CASE2 幼馴染の話
その事件はインターホンの音から始まった。
休日に自宅でゼミのレポートを仕上げていた私は、不意に鳴り響いたその音に集中力を途切れさせた。両親もまだまだ帰って来る様子もなければ、今に限っては宗司も部活で家に居ない。
仕方がないので部屋を出て玄関に向かうと、何やら扉の擦りガラスに大きな影が映っていた。扉の上まで続いているであろうその影を見て、一体誰が来たのだろうかと少し警戒する。
「おーい、居ないのか?」
「……あれ」
居留守を使おうかと考え始めたその時、扉を挟んで聞こえて来た声に私は首を傾げた。どこかで聞いたことのある気がする声だ。どこかで……ずっと前に聞いたことのあるような。
思い出せずについつい「はーい」と返事をしてドアノブを捻る。しかしドアの先に立つ人物を視界に入れた瞬間、私の思考は一瞬停止することになった。
私の目の前には、身長二メートルはあるであろう大柄の外国人が眼光強くこちらを見下ろしていたのだから。
「ひいっ」
思わず悲鳴が漏れる。誰だこの人は。
短い銀髪と青い瞳が印象的なその大男は、何だか不思議な人だった。着ているのは緑を基調とした外国の兵隊のような服で、マントまで羽織っている。完全に現代日本では現実から浮いてしまっている人だ。
「あ、あの一体どなたで」
「あーもう、ちょっとどけって!」
「え」
思わず後ずさった私だったが、再び聞こえて来た懐かしい声に我に返った。目の前の男が喋ったのではない。その声は男の背後、ひょっこりと顔を出した別の青年のものだったのである。
そしてその青年の顔を見た瞬間、私は目を見開いて硬直することになった。
「お前でかいんだから前に立たれると全然見えなくなるんだよ」
「しかし、私は護衛ですので」
「だから言っただろ? 詩織は俺に危害なんて加えないって」
「……た」
繰り広げられる会話も碌に頭に入らないまま、私は顔を出した青年を凝視し……そして、驚きのままに全力で叫んだ。
「竜海いいいっ!」
「久しぶり、詩織」
何せ青年――竜海は、五年前に消息不明になった幼馴染だったのだから。
幼稚園の頃からの幼馴染である竜海は、昔からとても人懐っこい男だった。かっこいいというよりは可愛いと言われる部類の容姿、明るい性格、人の警戒心を解くのが上手い竜海は学校でも男女共に沢山友達がいた。家が近く何かと一緒にいることが多かった私も勿論竜海のことは大事な友達だったし、だからこそ五年前は本当に驚いたし心配した。
「……」
私は目を泳がせながらリビングで竜海と向き合う。目の前に座る竜海も少し緊張したように落ち着きがなく、どこかそわそわしているように見えた。ちなみに先ほどの大男はこの場には居ない。……いや居ないというか、居るには居る。彼はリビングの扉の外に背を向けて立っているのだ。
初めは彼も同席しようとしていたのだが、竜海が断固としてそれを拒否した。「だから大丈夫だって言ってるだろ?」「しかし万が一のことがあれば、私はお嬢様に顔向けできません」などとまた理解不能な会話が行われていたが、最終的に大男――竜海の護衛らしい男が折れることになったのである。
しかし護衛とか、お嬢様とか……また私の日常を壊す不穏な気配が色濃く漂っている。そもそもこの幼馴染は五年間何をしていたのだろうか。
「……とりあえず、改めて久しぶり」
「ああ……五年振り、くらいだよな」
「竜海が居なくなったのは高校一年の夏だったからね」
忘れもしないあの時。学校帰りに竜海が突然行方不明になり、何か事件に巻き込まれたのかと大騒ぎになった。警察の捜索でもまったく手がかりが掴めず、結局事件はどんどん忘れ去られていったのだ。
「それで、今までどこで何してたのよ! 本当に心配したんだから!」
「悪い。……全部話すから、聞いてくれるか? 結構長くなる」
私が静かに頷くと竜海はほっとしたように表情を緩め、そしてややあってから「あの日……」と思い出すようにゆっくりと話し始めた。
「高校から帰る途中、俺は突然こことは違う世界に連れて行かれたんだ」
「……はい?」
「急に目の前が真っ白になったかと思ったら全然違う場所にいて……その時は分からなかったんだが、別の物を召喚しようとして失敗したらしい」
ちょっと、ちょっと待って。
「た、竜海?」
「嘘だと思うかもしれないんだが、俺はこの五年間異世界にいたんだ」
「いせかい……」
「突然変な世界に放り出されて、言葉も通じなくて……訳が分かんなかったよ」
訳分かんないのはこっちもだ。私は頭痛を覚えながら混乱する頭を必死に落ち着かせる。
以前から私の周囲には変人が多いとは思っていたものの、この前の紗希と宗司の前世の話から、何か規模が更に大きくなっている気がする。
