第8話 解呪失敗、喋る姫さん〈片言〉
一週間後、シェスタの用意した部屋に解剖医と聖職者がそろった。聖職者は、シェスタがやるらしい。都警察の解剖室を貸してもらった。都警察とずぶずぶである理由までは教えてくれなかった。
「解呪はあんたがやってくれるんだろ?」
「はい」
シェスタが応える。
「先に伝えておきたいことがある、妹が起きたら席を外してほしい。この子は俺にしか心を開かない。引っ込み思案なんだ。人がいると戸惑って喋りもしない。それから顔のヘルメットは施術中も取らないでくれ。嫌がるんだ、顔を見られるのを」
このくらいの嘘でどうだ、いけるか……。
「わかりました」
いけた──。
解剖医も頷いて、
「問題ありません」
こうして検査が始まった。
「おそらくは出血性ショック……破傷風……ここから感染したのでしょう」
解剖医が姫の全身を確認したあと、足首で手を止める。
「ここ、左右から食らいついていますね。これは……」
悩んだあとに、解剖医は「トラバサミ?」と呟いた。
「左右とも同じ高さ……同じ位置ですね。はい、トラバサミか、そのようなもので間違いないでしょう、あくまで仮説ですが」
「妹さんは何者かの罠にかかってしまったのでしたよね?」
「ああ。少し目を離して、見つけたときにはこうだった」
トラバサミってワードが出てきて肝を冷やした。脇汗がやばい。すげーな、解剖医って奴は。
「それは本当ですか?」
解剖医が真剣な眼差しを俺に向けた。
「少し目を離していただけですか? 事前にシェスタ様より事情を伺っています。つまり、彼女が生きていた時間から死体が見つかるまでの時間です」
「……一時間? くらいだったかなぁ」
解剖医が神妙な顔でうつむく。
言ったあとに俺は気づいた。確かに、それはおかしい。早く死に過ぎだ。
シェスタのせいでもある。たかが大蛇ごときで詰問しやがって。薬をギルドで買ってすぐ出るはずだったのに、あのときは足止めを食らった。
だとしても五〇分くらいか。一時間もかかっていないくらいだったと思う。
「呪いの影響でしょうか。骨が粉砕していてもいいはずなのですが、粗方細胞を含め、元に戻っています」
「そうなのか?」
俺は聞き返しながら、だから姫は歩けていたのかと納得した。腐っても歩けるゾンビ的なものとは違うということか。
「はい。傷も塞がりかけていますし。解呪のあと、輸血を行うくらいでいいでしょう。それで様子を見ましょう。しかし……不可解ですねぇ。膿が出るまでには半日から一日程度かかるかと。もちろん私は霊廟内部を見ていませんし、環境や、条件次第で変わりますが。一時間程度で亡くなったということであれば、化膿しているのは不自然です。それに、そもそもこの程度の傷で、一時間ほどで人が亡くなるとは思えない。本当にこの女性は一時間で亡くなったのでしょうか」
しばらくの沈黙が流れ、解剖医が口を開く。
「私から説明できる仮説は、あなたが時間を誤認しているか、損傷が途中で変化したかです」
「俺が時間を間違っていないとすれば?」
「私は呪いについてはわかりません。個人的には、アンデッドの呪いが死を早める、などといったことがあり得るのかどうか、そんなことをいま考えていました」
「死を早める……」
シェスタの方を見た。彼女は首を振った。
わからない、ということだろう。
シェスタが銀色の解剖台に寝かされた姫に魔法銃の銃口を向ける。解呪が始まった。それを終えると、解剖医とシェスタが輸血の準備に取り掛かる。
