背中
使用お題ひとつ
「今日は帰さないから……」
そんなことを言ったのは帳簿を持った母だった。追い詰めてる相手は父。
父は海の生態に魅了されている人だった。
金銭面での管理は少し杜撰で、必要な機材を回すと言われたら、相場を確認し忘れるくらいに馬鹿な人だった。
父は今でも海に夢中。
年に一度メールがあるかどうか。
父は母を喪ったあとも海に夢中。
まるで現実は終わったかのように。
「アイツどうしてるかな」
久々に育った町を歩く。
変わったような変わらないような。
住んでいた町。
通った学校はここから少し離れてた。
町の子達が学校に向かう前に駅に向かった日々。
それなりに友達はいるけど、どこかどっちつかず。
母が保護者として指名していた夫婦は第二の両親だ。父に養育は無理と決めつけていたのが母らしい。
「お。マリン」
買い物荷物を持ち直して振り返れば、予想通りの男。
「ムサシ先輩」
お久しぶりですと頭をさげる。
「今日、今時間ある?」
ざっくり要求をしていいと思っているらしい対応にイラっとする。
「ありますけど」
視線は買い物荷物に。
「おっけ。ちょい時間ちょうだい。相談がある」
荷物を人質とばかりに奪われて爬虫類専門のペットショップの横手にある下り階段を下りる。
ステージをそなえた喫茶店(夜間はバー)。
友人が好き勝手やってるビルだ。
ステージ付きの喫茶店も爬虫類専門のペットショップも屋上温室も虚弱なオーナーの『してみたい』を叶えた趣味の集大成だ。
「いらっしゃい。リンちゃん」
にこりと穏やかに迎えてくれるのはオーナーで幼馴染みのトウセイ。
「いらっしゃいませ」
それとエキゾチックな女性。
トウセイが笑って女性に座っていてと指示している。
「彼女はハリエット嬢」
ムサシ先輩が紹介してくれる。新しい彼女?
「ムサシ先輩の彼女さんですか?」
「ううん。タマちゃんの。そのままタマちゃんの奥さんになるから、見知っといた方がイイだろ?」
家族ぐるみの付き合いがあるのはミコトちゃん達だけど、つまりは付き合いつながりはあるのだ。
「マリンです。よろしく。リンって呼んで」
「ハリーと呼んでくださるなら。リン」
仲良くできるかはまだわからないけど会話は出来そう。
トウセイがチャイを出してくれる。
ハリーとそれとない会話を楽しむ。式はしなくても写真は記念だと思う。大事だから撮るべきと気が着いたら力説してた。
両親も式はしなくても写真は強引に撮ったと母が言っていたのを覚えている。
家にあった写真が紛失しても正装で撮った記念写真だけが親戚の家に残ってた。母が幸せに笑ってる写真。
再婚だから。と言うハリーに問う。
「前の旦那に申し訳ないとか?」
馬鹿らしいと思うけど。
「それは、ないわね」
「じゃあ、美人さを磨いて惚れ直させなきゃ」
楽しい話題の最中にきた着信音にスッと気が塞ぐ。
「ごめん。そろそろ帰るわ。ハリー、またおしゃべりしましょ」
あたり前にムサシが送ってくれる。
「マリンもドレスにこだわる女の子だったか」
「記念写真って特別なのよ。母の写真はあんまり残っていないから」
だからウェディングドレスで笑顔な姿が一番浮かぶ母の姿。
「写真は燃えるし劣化するし破損するけど、残ることもあるわ。データの紛失とどっちが面倒かはわからないけど」
「ナーバス?」
「父からのメールがくるとどうしてもね」
ムサシ先輩は適度に無神経で困る。
一歩先を歩いていた先輩が急に止まるから背中に額をぶつけた。
「泣きたいなら背中貸すけど?」
「背中なの? 普通、胸じゃないの?」
「前でもイイけどさ。せめて今だけは素直になってみたら?」
「無神経だと思う。わかったようなこと言わないでよ」
うねる感情はままならない。
手綱のとれない感情は危険なだけなのに。
「男なんて最低」
「ぇえ?」
先輩が不満そうに声を漏らす。
「どうせ、また振られたんでしょ」
いつだって繰り返す女性関係。同性愛者ってわけじゃなく、ただ単に人非人なだけなのに。誤解されてて笑える。
「ぅっ。振られたんじゃなくて価値観の相違によって合意の上で別れただけだ」
ギュッと手を握りしめる。
先輩は人非人。人の感情を揺らしておいて自覚はしない。
私はそんなに気ままに感情を心を制御なんてできない。悔しい。
「夢を追うって素敵。母がそう言ってたのを覚えてる。夢が家族より大事なの。お父さんは」
いっそ、連絡なんかしてこなきゃいいのに。
「忘れたい?」
悔しい。
無神経な人非人の言葉と対応が。
「忘れたい。本当の父なんていらない」
忘れさせてくれないの。忘れそうな頃にメールが届く。
揺らされる幼い自分の心が悔しいて疎ましくて堪らない。
「今だけ。こうしててくれる?」
「アイツどうしてるかな」「せめて今だけは」「今日は帰さない」という3つの台詞を盛り込んで、暗いお話を創りましょう。
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