そこから話は更に壮大な物になっていく。竜海を召喚した魔術師一家(……もう何も言うまい)に引き取られた彼は少しずつ言葉を覚えて状況を理解し始める。
その世界には魔獣と呼ばれるRPGでいうモンスターが存在する。以前は殆ど生息していなかったそれがある日突然爆発的に数を増やし、人間や街、他の動物を脅かすようになった。それに困った各国の王様が協力し合いそれぞれ解決策を探すことになり、召喚魔術の名門であるその魔術師一家は魔獣を倒す為に龍神を召喚しようとしたのだ。……それで召喚されたのが竜海だと言うのだから不思議だ。竜という字ぐらいしか関連がない。
「それで……どうしたの?」
「俺の召喚は事故だったから、こっちの世界に戻れる方法が中々見つからなくて……その間に俺も魔獣が大量発生した原因を調べるのを手伝うことにしたんだ。あそこに立ってるのはお世話になってた魔術師の所で守衛の隊長をしているヴィンセント。それからその家のお嬢様のエステル……お嬢様って言っても魔術馬鹿でな、その子と三人で色々調べ始めたんだ」
徐々に増え始めたのならともかく、突然爆発的に増えるのはおかしい。人為的なものではないかとは以前から言われていたらしい。だがその首謀者や、どうやって魔獣を増やしたのかは分からないままだった。三人はそれをそれぞれの得意分野で解明しようとしたのだ。
エステルさんは魔術分野から魔獣の仕組みについて調べ、ヴィンセントさんは魔獣を退治したり時に竜海達を邪魔する人間から彼らを守った。そして竜海はというと……脅威のコミュニケーション力を発揮して色んな人から情報を聞き出したり敵を懐柔したりしたとのこと。
何か皆優しくてさー、と話す竜海は無自覚である。
「それで何とか魔獣を作り出してた首謀者を見つけることが出来て一件落着したんだけど……異世界人っていう珍しさからやたらと担ぎ上げられそうになってさ、その時にはこっちに戻る魔術も完成してたからちょっとほとぼり冷めるまでこっちに戻ることにしたんだよ」
「うん? ほとぼり冷めるまでって、またその……異世界に行くの?」
「こっちに戻ってから両親とも話したけど……そのつもり。だから、詩織にはどうしても話しておきたいことがあるんだ」
「話したい……こと?」
今まで散々話を聞いたのに、まだ何かあるんだろうか。というか、今の話を差し置いて本題って何だ。
首を傾げている私に対し、竜海はちらりと扉の向こうにいるヴィンセントを窺い、そして覚悟を決めたように酷く真剣な表情で私に向き直った。
「好きだったよ」
「……はい?」
「あの世界に行くまで、ずっと詩織のことが好きだった」
竜海が、私を?
瞬きも忘れて竜海を見つめる私に、彼は苦笑した。やっぱり気付いてなかったんだな、と。
そう言われても、竜海からそんな態度を示された記憶など全く残っていない。いや、それよりも今竜海は何と言った?
……好きだったと、あの世界に行くまでと、そう過去形で言ってなかったか。
「ごめん、軽い気持ちで詩織のことが好きだった訳じゃないんだ。……だけど、向こうの世界に行って色んなことがあって……沢山辛いこともあった。そんな時にいつも支えてくれた子のことを、いつの間にか好きになってた」
「……その、エステルさん?」
「ああ。お嬢様の癖に魔術馬鹿で、お転婆でしょうがないやつだけど、本当に好きなんだ。……だけど、詩織にはちゃんと全部話しておきたかった。ちゃんと、けりをつけたくて」
「う、うん」
「詩織、今まで本当にありがとう。……住む世界が違っても、ずっと友達でいてほしい」
そう言って、竜海は本当に穏やかに私に向かって微笑んだのだった。
「マスターさん、聞いて下さいよ!」
「いらっしゃいませ、二見さん」
いつもよりも少し時間なので、まだ常連のおじいさんやおばあさんが何人かいる。そんな喫茶店の中で私は空いていたいつものカウンター席に腰を下ろしながら、少し声を落としてマスターさんにそのお決まりの言葉を告げた。
「あ、その前にコーヒー下さい」
「畏まりました」
マスターさん特製のブレンドコーヒーを注文して、準備している間に話を促される。また荒唐無稽な話だと思われるだろうと思いながらも、とにかく途切れることなく先ほどまでの出来事を話してしまう。彼は誰かに私の話を吹聴するような人間ではないし、今までだって一度もそんなことは無かったのでとても安心できる。……まあ他の人に話した所でマスターさんが変な人に思われるだけかもしれないが。
コーヒーが出来上がる頃には話も佳境に差し掛かっており、一頻り話して私も少し落ち着きを取り戻していた。
「お待たせいたしました、コーヒーです」
「ありがとうございます。……おいしいなあ」
そう、この味が最大級に私の心を落ち着かせることが出来るのだ。気が緩んでしばらく口を閉じていた私だったが、しかし不意に先ほどの出来事が頭を過ぎってまたどんよりとした気持ちになってしまった。
