第6話 オークション会場〈変態貴族の集まり〉の急襲
翌日の暮れ際、
「金だけ受け取ってトンズラとかないよな?」
円環の噴水にイディエットと二人して腰掛ける。遠くにオペラ・シャルルの正面入り口が見えている。
「いちど闇に踏み入ったら逃げることはできない」
「何だそれ」
「闇はどこへ逃げようと地平線の彼方まで追ってくる。俺はもう、何があっても質屋を辞められねぇ」
「本当は辞めたいのか、この仕事?」
「俺が逃げないことだけは信じてくれていい」
話をかわされた。
「信用に関わる。金をくすねたりもしない。俺を利用する顧客相手には、俺は正直だ」
イディエットが煙草をくれた。咥えると彼の両腕が伸び、マッチ棒の火が近づいてきてきた。軽く吸って火が着くと、俺は煙を肺いっぱいに吸い込み、遠くのオペラ座へ入ってゆくその人影に吹きかけた。
「競りが始まる。吸い終わったら行くぞ」
煙草を楽しんだあと、俺たちはオペラ座へ向かった。
オペラホールは一階から六階まで人でいっぱいだった。
「みんな仮面をつけてる」
ベネチアでカーニバルの際に着用される仮面に似ていると思った。日本にいたころ、ベネチアの風景をインターネットで探すのが好きだった。
「俺たちのは?」
「出品者は顔を隠せない。やましいことはない、堂々と出品する。偽物でない証拠だ。言ったろ、いちど闇に踏み入ると逃げることはできねぇって」
「……なるほど」
俺たちは見られてるってことか。
オペラホールの防音扉が締め切られ、しばらくすると仮面をつけた司会がステージに現れる。競売参加者たちへ説明した。
いきなり始めるのかと思ったが、妙に丁寧で、長ったらしかった。不敬不遜な冒険者たちのように振舞ったり、遮る者はいない。みな、静かに彼の言葉を聞いた。
ステージに商品が運び込まれると、アコーディオンみたいな音色が流れた。ムードを持たせつつ「こちらはある歌姫の中絶時、そのミイラです」とさらっとエグイ商品紹介が始まり、それが終わると司会がいずれ「では始めましょう」と言って、徒競走みたいな銃声を鳴らした。硝煙が流れる。火薬の匂いがする。
どこかの座席で番号札が上がると司会が指をさし、「436番!」とよく通る声で読み上げた。番号は席順ではなく、ばらばらで不規則なように思えた。
「もうありませんか? ありませんね? では819番の方で決めさせていただきますよぉ──」
じらしながら会場全体へ伺ったあと、司会が金色のベルを鳴らす。ベルの音がホールへ響いた。
「819番、落札です!」
会場が拍手で満たされた
「すげぇだろ」
イディエットが言った。
俺たちは舞台袖から客席を眺めた。日本にいたころ、こんな光景を見たことはなかった。コンサートホールで市の交響楽団の演奏なら何度から見たことがあるが、ここはそれよりも金の匂いがする。人がぎらぎらしてる。
「旦那、次の次だ。保管庫へ行くぞ」
イディエットに知らされ、いちどステージ裏を出る。
それは保管庫へ向かう道中だった。回廊のような大きな一般通路だ。
「どうしてあなたがここに……」
すれ違いざまに声をかけられた気がした。振り返るとベネチア仮面が俺を見ている。仮面の奥の目玉が、驚いているように見えなくもない。
気のせいか。俺でなく、別の奴へ話しかけたとか……。
「どうしてあなたがここにいるのですか!」
女の声だった。明らかに俺を見ている。そして、どこかで聞いた声である気がするが……。
「どこかで会いしましたか?」
イディエットが次の曲がり角の先で待っている。大声で「旦那!」と呼んだ。
「いま行く!」
返事をしたとき、両肩を強く掴まれた。
「ちょっと、何だよ」
仮面の女が掴みかかってきた。
「逃げなさい」
「はあ?」
「いますぐ逃げなさい。まだ間に合います。騙されたのですよねぇ? 豚鶏しか狩れないからと、都合のいい値段で雇われたのですよねぇ」
「何を言って……」
「旦那、何やってんだ、時間ねぇぞ!」
曲がり角へ消えたイディエットが引き返してきて、いら立ちを含んだ声で呼んでいる。