輸血が始まると約束通り、ひとまず二人には退室してもらった。
二人が完全に捌けてしばらくあと、俺は解剖台の姫へ告げた。
「お姫様、約束は守った」
「──違う」
何か聞こえた気がした。籠った声だった。
「あなた……約束、破った」
声は、鉄の処女の頭部を模したヘルメット、その中から聞こえた。
輸血チューブがはじけ飛ぶ。
ベッドから黒い影が飛び上がった。その先を目で追うと、天井隅にミナリス姫が悪魔のようにへばりついていた。
「生き……返ったのか?」
おかしい。生前の姫にあんな動きはできなッ──。
「シャアァ!」
奇声を発し、姫が俺へ飛び掛かってきた。とんでもないスピードだ。俺は反応すらできず、そのまま床へ押し倒された。
「人、死ぬ……二一グラム、軽くなる、らしい……私、軽い?」
「何言ってんだ、どいてくれ」
「あなた、私、置き去り、した。ずっと暗い、暗い……怖い。私、ひとり」
「霊廟でのことを言ってんのか? 悪かったよ」
「あなた、わたし、服脱がした。裸にした」
「はあ?」
「体、勝手……洗った」
「あ……」
──忘れてた。
あれは霊廟からイディエットの質屋地下へ、姫を移動させたあとのことだ。あの地下は彼の寝室を兼ねていた。彼がニンニク臭い、死体の傍で寝たくないというので、結局オークションまでの半月、姫は俺と木賃宿にいた。
『ううう……』
自分の唸り声で目が覚めた。
夜中だった。窓から月明りが差し込んでいた。
部屋がニンニク臭さかった。鼻を押さえ、上体を起こそうとして気づいた。俺の腹の上に、姫が倒れ込むようにして眠っていることに。
姫を腹から下ろし、布団を出て宿の庭にある薪で火を焚き、お湯を作った。
それから浴室の水と混ぜ、ぬるま湯をつくった。
躊躇いはなかった。
その頃は、まだ鉄の処女のヘルメットはしていなかった。外出時は簡単な目隠しマスクをさせていたが、外出は宿と質屋の往復ぐらいしかしなかった。
布団に倒れ込む姫の上体を起こし、服を脱がせた。
素っ裸にし、猿ぐつわを外し、多めに十字架のネックレスをさせ、足と手の拘束具を外して浴室へ運んだ。
ぬるま湯を姫の体にかけ、いつも俺が使っている石鹸を、彼女の体全体にくまなく擦り付けた。背中、腋、股のあいだ──。
髪の毛も洗った。
『悪いが、トリートメントなんてもんはないんだ』
植物系の油から抽出したオイルトリートメント剤的なものは売ってるが、高価だし、そもそも俺には不要なのでここにあるはずもない。
『明日買ってくるよ。今日はこれで我慢してくれ』
太ももやふくらはぎも洗った。足裏も。
泡を洗い流し、清潔なタオルで拭き取り、姫に俺の普段着をあてがった。シャツとジーパンだ。猿ぐつわを再度つける。
彼女のせんべい布団にもニンニク臭がついていた。
『これも洗うか』
ひとまず姫を俺の布団へ寝かせた。
──ということがあったことを思い出し、記憶の彼方から戻っくると鉄の処女のマスク、その二つ穴の向こうに、以前よりも人間に近い眼が見えていた。
「悪かった。あのときは、すげぇニンニク臭かったんだ」
「謝ってない」
「……どう謝ればいい?」
「あなた、何が悪い、わかってない。あなた、私……箱に詰めた。ニンニク、十字架……たくさん。私、あなた、質屋、許さない」
「イディエットのことを言ってんのか? てか何で知ってんだよ」
「見てた、ずっと。ずっと、意識、あった」
……まじかよ。
ん? どういうことだ?
これまでずっと、意識があったってことか?
