遠い青空
使用診断お題はひとつ。
白い人工の光に照らされる設備を眺めながら辿れる記憶を振り返る。
手元のカップには『珈琲』
記憶のはじまりは見上げた空がどこまでもどこまでも青かったことだった。
目覚めたそこはジャングルの中だった。
全身が軋み、激痛が走る。それでも体を動かせば、骨は折れていなさそうだと感じた。
『かぁ』
足元でカラスが鳴いた。
カラスは飛ぶことなく歩き始める。時折り振り返りながら。
あんまりに不可思議な状況に笑いがこみ上げた。
カラスの案内で連れて行かれたのは焼け焦げた崩れかけた建物だった。
「ここは?」
『かぁ』
当然カラスは答えない。
割れたコンクリを歩きやすそうなルートを選んでカラスは私を振り返る。
「ああ。今行く」
そう呟けば、満足そうに『かぁ』とカラスが鳴く。
焼け焦げたそこは妙な匂いに満ちていた。
焦げた、燻された匂い。黒い塊がぼろぼろと転がっている。
表面の壁紙や床材は燃え熔けている部分が多く、焦げ割れたコンクリや、熔けて変形した金属、丸い割れ目のガラスが散乱していた。
『かぁ』
壊れ落ちかけた階段の途中からカラスが鳴く。まるで早く来いといわんばかりの鳴き声に私は身体の痛みを堪えゆっくりと進む。
「はっ、はは。もう少し、休ませて欲しいね」
会話が通じるなんて考えてはいない。それでも口にしなくちゃ、どこか耐えられなかった。
口に出せば私は笑っていて、そこも不思議だった。私はそんな人間だったのだろうか?
ずきんと頭痛がはしる。
目を閉じて頭痛をやり過ごす。
どくどくと血が血管を流れる音がやけに大きく聞こえる。
『アイシテル』
かすれた古いテープのような音。
目をあけると覗き込んでくるカラスがいた。
『かぁ!』
ばさりと羽根を震わせカラスは歩き出す。
すっぱりと切られた羽が見えた。このカラスは飛ぶことが出来ないのだ。頭を押さえていた手をはずせばその手はべったりと血で汚れていた。額や頭部は小さい傷の割に出血が多い。事態より派手な怪我に感じやすいのだ。
出血ポイントを押さえて少しでも止まればいいと思う。
ふらつきつつ、カラスを追う。必死にカラスを追った。
それが途切れる前の記憶。
眼前の設備には少女の裸体が浮いている。
哀れなほどに切り剃られた頭部から伸びるのは髪ではなく電極コード。
カラスに案内されてたどり着いたここは無人の研究設備。
唯一、人がいたと言えるのはこの少女だけだろう。
カラスに導かれる前の記憶はない。
それでも私がはじめに着ていた服はここの制服のようだった。
私はこの研究所に所属する研究者だったのか?
そう、私の記憶の中にそれを示すものはなかった。
誰かに助けを求めようにも生きた設備もあれば破損著しい設備もあり、外部へのアクセスが私には見つけられなかった。
生命維持には過剰すぎるほどに生きた施設はあった。ところどころ壊れた壁や天井も環境管理設備がゆっくりと直していった。間に合わない場所をビニールで覆うという手作業もあったが。
おおむね問題なく生きてきた。
気が、狂わなかったのはひとえにカラスがいたからだ。
「クロラ」
『かぁ』
自分の名と認識しているらしく、呼べば寄ってくる。
夜、私が眠ってると思う時、クロラは『アイシテル』と歌う。
私は彼女の知性を認めている。
操作画面に映されていた情報をクロラに見られないように隠した。
保護溶液の中で身体を壊死させ始めている『クロラ』を見つめ、カラスのクロラを見つめる。
不思議そうに首を傾げるクロラ。『クロラ』を見て、クロラは動きを止めた。
「……クロラ……」
名を呼ぶ以上の言葉が出なかった。
ばさりと羽音。
飛び上がったクロラは窓から身を落とす。
『アイシテル』
彼女の声はどこまでも尾を引く。
私は慌てても彼女が飛び降りに使った窓へは行き着けない。
飛べないといっても滑空はできるのではないかと思った私は外へ急いだ。
急激な動きはより身体を軋ませた。
私の身体は急激な運動に耐えれるほど、回復しなかったのだ。それとももともと、虚弱だったのか。
記憶のない私にはわからなかった。
必死に歩いた。
だんっ!
遠すぎず、近すぎもしない音が響いた。
焦燥感がせり上がり、わたしは急いだ。音の発生地へと。
そこには数人の人がざわめいていた。
彼らの一人が持ち上げている黒い物体に視界が真っ赤に染まる。
「クロラ」
胸が、腹が熱かった。
聴覚が捉えたのは銃声ではなくクロラの『アイシテル』
彼女は私を救ってくれた。
私は、彼女を追い詰めるしか出来なかった。
背後で、爆音が響く。
私の心音が途絶えれば施設は、『クロラ』も滅ぶのだ。
そして、この島に渡ってきた彼らも、苦しめばいい。
私からクロラを奪ったのだから。
ああ。
海が、
空が……青い。
思考が、……ほどけてゆく。
記憶を失った研究者とたった一言、言葉を覚えたカラスが別れるまでの話書いてー。
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