マツリゴト〜森崎隼人の場合〜
この街にバンドはたくさんある。中学生や高校生バンドから、社会人になっても本気でプロを目指すバンドまで。
この街にライブハウスがある限り、この街に音楽好きがいる限り、この街には音楽が絶えない。
ライラックは溝口結希に惚れ込んだ人間が集まったバンドだとしたら、
たとえば俺のバンドも、社会人になっても音楽を続けたいという気持ちだけで動いている。
「まつりごと、とか」
「政治って意味だろ?」
「俺たちが、この街の音楽の秩序になってやるー!なんつって!」
「秩序?音楽は自由であるべきなんじゃないの?でもその5文字はしっくりくるな」
そうやって、俺が高校生のときに《まつりごと》は出来た。
「もう少しマイクくださいー…」
そして、幾度かメンバーチェンジを繰り返したがファンもだんだんついて来て。気づいたらこんな年になっていた。
26歳、普通なら彼女と結婚を考え始めるところだが、今だに収入と休日のほとんどを音楽に費やす日々を送っている。
「大丈夫です」
俺はバンドが好きだ。
「本番よろしくお願いします」
そして毎年溢れるように才能が湧き出てくる、この街も好きだ。
俺の転機は、3年前のバレンタインのことだった。
予兆は1月の半ば頃だった。
「隼人さーんっ」
「あ、朝陽ちゃん。今日もありがとうね」
「いえいえっ、今日何番目ですかぁ〜?」
「3番目だよ!」
SNSの名前は、朝陽、だった。
その名の通り、底抜けの笑顔を持った元気な女子高生だった。
「あ、これ朝陽が焼いたんです!よかったら食べてください!」
「わぁ、手作りクッキー⁈めっちゃ嬉しい、あとでみんなで食べるね‼︎」
その分、俺は異変にも気づいてしまった。
「…どうしたの、朝陽ちゃん」
「や、なんでもないですよ!」
明らかに笑顔が曇るのを。
「何がいけなかったんだと思う?」
「ど、鈍感なのか…?」
「なんだよこいつまじイラつく」
「隼人は自分で答え出せるまで酒なーし」
その日の反省会で、何故か俺は酒を没収された。
「朝陽ちゃんはデリケートなんだから」
「マヤ、ほんと教えて」
「自分で気づかな意味ない!」
俺はそのとき気づかなかった。
朝陽ちゃんが、俺のことが好きだなんて気づくわけもなかった。
そしてバレンタインの日にたまたまライブがあって、たくさんの人から手作りや、コンビニで買った何時もより多めの差し入れを貰った。
「朝陽ちゃんからのチョコはないのー⁈」
「ごめんなさい、今日時間なくて!代わりといっちゃなんですけど、これ皆さんでどうぞ!」
女の子からのお菓子攻撃は、終演後にスタートした。
お菓子作りが得意な朝陽ちゃんが持って来たものは、意外なことにスーパー手に入る小さいチョコの詰め合わせだった。
みんながチョコに群がる中、疲れが溜まっていた俺は一旦外に出た。
毎年思うが、こんなにたくさんもらっても消費に困るんだよな…。
「隼人さん」
「ん?朝陽ちゃん」
「ご一緒していいですか?」
「帰りの時間は大丈夫?」
「家近いので、大丈夫です」
朝陽ちゃんが後を追って来て、寒い道路で2人して立っていた。
「隼人さんッ」
数秒後の沈黙の後、朝陽ちゃんがそれを破った。
「私、隼人さんのこと、好きです‼︎付き合ってください‼︎」
みんなに配っていなかった手作りのチョコレート。
まさかあの好意が自分に向けられているとは、思わなかった。
「あ、…ありがとう」
「ひっ、く」
まだなにも言ってない。ありがとうしか言ってない。なのに彼女は泣き始めた。
「朝陽じゃ、ダメですか?幼稚過ぎますか?」
「そんなことないよ、朝陽ちゃんは可愛いよ」
俺はなんと答えればいいのかわからなかった。
「返事はいつでもいいししなくてもいいです、朝陽の気持ちだけ知っていて欲しかったです」
「そっか、ありがとね」
その日を区切りに、朝陽ちゃんはどのバンドのライブにも来なくなった。
「朝陽ちゃん、さいきん来ないな」
「引っ越したんでしょ?」
「マジ?」
俺は、どうすれはよかったんだ?
