第2話 祈りは、音として届く
時間の流れは、石になってから曖昧になった。
昼と夜の区別はつく。陽の角度と温度で分かる。だが、それが何日分なのかは分からない。誰かが来て、掃除をし、記録を取り、去っていく。その繰り返しが、一定の間隔で続いているらしい、ということしか判断できなかった。
変化が訪れたのは、ある静かな朝だった。
風の音に混じって、声が聞こえた。
最初は気のせいだと思った。遠くで誰かが話しているだけかもしれない。だが、その声は、距離の感覚がおかしかった。近いのに、方向が定まらない。耳元でも、正面でも、背後でもない。
――内側だ。
そう気づいた瞬間、言葉として意味を持ち始めた。
『どうか……どうか、お守りください』
祈りだった。
誰かが、俺に向けて願っている。
声は一つではなかった。重なり合い、混ざり合い、はっきりとした輪郭を持たないまま、感情だけが流れ込んでくる。恐れ、後悔、期待、不安。言葉よりも先に、気持ちが届く。
……聞こえている。
俺は、祈りを聞いている。
喋れない。動けない。だが、祈りだけは、確かに届いていた。
それに気づいた瞬間、胸の奥――あるはずのない場所が、わずかにざわついた。
だが、次に思ったのは喜びではない。
困惑だった。
どうすればいい?
答えられない。
応えられない。
否定も、拒否も、助言もできない。
ただ、聞こえるだけだ。
祈りは、願いとは限らない。中には、明らかに危ういものもあった。
『あの人が失敗しますように』
『私だけが選ばれますように』
それらも、区別なく届く。
俺は、それらを止められない。
正しいかどうかを、伝える手段がない。
それでも、聞こえ続ける。
――これは、罰だろうか。
神になった代償として、人の願いを一方的に受け取るだけの存在にされたのかもしれない。そう考えたところで、また一つ、はっきりとした祈りが届いた。
『……あの、聞こえていますか?』
それは、今までとは少し違っていた。
言葉が、はっきりしている。
そして、戸惑いが混じっている。
視界の端に、人影が入った。若い女性だ。簡素な服装で、神殿の隅に立ち、こちらを見上げている。両手を胸の前で組み、ためらうように口を開いた。
「えっと……その……」
彼女は一度、周囲を見回した。
「やっぱり、聞こえないですよね……」
そう言って、小さく頭を下げる。
――いや、聞こえている。
そう言いたかった。強く思った。だが、何も起こらない。声も、風も、光も、何一つ変化しない。
彼女は少し考え込んだあと、独り言のように呟いた。
「でも、夢で……ここに来いって……」
その瞬間、何かが引っかかった。
夢。
彼女の言葉に、微かな既視感がある。俺自身が何かをした記憶はない。だが、確かに「来てほしい」と思った気がした。
――思った、だけだ。
それだけで、彼女はここに来た。
彼女は深く一礼し、静かに言った。
「……ミレイといいます。今日から、この神殿の管理を任されました」
管理。
その言葉に、また小さな違和感が積み重なる。
ミレイは、恐る恐る俺を見上げた。
「もし……もし、何かお望みがあれば……」
言葉を探すように、少し間を置く。
「……夢で、教えてください」
その瞬間、俺は理解した。
祈りは届く。
だが、言葉は歪む。
直接伝えようとした意思は、夢や偶然という形に変換される。
それでも。
何もしないよりは、ましだった。
俺は、強く思った。
――掃除を、もう少し丁寧にしてほしい。
……切実な願いだ。
ミレイは一瞬きょとんとした顔をしたあと、はっとしたように頷いた。
「……分かりました。まずは、掃除から、ですね」
そう言って、箒を手に取る。
それを見ながら、俺は思う。
これは会話ではない。
意思疎通と呼ぶには、あまりにも不完全だ。
だが。
完全な沈黙よりは、確実に前進している。
石の身体のまま、俺は初めて、人と「繋がった」気がしていた。
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