「あなた、私、胸、揉んだ……殺す」
「揉んでない!」
俺は引き攣る悲鳴を上げながら、するりと姫の股から抜け、壁まで走った。
いま外へ逃げたらまずい。外には解剖医とシェスタがいる。彼女が存在するはずもない妹でなく、この国の王女だとバレたら終わりだ。
「なんで、逃げない? 外、逃げればいい。わかってる、あなた、逃げれない。バレる、恐れてる」
「悪かったって。てか何で片言?」
「呪い、うまく、喋れない。トキオ……殺す」
来日する外国人の下手な日本語みたいだ。
姫の跳躍力が半端ない。縮めて伸ばすと、姫はミサイルのように飛んできて、鉄の処女の頭が俺のみぞおちへ直撃した。
走馬灯が見えた。オペラホールの絢爛が……。
ニューゲート監獄へ連行されなくとも、ここで死ぬような気がした。
何とか助かったのは、姫が俺の腹に飛んできて、そのまま動かなくなったからだ。
ミナリスは気を失った。
そのタイミングで解剖室の扉が開く。シェスタが入ってきた。俺と姫を見つけるなり、「ごめんなさい」と頬を赤らめた。
何か卑猥なことでも想像したらしい。妹だと伝えたはずだが? Sランクは性癖趣向までSランクなのか。
解剖台へ姫を上げたあと誤解を解き、俺はシェスタに説明した。
「天井にへばりついた?」
「悪魔みたいだった。すごい力で押し倒されたんだ。妹は機嫌が悪かった」
「アンデッド成分か残ってしまったのでしょうか。完璧に解呪したはずなのですが」
「アンデッド成分? なんだそれ」
調べさせていただいてもよろしいでしょうか、とシェスタが姫へ銃口を向ける。何をしていたのかわからなかったが、しばらくして彼女は首を捻った。
「何か別のものを感じます」
銃口がそのまま俺へ向く。
「トキオ様、でよろしかったですよね」
初めて名を呼ばれた。俺は頷く。
「何で俺に銃口を向ける?」
「最近、誰かに呪われたりしてませんか?」
「呪われる?」
俺の目は宙を漂い、
「さあ、してないと思うけど?」
「そうですか? でも呪われていますよ?」
「へ?」
「間違いありません。トキオ様に呪いがかかっています。それが干渉し、妹さんの呪いが完全に解けなかったのです」
閃いたように言ったシェスタは、俺の解呪を始めるも──。
急に衝撃波が発生した。まるで俺に弾かれるようにして、彼女は壁まで飛んで行った。
「何してんだ?」
シェスタは腰をさすりながら、痛そうな顔で立ち上がる。
「弾かれました」
大根芝居みたいな飛ばされ方だった。痛がり方も含めて。
「申し訳ございません。どうやらその呪い、わたくしの力では解けないようです」
「妹のは?」
「先にトキオ様の呪いを解かないと」
「あんたSランクだろ?」
「申し訳ありませんが、トキオ様にかかっている呪いは、かなり高位のもののようです。何か心当たりはありませんか?」
「ないよ。普段豚鶏しか狩ってないし……豚鶏の呪い? 殺しすぎたか?」
「彼女がアンデッドになった霊廟、あれはたしか、ゼフ王の地下霊廟のことだと言っていましたよね」
「ああ」
「何か関係があるのでしょうか」
「さあ、低ランクの俺に聞かれてもなぁ」
「呪いがあるとすれば、あそこでは?」
彼女は考える素振りをしたあと、
「ひとまず、私はデルカへ戻ります。霊廟が気になりますし、エルフェレン殺しの犯人もまだ捕まっていません」
「まだ言ってんのか、それ」
執念深い女だ。大して証拠もないだろうに。
あるとすれば、俺が飛剣術を使った際に砕けたあの短刀くらいか。婆さんが聴取でもされればヤバイだろうが、あれ以来婆さんをデルカで見かけたことはない。
「わたくしは今日にもデルカへ出発するつもりです」
「他の仲間と冒険しないのか? ほら、デカい鉄鎧と紫の魔女がいたろ」
「パーティーはすでに解散しました」
「解散……」
「リーダーであるエルフェレンが亡くなり、我々は統率力を失いました。失って初めて気づきました。あのパーティーは、彼によって束ねられていたのだと」
あのパーティー、とそう言った彼女の言葉には哀愁が漂っていた。俺のせいで過去のものになってしまったようだ。
