第二章 punk boy:パンクボーイ
第二章
punk boy
:パンクボーイ
⓪chemotypes
:ケモタイプス
自己憐憫に浸りあの頃は良かったなどと言うつもりはない。
ただ一つ。
そう。ただ一つだけ、私に語ることが許されるならば
それはすでに永遠に失われてしまったある種の感覚でもありもはや今は手にすることも叶わない私たちの大切にしていた場所の。その軌跡をとつぜん辿ってみたくなったのだ。
地図にない島。
誰も知らなかった世界。
かつてたしかに存在した
失われた楽園を求めて。
2025年
ここに記す。
『夢が現実で
現実が夢なんだ』
床に散乱した埃や吸い殻。
乱雑に積み上げられた古い雑誌や漫画。
頭のなか、いや。正確にはちがう。
体の中には本棚みたいな物があり、そこには記憶の引き出しがあって。それは、古書・悪書などの山に埋もれている。
そこからそれを探し出す。
造作もないことのように見えるが、実際のところ骨が折れる。頼りの綱は、自身の直感だけ。
それを手にすれば、その手で埃をほろって良質な紙を几帳面に一枚ずつめくる。
特に何をするわけでもなく俺は、
今日も街のスタジオに居た。
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❶D.Oの予感
:ドロップアウトの予感
:I've got a sense something will bad feeling(D.O)
俺は、このまま行けると思っていた。
そう、純粋なまま。ピュアな気持ちのままで。
日本人特有のこの漆黒の曇りなき眼はキラキラと光輝き
目に映るすべての物がメッセージで全部が新鮮だった。
二十歳を目前に控えた俺は、意気揚々と毎日のように街のスタジオにギターを持って通い(めいわく)
夜になればバンドイベントにしれっと参加してただ酒を飲みながら友と夢を語り合った。拾ったタバコを吸いながら。アホみたいな顔で。
それが地獄の始まりとは知らずに。
ー
❷welcome to gray city
:ウェルカムトゥグレイシティ
同じ空を何度も見る。
空はいつも真っ白でモノクロ映画のような街は
灰色だった。
高校を卒業してからも相変わらず暇を持て余していた俺はそんな『灰色の街』をブラブラ歩き回っていた。
子供の頃に母親に連れられ通っていた喫茶店。
そこにいつもいた。
母親の車を昼夜問わず構わず好き勝手に乗り回しガソリンも入れずに返したり
バイトもせずにただコーヒーをすすってはタバコを吸う。
それをひたすらくり返していた。
不協和音のリフレインが
ずっと耳鳴りみたいに聞こえていた。
俺は紛れもない社会不適合者でニート。
いわゆるクズだった。
ずっと働いていたバイト先も欠勤が続いてクビになり
二十歳を迎える前にすでに
進むべき道を完全に見失っていた。
バンドもまともに出来ないような精神状態。
それでも変わらなかったことは引きこもっては狂ったようにギターの練習をすることだった。
目に映る世界はずっと灰色一色で
このまま、何もしないまま
永遠のように続いた時間が過ぎていった。
成人式。
久しぶりに会った高校の同級生や元バンドメンバー。
バンドのメンバーだった二人はしっかりしていた。ちゃんと仕事に就いてたり、吉村は札幌で服飾の専門学校に通っているらしい。
成人式で再会した同級生たちはみんな立派な着物を着飾って晴れ晴れとした雰囲気で俺は場違いだと思った。
俺はおさがりのミリタリージャケットを着て頭はスキンヘッドで参列した。(前日、街のスタジオの店主に頼んで髪をモヒカンにしてもらい髪色をブリーチしてピンクに染め上げた果てに最終的にこうなりました。母親はもうあきれていた)
成人式のそんな華々しい光景を目の当たりにして
さっきまで浮かれていた俺は急に怖くなった。
漠然とした焦りだけが全身を支配していた。
なにをやってもうまくいかず
中途半端で目的もなくただ
出口のない真っ暗なトンネルで
ぽつんと一人だけ取り残された気分だった。
ー
それからどれぐらい時間が流れたんだろう。
階下から聞こえてくる家族の話し声も、だんだん自分を責めたてる声になって聞こえた。
気付いたら朝で
開けっぱなしの部屋の窓からは鳥の鳴き声がした。
そしてとうとう自室ベッドの上から動けなくなった俺をトーマが突然訪ねて来て声をかけてくれた。
ずっと誰とも話しもしていなかった俺は
うまくしゃべれなくて
ずっと無視してたら
トーマは一言だけ声をかけて帰った。
その後、部屋で一人
枕に顔をうめて
声を上げて泣いた。
ー
数年ぶりにトーマがまた久しぶりに家に来た。
話を聞くと彼は東京と釧路を行ったり来たりしているらしい。
高校の時に街のスタジオで観た東京のバンドのローディやLIVEの手伝いをしてるって言っていた。
それで、一緒にバンドやろうみたいな話になって
流れでまたバンドを結成することになった。
俺たちの中でドラムは誰がいい?って話になって
そいつはすぐに高校の時に俺が組んでた
HEEL LIFT GIRLのメンバーだった
ドラムの名を口に出して言った。
「松ちゃんは?」
俺が連絡つかないんだよねって言ったら
トーマは
「すぐ会いに行こう!」
って。
元バンドメンバーでドラムの松岡が某カラオケ屋で働いている。という情報をどこかでキャッチした俺たち二人は
すぐに松岡のバイト先へ会いに行った。
カラオケ屋に突然押しかけ店の受付の前で店員と話しをしてると
