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後篇


 青年とおひめさまが並び歩く姿は、それはそれは夢のように美しく、心を凍らせるほど寒々としたものでした。

 無垢なおひめさまは、純真なこころのまま青年を欲し、青年はそれを凍てつく心のまま受け入れたのです。

 

 「そなた、名をなんという。先ほどから名乗らぬがそれは無礼であろう?」


 大広間の中央の、光が一番綺麗にあたる場所で、おひめさまはいまさらながらに青年に問いました。

 仮にも王が開く舞踏会に素姓の分からないものが入る隙などないのですが、広間にいる誰も、そして当の青年自身も素姓を語ろうとしないことにおひめさまは眉をひそめます。

 青年を当惑気味に見上げるおひめさまに、青年は冷たい笑みを向けました。

 おひめさまは生まれてこのかた、冷やかな笑みなどむけられたことはありません。王さまやお妃さまはいつも慈愛に満ちた笑みで、まわりにいる侍従たちは人形のような笑みを、貴族たちは少し青ざめて引きつった顔でおひめさまの前にいたのです。始めてみる表情に、おひめさまは首をかしげるばかりでした。

 微笑むばかりで何もしゃべろうとしない不遜な青年に、もう一度だけ問いただそうと口を開こうとした途端、楽師たちが音楽を奏で始めました。

 しかたなしにダンスの始まりの礼を可愛らしくとると、おひめさまと青年は手に手を取って、ダンスを踊り始めました。

 くるくると大広間を回りステップを踏むおひめさまと、そつなくダンスをこなす青年は注目の的でした。

 それもそのはず、青年はおひめさまに臆することなく踊ることができたからです。

 おひめさまは嬉しくなりました。

 今までダンスをしても、相手を務めるものがいつも身体が堅くこわばり、そして小さなミスを繰り返すためにおひめさまはダンスを楽しいと思ったことは一度だとてなかったのです。

 おひめさまの立場に気負いなく踊ることができる相手とダンスをすることがこんなに楽しいものだなんて思ってもみませんでした。

 おひめさまは曲が終わっても、また曲が終わっても、青年の手を離すことはありませんでした。

 青年もおひめさまが望むまま、ダンスの相手を努めていました。

 周りにいた貴族たちはほっと息を吐き出します。

 青年がおひめさまと踊る限り、おひめさまの不興を買うことなく、またこの舞踏会を少しでも楽しむことができるからでした。

 そうして大広間は奏で続ける音楽と人々のざわめきと衣擦れの音で満たされていきました。


 「ああ、楽しい」

 

 おひめさまはくるくると踊り続けながら、青年に笑いかけました。

 

 「そんなに楽しいですか」


 青年は薄く笑いながらお姫様に言いました。


 「楽しい。このようにダンスが楽しいものだとは思ってもみなんだ」


 白い頬を蒸気で真っ赤に染めたおひめさまは、それはそれは嬉しそうに青年に微笑みかけます。その姿は人々が知る、恐るべきおひめさまとは似ても似つきませんでした。

 青年はおひめさまの無垢な笑顔に虚を付かれ、おひめさまの腰にあてていた手に力を込めて引き寄せました。

 

 「……なんじゃ」

 

 折角の楽しい気分を殺がされて、おひめさまは少し不機嫌に青年を見返しました。

 すると、どすっと何かが当たった音が身体を伝って響き、それとともに身体が思うように動かなくなりました。


 「……な、ぜ」

 「あなたは無防備になりすぎたのです」


 信じられないほど艶がある声で、青年はおひめさまに語りかけました。


 「あなたの言葉でどれほどの人が悲運に涙したか、知っておられますか?あなたの行動一つがどれほどの人をおそれおののかせているか知っておられますか?……いいえ、あなたは何も知らない。知らないと言うことがどれほど罪深いことかも知ろうとはしない」

 「……なにを言っておる」

 「あなたは何も望まなかった。友人以外は。でもあなたの望んでいるのは友人では決してない。あなたはただ不愉快に顔を顰めるだけ。それだけで人が死んでいくことを知ろうとはしなかった」

 「わ、わらわは人を殺してなどいない」

 「そう。あなたは直接殺してはいない。けれども王は?その妃は?あなたが不快だと感じただけで、その原因の人間に死を与えました。あなたが欲しいといった友人たちはみな、そのあと自分の運命に絶望して自害したのです。直接手を下していないとはいえ、あなたの言葉は人に死を与える。そのことを知ろうとしなかったのはあなたの罪。その罪を償うときが来たのです」