「放せよ」
解放された俺は、仮面の奥の瞳を確かめながら、その場を立ち去った。
「何やってんだ」
合流するとイディエットに悪態をつかれた。
「何か変なやつに絡まれた。いますぐ逃げろ、とか言って」
「何だそれ」
「……ん? 何であいつ、俺が豚鶏しか狩れないの知ってんだ?」
声に聞き覚えがあったが、どこで聞いたのか思い出せない。
まあ、女なんて星の数ほどいる。禿げて以降、俺には無縁だが……。
保管庫へ行って棺台車を取り、イディエットとステージ裏まで運んだ。保管庫を出るとき、ガラスケースに入ったレイピアの姿を目に焼き付けた。
絶対こいつを手に入れてやる。
そしたら本格的に飛剣術の練習をしたい。冒険者ランクの認定テストを受け、Sランクを目指すのもいいだろう。未来は明るい。
「遅いぞ、司会が待ってる!」
ステージ裏へ戻ってくるなり、トランシーバー的なものでやりとしている男に怒鳴られた。すんません、と俺が謝っておいた。
「ほおん、これが例の品ねぇ」
傍にいた別の関係者が、姫の入った棺の上端をパンパンと叩く。その瞬間、イディエットが彼の腕を素早く掴んだ。
「その手、どけてくれねぇか?」
イディエットの眼光は、まるで年期の入った警察官のような三白眼だった。知らない他人に見えた。背筋が冷えるような目だ。
「ホールに集まる贅沢な連中の求める品だ。あんたの時給で賄えるか?」
男はさっと腕を引いた。
「わ、悪かったよ」
「いんや」イディエットは首を振る。 「悪かったのはこちらの方だ。遅れてすまない」
初めてイディエットが怖い奴だと思ったが、闇商人なのだからそりゃそうか。そんなことはどうでもいいとして。
「旦那」
イディエットが小声で俺を呼ぶ。
「ん?」
「司会が呼んだら、これをステージの中央まで持ってく。いいな?」
「わかった。そのあとは?」
「それだけだ」
司会が「では次へまいりましょう。本日の目玉商品です!」と声高らかに紹介する。ホール内の明かりが落とされ、暗くなり、ステージ上がライトアップされる。そのタイミングで、「旦那、いまだ」とイディエットが知らせた。
イディエットひとりで動かせるだろ。そう思いながら、俺はイディエットが押す棺台車の前に立ち、持つフリをした。
「ご覧に入れますは、世にも珍しき棺。バークアンドヘア殺人事件でおなじみの墓荒らしが、死体だけ抜き取って放置した安価な棺……ではございません」
会場からささやかな笑いが起きる。
「重要なのは、その中身です。お集まりの皆様ならご存じでしょう。先日、ここ首都ペントシェスタにて、王宮から王女殿下が行方不明になったそうです。原因は未だ不明」
そのタイミングで、俺がイディエットへ最初に渡した、姫の身に着けていた衣服やネットクレス、靴の入った銀のトレイと丸テーブルが、俺たちのいるステージ袖の反対側から持ってこられた。
司会がネットクレスを手に取り、
「こちらは王家の紋章にございます。鑑定士に調べさせました。もし間違っていたら舌がなくなると思え、──そう脅したのですが、鑑定士は『間違いない』と言ったそうです」
トレイにネックレスが戻される。
立てかけられた棺を示すよう、司会が手を広げた。
「もうお分かりでしょう。この棺に何が隠されているのかを!」
司会は棺に手をかけ、
「それではご覧にいれましょう。ご開帳!」
棺が開き、眠る姫の姿が露わになる。
司会が咽た。
「な、なんだこの匂いは! 防腐処理してないのか?」
司会が俺とイディエットへ小声で言う。
イディエットが小声で、
「違う。彼女はアンデッドだ。事前に連絡したろ」
「何だと!」
露骨に驚く司会。彼は咳払いし、気を取り直し客席へ振り向く。
「ええ……お見えになりますでしょうか? 六階席のお客様方、いかがでしょう」
客席はスタンディングオベーション。六階席の欄干から万華鏡みたいな単眼鏡を手に、身を乗り出す人の姿も見える。
「ミナリス・ワルスワン殿下です」
