プロローグ
はじめまして。
私の名前は七影、魔獣界の東地区の区長の屋敷を守る、七尾の狐である。
今日も今日とて、屋敷に侵入しようとする者がいないか、目を光らせていた。
「……ふぅ」
先ほど、休憩時間に入ったので、茶屋まで赴き、団子を頬張っている。
魔獣界とは、次元の狭間にある魔獣達の世界。
東西南北の地区に分かれ、それぞれの区で最強を誇る魔獣が、区長を務めている。
東区は他の区に比べ、平穏だという。
だという、というのは、私はあまり他の区へ足を踏み入れたことがないからだ。
区長同士の仲は最悪らしく、区民達はなるべく他の区へ出入りしないようにしている。
私も主様の護衛として赴いたことがあるだけで、自分から行ったことはなかった。
魔獣界は弱肉強食だ。
そもそも魔獣という種族が力至上主義な種族である。
強ければ全てを手に入れ、弱ければ全てを失う。
私はこの思想に、対して疑問を抱いたことはない。
弱ければ強くなればいい。
私はそうだった。
死ぬほど修行して、それで弱かったのであれば、諦めればいい。
むしろ死んだほうがいいのかもしれない。
永久を生きる寿命を持つ魔獣。
つまり、永久に迫害を受けるということである。
私がもし、弱いままだったら、自殺していただろう。
そういう世界なのだ、ここは。
「……はぁ」
溜息が出る。
何故か。
彼氏がいないからである。
彼氏が欲しい。
欲しいよ~!!
でも、私より強い男でなければ嫌なのだ。
魔獣は弱肉強食思想。
弱い雄など論外だ。
ああっ、強い雄に侍りたい。
身も心も忠誠を誓い、存分に愛されたい。
ああでも、私には万葉様という絶対の君主がいて……
でもでも……っ
悶々としていると、茶屋の娘達が黄色い声を上げていた。
「ねぇねぇ! 知ってる? 東区にいるらしいよ。剣鬼様が!」
「ええ!? 剣鬼様が!?」
「いやーん! ほんと!? 今から会いに行こうかなぁ!」
剣鬼。
噂だけでは聞いている。
外界で無双を誇る剣豪の二つ名だ。
異世界を転々と旅しているらしい。
曰く、一千万の神仏を一瞬で両断した。
曰く、三千世界で一番強い剣士。
曰く、魔獣界の区長、伝説級の魔獣達を一人で薙ぎ倒した。
などなど……
眉唾ものの噂ばかり、だが……
これがまた、本当らしい。
らしいというのは、区長の方々が、皆剣鬼にメロメロなのだ。
言い忘れたが、魔獣界の魔獣達は全員雌である。
つまり、好きになったり結婚をするのは外界の雄ということになる。
故に結婚するものは多くなく、レズビアンに走るものも少なくない。
魔獣界の魔獣は、外界の強者よりも強い場合が多いからだ。
しかし、その剣鬼は違う。
理想の雄。
「ゴクッ」
生唾を飲み込む。
私が子供の頃から噂になっていた。
その頃から、ひそかに憧れていた。
今、いるのか?
