第7話 誤解は、祈りになる
変化は、いつも静かに始まる。
ミレイが神殿に来る時間が、少しずつ早くなった。掃除の手順が増え、香を焚く回数も増えた。参拝者のために、花を飾り、布を敷き、動線を整える。
それらはすべて、善意だった。
彼女なりに考えた結果であり、「神様が安心できるように」という、純粋な気遣いだった。
だが。
俺には、分かってしまう。
香が増えるたび、祈りの数が増える。
祈りが増えるたび、感情の密度が上がる。
感情が濃くなるほど、歪みも増える。
それは、制御できるものではない。
最初に気づいたのは、祈りの“質”だった。
『どうか、無事でありますように』
そうした穏やかな願いに混じって、別の声が増え始める。
『選ばれますように』
『あの人より、私を』
『失敗しますように』
願いは、いつの時代も似ている。だが、今はそれが、ここに集中している。
理由は単純だ。
ここで「叶ったらしい」ことが増えているからだ。
倒れなかった棚。
起きなかった事故。
通らなかった風。
それらは奇跡と呼ぶには地味だが、噂になるには十分だった。
ミレイは、その噂を否定しなかった。
否定できなかった、と言った方が正しい。
「……ええと、確かに……守られている、かもしれません」
そう言うたびに、人は期待する。
期待は、やがて確信に変わる。
神殿に来る人が増えた。
祈りの声が、重なる。
俺は、それをすべて聞いている。
拒否できない。
訂正できない。
優先順位もつけられない。
ただ、流れ込んでくる。
――これは、危険だ。
そう思ったときには、すでに一線を越えていた。
ある日、ミレイが神殿の外で、誰かに話しかけられているのが聞こえた。
「本当に、ここで祈れば大丈夫なんですか?」
切迫した声だった。焦りと不安が混じっている。
ミレイは、一瞬だけ言葉に詰まった。
本当は、分からない。
保証なんて、どこにもない。
それでも、彼女は答えた。
「……神様は、見てくださっています」
それは嘘ではない。
だが、真実でもない。
“見ている”ことと、“応えられる”ことは、まったく別だ。
俺は、強く思った。
――やめてくれ。
だが、その意思は、どこにも届かない。
夢にもならない。
偶然にもならない。
代わりに起きたのは、もっと厄介なことだった。
その日の夕方、神殿の外で、小さな出来事が起きた。
転びかけた子供が、誰かに支えられた。
荷車の車輪が、ぎりぎりで外れなかった。
偶然だ。
説明はできる。
だが、人々は、違う解釈をした。
「やっぱり……」
「ここは、違う」
期待が、確信に変わる音がした。
その夜、祈りはさらに増えた。
内容も、より具体的に、より強くなった。
俺は、石のまま、ただ聞き続ける。
善意が、祈りになり、
祈りが、圧力になる。
――これは、信仰だ。
そして、信仰は。
制御できない。
ミレイは、その晩、神殿の片隅で膝を抱えていた。
「……私、何か間違ってますか?」
小さな声だった。
俺は答えられない。
だが、はっきりと分かっている。
彼女は、間違っていない。
ただ――正しすぎる。
その正しさが、この場所を、少しずつ歪めている。
石の身体で、俺は初めて、明確な恐怖を覚えていた。
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