会場から盛大な拍手が巻き起こった。俺は、花火大会を思い出していた。観客の拍手が、まとまると花火の破裂音のように聞こえる。
「そして、とても重要なことをわたくし伝え忘れておりました。こちら、ミナリス殿下ではあるのですが、もう一つ特典がございます。こちら、ただの遺体では──」
そのときだった。
客席中央だと思う。
何かが投げ込まれた。どこからか。
ホール全体の照明がまだ落とされたままなので、よく見えない。直感で、何かヤバイと思い、「イディエット」と声をかける。彼も気づいたようで、頷いた。
瞬間、ホール中央から白い煙がいっきょに広がった。
「スモーク? 催涙弾?」
「旦那、棺を持って逃げるぞ」
「え、どういう……」
ホール内に次々と煙が発生している。大量の咳き込む声と混乱が聞こえ、逃げ出す客の姿がちらほら見えた。
イディエットがステージ中央へ飛び出していった。俺も従った。
立てかけてある台車を機能をいじり、イディエットが元の横向きの状態へ戻す。
閃光がステージに飛んできた。おそらく魔法銃だ。目の前で司会が撃たれ、血飛沫が散った。
その場に倒れた司会のベネチアマスクを俺は剝ぎ取った。
「イディエット」
彼へ投げ渡す。ジェスチャーで被るように伝えた。
頷くイディエットへ、
「トレイの品は?」
「諦めよう。姫だけでも回収したい」
イディエットの考えに従った。
ステージ裏から出る際、あたふたしているトランシーバーの男をぶん殴り、倒れたところを踏んづけて仮面を剥いだ。俺も顔を隠した。
通路はオペラホールから出てきた客でごった返していた。
遠くにウィッチェンの姿を見つけた。ベネチアマスクを着けている。なぜ本人だと分かったかというと、その低い背丈と、赤いレイピアの入ったガラスケースを抱えていたからだ。
客を棺台車で半ば轢き潰すように押しのけながら──多分何人か足を轢いた──ウィッチェンのところまで向かう。
「何があったのですか」
俺が訊こうと思っていたことをウィッチェンが言った。
「わからん」
イディエットは苛立ちながら、
「会場が煙まみれだ。何も見えねぇ。だが魔法銃の閃光が見えた。オペラ座に何か紛れてやがる」
「早く出た方が良さそうですな。正面口は都警察に封鎖されています」
「都警察だと? どうして」
「わかりません」
状況がわからない。このイベントは闇で行われ、知る人ぞ知るもののはず。
「警察ってことは、誰かが何かリークしたとか?」
俺はよくわからず質問した。
「リーク?」
とイディエットが訊き返し、
「いや、リークしても意味ねぇ。このオークションは警察もグルだ」
「え?」
「だからおかしいんだ。連中も知ってるくせによ」
「不穏さを感じます」
「一緒に逃げるか? 裏口から」
イディエットが提案するとウィッチェンが、
「そうですねぇ。ここはお言葉に甘えさせていただきます」
俺たちは裏口の霊柩馬車へ急いだ。
搬入口はまだひとけが少なかった。馭者が俺たちの馬車で待っている。イディエットと俺で馬車の後部に棺を固定し、その間にウィッチェンが先に乗り込む。俺たち二人も乗り込んだ。
馭者が馬車を出す。
ガラスケースはウィッチェンの膝上にあった。中にレイピアが見える。
「せっかくのオークションが台無しだ。まさか文無しで帰ることになるとは」
「次回はどちらでしたかな」
「プリンスブルクだ。この様子だと都オークションはもう終わりだ。信用が落ちた。開いても客が近づかねぇ」
そこで馬車が止まる。
疑問の視線を俺は二人へ向ける。ジェットコースターが急降下する前の心境だった。ただただ何かまずい、という予感だけがする。
馭者側の、座席の窓口が開いた。そこから馭者が俺たちへ伝えた。
「すんません、旦那様方……」
「くそぉ」
イディエットがその小窓越しに、何かを見たようだった。
俺も確認すると、進行方向正面にざっと十人くらいが魔法銃を構えて立っていた。
終わった──。
というようにイディエットが首を天井に向けながら、ソファーへ項垂れる。