 「そなた……誰じゃ」

 「わたし?わたしは……」


 その時、二人の様子がおかしいと気付いた貴婦人がおひめさまのおなかに刺さったナイフと真っ赤に染まり始めたドレスを見て、甲高い悲鳴を上げました。

 音楽を奏でていた楽師たちはその声にぴたりと動きを留めて、大広間に妙な静寂を与えました。

 衛兵たちの行動は素早く、声の主が指さす方向に目を向けると、そこには今にも倒れ崩れそうなおひめさまと、それを支える青年の壮絶な笑顔がありました。

 

 「わたしは、あなたのために道を外した王によって罪もないのに地下牢にやられた宰相の息子。王の非道を諌めたために何年も腐った水を与えられた男の息子。そうして、罪もない人々の嘆きを受けてこの国に根づいてしまった悪を滅ぼしに来た者」


 凛とした声が静かな大広間に響き渡りました。

 それと共に王さまとお妃さまの座る玉座に向かって、血にまみれたおひめさまの身体を見せつけるように向けると、宰相の息子は高らかに宣言しました。


 「王よ。あなたはこの娘のために国民に何をした。この娘が生まれる前の、尊敬すべき王はどこにいった。たった一人の娘のために愚王になりさがり、守るべき国民をないがしろにし、道具にし、血がなくなるまで絞りとって、この国を滅ぼしていることに今だ気付かぬか。豊かなのはこの城に住まうたった一人の娘のみ。満足するのは王とその妃のみ。それが国の頂点に立つ者のすることか。見よ、私の意思に添う者の数を。見よ、王を討とうとする者の数を。私は王を倒し、この国に安らぎを与えることを誓おう」


 鬨の声が大広間に上がりました。

 虐げられていた人々が、王に謀反を起こしたのです。

 その中には王族を守るべき近衛兵がいました。王族に従うべき貴族がいました。いつ殺されるかと恐れていた女官や侍従たちがいました。

 宰相の息子に力を貸したのは、大広間にいるほとんどの人だったのです。

 そのことを知らなかったのは、外の国からやってきた使者たちや一部の者たちだけでした。唖然とする彼らは広間の隅に追いやられ、謀反の一部始終を蚊帳の外から見ることになりました。


 王さまもお妃さまも、驚くほどあっさりと捉えられました。

 なぜなら彼らの大切な娘であるおひめさまがすでに敵の手に落ちていたからです。

 どくどくと血を流し続ける娘を悲痛な面持ちで見ていた二人は、宰相の息子に嘆願します。


 「どうかひめの命を助けてやってくれ。ひめは何も悪いことなどしていないではないか」


 さめざめと泣きながら訴える二人に近寄りながら、宰相の息子は呆れて言いました。


 「何も悪いことなどしていない?」

 「そうだ。ひめは何一つ悪いことなどしていない。あんなに小さく生まれたひめがやっとここまで育ったというのになぜそなたはひめの命を断とうとするのだ。それはあまりにも酷というものだろう」

 「そうです。やっと、やっとここまで大きくなったと言うのに、なぜその命を積もうとするのです?わたくしたちは親として当然のことをしてきたまで。ひめに罪はあるはずもなく、私たちにもあるはずはないでしょうに」

 「お前たち、それを本気で言っているのか?」

 「当たり前だ!親として当然のことをしているだけで、なぜこのような目にあわねばならぬ。なぜ何の咎もないひめが刺されなければならぬ。早く手当てをしてやってくれ。あのように血が流れてしまっては死んでしまうではないか」


 王さまは人目もはばからず泣きました。

 お妃さまも人目をはばからず泣き崩れました。


 この期に及んでも娘のことだけを重んじ、自分たちには非がないと言いきる王さまとお妃さまに、宰相の息子は最後の決断を下しました。

 国の王でありながら、娘のことだけを考え、国民のことをおろそかにした王さまは、その醜く歪んだ顔のまま、宰相の息子の手によって首をちょんぎられました。

 国の母でありながら、娘のことだけを考え、国民のことをないがしろにしたお妃さまは、その泣きつかれた顔のまま、王さまの頭の横に並びました。

 何も知らず何も考えず、王さまとお妃さまによって純真無垢のまま非道に走った娘は、目の前に置かれた二人の頭を何の感情も浮かべることなく交互に見続けると、その美しい瞳をゆっくりと閉じました。


 こうして娘のために国を傾かせた王さまとお妃さまは、その所業に相応しい最期を迎えたのです。




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