高校の時の元バンドメンバー松岡が近くを通った。
丸いおぼんに空のグラスをいっぱい乗せてかちゃかちゃ音を立てながら。
彼は満面の笑みで
「どうしたの〜?久しぶりでしょ。」
って言った。
俺たちは松岡に躊躇せず
「バンドやんない?」
と聞いた。
そしたら
「いいよ。」
「おもしろそーだしやろう!」
って松岡が言った。
こうして新しい三人で
新しいバンドをやることとなった。
メンバーは
ギタボ、原本トーマ
ベース、金田シンゴ
ドラム、松岡カズシ
そしてバンド名は
『平家ミスツ』
に決まった。
それからの俺は『何かをやらなければ!』という謎の使命感に燃えて髪をスーパーサイヤ人ぐらい金髪にして気合いを入れた。これからバンドをやるんだ。
そして、モッズ(映画さらば青春の光参照)みたいなピッチリしたスーツを身に纏いバイトの面接に行くことを決意した。
まずは某コンビニへ。
速攻で落ちた。連絡すら来なかった。っしゃあ、じゃー次はどこにいこーか。
次は某超有名衣料品店。面接で写真も貼るのを忘れた履歴書はほとんどが空白で面接を担当した野郎から
「なにか最近ハマっていることはありますか?」
って聞かれたから俺は答えた。
「ミックステープを作って友達と交換したりしてるっすね!」
ここからももはや恒例の如く待てど暮らせど連絡はなかった。(うそだろ…)
某レンタルショップに同じ出立ちで向かったら受かった。(しらんけど。)
やっと決まったレンタルショップのバイト。
大学生くらいの年上の人たちに囲まれながら俺は仕事のレクチャーを真面目に受けていた。
パートのお姉さんだけはすごく親切で。大学生のバイトリーダーもとても優しく仕事を教えてくれたけど
俺はまったく仕事ができなかった。(ふがいねぇ)
ただ、店長だけはどうにもいけすかないヤツで
そもそもまったくもって相性が悪かった。
店長から
「明日には髪を黒くしてこい」
と言われ
俺は仕方なく金髪を真っ黒に染めたら
ベジータみたいになった。
それからしばらくしてだんだん髪の色が落ちていって店長にまた黒くしろと言われた。
「こいつマジでなにいってんだ
バカなのか。
頭おかしいんじゃないのか。」
そして俺は次の日にはバイトを辞めた。
制服をきちんとたたんで返却しパートのお姉さんにだけはきちんと挨拶をした。
バイトを辞めたその日の午前中。
街のスタジオに行って店主に
「バイト辞めたんすよ」てへ。
と軽いノリで言ったら本気で心配された。
店主にこんなリアクションをされるとは思わなかったし
こんな表情を初めて見たからなんかすごく不甲斐なくて申し訳なく思った。
街のスタジオでは
年上の人たちはみんなでっかいTVでワールドカップを観ていた。すごく蒸し暑い夏の日だった。
ボロい室内アンテナは調子がわるくてたまに映らなくなった。俺はサッカーのルールはよく分からんからウッドストックのビデオばっか観ていた。
リッチーヘヴンスは天啓みたいな詩を歌って
THE WHOはLIVEでアンプをぶっ壊してた。
それが超かっこよくておもしろくって
俺はギターも弾かず画面に夢中になった。
店主はそんな俺にこう言ってくれた。
「シンゴ、いつ来てギター弾いてもいいよ。」
と。
なんにもすることがなく
ただ毎日ひたすら眠くて
街のスタジオでギターを弾いて飽きたらソファで一日中寝て過ごしていた。(実家にいる時より数百倍安眠出来た。街のスタジオにいるとなぜかめちゃくちゃ落ち着くし居心地が良くって第二の実家だと本気で思っていた。)
家に帰ったところで母さんにうるさく言われるし
気が滅入るからスタジオに泊まりこんで数日家に帰らないこともあった。
俺はろくにバイトもせず
いわゆる引きこもりのニートだった。
金もないからなんにも買えず常に空腹で(それが自身の創作活動につながったのかどうかは今はだれも知る由もない。しらんがな)
たまに師が作ってくれたペペロンチーノをそんな時は無心で食った。(師は仕事に関してはとくになんにも言わないで俺にただパスタの作り方を教えてくれた)
店主と師には反骨精神そのものというか(まさに)
ハングリーでストイックなそんな音楽や姿勢を教えてもらっていた。
そして俺はしだいにそんな音楽に魅了されていった。
だってSEX PISTOLSはゴミを着るんだぜ。
❸ただドキドキしていたいだけ
パンクバンド・平家ミスツを結成してから俺たちは決まっていつも街のスタジオにいた。
みんな各々バイトをしてスタジオ代を稼いでは練習を重ね少しずつバンドの持ち曲も増えていった。
(トーマが作った4曲しかなかった。)
同じ地元でバンドをやっている年の近い先輩(2つ年上)とも話すようになって、ますます楽しくなってきていた。
そして、平家ミスツ
街のスタジオでの初LIVE
客はほとんどが知り合いか見たことのある顔だった。
拍子抜けしたが、気合いは十分。
関係ねえ。あとは思いっきり演奏するだけだ。
LIVEは松岡の合図で始まった
スネアドラムとタムが鳴る!!!
ダダダン!!!!
俺とトーマは松岡の方を見ながらタイミングよく
弦を響かせた
「『ギャァアアアーーーーーーーーーーーーーーーーン!!!』」
アイコンタクトなんてしてる暇なんかなかった
トーマが叫ぶ
俺と松岡も叫ぶ
「君の頭は空っぽ
僕のあたまはどうなの」
「人生なんてエンプティ
生きることさえあんまり」
「本当にそれで満足なのか?」
「ただ、ドキドキしていたい!!!
ただドキドキしていたい!!!
