CASE3 従姉の話
「詩織、頼みがあるの!」
昨日、久しぶりに母方の従姉である真矢から連絡があった。三つ年上の彼女とは昔から仲が良かったが、彼女が仕事に就いてからは殆ど連絡を取っていなかったのだ。
しかし久しぶりの電話が頼みごと。一体何があったのかと聞いても「会ってから話す」としか言われず、私は首を傾げながらも待ち合わせのカフェで真矢と対面していたのだった。
「久しぶり……って、相変わらずその服」
「だって正装だし」
予定の時間よりも少し早く到着したのだが、真矢はすでにオープンテラスのカフェで一人のんびりとアイスティーを飲んでいた。それは別に問題ない。ただ一つ可笑しな点は、お洒落なカフェの人通りの多いテラス席で堂々と目立つ巫女装束に身を包んでいる所である。傍を通り掛かる人達からちらほら「コスプレ?」という声が上がっている。
私にはちょっと一般人とかけ離れている知り合いが何人もいる。そして真矢もそのうちの一人だった。
「いきなり呼び出してごめんね」
「いいけど何かあったの? 叔父さんと喧嘩したとか?」
「まあそれはいつもしてるけど。この前も『修行が足りない!』っていきなり山の中に放り出されたし」
「大丈夫……だったんだよね?」
「たまにあるから慣れてるしね。それで、ちょっと詩織に協力して欲しいことがあって」
けろっとしている彼女は何てことのないように言うが、この山というのはちょっとした裏山とかではなく、彼女の家が所有している罠あり野生動物ありの恐ろしい場所らしい。勿論私は行ったことはない。というか行ってたらここに生きてはいないだろう。
真矢はそう言いながらテーブル越しにずいっとこちらに体を乗り出して、ぱん、と強い音を立てて両手を私の眼前で合わせた。
「霊を探すの、手伝って!」
真矢の職業は……私もよく分かっていないのだが、祓い師というものらしい。悪霊や妖怪を祓ったり成仏させたりする仕事だと言っていた。……まあ、勿論一般人ではない。
ちなみにその祓い師の血統は彼女の父方からのものらしく、私には一切流れていない。最初にその話を聞いた時は私がまだ幼い時で、親戚が集まっていた時に普通に話題にされていたのでそれが可笑しなことだと気付いてすらいなかった。
「けど何で私なの? 私霊感とかないし幽霊なんて一度も見たことないんだけど」
「あれ、言ってなかったけ。あんたが幽霊に憑かれやすいって」
「は」
そんな話初耳だ。
「昔からお父さんがたまに成仏させてたけど……気付いてなかったの?」
「全然知らない」
「まあ殆ど害のない霊ばっかりだしね。お父さんだと一瞬で終わらせちゃうし」
全く身に覚えのない話に頭を抱えたくなる。私には見えなくても何か憑いていたなんて嫌な感じだ。その所為か話の途中で運ばれて来たコーヒーを飲んでもあまり美味しく感じられなかった。
「詩織、肩とかよく凝らない?」
「昔から結構凝るけど、それって体質の問題でしょ? 全く凝らない人もいるって言うし」
「いやいや、詩織のは全部霊の仕業だから。何しろ……」
真矢は意味深に言葉を切って私を、いや私の頭上を呆れた顔をしながら眺めた。
「あんた、今もすごい沢山憑かれてるから。それもおじいさんおばあさんの霊ばっかり」
「……はい?」
今!?
「昔からお年寄りの幽霊ばっかり憑いてるなとは思ってたけど……今の詩織、何か老人会の観光バスみたいになってる」
「どんな表現よそれ!」
「どれどれ……」
真矢の言葉に動揺していると、彼女はおもむろに席を立って私の背後に回り込んだ。そして何やら「――ん? そう、あー」と、小声で何やら話している。……その相手は、最早言うまでもないだろう。
「……真矢」
「ん? 今聞いてみたんだけどね、詩織の出してる雰囲気が何か温泉みたいな感じで癒されるみたいだよ。それでお年寄りほいほいになってるんだってさ」
突っ込み切れない。温泉みたいな雰囲気って何、湯気でも出てるの?
