第4話 選ばれる神の器
夕食を終え、ルーナと共に茶菓子を頬張っていたとき、突然部屋の戸をノックする音が聞こえた。
ルーナの付き人が扉を開けると、眼鏡を掛けた細身の男性が疲れ切った様子で部屋に入ってきた。
「あ、ジュド!お疲れ様。今度はなんだった?」
ソレイユが声を掛けると、眼鏡の男性、ジュドは中指で眼鏡を押し上げ、力なく「お疲れ様です」と返した。
「苦情ではなかったのですが、少々面倒なことになっていまして……。全く、こんなこと自分で言いに来たらいいものを」
ジュドは額に手を当て、大きなため息をついた。重そうに頭を下げると同時に、首の後ろで括られた長い黒髪が肩を滑り落ちる。
苦情でもないのにこの反応ということは、なかなかの厄介ごとを頼まれたのだろうかとソレイユは思った。
ジュドを労わるように、ディールスが水の入ったコップをジュドに渡す。ジュドはその水を一気に飲み干し、大きく息を吐いた。
ジュドは深呼吸をすると、コップをディールスに返し、気持ちを切り替えるように黒衣の襟を正す。よれていたたすき掛けの白い布も直し、わざとらしい咳払いをした。
「ソレイユ様とディールスに、大事なお知らせがあります。ルーナ様はあまり関係ないかもしれませんが、念のため一緒にお聞きいただければと思います」
「わかったわ」
ジュドは部屋に入ってきたときの様子が嘘のように、真剣な表情で口を開いた。
「神の依り代が亡くなりました」
その言葉に、ソレイユは小さく驚いた。ディールスはわずかに眉根を寄せただけだが、内心穏やかではないことが見て取れる。
神の依り代とはその名の通り、神が現世に降臨するための器である。最高神アウレルは依り代に魂を宿すことで、人間と同じように地上で生活することができるようになるのだ。
ジュドは落ち着いた様子で話を続ける。
「依り代がなければ、アウレル神はこの世に顕現できません。この島はアウレル神の力によって守られていますから、神の力が途切れた今、島に厄災が訪れる可能性があります。早急に新たな依り代を探さなければなりません」
アウレル神の不在は、アウレル教にとっては重大な問題だ。ジュドの言うように、すぐに依り代を見つけなければならない。
しかしソレイユは、依り代探しには少々消極的だった。
「依り代だった方の葬儀は行われないの?」
ソレイユがそう聞くと、ジュドは淡々と「はい」と答えた。
「依り代となった時点で人権は失われ、ただの器、道具として扱われます。葬儀が執り行われることはありません」
まずこれが、依り代探しを躊躇する理由の一つだ。
依り代によって顕現したアウレル神を、ソレイユは何度か見かけたことがある。普通に大聖堂で生活しており、祭典のときには大聖堂の頂上に立ち、教徒たちの前に姿を現す。
しかし依り代となった人間の姿は、一度たりとも見たことがない。外見まで完全にアウレル神の姿となるからだ。
そして誰も、依り代となった人間の話はしない。まるで最初からいなかったかのように、ぱたりと話題にならなくなるのだ。
ジュドは依り代が“亡くなった”と言った。これは教団内では珍しい表現で、多くの者は「依り代が壊れた」と言う。きっとソレイユに気を遣ったのだろう。
依り代についての懸念点はもう一つある。
「依り代だった方は、おいくつで亡くなられたの?」
ソレイユの質問に、ジュドは少しだけ眉間にしわを寄せた。
「三十歳前後としか……。依り代となられてからは七年ほどです。正確なデータがなく申し訳ありません」
これが、ソレイユが依り代探しに積極的にはなれない最大の理由だ。
『神の依り代となった者は、自我を神に侵食され、その多くが若くして命を落とす』
幼いころ、アウレル教について学んだ時に聞いた話。
人だったものは本当に単なる肉の器となり、やがて神の力の大きさに耐えられず、朽ちていく。
神の依り代は確かに必要な存在だ。だが誰もが本心では、「身近な人が依り代に選ばれてほしくはない」と思っている。
依り代となる条件は解明されていない。唯一わかっているのは「男性である」ということ。
ルーナの付き人は昼も夜も女性だ。つまり今この部屋で関わりがあるのは、ジュドとディールスの二人だけである。ソレイユは付き人が変わる可能性があるので、全く無関係とは言えないが。
ジュドは眼鏡を指で押し上げ、ディールスに目を向けた。
「教団内でも上の方々は全員依り代に適合せず、私も適合しませんでした。今は下位の者たちを検査しているところです。ディールスも『水晶の間』に向かってください」
ディールスは溜め息をつき、面倒くさそうに頭を掻いた。
「最高神サマの器にするには、俺は邪悪なんじゃないか?」
「それを決めるのは神ですよ。適合しなかったならそれでいいんですから、文句言わずに行ってください」
ディールスは「はいはい」と投げやりに返事をし、ソレイユの方を見た。
「んじゃ、ちょっと行ってくるわ。戻るまでジュドが残業すっから」
「うん……」
ソレイユはなんだか胸騒ぎがして、ディールスの冗談にも反応できなかった。
明確な理由があるわけではないが、ディールスがこのまま戻らないのではという気がしてならない。
こんなにも不安なのは、生まれて初めてのことだった。
それが表情に出ていたのだろうか。ディールスはソレイユを元気づけるように、ソレイユの髪をわしゃわしゃと撫でた。
後ろ髪が前に来るほど髪をぼさぼさにされ、ソレイユは驚きながら髪をかき分けた。
見上げたディールスの顔は至っていつも通りで、少し意地悪そうに、しかし優しさを感じる瞳だった。
「そんな不安そうな顔すんな。すぐ戻るから」
ソレイユは少しだけ元気を取り戻し、こくんと頷いた。
ソレイユの不安がディールスに伝染しても良くない。ソレイユは努めて明るい笑顔を浮かべた。
「いってらっしゃい。気を付けてね」
何に気を付けるのかは自分でもわからない。ディールスは気にした様子もなく「おう」と返した。
ソレイユに背中を向け、ディールスは振り返ることなく部屋を出た。
ディールスの姿が見えなくなった途端、ソレイユは笑顔をなくし、溜め息をつく。やはりどうしても不安が消えない。
「ソレイユ様、追い打ちをかけるようで申し訳ないのですが……」
ジュドの声に、ソレイユは不安げな表情のまま顔を上げる。ジュドは眉間にしわを寄せて、言いにくそうに口を開いた。
「歴代の依り代は、人々からあまり好かれていないものが多かったようです。……念のため、覚悟しておいてください」
ジュドの言葉に、ソレイユは心臓が締め付けられるような感覚を覚えた。
それは不安が現実になることを暗示しているかのようで、ますます落ち着かない気持ちになった。
その後、食事を終え、湯浴みを終え、就寝の時間になってもディールスは戻ってこなかった。不安は大きくなっていくばかりで、ベッドに潜っても、ソレイユはなかなか寝付くことができなかった。
結局その日、ディールスは戻ってこなかった。
翌朝、伝達担当者からの業務連絡で、「ディールスが神の依り代になった」と告げられた。