「旦那、悪い。俺のせいだ」
ウィッチェンの視線も床に落ちた。
「俺たちゃニューゲート監獄行きだ」
「監獄?」
「ああ。裁判まで真っ暗な糞尿まみれの牢屋暮らし。そのあとは良くて死刑、悪くて新大陸行きだ」
「しかしほとんど大陸へ生きて辿り着けないそうですな。船倉で人間サンドイッチになり、感染症で死ぬとか」
二人が何を話しているのかわからなかった。
「止まれ、全員降車せよ!──」
外で怒鳴り声がした。その声が、心臓をわしづかむ。
状況が分かってきた。俺は、捕まるのだ。そう思うと呼吸が苦しくなってくる。浅い呼吸しかできない。
そうか、なるほど。だからイディエットは謝ったのか。ここで終わりだから。
俺は強く息を吐いた。
「ウィッチェンさん」
「はい」
彼が顔を上げる。
「そのレイピア、少しだけ貸してもらえませんか」
「……はい?」
「旦那、やめとけ。抵抗しても無駄だ。連中は魔法銃を持ってる。俺もウィッチェンも銃はない。旦那もだろ。諦めろ。諦めも肝心だ。もしかしたら船倉で生き残れるかもしれねぇ。裁判で無罪を勝ち取れるかも」
「無理でしょう。イディエット、あなた方はこの国の姫の死体を持っているのですよ?」
「ああ、そうだったな」
「ただ捕まるよりいい」
いけるかもしれない。飛剣術なら。
「投降するフリをして……」
「無理だって言ってんだろ!」
イディエットが声を張り上げた。
「撃たれたらどうすんだ!」
俺は冷静だった。
「死に方にこだわりはない。好きな死に方なら、死んでもいいと思ってるのか? どうせ同じ死だ。じゃあ俺はここで撃たれて死ぬよ」
「旦那ぁ……」
「ウィッチェンさん、その剣を貸してください。あとでお返しします」
ウィッチェンは即答するようにガラスケースを開き、剣を貸してくれた。
「これを切り抜けられたらあなたの物です」
そう彼は付け加えた。
「……言いましたね?」
「やれるものなら」
自分の片方の口角が痙攣しているのがわかった。俺は笑っている。
レイピアには鞘などなかった。馬車の扉を開ける。
「そっちの扉も開けて」
この馬車は両側面に扉が付いている。車と同じだ。
俺は外へ出て、すぐに馬車の後部へ回った。身を隠し、馬車の後部に固定してある棺を足場にして、馬車の天井へ上った。
上ってすぐ、レイピアをバッティングスウィングで構える。
無言で振りぬいた。と同時にばれて、魔法銃から光線が飛んでくる。天井から落ちるように降り、馬車の後部へ避難する。
悲鳴が聞こえた。多分、一人か二人やった。
馬車の後ろのボディをトントンと俺はノックした。後部座席の小窓が開き、ウィッチェンの横顔が見えた。
「何人やれました?」
「何ですか今のは! まるで刀身から斬撃が飛び出したかのような」
ウィッチェンが興奮している。
「何人やれましたか」
「おい旦那、今のは何だ! あんた一体何をしたんだ」
話にならない。無視しよう。
開いた両扉で敵から射線を切った。FPSの基本だ。射線を切っているあいだは、どんな強者も敵を撃つことはできない。ちなみにFPSとは、ファーストパーソンシューターの略だ。一人称視点のガシューティングゲーム、そのジャンルの一つである。
「撃てぇ!──」
大号令がかかり、馬車へ総射撃が始まった。魔力の光線を馬車が一身に浴びる。馬の悲鳴が上がった。馭者も逝ったろう。
俺は姿勢を低くし、『居合斬り』で構える。さっと馬車の横に出て振りぬいた。都警察なるものが横並びに立っている。ボーリングのピンみたいだと思った。
三人ほどへ、同時に直撃した。
エルフェレンの首と同じだ。斬撃は、彼らを胴体から真っ二つにした。
すぐに馬車へ姿を隠し、射線を切る。
「漁夫るときは上を取れ。勝てないなら引くこと覚えろ……」
俺は独り言をいった。連中はFPSを知らないらしい。
光線の連撃がいちど止まり、また始まる。だが数はもうそれほど多くないとわかっている。
俺は馬車の後部で、地面に腹ばいになった。