「――あれ」
「はい、完了」
再び真矢がぼそぼそと何か言い始めたかと思うと、いつも凝っていた肩が急激に軽くなるのを感じた。気のせいというレベルではない。肩を動かしてその軽さに驚愕した私は、本当に幽霊が憑いていたことと、そしてそれを真矢が何かしらの方法で払ったのだと理解することになった。
「全員成仏させたから、しばらくは大丈夫よ」
「すごい……ねえ真矢、どうやってやったの?」
「え? 『天国にはもっといい温泉がいっぱいありますよ、湯巡りしませんか』って言っただけ」
「……天国に、あるの?」
「知らん」
堂々と言い切った従姉に少々頭痛を覚えたが、もう肩が治ったしいいやと考えを放棄した。人間何事も諦めと寛容が大切である。特に私の場合は。
「それはそうと……私が今回探してる霊がいてね、その人がおじいさんなのよ」
気を取り直して本題に戻った真矢が一枚の写真を取り出す。テーブルに置かれたその写真に写っているのは不機嫌そうな、少し気難しそうな表情を浮かべる七十代くらいのおじいさんの姿だ。
「このおじいさんの名前は三宅次郎、一年前に亡くなってるわ。配偶者は居なくて両親兄弟ともに先立たれてる」
「この人がどうしたの?」
「今でもまだ成仏してないらしくて、この辺にずっと居座ってるの。霊感の強い人が何人もすごい形相で追いかけられてるって証言もあるし、このまま放置していると怨霊になるんじゃないかって依頼を受けたの。だけど逃げ足が速くてなかなか捕まえられなくて……」
幽霊なのに足が速いって矛盾してるなあ。
「それで、詩織のお年寄りほいほいの力でおびき寄せてくれないかなって」
「囮ってことね……私は幽霊見えないんだけど」
「私が隠れて見張ってるから大丈夫! 力の強い霊じゃないから祟られるってこともないだろうし……多分」
「今、多分って言ったよね!?」
「お願い! 何かあったら私がどうにかするから! 何でも好きな物奢ってあげるから!」
一生のお願い! と真矢が大きく頭を下げる。先程も行ったが人通りの多いテラス席で、である。周囲の好奇の視線に耐えられなくなった私は慌てて彼女の顔を上げさせようとするが、依然「お願い!」と言い続けている真矢はなかなか動こうとしない。
この為にあえてこの目立つ席を選んだならきっと私は彼女を恨むだろう。しかしこの従姉がそこまで計算しているとはとても思えない。名前の通り矢のごとく真っ直ぐな子だと知っている私は、諦めてその頼みを受け入れることしか出来なかった。
「……ねえ、本当に大丈夫なんだよね?」
人通りが少ない狭い道を緩慢な速度で歩きながら、私は一人小さな声で呟いた。どうやらこの辺りにその次郎さんという幽霊がよく出没するという話なのだが、祓い師である真矢は何度か次郎さんを追いかけた所為で顔を覚えられてしまい、警戒されているのだという。
そういう訳で、霊をおびき寄せるのは私一人で行い、真矢は少し離れた場所から携帯で指示を出すということになった。ハンズフリーのイヤホンを耳に付け、そこから聞こえる彼女の「ちゃんと来たら教えるから大丈夫」という声だけを心の支えにする。
別段怖がりという訳ではないのだが、まったく認識することが出来ない相手がいつ現れても可笑しくないという状況には流石に体が強張る。
同じ場所を行ったり来たり。それを繰り返すこと……たったの三分だった。
「詩織、来た!」
「え?」
来たって、もう!? まだ二往復ぐらいしかしてないんだけど。
しかし霊に動揺を悟られると囮であることがばれるかもしれない。私は一瞬だけ足を止めたものの、すぐに先ほどと変わりない様子を演じつつ歩みを再開させた。
「今、詩織の後ろにいる」
「……怖いんだけど」
「こっそり近づくからもう少し頑張って……って、え!?」
「――あ」
突然真矢の驚きの声がイヤホンを通して聞こえて来ると、それと同時に私の足はぴたりと動きを止めた。
止めた、というのは語弊がある。何しろその瞬間、私の体はまるで金縛りにあったように指先一つさえ動かすことが出来なくなっていたのだから。
『若いの、ちょっと借りるぞ』
え?
驚きの声さえ音にならない。不意に脳内に聞こえて来たのはしゃがれたおじいさんの声で、その声と共に私の体は私の意思とは別に勝手に動き出したのだ。
「憑依!? 詩織っ」
「な、あの祓い師がおったのか!? 儂はまだ成仏する訳にはいかんのじゃ!」
勝手に喋り、勝手に走り出す体。そして私の後ろを急いで追いかけて来る真矢。走る勢いにイヤホンが外れ、真矢の声も聞こえなくなってしまった。思考だけが自由な中、私はぼんやりと自分が置かれた状況を理解する。
もしかして……私、幽霊に体乗っ取られてる?