この東区に。
できれば、会いたい。
一度、お目にかかりたい。
「おう、団子屋の姉ちゃん」
「大和ちゃ~ん! いらっしゃーい! 噂は本当だったんだね!」
「何時もの頼まぁ、御手洗50本な」
「了解!」
入ってきて、編み笠をとったサムライ。
私は見惚れてしまった。
私だけではない。
茶屋で働いていた娘、休憩していた者たちは、皆一様に見惚れていた。
身長二メートル、体重は推定100キロほどか。
和装の上からでもわかる鍛え抜かれた肉体。
褐色の肌、灰色の三白眼、大きな口のギザギザの歯。
後ろで結われた黒髪、ハンサムな顔立ち。
まさしく肉食系。
理想だ……
魔獣達にとっての理想が、目の前に立っていた。
「ふぅ」
剣鬼は座って、横に刀を置く。
そして、煙管を吹かしはじめた。
「ねぇねぇ、あれって……」
「剣鬼様よね?」
「きゃーっ、サイン貰っちゃおうかなぁ♪」
団子屋が静かにざわめきはじめる。
私は団子を食うのすら忘れて、剣鬼に見入っていた。
「お」
サムライと目があった。
私は咄嗟に視線を逸らすが、サムライはおかまいなしに私の元まで歩み寄り、隣へ座る。
な、な、な……っ
「よぉ、お前、狐か?」
「あ、ああ……」
「かなり高位と見た」
「まぁ……」
「なら、万葉の部下か?」
「!!」
万葉。
東区の区長。
最強無敵の九尾。
白面絢爛九尾狐だ。
「……そうだが」
「よかった、団子食い終わったら連れてってくれよ。万葉の屋敷に」
「なっ!?」
私は立ち上がる。
「いくら剣鬼といえど、万葉様の屋敷へ入るなど、ご、言語道断!」
顔を真っ赤にしながら言うことではないが、言わなければならない。
剣鬼は首を傾げる。
「少し用があるだけだぜ?」
「駄目だ! まずは万葉様に許可をとってから……」
「……いいぜ。そのかわり、その間他の女と遊んでいると、万葉に伝えておいてくれ」
「……わかった」
私は勘定をすまし、茶屋を出ていく。
振り返ると、剣鬼がムカつく笑顔で手を振っていた。
◆◆
屋敷にて。
「万葉様」
「何じゃ、騒々しい」
凛とした声であった。
顔を上げることができない。
万葉様は魔獣界でも随一の美女と謳われるお方。
七尾になった今でも、まともに顔を見ることができなかった。
「ハッ、緊急の案件でございます」
「何じゃ、妾はまどろんでおったのじゃ。手短に申せ」
「……剣鬼が、万葉様に会いたいと」
「!!? !!!?」
ごてんと音がした。
何事かと思ったが、顔を上げられない。
「お主、今、なんと……?」
「はい、剣鬼が、あなた様に会いたいと」
「剣鬼は、大和様は、今どこにおられるのじゃ! まさか、もうそこに!?」
「い、いえ、今は茶屋で団子を食っております。他の女と遊んでいると」
「何じゃと!!!」
溢れ出た怒気に、思わず冷や汗が垂れた。
「お主、まさか大和様に余計なことを言わなかったな……?」
「い、いえ、とんでもない!」
……言ったといえば、八つ裂きにされそうな勢いだった。
すいません、万葉様。
嘘をついて。
「ならよい。もし言っておったら、八つ裂きの刑に処しておったわ」
「……ッ」
「よい。今すぐ大和様を連れて参れ。……いいや、時間が欲しい。三時間。三時間は時
間を潰せ。その間、決して無礼な真似はするな。よいな?」
「ハッ」
◆◆
私は茶屋に戻った。
すると……
「剣鬼様~っ、今夜暇ですか~?」
「よかったら、私達と一緒に遊びません?」
「ククク」
早速、一大事だ。
「剣鬼……いいや、大和様」
「おう、さっきの。どうだった? 万葉の返事は?」
「三時間ほど時間が欲しいと」
「そうか。別にいいぜ」
大和様は、既に多数の女を囲んでいた。
いいや、囲まれている、といったほうが正しいか。
皆、大和様の色香に吸い寄せられているのだ。
「……大和様」
「ん?」
私は大和様の耳元で、小声で伝える。
(ご足労をおかけしますが、私について来てはいただけないでしょうか?)
(どうしてだ?)
(あなた様が他の娘と仲良くしていると、その、万葉様が)
(……そうだな。それは面倒だ。俺もさっきのは冗談だった)
大和様も苦い顔をする。
「わかった。付いていくぜ」
「え~! 剣鬼様、行っちゃうんですか~?」
「待って~!」
「ええいお前たち! 彼は万葉様の客人だぞ! 控えろ!」
その言葉に、女達はささーっと撤退する。
当たり前だ。
万葉様はその美貌と共に、気性の荒さで有名なのだ。
私も怖い。
「屋敷の客間でお待ちいただくことになります。よろしいでしょうか?」
「いいぜ」
そうして、私は大和様を屋敷へ案内した。
◆◆
屋敷へ案内する最中、他の狐達も大和様を見てはしゃいでいた。
私は客間へと案内して、一度礼をする。
「茶を持って参ります。寛いでお待ちください」
「おう。……なぁ」
「?」
大和様は私に顔を近づける。
「あんま、緊張しなくてもいいぜ?」
ニカっと笑う。
……ッ
「し、失礼します!」
私は逃げるように距離をとり、障子を閉じる。
そして、バレないように息を殺して、熱い息を吐いた。
「~っ」
色香が強すぎる……っ
まともに顔を見れない。
途中から顔を見ないようにしていたのに、あんな間近で……
駄目だ。
私の雌が反応している。
あの男に抱かれたいと。
あの男に屈服したいと叫んでいる。
駄目だ。
駄目だ駄目だ。
あの方は万葉様が愛する男。
私程度が手を出していい存在じゃないんだ!