ただドキドキしていたいだけ!!!」
汗だくで見た目なんて気にしてもどうせだれも見てなくて
がむしゃらに下手くそでもいいから本気でバンドをやった。
俺たちのLIVEの最中
つまらなそうにソファに座ってアイスを食ってる二人組の女子が目に入って
LIVEが終わった後、俺はそれがくやしくて泣いた。
トーマも泣いて、松岡も落ち込んだ顔をしてる。
俺は
「どうせ、本気でやったって
ダメじゃねぇかよ」
そう思った。
PAをやっていた師がそんな俺たち三人を見かねて
ステージまで来ていきなり抱きしめた。
俺は涙が止まらなくて
子どもみたいに
ずっと泣いた。
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俺たちのバンド『平家ミスツ』はそこから
たくさんLIVEを重ねた。
そうしてある日
地元の高校生が企画した『NO REASON』と銘打った彼らの卒業を記念したバンドイベントのゲストに呼ばれることとなった。
このイベントを企画したアユムとは、何度か街のスタジオで会って友達になった。
「あ!平家ミスツの人ですよね?」
LIVEを観に来ていた高校生にそう声をかけられたが
俺は気恥ずかしさと、そんな有名人気取りなんてクソだと思ってずいぶんとそっけない態度で
「ああ…はい。」
と目も合わせずに答えた。
LIVE会場となっていた街のスタジオには卒業を間近に控えた高校生がひしめき合っていた。
30人もいればもう騒がしくてすごく狭く感じるのに、この日はざっと50-60人ぐらいはいた。
ティーンエイジャーたちの熱気はすさまじく。息をするのもやっとだ。
ぎゃーぎゃーと楽しそうな声がいたるところで聞こえてくる。街のスタジオはそんな彼らの無尽蔵なパワーであふれかえっていた。
そんななか
俺たちは冷静なフリを続けていた。
出番直前まで。
この真っ白いドアーをくぐれば
俺たちのLIVEが始まる。
「 … したらいきますかー 」
誰が言ったか緊張や興奮状態の俺には分からない。
そして俺たちは人混みのなかを一切気取ることなく歩んで行く。強く握り締めた拳にはじわと汗がにじむ。
真っ暗なステージに立つと
目の前には自分たちよりもまだ幼さがのこる
高校生たちが今か今かとLIVEを待ってくれていた。
「アユムもどっかでみてんだろ?」
意気込みなんてない。あるのはこの胸の中でウズウズしてるなんだかよく分からない感覚だけ。
松岡のドラムから始まるルーティン
「平家ミスツはじめます」
松岡のバスドラとトーマのギターが重なって
俺は相変わらず下手クソなベースラインを
二人に合わせるため必死になって足掻く
俺たちは叫ぶ
汗だくで
トーマが必死な顔で歌うのは
あいつが自分で作って来た曲
『時よ止まれよ』
「どうしたんだシティボーイ
浮かない顔したって先には進めない
惚れてしまうぜシティガール
憂鬱を押し殺しながらも生きている」
「言いたいことも言えない
真っ暗闇のなかで誰とたたかっているの?
お前に何が分かる
苦しみはどんどん俺の中で膨れ上がる」
「こんな世の中になっちまったからって
僕たちは生きていかなきゃならない
世の中が間違っていようと
正しいことはきっとそこにあるのさ
それを信じれば生きていける」
『時よ止まれよ』
「何にもうまくいかない
やるせないどうしようもない
もう現実には帰りたくない
帰りたくない
帰りたくない」
「いつまでも夢を見させて
見させて
見させて」
「終わらないで夢よ
始まらないで現実よ」
トーマが歌うこの曲が始まれば
目の前の高校生たちは好き勝手に暴れだして
本当に楽しそうに
くるくると不細工なダンスを踊って
モッシュはずっと
ずっと終わらなかったんだ
イベントは全行程を終え、高校生たちはみんな帰るべき場所へと帰って行った。さっきまでガヤガヤしていたフロアーがやけにしんとしていて、祭りの後みたいに少し寂しく思った。
最後まで会場にのこっていた、今日の『卒業LIVE』の主催者でもあるアユムが俺のところに興奮した様子で駆けつけて来て開口一番こう言った。
「シンゴさん!!
平家、マジでカッコよかったッス!!
うわあ…ッカッケェ!
また、やってくださいね!」
アユムのそんな純粋な言葉を聞いて俺は
なんかやっと自分が自分のことを許せそうな気がした。
「うん。ぜったいまたやるよ。
アユム、ありがとう」
その年、アユムは高校を卒業して消防士になった。
あいつは見かけによらず努力家だった。
サッカーもバンドも好きで。
弟みたいなやつで友達だった。
そして消防士の最初のオリエンテーションみたいな会に
あいつは遅刻して行った。
寝坊して。
アユムにバカだな〜なんて言って
あとになってから一緒に笑った。
あいつがたまに街を歩いているのを見かけたら
俺は得意げに先輩面して
「車、乗ってけよ」
ってぶっきらぼうに言うんだ。
あいつは本当はちゃんと分かってるんだ
俺のそういうダサいところも
夜になれば
俺はなんか強くなった気がして
17時を告げる鐘の音が
退屈な街じゅうに響き渡っていた
❹漂流者
:drifters
俺は社会人になった。ローンで買った初めての車。
ビカビカの愛車のマークII 71'(いたってノーマルな中古車) にキャンプ道具やテントを満載にさせ、師とともに午前中には出発した。
人生初のキャンプ。
俺は革ジャンにピッタリのスキニーを履き
髪もバッチリ寝癖のまま運転席に飛び込んだ。
エンジンを回す。
「ブロロロロォォン!」
「ドドドッ…」
マークIIのエンジンが鼓動してる。
師二人、アユム、そして俺
四人を乗せて
意気揚々とマークIIは動きだした。
しかし
道中は問題しかなかった。
地元民ならだれも捕まることなどない
定番のネズミ捕り(スピード違反の取り締まり)に
捕まった俺は一人、やたらデカい警察のバスに乗せられスピード違反の切符を切られた。