『少し借りとるだけじゃ、すぐに返す』
……私の声というか思考、読み取られているのだろうか。
『同じ体にいるんじゃ、それくらい分かるぞ』
「悪霊退散!」
山を駆けまわる自慢の脚力でこちらに近付き、そして何かの札を投げつけて来た真矢だったが、しかし私は――私の体に憑依したおじいさんはそれをぎりぎりで避けた。私の体とは思えない動きに驚いていると『お前さん、もっと運動せんか。体が動き辛くて敵わん』と文句を言われる。
『じゃあ他の人にすればよかったじゃないですか!』
『あんたが一番乗っ取りやすそうじゃったんでな……ったく、しつこい娘じゃ!』
おじいさんはそのまま真矢の追撃を躱すように入り組んだ道に入る。枝分かれした道は一度姿を見失えば追いかけるのは困難で、更に無理やり私の身長くらいの高さの塀を乗り越えたりと無茶苦茶な逃げ方をしている。……スカートじゃなくてよかった。
『この世を去る前にどうしてもやらなきゃいけないことがあるんじゃ!』
『なんですか、それ』
『愛の告白、というやつじゃ』
『……んんっ!?』
告白?
おじいさんから飛び出した言葉に困惑していると、いつの間にか路地を抜けて私も知っている道に辿り着いていた。自分の意思で振り返られないので確認は出来ないが、声が聞こえないので真矢は追い着いていないようだった。
『今まで何度か他のやつの体を借りようとしたんじゃが、その度に逃げられたりあの祓い師に邪魔されたりしてな』
『その、告白したらちゃんと成仏するんですか?』
『あの人に想いを伝えられたら、それでもう未練はない』
それじゃあ、真矢がどうにかしなくてもこのままいけば解決するのだろうか。一瞬そう思ったのだが、相手が幽霊を見れる人でもなければ上手く行くとも思えない。何しろ体は私のものなのだ、むしろ私が不審者扱いされて終わるのでは……。
『ちょ、ちょっと待ってください!』
『今更何を、もう着くから我慢せい!』
『そうじゃなくて!』
ようやくその事実に気付いた時、今までずっと走り続けていた足が不意に止まった。先程からよく見る場所だなとは思っていたものの、いざおじいさんがその店の扉に手を掛けた時、私は動揺する暇もなく一瞬で思考を停止させた。
見慣れた店の看板は、当然ながら「吉良」と書かれていたのだから。
「いらっしゃいませ、二見さん」
「梅子さん!」
いつも通り朗らかに微笑んだマスターさんを無視したおじいさんは、店に入ると脇目も振らずに店内をずかずかと進み、そして一人のおばあさんの元に向かった。
梅子さん、と呼ばれた女性は私も以前見たことのある人だ。おばあさんはいきなり私が話し掛けたことに、不思議そうに「この前の若い子かい?」と首を傾げている。
「わしじゃ、一年前までずっとここで梅子さんと話してた三宅次郎じゃ!」
「次郎……さん?」
「梅子さんにどうしても伝えたいことがあって、少し他の体を借りとる」
あああ、お気に入りのお店で私は何を言わされているんだ! 絶対にマスターさんにも可笑しな目で見られているだろう。一体何の騒ぎだと、常連客やマスターさんも近寄って来るのが居た堪れない。
もうこの店に来られないかもしれない、と危機感を募らせている私のことなど露知らず勝手に話は進んでいく。梅子さんはしばらく目を瞬かせて私を見つめていたものの、やがて「本当に、次郎さんなんだねえ……」と懐かしむように目を細めた。え、信じた?
「次郎さんが亡くなった時は本当に寂しかったけど、元気そうで安心したよ」
死んでるけど元気そうって、どういうことなんだ。
「梅子さん……わしは、ずっと梅子さんのことを好いとったんじゃ! それを言えずに死んじまって……死んでも死に切れんかった!」
「知っとったよ」
「……え?」
「次郎さんが私を好いとったの、知っとった」
梅子さんは驚いて固まった私――次郎さんの前に立つと、にこりと笑って……頭を引っ叩いたのである。
「あ痛たっ」
「私はずっと死んだじいさん一筋だと言ったでしょう。遠回しに断ってたのに気付かずにこの子を巻き込んで迷惑掛けて……本当に次郎さんは」
『あの、梅子さん!?』
思わず声を出した私の言葉は当然届かない。
「そんなに私を好いとるならね、天国のじいさんに直談判しておいで。この子の体乗っ取るくらいなら、そのくらいの覚悟見せてみい」
「……梅子さんには敵わんわ」
次郎さんは梅子さんに圧倒されるように息を呑み、そしてややあってから苦笑しながらそう言った。そういう所が好きだった、と私にだけ聞こえる声で呟く。
「ああ、梅子さんが来る頃には、あいつを負かせて天国で迎えてやろうじゃねえの」
「さあ、それはどうかね。何せじーさんは私のことが大好きだったから。……でも、楽しみにしてるよ」
