「はい、少々お待ちくださいね」
仲良く同じものを頼むのにも、彼はぐぬぬと歯を噛み締めて二人を見ていた。楽しそうに話す宗司と紗希、彼らをじっと見つめるヴィンセントさん、そして三人を何とも言えない気持ちで眺めている私。然程時間も掛からずにミルクティーが運ばれて来たのだが、これらの光景を見たマスターさんは不思議そうに首を傾げていた。
「も、森原さん!」
「はい?」
「好きです!」
「……え?」
私も紗希も宗司も、ヴィンセントさんの唐突なその言葉にぽかん、と呆けた。
え、いやちょっと、あまりにもいきなり過ぎないか!?
突然立ち上がったかと思えば大きな声で紗希に向かって告白したヴィンセントさんは、その隣で機嫌を急降下させている宗司など目に入らないように、酷く熱い視線で紗希を見つめている。
しかし彼女は当然だが、申し訳なさそうに頭を下げてはっきりと「ごめんなさい」と口にした。
「私、恋人がいるので」
「そこを何とか!」
「いえ、何とかと言われても……」
「おいっ、紗希は俺の彼女だ!」
「あなたのような理想の方は他にいないんです! 本当に、まるでレイチェル様が現代に蘇ったかのような……」
「――は」
次から次へと繰り出される爆弾発言に、私はともかく宗司と紗希は頭がオーバーヒートしていそうだ。明らかに核心を突いたヴィンセントさんの言葉に宗司は目を回すように混乱した後、その困惑をぶつけるように私を睨んで来た。
「姉ちゃん何か喋ったのか!?」
「な、違う!」
「じゃあなんでこの男がそんなこと知って――」
「ああもうっ、分かったから! 全部私が説明するから!」
どうしてその異世界の国に何の縁もない私が一番状況を理解して説明することになっているのだろう。そう思いながらもこの場で全てを把握しているのが私しかいないのだから仕方がない。
私は三人に一旦落ち着くように促してから、一つ一つゆっくりと私が知る事実を話し始めた。手始めにヴィンセントさんが、竜海が召喚された異世界の住人であることを二人に説明し(この時点で宗司の彼を見る視線が更に胡乱なものになっていた)、そしてその世界で伝えられている悲劇の物語について語ると、途端に二人の表情が一変した。
「その名前……まさか!」
「多分二人が想像しているので合ってると思うけど……」
「ヴィンセントさん、でしたよね? あなたの国の名前、教えて頂いてもいいですか?」
「あ、ああ……」
まだ一人状況に着いて行けていないヴィンセントさんが、尋ねられるままに国名らしき名前を口にすると紗希と宗司は目を見開いて顔を見合わせた。「やっぱり……」と呟かれた言葉を聞いて、やはり偶然の一致などではなかったのだと確信した。
「君達は、一体何を……」
「……宗司、紗希、言ってもいいのよね?」
「私から言うわ」
確認するように二人に視線を向けたのだが、しかし紗希は私に向かって首を振ってヴィンセントさんの方へ向き直った。呼吸を整えるように大きく息を吸った彼女は、一度宗司の方を見てから「実は……」と口を開く。
「信じられないかもしれないんですが……私、あなたの言うレイチェルの生まれ変わりなんです」
「……は?」
「ヴィンセントさんの故郷は、前世の私が生まれた国なんです。そして……宗司君も同じ。彼はアルバート様の生まれ変わりです」
「……」
ヴィンセントさんは零れ落ちてしまいそうなくらい目を限界まで見開き、宗司と紗希を交互に凝視する。そんな彼を私達は静かに見守っていたのだが……十秒ほど経った時だっただろうか、彼は突然椅子を蹴飛ばさんばかり勢いで立ち上がったのだ。
「……も」
「も?」
「申し訳ありませんでしたあっ!」
大きな音を立てて弟達の目の前に立った彼が何を仕出かすかと警戒したのもつかの間、ヴィンセントさんは素早い動きで床に膝を着くと、思い切り頭を下げて謝罪の言葉を叫んだのだった。
「レイチェル様の如き美しさだとは思いましたが、まさかご本人様だとは……! そして何より、前世引き裂かれたお二人の仲を再び邪魔しようとしたなど……無礼では済まされないことをしてしまいました!」
「あの、ヴィンセントさん?」
「本当に申し訳ありませんでした。伝説のお二人がこの世で再び巡り会った僥倖、心より祝福させて頂きます!」