「取締りも大変ですよね〜」
なんつって。
至ってにこやかに。
窓を開け
流れる風をいっぱいに浴びて
遠ざかっていく景色に心癒される。
太陽光を反射させる広大で静かな湖
木々の中を脈々と止まることなく流れる川
なんてことのない坂道
まだ少し背の低いとうきび畑
スピード違反で捕まったことなんて
とっくに忘れて
青い空
と
太陽の下
真っ白のマークⅡはお構いなしにぐんぐん走っていく。
目的地の湖まではあと1時間ちょっとで到着だ。
しばらく走っていると
みるみるうちに景色が変わっていった。
落雷を受け真っ二つになった倒木
朽ちた木々の足元には大きな水溜りがある。
やっと目的地付近に到着し車を置いた。
少し辺りを歩き回ってみると湖が見えた。
道路の両側には木々が生い茂り
青々とした葉っぱや枯れて落ちた黄色や茶色の葉が道路のあちこちに散らばっている。
キャンプ地はここに決定した。
まだ明るいうちに俺たちはテントを組み上げ、買ってきた食料と物品を確認する。
師にキャンプ技術をかんたんにレクチャーされた俺は、日が暮れるまでに薪(そこら辺の木)を拾い集めなきゃいけなくて。
俺は普段溜まりに溜まった邪悪なものをゆっくりと吐き出すように、師たちと一緒にキャンプの準備をしていた。
夜はとても静かだった。
車も全然通らないしうっすら霧がかかってる。
だんだん寒くなってきて地面から離れた丁度良い場所に炭をならべて火を起こす。
少しずつ、火がパチパチと音を立てはじめる。
火は風の加減で大きくなったり小さくなったりしてそれにずっと見入っていた。
しばらくして買ってきた味気のない野菜や魚を焼いてみんなでビールを飲んだりしてゆっくり過ごした。
人生初のキャンプは楽しくて興奮して眠れる気がしなかった。
急に師が
「シンゴ、湖と会話してきたらいいよ。」
と言って俺にイスを手渡した。
「またなに言いだすんだこの人は」
と半信半疑で俺は湖の前まで行ってイスに座った。
小さな星の光がたくさん見える
綺麗な暗闇
ずっと月を見ていたら突然月は見えなくなって
周囲の音も気付いたら消えていた。
そして湖との会話を試みる。
・
・
・
当然ながら相手からの返答はない。
だけど段々と自問自答をしてるみたいになって
(一人で壁に向かってするキャッチボールの要領で)
問いを虚空の暗闇に投げてみる。
薄目で真っ暗な湖を見るとぼんやりと向こう岸が見える。
目の前にある湖では揺れる黒い波が踊ってるようだった。
また遠くを見ようとすれば山の輪郭に沿って黒がだんだん濃くなっている気がした。
その後は湖と会話したことを師に話すと師はただなにもいわず笑ってテントに入って行った。
上着を革ジャンしか持って来なかった俺には夜は少し寒くて重たい瞼を引きずり出来るだけ身体を縮めて寝袋にくるまった。
翌朝、テントは雨粒でびっしょり濡れていた。
溜まった雨を内側から両手で押して払いのけ、どっかで見たような灰色の空に目を細め疲れた身体を起こし帰り支度をしていると
すぐそばで
姿も見えない鳥が羽ばたいて鳴いた。
ー
朝、目が覚めたら森だった。俺は愛車のマークIIに乗ってそのまま朝まで寝ていたらしい。
苔むした白樺の老木
スポットライトみたいに光が差し込む木立の間は
そこだけ時間が止まったようにみえた。
光が眩しい。
車内はそんな自然の明かりで満ち溢れていた。
シートを元の位置へ戻し身体を起こすと
フロントガラスに水滴が溜まっている。
そういや昨日はキャンプの途中で雨が降ってきたんだった。しばらく俺は雨粒がゆっくりとガラスをつたっていく様子に見入っていた。
車のドアーをゆっくり開けると
生気をいっぱいに孕んだ雨上がりの土のにおいが
鼻の奥いっぱいに広がっていく。
鮮やかな緑色に目を凝らすと
木々がまばらに並び、生き物の気配が感じられる。
足元、枯葉の地面にはたしかに動物の通った跡がある。
小さな鳥たちは仲間同士で合図を送り合う。
「起きた!」「起きた!」
眠気冷ましに近くの湖畔を一人で散歩していると誰もいない砂浜に何かが打ち上げられているのが見えた。
最初、流木かなんかだろうと思い
近づいて行った。
湖畔の砂浜に打ち上げられていたのは
師だった。
驚いて慌てて声をかけたら師はなにか言ったけど
よく聞こえなかった。
話を聞いたら昨晩、雨の中
酔っ払ってそのまま外で寝てしまったらしい。
目覚めた師に俺は
「湖で漂流した人みたいっすね」
って言って二人で笑った
ー
俺の師は二人いて
師(ダブマスター&ジーニアスエンジニア、夢限クリエイター、TJ(cassette tape jay)街のスタジオで初めて出会った。俺の曲作りのアドバイスや音源のマスタリング、作品作りをしてくれて、悩みを聞いたり人生に生きる希望を与えてくれた)
師(踊る男&アヴァンギャルドアートディレクター、ギャラリーの最高司令官・館長)街のスタジオに師が帰って来たタイミングで出会った。とても気さくでいつも金のない俺を師の自宅に泊めてくれた。
❹部屋からの革命
:Revolution in the room
師の話によると、ある先輩が帰って来て街のスタジオでイベントをやるらしい。普段、俺たちがよくバンド練習で使っているスペース、Aスタジオ(:Aスタと呼んでいた)で数日間、絵の展示をやるみたいだと師は言った。
展示イベント当日。
ドキドキしながら俺は街のスタジオのドアーを開けた。
「おーはじめましてーよろしくー」
そう言って手を差し伸べられ、こちらもあわてて手を出し挨拶を返す。初めて会った"帰って来た先輩"は、ずっと東京に居て映像関係の仕事をしていたらしい。今日のイベントについても大雑把に説明してくれて俺はすぐにリラックスしてその日を過ごすことが出来た。話に聞いていた先輩はとても気さくな人だった。(それが私の、もう一人の師との最初の出会いだった。)