「今日じゅうに出発したいのか?」
「都で何かご予定でも?」
「そういうわけじゃないけど、疲れてるし、せめて一泊していきたい。呪いが解けたばかりの妹に、いきなりあの退屈な馬車移動をさせるってのもな」
馬車移動はとにかく尻が痛い。霊柩馬車はマシだった。この女と同行すれば、行き同様Sランク専用馬車に乗れる。尻は多少マシだ。
「構いません。では明日の昼頃、出発いたしましょう。馬車を手配しておきます」
「助かる」
「霊廟ですが、いまは初心者冒険者が出入りする、比較的安全性の高いエリアと伺っています。しかしトキオ様の症状を鑑みるに、過去の検査員が判断を誤った可能性もあります」
「エリアレベルが上がるとか?」
「再検査の結果次第です。わたくしひとりの判断で決まるわけではありませんが」
解剖室を出たあと、都警察の建物の前でシェスタと別れた。
「アンデッドの再生能力で足の傷は完治。呪いも解けた」
「半分だけ」
目を覚ました姫さんが不満げに言う。傍に都警察の建物、遠くに王族の暮らす宮殿が見える。
「半分は解けた。十分だろ、普通に話せるんだ」
普通に話せるとは言い難い。
姫さんがヘルメット越しに、自分の左目を指さし、見ろと言わんばかりに主張してきた。
「何?」
「んッ!」
「だから何?」
「目、黄色……光ってる、不気味!」
「カラコンだって言えばいいだろ。家出少女が男の影響で柄悪くなって帰ってくるなんて、よくあることだ。入れ墨じゃないだけマシだろ」
「カラコン?」
鉄の処女のヘルメットが傾く。カラコンは、この世界にはないのだろうか。
「何が問題なんだよ」
姫さんをこのあと家に帰し、明日シェスタと落ち合いSランク馬車でデルカに帰る。呪いが解けたんで妹は親戚に引き渡した、とでも言えばいい。
そう思ってたのに……。
「父様、びっくり……帰れない」
「自分のことだろ。足の方は助けてやったんだ。あとは自分でやれ」
「乗り掛かった舟」
「は?」
「協力、して」
「あのなぁ……」
強情なお姫様だ。誰でも頼めば助けてくれると思ってやがる。
「手紙、出したい」
「誰に?」
「父様」
「出せばいいだろ」
「お金、ない」
「宮殿に帰って取って来いよ。衛兵に言ったら手紙代くらいくれんだろ」
「宮殿、戻る」
「そうだ、宮殿に戻ればいい。宮殿に戻って……ん、宮殿に戻る? 戻りたくないんだろ?」
「宮殿に戻って、手紙置いてくる──」
宮殿へ着いたのは日暮れごろだった。敷地内は高い塀で守られている。正面玄関から入るしかない。
「どっから入るんだ。不法侵入するつもりじゃないんだろ?」
「ここ」
姫が塀を指さした。
そのうち察しがついた。
「まさかあの『死体走り』で……」
解剖室で姫が見せたあの素早い動き、股の力、壁や天井を登り歩く力のことだ。ネーミングはとっさに浮かんだ。
姫さんがいきなり、俺の顔の前に指をぴんと立てた。
「何だよ」
「いい?」
「何が」
「逃げない、トキオ」
「……ああ。逃げないよ」
姫がいなくなったら逃げようと思っていたところだった。
「逃げたら、あなた、不利」
「不利?」
「あなた、私、胸揉んだ」
「揉んでないって言ってるだろ」
ヘルメットがガチャガチャ動く。首を振ってるらしい。
「あなた、逃げる。私、あなた、わいせつ罪、訴える。刑事告訴」
それだけ言うと、姫は四足歩行で塀をよじ登っていった。足の引っかかる場所が何もない、つるつるの塀を。
「霊廟が生んだ野生動物だな」
あのとき見捨てとくんだったなぁ……。
人を助ける余裕なんてなかったはずだ。糞真面目に応急セットを買い、脱水症状気味の姫さんを気遣い水まで買った。あのときの俺は愚かだった。
二十分ほどして戻ってきた姫さんの左肩に、レミントンのようなショットガンが担がれていた。
「書き置き……した」
塀を死体走りで下りてくるなり、姫さんはそう言った。そのときの彼女の声が、二十分前よりもすっきりしているように思えた。
「それは?」
姫の背のレミントンが気になった。魔法銃だろう。
「私の」
ヘルメットの奥で、左目が黄色く光っている。