「あ、ありがとう……」
勢いに押されながらも何とか二人が言葉を返していると、ヴィンセントさんは微かに目元を拭って立ち上がり「これ以上お二人の邪魔をする訳には行きません、失礼いたします!」とやけに力強い声でそう言って止める間もなく店を出て行ってしまった。……扉の外で僅かに咽び泣く声が聞こえて来る。祝福はしたもののやはり振られたショックも大きかったらしい。
余談だが、私がちらりとテーブルに視線を落とすと、いつ置いたのかきっちりと紅茶の代金が伝票に添えられていた。律儀な人だ。
「この前もですけど、お騒がせしてすみませんでした」
「いえいえ、他のお客さんもいませんから大丈夫ですよ」
食後に出されたコーヒーにようやく口を付ける頃には、店内には私とマスターさんしか残っていなかった。
ヴィンセントさんが帰ってしまい、何となく生暖かい空気だけが残された店内。既にアイスティーを飲み終えていた宗司と紗希は「そろそろ……」と椅子から腰を上げたのだが、一緒に帰ろうと提案する二人に私は静かに首を横に振った。三人の様子をはらはらと見つめていた所為で、まだホットサンドも一切れしか食べていなかったのだ。
私もせっかくの二人のデートを邪魔するつもりはなかったので、二人を先に帰してそのままいつも通りマスターさんと会話しながら食事を続けることにしたのである。
「コーヒー飲んでようやく落ち着きました。……それにしても、本当に世間は狭いというか」
実際には世間という範囲でもないが、偶然とは恐ろしいものだ。
マスターさんも今日は私の話だけでなく一部始終に立ち会うことになったので驚いたことだろう。彼はこちらに同意するように何度も頷いてから、ふと顔を上げて窓の外に目をやった。
「……雨、降ってきましたね」
「ん? ……あ、本当」
釣られて私も振り返ると、日も落ちて暗くなった窓の外から雨音が聞こえて来ていた。一度立ち上がって窓の傍へ行くと、暗くて見えにくいものの結構強く降っている。
「傘持って来てないのに。すぐ止みますかね?」
「よろしければ車で送りましょうか?」
「え?」
「雨もそうですが大分暗いですし、女性が一人で歩くのは危ないですよ」
マスターさんの提案に一瞬「いいんですか?」と喜びそうになったが、その直前で口を噤んで首を横に振った。マスターさんが抜けたら仕事にならないし、そこまで優しさに甘えてはいけないだろう。
「お店のこともありますし大丈夫ですよ。出来れば傘を貸していただけると嬉しいですが」
「いえ、少し早いですが今日はこれで閉めます。雨も降っていますし、休日のこの時間から来るお客さんもなかなかいないですから」
「そう……ですか?」
「大事な常連さんに何かあっては困りますから、送らせて下さい」
気を遣われていると分かっても、そこまで言われると頷かない方が失礼になりそうだ。
「よろしくお願いします」と私が頭を下げると、マスターさんはとても穏やかに微笑んだ。
彼が店の片付けを終えるまで少し待っていると、不意に弟から着信が入った。
「もしもし?」
「姉ちゃん、まださっきの店? 雨結構強いし迎えに行こうか?」
「紗希はいいの?」
「家まで送って来たとこ。途中で傘買ったから、今からそっち行けばいいか?」
「ううん、大丈夫。喫茶店のマスターさんが車で送ってくれるって言うから」
「そうなのか? ……あ、もしかしてさっきのヴィンセントって人じゃなくて、そっちの方が彼氏だったりするのか?」
「え? そ、そんな訳ないじゃない。失礼になるからそういうこと言わないの!」
いきなり何を言うんだ宗司は。
「……なんか焦ってるのが余計に怪しい」
「もう、とにかくこれから帰るからね」
宗司の返事も待たずに電話を切る。別に焦ってなんていないし、事実ではないことをただ否定しただけだ。
「二見さん、遅くなってすみません」
「……いえ」
だから、彼に対していつもよりも返事がそっけなくなってしまったことに、特に意図はないのである。
「……」
ざあざあと降り続く雨の音を聞きながら、私は助手席に座りながら無言で窓の外を眺める。元々歩いて帰ろうとしていただけあってさほど家まで時間は掛からないはずなのだが、何故か妙に時間が経つのが長く感じた。