早速、Aスタに移動して展示された作品を見る。
まず、目に映ったのは天井から二本のワイヤーで吊るされた縦長の絵だった。何枚ものその不思議な絵は部屋の両側に等間隔に並び、中空で固定され異様な雰囲気を醸し出している。絵はいわゆる抽象画で牢屋の鉄格子みたいな格子状、その隙間からのぞくのはキャンプで見た苔のような緑色のグラデーション。様々な色彩で立体感を生み出し、あたかもそこに自然があるかの様な錯覚を引き起こす。
今まで味わったことのない感覚だった。未だかつて絵を見てここまで引き込まれることはんてなかった俺は、完全に先輩の絵やアート作品に魅了されていた。
また別の場所には長方形のキャンバス。そこに描かれた真っ白い背景に浮かび上がるゴツゴツとした質感を持った絵は空中に浮かんでいる"地図にない島"のようだった。
他にも、衝撃的な絵画やコラージュ作品など数々の作品が展示されていた。
その中でも一際目立ち異様な雰囲気を醸し出していたのは紛れもなくスタジオの一番奥中央に設置された作品だった。
見たこともない大きな生き物(バケモノか怪物)の重要な器官を模した物。または、永遠にその動きを停止させた大きな心臓。
それは縦に伸びたハコ型のスピーカーで、その表面を小さな無数の流木が皮膚のように鱗状に覆っていた。
その作品の真後ろには先ほどの絵が中空に展開され無機質な鉄格子に閉ざされた森を思わせる。
俺は気が付けば呼吸をするのも忘れその世界に没頭していた。絵画を鑑賞するにはある程度の距離が必要だった。物理的にも精神的にも。そういう美的感覚やマナーみたいな物をこのイベントで感覚的に教えてもらった。(そう自負してる)
とんでもない。到底、理解なんて出来るわけがなかった。家に帰って自分の部屋のベッドに寝転んだ。そしたら、部屋がとても退屈に思えた。
それから先輩の展示は数日の間続いた。
最終日となる今夜は音楽がメインらしい。
深夜に俺はエントランスでくしゃくしゃになった千円札を支払いカウンターで酒を買って適当に時間を過ごしていた。
街のスタジオの店主と一緒に彼女さん(かわいい)も来ていて、革ジャンを着ていた俺を褒めてくれた。店主は「パンクスじゃ〜ん」(かっこいいって!!)って言ってくれた。
Aスタに行くと聞いたこともない音楽が耳に入って来た。主催の先輩はDJもやっていて、展示スペースでそのまま音楽を聴くなんてとても新鮮で斬新だった。頭の中が電気が流れたみたいにビリビリした。
俺は酒をチビチビ飲みながら頭を揺らしリラックスした状態で自然にリズムを刻んでいる。俺はバンド以外にこんなに楽しいことが有るのを知らなかった。
ただ、酒を飲み音楽を聴きながら身体を揺らす。たまに友達や先輩と話をしたりして。
目を細めてゆっくりとタバコに火を付ける。
イベント用にライトアップされたAスタジオは、普段とは全く違って見えた。
イベントも終盤、俺は謎の高揚感に包まれながらソファにもたれかかるようにして座った。それぞれが思い思いにゆっくりと穏やかな時を過ごし、そこではまるでスローモーションみたいに時間がゆっくりと流れていた。
イベントは暗めの照明でクライマックスを演じ、誰もいなくなったAスタのフロアーでは展示の主催者である先輩が一人、見たこともないような激しい踊り方で
ずっと踊っていた。
❺minor threat
:マイナースレット
ある日、街のスタジオでDJ partyなるものに初めて参加した。音楽がかかってる途中でAスタ(一番広いスタジオの名前)のライトを消して真っ暗ななかでminor threatのout of stepがかかった。俺とトーマ、数人で暗闇の中スケートに乗ったり踊ったりモッシュした。楽し過ぎだった。ちなみに師も俺たちと一緒に踊ってたと思う。DJだったのに。たしか。
また別の日に師によばれて俺はトーマと二人で夜、街のスタジオに行った。店主からもらった革ジャンを着て。母さんの車を借りて。スタジオ以外でイベントに遊びに来ることはあまりなかったから何が始まるんだとドキドキしながら街のスタジオのドアーを開けた。
いつもはあったかいライトに照らされたでかいカウンターがあってカウンターの棚にはたくさんの漫画とかウッドストックのVHSとかカセットテープが置いてあったんだけどこの日だけは違った。カウンターがなんか巨大なDJブースと化しライトもブルーで怪しげでエロい感じだった。(一体これからなにがはじまるっていうんだ…)
師は俺たちを見つけて笑って言った。「おい〜!きたか。ありがとー」って。俺はうれしくなって師とまずは一緒にろくに飲めもしない赤い酒を飲んだ。(箱入りワイン。なまらうまい)
ブースに飾ってあったレコードのジャケを見てすぐに俺は反応を示していた。あ!!これみたことあるやつだ!!『the slits』っすよね?!」って聞いたら、師はにやっとして曲をかけた。
"cut"の一番最初のInstant Hitという曲が流れ出した。
なんだこれ?!初めてのリズム、自由で変な歌い方。だけどめっちゃかっこいい。二十歳過ぎてから初期パンクを聴き目覚めた遅咲きパンクスだった俺は、the slits やminor threatといったハードコアやパンクロックの奥深さを知りその姿勢を無意識に感じとっていた。
ひととおりslitsの曲がかかると俺の心はもう本当に最高潮に達していた。ブルーのライトの下で一心不乱に踊った。血みたいに赤い酒が美味すぎてどれほど飲んだか一切覚えてないけど。(たぶんいうほど俺は飲めてない)
『He is a boy
He's very thin
Until tomorrow
Took ******
Don't like himself very much
'Cause he has set to set to self-destruct