馬車と地面との隙間──十分だ。腹ばいのまま剣を構え、振りぬいた。斬撃が馬車の車輪を四つとも切断し、そのまま前方に立つ彼らの足へ向かう。到達すると彼らの両足や片足を刎ねた。
悲鳴が上がり、ばたばた倒れるのが音でわかった。
「あと何人だ?……」
息を凝らし馬車から顔を出すと、そのときになって敵の数を把握した。
九人だった。九人全員が負傷し、倒れている。
「終わったぞ。敵の武器を取れ」
イディエットが馬車から飛び出し、
「でかした旦那、あんたすげぇぞ!」
前方へ走ってゆく。
「あれ、ウィッチェンさんは?」
馬車のなかを覗くと、ウィッチェンがぐったりしていた。胸の辺りから血を流している。
「光線が、馬車を貫通したようです」
「旦那、馬車を変えよう。棺は置いてく。姫だけ担いでくれ」
大量の魔法銃を両腕に抱え、イディエットが戻ってきた。
「ウィッチェンさんが」
「ああ。わかってる。胸を撃たれたんだ、もう助からねぇ」
「でも……」
「闇は、どこまでも追いかける……」
ウィッチェンが言った。
「地平線の彼方まで逃げようとも、追いかけてくる。足を踏み入れたそのときから、我々に逃げる場所などない」
「その通り」
イディエットは言って、
「遅いか早いかだけの話だ。運がなけりゃ、俺もさっき死んでた。運が悪かったんじゃねぇ、ウィッチェンは運がなかっただけだ」
「最後に、奇妙なものを見られてよかった。約束通り、その剣はあなたの物です」
ウィッチェンの手が、何かを託すように俺の胸元に触れる。衣服に、彼の血が着いた。
「行きなさい。お若い旦那」
──引くこと覚えろ。
不意に脳裏によぎった。
その悔やむ間が、愚かなことだとわかっている。感傷に浸っている余裕はない。すぐに次の追手がやってくるかもしれない。
「ありがとうございます」
それだけ言って立ち去った。俺はイディエットが開けてくれていた棺から、ミナリス殿下を抱き起し、右肩に抱えた。
レイピアを左手に持ち、イディエットを追いかける。
搬入口前で別の馬車を拝借し、乗り込むんだ。イディエットが馭者となり、馬の手綱を引いた。
走り出した馬車がウィッチェンのいる馬車の横を通過する。その前方の死体を轢き潰し、馬車はオペラ座を後にした。
「日暮れだ。急がねぇとまずい」
「まずい?」
「市門が閉じる」
街中を抜け、しばらくして都の門が見えてくる。丁度門番が閉めようとしているところだった。
「このまま突っ切るぞ!」
イディエットが意気込んだ。
あと数センチというところだった。すれすれだった。俺たちの馬車が通過してすぐ、門が閉まった。
「ひゃっほー!」
イディエットが雄たけびを上げ、手綱をしならせた。
俺は笑顔を浮かべながら、喜べなかった。
それを察したのかイディエットが、
「旦那、いろいろと悪かったな。巻き込んじまって」
「……いや、選んだのは俺だ。金が欲しかった」
「ま、次がある」
城壁から漏れる都の灯りが縮んでゆく。馬車が林地をいく。
二日後の朝。
馬車がデルカにあるイディエットの質屋前に到着する。
道中、馬車の中で暴れに暴れてくれたミナリス姫を、いちど地下へ運んだ。そこで猿ぐつわの中にニンニクを仕込み、十字架のネックレスを着けると彼女は静かになった。
「このくらいの量なら姫さんも歩けはする」
俺は理解して頷いた。
「分量を調整して、様子を見てくれ」
「収穫はゼロか」
暖炉前のソファーへ腰を下ろさせてもらった。
「都警察の魔法銃をぱくってきた。あれで結構稼ぎになる。旦那も良かったじゃねぇか。そのレイピアは、そうお目にかかれる代物じゃねぇ」
赤いレイピアを見ると、血で連想してウィッチェンの最後の顔が脳裏に過る。
「かつては剣もよく流通したらしいがな。海の向こうから魔法銃が入ってくると廃れていったらしい。いまじゃギルド会館の冒険者ですら銃を使う。そういや、旦那は魔法銃持ってねぇんだな」
「使えないんだ」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味だ。魔力が、ちょっとな」