……ッ
とりあえず、下着をはき替えよう。
もう、グショグショだ……
◆◆
着替えて、ついでにシャワーを浴びて、軽く身だしなみを整えて。
それから茶を準備して、客間へと入る。
「長らくお待たせしました。茶を準備いたしました」
「……ZZZ」
大和様は眠っていた。
柱に寄りかかって、うたた寝をしている。
「……」
私は忍び足で茶を置き、その場で座る。
万葉様からお呼びがかかったら、起こしてさしあげよう。
「……」
大和様の寝顔から、目が離せない。
か、かわいい……
あんなに凶悪な人相をしていたのに、眠っている時は、子供のようだっ。
そのギャップに、母性本能が強く刺激される。
もっと近くで見たい。
もっと……
「!」
私はいつの間にか、大和様の傍まで来ていた。
だ、駄目だ駄目だ! そんな……
「ZZZ」
「ゴクッ」
でも、ちょっとだけ、ちょっとだけなら……
私は大和様に顔を近づける。
アア……素敵だ。
今すぐ襲いたい。
肉欲の赴くまま、交わりたい。
魔獣界の魔獣は性欲が強い。
私も類にもれない。
うううっ。
「……」
私はそっと、大和様に寄りかかる。
そして、浴衣に顔を埋めた。
「くんくん……」
アア……いい匂い。
百合の香りがする。
それと、ほんの少しの男の体臭。
たまらない。
癖になる。
「くんくんくん」
私は尻尾をぴちぴち振りながら、無我夢中に匂いを嗅いでいた。
「ハッ!?」
正気を取り戻し、距離をとる。
起きていないだろうか。
「ZZZ」
眠っていた。
なんと、今ので起きないとは……
……。
……。
なら。
「……ぺろ」
頬を舐めてみる。
はぅぅ……美味しいよぉ。
これが男の味。
強い男の味……ッ
たまらない。
「ぺろぺろぺろ」
夢中で舐める。
美味しい、美味しい……っ
「クッ、ははは、くすぐってぇぞ」
「!!!?」
私は飛びのこうとするが、大和様に抱き寄せられる。
「どうした? 発情しちまったか?」
「あぅ……あっ」
私の顔は今、リンゴより真っ赤になっているだろう。
間違いない。
顔を逸らすと、大和様は私の頬を舐めてきた。
「!!」
「おかえしだ」
悪戯っぽく笑う。
そして、私の首筋にキスをした。
私は懸命に抗う。
「駄目ですっ。これ以上は、万葉様が……」
「誘ってきたのは、どっちだ?」
「ッ」
それは……
何も言い返せない。
「お前が、いけねぇんだぜ」
「ぁ……」
大和様が顔を近づけてくる。
キスを、される。
私は震えながら、瞳を閉じて……
「……全く」
こつんと、額を小突かれた。
「駄目だぜ、人が寝てるのを邪魔したら」
「……」
私は額をおさえながら、瞳を俯けた。
……申し訳ない。
でも。
「でも……」
「でも、何だ?」
「!」
言葉に出ていた。
私は咄嗟に口を塞ぐ。
大和様は、穏やかにほほ笑んだ。
「……これから万葉に会う。だから、キスだけな」
「……っ」
私は静かに、されど強く頷いた。
私と大和様の顔が近付く。
そして、唇が重なり合った。
◆◆
数時間後。
「はひぃ……」
「もうそろそろやめとこう」
既に、大和様と私の唾液の味の区別がつかなくなっていた。
足腰が砕けてしまっている。
下着もグショグショだ。
交尾したい、なんて思えなかった。
既に事後のような、深い陶酔感の中に浸っていた。
「シャワー浴びてこい。下着、凄いことになってるぜ」
「あっ……でも、立てません」
「……しゃあねぇ、シャワーはどこだ?」
大和様に抱きかかえられる。
なんて力強い腕だろう。
「万葉と会う時、ばれねぇようにな」
「はぁ、い……」
……はたして、万葉様と会うとき。
私は元に戻っていれているだろうか?