He is
Set to self-destruct
He is
Too good to be true』
(the slits / cut収録曲Instant Hitより)
❻2アウト満塁
『dub boxer7』
:ダブボクサー7
という名のイベントがたまにやっていた。街のスタジオで。DJ partyとは一線を画したレゲエのイベントだった。今まで俺はパンクロックを核に色んな音楽をジャンルを気にせずたくさん聴いてスポンジのように吸収していた。
そんななか初めて"レゲエミュージック"に触れたのは高校を卒業した頃、街のスタジオで真空パックされた真っ黒いカセットテープを買って聴いた時だった。(あとで知ったが師がレコードをダブミックスしてこのテープをつくったらしい。)DUB:ダブとはダビングのことをいう。
このテープの一曲目はCornell Campbell の You're Not Goodから始まる。(めっちゃ良い曲なんですよ)真夏の夜に。バイト終わりに。ラジカセやらテレコで何回も聴いた。クラッシックな管楽器の音だったり甘い歌い方もレコードのプチプチ音も大好きだった。パトワ語というのも教えてもらった。
ある日、例のレゲエ のイベントdub boxer7(ダブボクサー7)が街のスタジオで開催されるとのことで師は俺にイベントのポスターを作るようにと頼んだ。(まかせろ)
まず俺は準備を始めた。実家からほど近い文房具屋に赴き素材集めを。ポスターはどの質感の紙がいいのか。白よりは黄色みがかったクリーム色っぽいイメージだな。下地はそんな感じであとは個人的にハマっていたnikonのフィルムカメラで撮りためていた街のスタジオの店主や師たちの写真を使ってクリーム色の下地の紙にぺたぺたと写真を切って貼る。おお… 我ながら良いか感じにイメージが具現化された。
そうやって仕上がった手作り感満載のポスターを師のもとへと持って行った。正直言ってポスターの出来は我ながら最高だと思っていたがokをもらえるかは神のみぞ知るところだった。そんないらぬ心配をよそに師は「いいね。これでいこうか」とそう言ってくれた。
dub boxer7(以下db7)のチラシやポスターはいつもなら師がPCで作っていた。完全なる手作り。完璧に配置されたコラージュ。色鮮やかな配色。統一された字体。パンクロックが好きな俺にとってどこかUKっぽさを感じさせる超カッコイイデザインだった。(毎回必ず何枚かもらって家に持ち帰って飾ったり保管していた)
db7は普段行われるバンドイベントとは打って変わって客の入りはわずかだったが、俺としては一晩中レゲエミュージックを聴けることがうれしくてしょうがなかったしなにより師とイベントで遊ぶことが唯一のたのしみだった。イベントでは聴いたことのない曲ばかりかかった。レゲエ といえばかの有名なBOB MARLAY & THE WAILERS(ボブマーレイ&ザ ウェイラーズ)ぐらいしか知らなかった俺は夢中で踊った。体全体をブラブラさせて。YouTubeでみたむかしのスカダンスを真似て踊ってたら師が気付いて笑った。それからパンクとレゲエ について色々と考えたけどなにも答えは見つからなかった。ただそれが自然な流れなんだってことを店主は言っていた気がする。
これはチャンスだと思った。相変わらず俺はニートだったがこんな風に師からごくまれに仕事をもらって無給で働く(働いているつもり)ことに生きがいみたいなものを感じた。ぶっちゃけ世間なんてどうでもよかった。またバイトをしたところでどうせ続かないならこのまま好きなことだけをやり続けていたかった。野球でいうところの二死満塁の状況で俺はバッターボックスにすら立てていなかった。
そして数年後、俺はなぜか神戸に旅に出ることになる。夜行バスに乗って札幌へ。小樽港からはクソでか船に乗って。アコースティックギターと着替えだけ持って。魂穢れなく。道は険しいが音楽の道はどこまでも続いている。(球道くんより)
どこまでも果てしなく。
❼Rodeo
:ロデオ
俺は強烈な異臭に顔をしかめた。
窓から車内に入り込んできた香りは、紛れもなく牛の糞の臭いだった。助手席に乗っていた俺を見て運転していた師は表情を崩さないでこう言った。
「Kusosmera !」(イントネーションはKを強めに読みそして語尾は巻き舌ぎみに発音してた。師はかっけー造語を作る天才)まるでヨーロッパのどっかの国のスラングみたいで俺も真似して言ったけどなんか恥ずかしくなってやめた。
最近はよく師が車でドライブに連れていってくれた。とゆうのも最近師が車の免許を取得したからだった。色々なところを車で通る。海。埠頭では濃いめの青空の下をカモメがたくさん飛んでいた。(師は美味そうだって言っていた…え?)市内から一時間も走れば山が近くに見える町に着いた。そこから峠に行くと霧でなんにも見えなかった。店も閉まってたし。辺りは視界が無く真っ白というより灰色で自分がどこか別次元の世界に迷い込んだように感じた。別の日には林道に迷い込んでいたり(熊が出そう)どこかの山道を登って行った時は車が走るすぐ横に鹿の群れがいてギョッとしたり。はたまた今にも崩れてきそうな崖の下を(崖くずれ用のでっかい網分かります?あれが全面にしてあるんですよ?)通った時には完全にしを覚悟しましたね(まじでかんべんしてほしい)師はそんな怯える俺をみてげらげら笑ってました。帰りにやることもなく助手席から森や林をずっと集中して見ていたら、帰って来た時に何かが覚醒して目がぱきーん脳がぱっかーんってなってなんかわからんが頭がスッキリした。そして俺はその超感覚を『ひらいていくかんじ』と名付けた。(でも一体なんだったんだろうあの感覚は。今は失われた感覚だ)