いつもあまり客がいない時間帯に店に行くのでマスターさんと二人になるのは慣れている。それなのに今は何故か話題が思い浮かばずに沈黙が車内を包み込んでいた。
「そういえば……」
そんな少し気まずい静寂に切り込んだのは、私ではなく運転席に座る彼の方だった。普段は聞き役に徹しているマスターさんから話し掛けられることは、実はあまり多くはない。
「二見さんと最初にお会いした時も、雨の日でしたね」
「……あの時は本当にご迷惑をお掛けしました」
思い出したように呟かれた言葉に、私はその時のことを思い出して先ほどのヴィンセントさんのように思い切り謝りたい衝動に駆られた。私が最初にあの喫茶店を訪れたのは、色々と悪い状況が重なった結果だったのだ。
大学一年の冬のとある一日のこと。私の人生の中でもこれでもかとばかりに悪いことが重なった日があった。朝寝坊して電車に乗り遅れ、些細なことで友人と口論になり、段差で躓いて膝を擦り向き、挙句の果てに帰りの駅で引ったくりに遭って鞄を盗まれてしまった。後日犯人が捕まって鞄は戻って来たのだが、その時は鍵も携帯も財布も、そして雨が降っているのに仕舞っていた折り畳み傘もない。そのままずぶ濡れになりながら家まで帰っていたのだが、途中で弟が部活で帰るのが遅くなることを思い出して家にも入れないことに気が付いた。
「大丈夫ですか!?」
雨に打たれて精神的にも追い詰められていた私は酷い顔をしていたのだろう。そんな時に声を掛けて傘に入れてくれたのが、このマスターさんだった。
その日は定休日だったというのに私を店に入れタオルや服を貸してくれて、更に温かいコーヒーを差し出された。
「あの、私今お金無くて……」
「今日は定休日ですから店は営業してません。だからお代は頂きませんよ」
そう言われて飲んだコーヒーの温かさに涙が止まらなくなったのは仕方のないことだった。初対面の人の前で涙が枯れるまで泣いて愚痴を言って……本当に迷惑だったと思う。
「あの日は本当に最悪で……余計にマスターさんの優しさが身に染みました」
「二見さん、あの時本当に辛そうでしたからね。少しでもお役に立てたなら嬉しいのですが」
しみじみと言うマスターさんの横顔を見ながら、あの日にあの店と出会えたことだけは唯一の幸運だったと改めて感じた。
そんな思い出話から、気が付けばいつもと同じ、私の周囲の変な人々の話に話題は移っていた。先程の妙に気まずい雰囲気などなかったかのように、自然と普段と同じように軽快に話は進んでいた。
家に着くまでもうすぐだ。まだ話し足りないとすら思えてきた。
「それで、ゼミの教授がまた予知能力者だって言い張ってるんですよ! ……やっぱりおかしいですよね、何で私の周りだけこんなに変わった人が集まっているんでしょう」
類は友を呼ぶ……とは違うと思う。何せ私は前世も覚えてないし異世界人でもなければ超能力者でもない一般人なのだから。
「あなたにそれだけ魅力があるのでは?」
「変な人ばっかり寄せ付ける魅力って何ですか……」
「でも、二見さんも彼らのこと嫌いではないのでしょう? いつも何だかんだ楽しそうに話されていますし」
「……そう、かもしれないですね」
マスターさんには色々愚痴のようなものを話しているが、それでも彼らと距離を置きたいと考えたことは意外にもない気がする。
「確かに色々変わってますけど、見ていて飽きませんし悪い人達ではないんですよね」
「……着きましたよ」
きき、と雨でタイヤが擦れる音が聞こえたかと思うと、見慣れた我が家がすぐ傍にあった。「今日はありがとうございました」とお礼を言いながらシートベルトを外していると、その時ふと雨音に紛れるように、隣から小さな声が聞こえた気がした。
「……僕のような何のとりえもない人間は、あなたにとってはつまらないのでしょうね」
「え?」
僅かに聞き取った声に反応して顔を上げると、どこか寂しげに微笑んだマスターさんが「なんでもありません」と小さく首を横に振った。
「あの」
「それでは、またのご来店をお待ちしております」
私の声に被せるようにそう言った彼は、私が車から降りたのを確認した後窓越しに軽く会釈をしてそのまま車を発進させた。
残された私は、何とも言えないもやもやを抱えながら、車が視界から消えるまでその場で雨に打たれ続けてしまった。