「好きだったって、そう言われたのは素直に嬉しかったんですよ」
「……はい」
「……だけど、何て言うんでしょう。もやもやするというか……何で私、あいつに振られたみたいになってるんでしょうね」
少し遠い目をしてあの時のことを思い出す。話が全て終わって二人が帰ろうとするのを見送ろうとした私は、何故かその時にずっと扉の外に立っていたヴィンセントさんに肩に手を置かれたのだ。……妙に気の毒そうな顔をされながら。
『あの……』
『いや、その……君にも良い人がきっと見つかる』
別に竜海のことをそう言う意味で好きだった訳じゃないのだが、たどたどしく慰めの言葉を受けて何とも言えない気持ちになった。というかあの人、扉の向こうに居たのに聞こえていたのか。
ちなみに彼は竜海が向こうの世界に戻るまでの護衛兼連絡係らしい。竜海には使えない魔術を使って向こうの世界と通信が出来るとのこと。
「二見さんは、その彼のことを好きではなかったんですか?」
「幼馴染としては好きでしたよ。ただ、どっちかっていうと兄弟みたいな感覚でした」
「そう、なんですか。……しかし実際に二見さんが彼のことを好きだったら、五年間想い続けて振られてしまっていたんですから、結果的には良かったのではないでしょうか」
「まあ……そうなんですけどね」
仮に竜海のことが好きだったら……今頃大泣きしているかもしれない。振られた挙句別の世界に移住すると言っているのだから。今も竜海が異世界で暮らすことは変わりないが、失踪していた五年間のことを思えば元気に生きていると分かっただけで十分だ。
コーヒーを飲み干してそう物思いに耽っていると、皿やカップを洗っていたマスターさんがふと何か言いたげにこちらを見ていることに気が付いた。もしや話が長すぎて仕事の邪魔になっているのだろうか。普段来る時間よりも他の客も多いのでもっと遠慮するべきだったかもしれない。
「すみません、ちょっと喋り過ぎて仕事の邪魔してましたか?」
「え? いえいえ、そんなことありませんよ。今はオーダーも入っていないので大丈夫です」
「そうですか? ならいいんですけど」
「……ところで、二見さんはそういう方はいらっしゃらないんですか?」
「そういう、というのは?」
「その幼馴染さんのようなものではなく、恋人とか」
ああ、とマスターさんの言いたいことを理解する。理解はしたが……頭の中で自分の身近な人物を振り返る度に遣る瀬無い気持ちになった。
「特にそういう人はいませんね。何か私の周り、変な人が多くて」
マスターさんにも結構話しているが、ゼミの教授だとか、従姉だとか、最近は親友まで平凡な人間が存在しない。私の理想はそんなに高いとは思わないのだが、友人や知り合いならともかく恋人は……という人達ばかりなのである。そういう意味では異世界に行くまでの竜海は随分優良物件だったと思う。
「マスターさんみたいな素敵な人に出会えたらいいんですけどね」
「……ありがとうございます」
実際にそんな人が現れても、私みたいな小娘なんて相手にされないだろうけども。
弟に続いて幼馴染まで恋人が出来てなんだか取り残された気分になっていた私が深く考えずにぽつりと呟くと、マスターさんは少々苦笑いを浮かべた。あ、遠回しに無理だと言われてる?
「吉良さん、お会計お願いね」
「はい、ただ今」
若干落ち込んでいると、私の席の後ろを通ったおばあさんがマスターさんに声を掛ける。おばあさんは鞄から財布を取り出しながら、ふと私を視界に入れて首を傾げて口を開く。
「……おや、珍しく若い子が来とるねえ、吉良さんの恋人かい」
「え?」
「梅子さん、二見さんに失礼ですよ。彼女もよくここに来て下さるんです」
「そうかいそうかい、吉良さんはいい子だから旦那にするのにおすすめだよ」
「そ、そうなんですか……」
マスターさんの話を聞いているのかいないのか、梅子さんと呼ばれたおばあさんは上機嫌で会計を終えて店を出て行った。
それから暫くの間、梅子さんとの話が聞こえていたのか店の中に残っていた常連さん達から何やら意味深な視線を向けられ、私とマスターさんは、お互いに曖昧に笑ってその微妙な空気が流れ去るのをじっと待った。
帰宅後、汗を掻きながら暑そうに帰って来た宗司に竜海が戻って来たことを話すと大層驚かれた。
「竜兄が!? っていうか今までどこで何してたんだよ!?」
「何か……異世界に召喚されてたって」
「はあ? あいつ頭大丈夫か?」
宗司も前世持ちらしい(未だに完全に信じると言い切れていない)のであっさり「へえ、異世界ね」ぐらい言うと思っていたのだが……予想外な言葉が返って来た。姉ちゃんは前世は良くて異世界は駄目なあんたの基準が分からないよ。