それからは師にドライブに誘われる時はちょっと躊躇するようになった。(まだしにたくないし)ドライブの時に師と一緒にいるとなぜか動物がよって来る。だけど本当にいろんな場所へ連れ出してくれた。引きニート(自分で言うのも恥ずかしいんですが)の分際でおこがましいですが、そんなはちゃめちゃな師のおかげで生きる希望みたいなものがどばどば湧いてきて毎日生きるのが楽しいと思うようになった。
❽bond girl
:ボンドガール
ある夜。
俺は高校の時以来のニケツ(自転車に二人乗りをする意)をカマしていた。深夜のコンビニへ向かって。後ろにまたがって乗ってるのは2つ年下の女子。でもただの女子ではなくパンク女子だった。俺が「付き合って」とさり気なくぼそっと言ったらそいつは「いや、そんな感じ?ちがうしょ」と。
速攻でフラれた(どいつもこいつも俺をバカにしやがってちくしょう!…)帰って六畳間の部屋で二人でシドアンドナンシー(若かりしゲイリーオールドマンが扮するSEX PISTOLSシド・ビシャスの自伝的な映画)を観た時うかつにも彼女の前で謎に号泣してめっちゃ引かれた。じと目で。(いいだろおたくどもキモっ)
SEX PISTOLSを好きになったのもパンクが好きになったのも彼女がこのバンドのCDを何枚かかしてくれたのがきっかけだったと思う。(みとめたくねぇ)それに彼女のパンクっぽいスタイル。大人っぽくて長くのばした黒髪に。ピアスが色んなとこに(意味深)いっぱい開いてて漆黒の細いパンツスタイルも良くてめっちゃかわいかった。(きもきもきも)
彼女はたまに俺の心を切り裂いた。俺がやってるバンドのギターのやつのほうが顔が好きだの(彼女はシドよりジョン・ライドンが好きだった)後輩に告られたけど私どうしようだのと話してヤキモチを妬く俺をからかってたりした。両手をほっぺにあてながらはずかしそうに「きゃー!どうしよう!」なんてでれながらそんな話をしてる時はそこらへんの普通の女子だった。(まじで超かわいい)
俺はフラれたのにもかかわらずその後も彼女の気持ちなんて考えないでガンガン連絡した(最低ウザ)彼女は深夜働いていたclubの仕事に行く前にたまに家にあそびに来てくれたりして近況だったりお互いのことやこれからなにをやりたいかなどを一緒に話し合ったりした。優しくていつもにこにこ俺の話しを聴いてくれた。なぜか一緒にいて話をしていると落ち着いた。そんなひとだった。好きな気持ちも憧れに近かったのかも知れない。ただ今は、彼女といる時間が特別で本当に大切に思えた。
またある夜には海の見える公園に彼女を連れ出して自作の曲を聞いてもらった(だからきもいつってんだよ!!!)「これ、作った。だから聞いて。」必死に頼んだ。ギターを一通り弾き終わると彼女は黙っていた。あー俺またやらかしてしまったーと思ってあたふたしてたら彼女は静かにこう言った。
「ありがとね。」
波の音なんか聞こえなかった。
彼女が涙を流してそれでも笑ってくれたから。彼女がどんな気持ちだったかなんてどんなつもりでそんな風に言ってくれたかなんて俺にはちっとも分かんなかった。そして泣いていた理由も。会うたび俺はうざいぐらい好きとか超かわいい!とかばっかり言ってたからこう言う時になんて言葉をかけたらいいか分からずただ無言で一緒に帰った。
夕暮れ時に母親からかりてきた車で俺と彼女は話をした。
彼女は東京に行くことが決まったらしい。やりたい仕事も頭の良い彼女のことだから具体的にちゃんと考えてるんだろう。俺は色んな気持ちを抑えこみながらなんとか平静なフリをして声に出した。「ぜったい幸せになってな。俺はたぶんずっと釧路にいるし。もう大丈夫だよ。」
彼女がどんな顔をしていたのかどんな言葉を言ったのかはもう忘れた。ただ、ボンドガールみたいにカッコ良くて綺麗で自分のやりたいことに真っ直ぐ挑み続ける彼女が眩しくて羨ましかったんだ。
ー
その後、彼女に会ったのはそこから数年先のことだった。街のスタジオに彼女は来ていた。東京から一時的に帰って来たのだろうか。まわりには俺の友人たちが久々に会った彼女を取り囲んで楽しそうに会話してる。俺は遠巻きにチラっチラっと彼女をみて黒くて長かった髪もすこしだけ茶色に染めて本当に大人になったんだと思った。気付いたら彼女が目の前にいた。「なんで話してくれないの?」とちょっと怒った口調でそう言った。俺はテキトーに場をごまかしてその場から逃げるように去った。後日、東京に戻ってしまった彼女から連絡があり『シンゴがいつかこっち(東京)来たらいつでも泊まりにきていいからね。』って言ってくれた。
俺はそれからはもう二度と彼女とは連絡をとっていない。彼女が今、何を目指しどんな仕事をしてるかもぜんぜん分かんないけど。たぶんいや、あいつのことだからストイックにやりたい事に全力で向かい合って闘ってると思う。それを続けられるからすごいんだ。あの時言った言葉のままにボンドガールみたいだった彼女にまた伝えられるなら
「ぜったい、幸せになってね。」
これだけだ。
(我ながらキザな野郎だぜ。きもきも)
最後にくる↓
ラスト[低空飛行できわっきわをいけ]
ー
時は過ぎ去りし俺はとうとう地獄の20代を生き抜いて30代になった。(20代なんてもう二度とごめんだ)
髪も薄くなり伸びると落ち着かないから年中丸坊主スタイルを通している。いや、ハゲてないから。(マイナースレットのイアンマッケイみたいになりたい)身体機能は少しずつ低下しているのを感じる。(手もがさがさだし血がなかなか止まらないです。)今ではすでに目の奥の輝きは失われ深いため息を毎日吐きながら明日の仕事の事を考えている。
ある日、最近職場にやってきた二十歳そこそこの職員の元気に働く姿を見てなんとなくぼんやりした物が浮かんだが気のせいだと意識をシフトした。同僚がそのフレッシュな新人職員〈セクハラになりませんように〉の事を「純粋過ぎて疲れるんだよね〜」と軽く話しているのを耳にした。