「ちょっと? 魔力がないのか?」
「……ないってわけでもないんだが」
実のところ、ないってわけじゃない。説明が面倒くさかった。
「俺が引き金を引いても魔法銃が反応しないんだ」
「そりゃまた難儀だな。で、あの剣術は?」
「飛剣術っていうそうだ。露店の婆さんから買った参考書に書いてあった」
イディエットが「飛剣術?」と口ごもりなら部屋をうろうろする。
「聞いたことねぇな」
「あれだけは使える」
「まあ何にしろ助かった。旦那がいなきゃ監獄行だった」
俺はソファーから立ち上がり、
「ひとまず、宿に戻って寝るわ。姫は預かる」
とろんとした声で俺は言った。とにかく眠い。馬車は揺れて仮眠もできなかった。
「預かるも何も、旦那が連れてきたんだろ」
「行くぞ」
おとなしいミナリス姫へ声を掛ける。
「そうだ」
入り口前で俺は立ち止まった。道中で考えていたことを思い出した。
「姫のことだけど、もう彼女を使ってどうこうしようってのはやめないか?」
イディエットは言葉に詰まってから、
「旦那がそういうなら構わない。もう一度言うが、そいつは旦那が連れてきたんだ」
「彼女のアンデッド化を解く方法に、心当たりは?」
「蘇生させるつもりなのか?」
「霊廟で、助けてやるって約束したんでな」
「わからねぇ人だ。オークションに賛成したり、助けると言ったり」
イディエットは呆れているようだった。
元々、金を受け取ったら姫からニンニクや十字架を除去し、拘束具を解こうかと考えていた。落札者が手に負えなくなったところで、姫を誘拐してトンズラすればいい、といういい加減なイメージがあった。オペラホールを見たあとには、そのイメージはもう失われていたが。考えが浅はかだった。
「高位の聖職者なら可能だって話だ。だが注意しな。そいつはもう死んでんだ。死後の時間凍結を解くと、その瞬間から死が始まる」
「死が始まる?」
「腐敗が始まるって意味だ」
「どうすればいい?」
「本当に生き返らせるのか? そのままの方がレアだぞ」
「どうすればいい?」
イディエットはため息をつき、
「医療に長けた奴が必要だ。まずその子が何で死んだのか調べないと。それから死んでるうちに治すんだそうだ」
「多分、破傷風だと思う。出血性ショックとか」
「旦那、医療の知識が?」
「そういうわけじゃ……聖職者と医者がいればいいのか? 高位の」
「口の堅い、が抜けてる」
「あー」
納得の声が漏れる。そりゃそうだ。俺は誘拐犯だ。
「顔を見られたら王女だとバレる」
イディエットが部屋の隅の木箱を漁った。彼が取り出したのは鉄のヘルメットだった。
「鉄の処女って知ってっか?」
「拷問器具だろ」
「あれの顔の部分をフルフェイスマスクにしたものだ。デザインに目をつけた公房が大量生産して、冒険者に小売りしようとした」
「売れなかったのか」
「普通よりも若干重量がある上に、値段が高かった。あとに気づいて値段を下げても、もう誰も買わなかった」
イディエットが投げたヘルメットを俺は受け取った。
「後ろに小さい南京錠がついてる。これが鍵だ」
鍵も投げてくれた。
姫に被せると小麦色の髪の毛も隠すことができた。後ろの南京錠を閉めておく。
「それで他人には開けられなぇ。顔を見せろと言われても安心だ」
「悪いな。何から何まで」
「皮肉か? 競売に失敗した穴埋めにはならねぇよ」
俺は笑みを含ませ、
「普通に感謝を伝えただけだ。じゃあな、また来る」
「あいよ」
こうしてイディエットとの短い旅行は終わった。
地下を後にし、店の外に出る。
朝日が眩しい。
「重いか?」
姫が隣で歩きにくそうにしていた。
「宿に戻ったら外してやる。しばらくは辛抱してくれ。そのうちもっと軽くて良さそうなのを手に入れるから」
路地を行き、いつもの木賃宿の前に戻ってくる。
宿の戸を開けようとした瞬間、──多分、後ろから伸びた手に口を押えられ、後ろへ引っ張られた。
何か吸わされたか。意識が遠いた。