「隼人…?」
「ん?いや、なんでも」
告白された、なんて言えない。
でも、俺が言わなくてよかったことに気づくのはその一週間後だった。
「あの高校生バンドのさ、ドラムの子が朝陽ちゃん好きだったらしいよ」
「朝陽ちゃん普通にかわいいもんな」
次のスタジオの時、浩也がドラム会でそんな話を持ち帰ってきた。飲んだ勢いで、暴露してしまったらしい。そして、告白したらしいが振られたらしい。
「好きな人がいる、って朝陽ちゃんが言っちゃったもんだから、そいつがその相手を躍起になって探してる」
「なんで振った相手なんて探してるんだ?」
「それがバンドマンらしいんだよ、自分より実力低い奴だったら嫌らしい」
馬鹿馬鹿しいと思ってしまった。
「まつりごとのボーカル、だったらなんて言うのかな」
「…やっぱりか」
「文句ねえ?」
「大人気ないとか言われるのか?」
「んなこと、置いといて、お前は返事したんか?」
「してない、いらないって言われたから」
正解なんてわからない、朝陽ちゃんにどうして欲しかったのか、きいてみないとわからない。
尻尾を掴まれた。
「隼人さん」
ウワサの高校生がライブ後に話しかけて来た。
「なんで朝陽を振ったんですか」
「知ってるの?振ってないよ。返事しなかっただけで」
思った以上に冷徹になってる自分がいた。
「朝陽じゃダメなんですか」
「そういうわけじゃないよ」
この高校生がなにを言いたいのかわからない。俺は振られた逆恨みだと思ってた。
「朝陽の本名は、朝比奈陽向。俺はクラスメイトでした。今入院しています」
「入院…?」
「親のネグレクトで栄養失調でぶっ倒れて、ついでの検査でかるい病気が見つかりました」
高校生は、ポケットから紙切れを出して渡して来た。
「朝陽の病室です、行ってあげてください。返事してあげてください」
「……ああ」
そして朝陽ちゃんを泣かせてしまった。
その病院は案外近いところにあった。
「陽向って名前なんだ」
「嘘ついててごめんなさい」
「気にしてないよ」
「なんで来てくれたんですか?」
「んー?わかんないっ、仕事早く終わったから来てみた」
「そ、そうなんですか」
お互いが告白のことを気にしていて、どこかギクシャクしていた。
「陽向ちゃん、告白の返事していい?」
「えっ、しなくても、いい…」
「俺がスッキリしなくてさ」
「あ、はい」
「陽向ちゃん、俺いま何歳に見える?」
「二十歳超えてますよね?」
「うん、23歳。バンドマンがファンに手を出すのもちょっといけないことだし、正直陽向ちゃんみたいに可愛い女子高生に手を出したらアウトなんだよ」
「……」
「ごめん、返事になってないよね」
「そういうことなしだったら、私じゃだめなんですか?」
「…陽向ちゃん」
「私じゃ、ダメですか」
「俺、陽向ちゃんのことなにも知らないよ」
「じゃあ知ってください」
「バンドばっかりでどうせ構ってあげられないし」
「二の次でいいんです」
「陽向ちゃんの幸せ、そんなんでいいの?」
「それでも、隼人さんに愛されたい」
上目遣いでそう言われれば、理性が壊れてしまいそうで。
「っあ〜〜、ダメだよ反則だよそれ」
思わずしゃがみ込んだ。
陽向ちゃんがベットから降りて来て、顔が俺と同じ高さに来た。
正直好きかどうかなんてわからない。でも目の前にいるか弱い女の子を守りたい。
「ごめんね」
その言葉で、泣き顔になりそうな陽向ちゃんにキスをした。
「俺が守るよ。陽向ちゃんのこと」
「隼人さ、」
「付き合おっか」
小さいからだを引き寄せた。
恥ずかしながら初めてのことだった。
それから3年経った今、
「隼人ーっ、授業終わったー!」
「おー、早く帰ってこい帰ってこい」
21歳になった陽向と、一年前から同棲している。
だからこれに限ってはハッピーエンドの話。