彼女は社会人になったばっかりで若くていつもおどおどしていた。(たぶんだけど)毎回仕事が終わるたびに俺や他の介護士にぺこりと頭をさげて「お疲れ様でしたあ」と挨拶をしてくれて真面目できちんとしてるなと思った。
彼女は他部署に勤務していたし介護士ではなかったから絡みもぜんぜんなかった。
俺はそんな彼女をすこしだけかわいそうだなって思った。もっと肩の力を抜いて自然に笑えればいいのになと勝手に考えた。きっと彼女なりに全力で200パーぐらいで仕事をしてくれているんだろう。そうしてそっと心のなかで応援していた。
そしてそんなある時に俺はついに決心した。長年世話になった職場を退職する決意を。今や地元の介護業界(そう呼んでいいものか)はどこに行っても人手が足らずどこの施設も普通にサービス残業もあれば長時間の夜勤があったり常にワンオペだったりする。(働き方改革というか革命を起こしましょ。まじでたのむわ厚労省の人よ)
現状そんな環境に慣れきってしまっていた俺は判断力を失って疲弊していた。これが普通なんだと。可愛がってもらっていた先輩たちや気の合う同僚も飛ぶ鳥後を濁さずまた一人また一人と次々に退職していった。そしてついにやるべきことのため新たな環境を求めて俺は5月末で現職をどうにか退職した。
新しい環境、新しい同僚。仕事内容。すべてが新鮮で俺はワクワクしていた。仕事を必死に覚えて夢中になって働いていればそれだけでよかった。その先の未来で自分が本当にやりたいことのために必要なことだから。
そのうち夏になって突然、身体的な違和感を感じ始めた。職場に着いたとたんに胸がドキドキして(恋なんかじゃないんだからね!)嘔気や眩暈がした。車を運転してる時もふわふわしてきて手が痺れたり、一人で外出して買い物や飲食をしてる最中もたびたび同じような状態になって酷い時は意識喪失しそうな感覚に陥った。そんな感じでもはやどうしようもなくなって、やむを得ず事情を話して仕事を休ませてもらい、病院に行くはめになった。
市内の脳神経外科では小学校の時に骨折したときぶりにMRI(バカデカいタイムマシンみたいな医療機器)をやった。タイムマシンの中は身動きがまったく取れずただひたすら機械音を聞きながら時が過ぎるのを待った。テクノっぽい音だなーとかサンプリングしたいなーとか脳の画像とかくれねえかなーとか一人で考えながら。(ほんとお宅の息子さんはバカですよね〜。うるせぇ!)「梗塞の痕もないし大丈夫だ」とじじいの医者からはそう説明された。
次は内科。その次は妹の紹介で耳鼻咽喉科へ。検査を一通りやりどちらの医者からも言われたのは見当違いの言葉だった。真夏の馬鹿みたいに暑い車内で一人どうしようかと頭をかかえ本気で迷っていたら数年前に精神安定剤を処方された大きな病院のことを思い出してすぐに電話をかけた。電話口で看護師から経緯や現在の状態の他に以前の通院歴などを確認され数年ぶりなので初診になる事。数ヶ月は待たなければならない事を伝えられた。
予期せぬ事は予期せぬ時に起こるもので。俺は数ヶ月後に受診した精神科医から『パニック障害』の診断を下されたのだった。
パニック障害とは➖ー➖ー➖ー➖ー➖ー➖ー➖
(良き相棒より抜粋)
突然、強い不安や恐怖を感じ、激しい動悸・息苦しさ・めまい などの発作(パニック発作)を繰り返す病気。発作が「また起こるのでは」と不安になり、外出を避けるなどの行動制限が出ることもある。
主な症状
⚫︎ パニック発作(突然の激しい動悸・息切れ・めまい・発汗・震えなど)
⚫︎予期不安(また発作が起こるのではと強く不安になる)
⚫︎ 広場恐怖(発作が起きたとき逃げられない場所を避ける)
発作は数分~30分ほどでおさまるが、繰り返すことで生活に支障が出ることも。治療は薬+認知行動療法 が効果的。
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いざ自分が病気になるまでは当然そんな知識も持っている理由もなくただ漠然とした子どもの頃に病院で見た過呼吸になってる人(とても苦しそうにしていた)をイメージした。実際のところかなり厄介なものでパニック発作はランダムな時と場所で起こるためだんだん一人で外出することが億劫になり(恐怖を感じる)俺は仕事以外では引きこもりがちになった。
定期的な通院のなかで担当医が言った(以前の担当医(最悪だった)はもういなくなってて新しい担当医は熱心に話を聴いてくれた)「いつかは薬を飲まなくてもよくなればそれが一番良いです。あとは行動してその場所に慣れることですね」と。
医者のその言葉を胸にまずは自分が大好きだったお店から再び足を運ぶようになった。
ー
以前、街のスタジオで師が言ってくれたことがあった
「シンゴ、ここが一番底だから。
これ以上落ちることはないっしょ。」
そんな師の魔法のような言葉を思い返して。俺は今日も生きている。
「きわっきわだね。」
今思うと師の心境も相当だったはずだ。当時は街のスタジオの経営もうまくいかなかったようで俺みたいな年下の戯言にかまけてる暇なんてなかった筈だし、師が抱えていた心労は計り知れない。だけどいつだって俺が困難にぶち当たった時には向かい合ってちゃんと顔を見て真夜中にひたすら真剣に話を聴いてくれた師の姿を俺は今でも忘れられない。お互いの仕事は違うはずなのにいつも俺に的確なアドヴァイスをくれた。(映画RockersのJahのように)
そんな師の背中を見てきたから。最後までとことん向き合ってもらったことはなかったから。(まるで実の母親のように)今度は俺が誰かに。生きていくなかで困難にぶち当たって本当に困ってる人たちに。師が繋いでくれたリレーのように。手を差し伸べられるようになるから。だから俺はいつも超
『低空飛行できわっきわを行く』
だから黙ってそこで待ってろ。
俺がかならず助けに行くから。