第10話 新しい朝
赤かった空は青く染まり、小鳥たちが起床の時間を告げる。
髪を切った後、ソレイユは着替えて二度寝をした。目が覚めるといつも通りの朝で、違うことと言えば昨日より少し冴えた頭と、まとまりを失った自分の髪くらいだった。
遅れて起きてきたルーナと出勤時間を迎えたジュドは、ソレイユの髪を見て絶句した。
「ちょっと、どうしたのよその髪!!」
「どうしてご自分で切られたんですか!?おっしゃっていただければ理髪師を手配しましたのに!!鏡も割れていますし!!」
「いやー……。ちょっと勢いで」
ソレイユは笑いながら頭を掻いた。首筋にかかる涼しい風に、本当に髪が短くなったのだと実感する。
ルーナは肩をわなわなと震わせ、夜間の付き人であるヘルクスの方へ勢いよく頭を向けた。
「ヘルクス!あなた起きてたんでしょう!?なんで止めなかったの!」
ヘルクスは短い黒髪をいじりながら、申し訳なさそうに眉を下げた。
「騒いでルーナ様を起こしたらいけないと思って……。それに命に関わることでもない限り、ソレイユ様の行動に口を出す権限はありませんから」
「それは……そうだけど」
ルーナはヘルクスに反論しなかったが、納得はしていなさそうだった。
付き人は主人の行動を諫めることはあるが、主人以外に関与することは基本的にない。あるとしたら緊急時だけだ。ジュドもソレイユには母親のように口を出すが、ルーナとは最低限の会話しかしない。
ヘルクスを責めても仕方がないのだが、それだけルーナにとって衝撃だったのだろう。ソレイユは申し訳ないと思いつつ、そこまで気にしてくれることを嬉しく思った。
「なに笑ってるのよ。怒ってるのよ私は」
「えへへー。ごめんね」
どうやら顔に出ていたようだ。ソレイユは口では謝りつつ、にやけた顔を戻すことはできなかった。
ルーナはむっとして、ソレイユの両頬を引っ張った。
「いたたたたっ」
「あのねソレイユ」
ルーナは頬を引っ張ったまま、真剣な顔でソレイユを見た。
「嫌なことがあったら愚痴っていいし、心配事なら相談していいの。一人で抱え込まないで」
思いのほか真面目な声音に驚き、ソレイユは目をぱちくりとさせた。
ルーナがソレイユを心配する発言を、面と向かってするのは珍しい。大抵は遠まわしだったり、怒っているように聞こえる言い方しかしない。
昨日までのソレイユが、それだけ落ち込んで見えたのかもしれない。もしくは、今までソレイユの相談に乗っていたディールスがいなくなったからかもしれない。
あまり素直ではない妹だが、ソレイユが思っているより、ルーナはソレイユを大切に思ってくれているのかもしれない。
「……ありがとね、ルーナ」
ソレイユが落ち着いた声でそう言うと、ルーナはソレイユの頬からぱっと両手を離す。そして呆れたように、「まったくもう」とそっぽを向いた。
会話に区切りがついたタイミングで、ジュドがパンパンと手を叩いた。
「さあ、もう朝食の時間ですから、早く着替えてください。髪を整えるのは食後にしましょう。私は勤めの時間に遅れると連絡してきます。鏡も新しいものを手配しますので、破片に触らないでくださいね」
そう言って、ジュドはいつもの調子で部屋から出ていった。もう少し怒られると思ったのだが、意外とあっさり機嫌が治ったようだ。ルーナが怒ってくれたから、気が済んだのかもしれない。
朝食を終えると、ジュドはソレイユをルーナのドレッサーの前に座らせた。ソレイユのドレッサーは鏡が割れているからだ。ルーナは月の聖女の勉強があると、昼間の付き人と共に部屋を出ていった。
「理髪師が体調不良とのことですので、僭越ながら私が整えさせていただきます」
そう言って、ジュドはどこからか櫛とハサミを取り出した。先ほど部屋を出たときに持ってきたのだろうか。
これまたどこから取り出したのか、ジュドはソレイユにビニール製のケープを被せた。ジュドの服の中は、実は大量のポケットがついているのだろうか。
そういえば枢機卿の衣装もポケットが多かった。ディールスも至るところに武器を隠し持っていたし、教団従事者の服は利便性高く作られているのかもしれない。聖女の装束もそうしてくれたら便利なのだが。
ジュドはソレイユの髪の、はねて扱いにくいところを霧吹きで濡らした。手慣れた手つきで髪を梳き、ハサミを入れていく。
「すごい慣れてるね」
ソレイユがそう言って頭を動かそうとすると、ジュドにがっちりと頭を掴まれ、元の位置に戻された。
「妹の髪をよく切っていましたから。当然、プロには劣りますが」
「妹さんがいるんだ。初めて聞いた」
「身内の話をする機会なんてありませんからね。姉もいますよ」
「へぇ~」
ジュドのことを、実はソレイユはそんなによく知らない。わかっているのは、アウレル国の出身ではないということくらいだ。
二年前、枢機卿の半数以上がいなくなり、新たな人員に差し替えられた。ジュドはその時に、新しい枢機卿と共にアウレル国にやってきた。
以前住んでいた国がどこなのかはわからない。聞いてもソレイユにはわからないだろう。アウレル国は、外国に関する情報がほとんど出回らないからだ。
ジュドもアウレル国に来る前のことはほとんど語らない。少しでも話を聞けるのは貴重なことだ。
他愛のない話をしているうちに、ソレイユの髪はみるみる整っていった。バラバラだった毛先は揃い、広がりもなくなり、綺麗な外ハネボブになっている。
ジュドはハサミを置き、ソレイユからケープを外した。
「はい、終わりましたよ」
「すごい!綺麗!」
「お気に召したなら何よりです。ではお勤めに参りましょう。滑りやすいので、切った髪を踏まないようにしてくださいね」
「うん!ありがと」
ソレイユは跳ねるように椅子を降り、鏡の前でくるくると回った。止まるとすぐに髪が戻ってくるのが新鮮で面白い。
顔周りの髪は切っていないため、印象が大きく変わったわけではない。けれど以前より自分らしくなった気がして、ソレイユは自然と笑顔になった。
「私は切った髪を掃除してから行くので、先に向かってくださ……」
「あ、あたしやっとくよ」
ジュドが床を掃いていると、ヘルクスがひょいとジュドからほうきを取り上げた。
「よろしいのですか?もう退勤時間は過ぎていますが……」
「いいよいいよ。ルーナ様に怒られちゃったし、これくらいさせて」
ヘルクスはそう言って、海のような青い瞳でウィンクした。
ジュドは礼儀正しくヘルクスに礼をした。
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えてお任せします。さ、参りましょうか、ソレイユ様」
「うん!」
ソレイユはふわふわと揺れる髪が楽しくて、スキップしながら部屋を出た。廊下に出るとすぐジュドに止められたが。
髪を切っただけで、何かが大きく変わったわけではない。何なら遅刻しているので、後で他の太陽の聖者に怒られるかもしれない。
けれど、形だけでも新たな門出を迎えられたような気がして、ソレイユは上機嫌で勤めに向かった。