「梅子さん。先に、行くぞ」
「ええ。……向こうでも、お元気で」
『若いの、色々済まなかった……ありがとう』
その言葉と共に、ぐらりと体が傾く。突然体の自由が戻って来たことで力が入らず、慌てて傍に来たマスターさんが支えてくれた。
「詩織! 大丈夫!?」
ようやく真矢がここを見つけて扉を開ける頃には、少し寂しそうに微笑む梅子さんと彼女を慰める他の常連客、そしてマスターさんに心配されながらも顔を覆っている私を見て、彼女は首を傾げるのだった。
「今日は本当にお疲れ様でした」
「ありがとうございます……」
疲れた。本当に、疲れた。コーヒーの美味しさ身に染みる。
あれからどうなったかと言うと、とりあえず私は色々とその場にいるのが気まずくなって逃げ出した。追いかけて来た真矢に説明をして彼女を返した後一度家に戻った私だったのだが……結局再度喫茶店に戻ってきてしまった。マスターさんに弁解も無しに逃げて来てしまったので、とりあえず色々と説明はしておきたかったのだ。今後ともまた此処に来られるように、と。
改めて訪れた店は既に客の数も減っている。サラリーマンらしき男性が一人雑誌を捲っているだけなので、私はジャズのBGMに紛れるようにマスターさんに今日の出来事を順を追って話した。
特に仕事もないのか椅子に腰掛けてこちらの話に耳を傾けていたマスターさんを、私はコーヒーを飲みながらちらりと窺う。こちらを労わるような表情は私の話を馬鹿にしないいつもの彼と同じだ。
「あのマスターさん、さっきのこと……信じます?」
「ええ、信じますよ」
「……本当ですか」
幽霊に憑依されていたなんて、普通は信じないだろう。霊的現象が起きた訳でもなく、傍からみれば単に私が奇妙な言動を取っていただけなのだから。
それなのに彼はあっさりと信じると口にしたのだ。
「梅子さんと二見さんが示し合わせていたとも思えませんし、あの時のあなたは雰囲気が全く違いましたから。それに……」
「それに?」
「世の中、不思議なことなんて色々ありますからね」
二見さんもそう思うでしょう? と微笑まれると何も言えなくなる。多分それは私が一番身に染みていることだからである。
返す言葉もなくコーヒーを飲む私をにこにこと眺めていたマスターさんは、不意に立ち上がると店の奥へ消えて行った。そしてしばらく経って戻って来た彼は、小さな小皿を持っており、それを私に差し出して来たのだ。
「マスターさん?」
「サービスです」
本当にお疲れのようですから、と渡された小皿の中には、この店の人気商品である抹茶とごまのクッキーが入っていた。
この店は常連も多く割と繁盛しているが、テイクアウトのコーヒー豆や焼き菓子も人気だ。マスターさんの話によると、家族や孫へのお土産に沢山買っていく人が多いというが、これがとにかく手が止まらなくなるものなのである。美味しい! と声を上げて絶賛するもの、というよりかは何度食べてもちっとも飽きない味だ。うちに置いておくと気が付けば宗司に食べられていたりする。
「いいんですか?」
「是非、召し上がってください」
勧められるままに手を伸ばして抹茶味のクッキーを口に入れる。ほろりと優しい抹茶の味が心身共に染み渡る。本当に今日は疲れたと改めて実感した。普段そこまで運動もしていないのにいきなり長い距離を全力疾走した所為で体の節々が軋んでいる。これは明日筋肉痛で動けなくなるかもしれない。
「癒される……」
「ありがとうございます」
「マスターさん、本当に優しいですよねえ……絶対モテるでしょう?」
「いえいえ、そんなことありませんよ」
「絶対嘘ですよね? というかそもそも結婚してないんですか?」
ちらりと彼の左手を見ても指輪は見つからない。いや、飲食業なので外しているだけかもしれない。梅子さんも旦那にするのをおすすめだと言っていたし、こんなに優しい人なのだから。
しかしマスターさんは肩を竦めて静かに首を振るだけだ。
「結婚していませんし、そもそも相手もいませんよ……どうにも本命には振り向いてもらえない体質で」
「へー、じゃあ今好きな方とかいるんですか?」
この手の話になるとどうしても盛り上がってしまうのが女である。私は勝手に頭の中で彼に似合いそうな女性のイメージを作り出す。マスターさんに似た素朴な雰囲気の女性が彼の隣に並んでこの店で働いているのを想像すると、何だか少し羨ましい気分になった。料理も上手だし優しいし、梅子さんの言う通りマスターさんはきっといい旦那さんになるんだろうなと思う。
「……秘密に、しておきましょうか」
興味津々で尋ねた私に、しかしマスターさんは少し疲れたようにそう言って嘆息したのだった。