第八話『武侠翼紀』
武侠翼紀を知らない人間は、彾嘉の住んでいる地域にはいない。それほど有名人だ。
有名たらしめる理由は最強だからだ。スポーツが強いのではなく、テーブルゲームが強いでもない、人間として生物として最強だからである。
天乃使学園の直ぐ横にある大きな格闘技道場の長女だそうで、美人で男女共に人気も高い。
「俺の調べでは、コイツの凄いところは漫画のキャラみたいに強いところだな」
エンジュが手に持った紙を見ながら言う。
「それって何を見てるんですか?」
「俺が調べた武侠翼紀の情報が書かれてる。おい、この武勇伝は本当なのか?」
「あ~……」
彾嘉も翼紀の武勇伝をいくつか聞いたことがあった。防具無しで刀で斬られて無傷だった、巨漢の男を二十人無傷で倒した、銃で撃たれても無傷だったなどを聞いたことがある。
それに彾嘉も武侠翼紀がガラの悪い学生五人を一瞬で倒す瞬間を目撃している。鉄パイプで殴られていたが無傷だったのも衝撃だった。
「たぶん本当ですね」
「なんだこの小学生が考えた【僕の考えた強そうなキャラ】みたいなバカみたいな武勇伝」
エンジュが読みながら呆れた顔をしている。
「まあ、実際に見て確かめてみるか」
紙を仕舞うと、彾嘉の前をエンジュが先行して飛ぶ。
しばらく歩くと彾嘉の通う学園の前に到着する。
「あれか、さてと勝負しに行くか」
「ま、待ってくださいよ!勝負って何をするつもりですか?!」
「あぁ?あ~……じゃんけんとかだよ?危険なことはしないから心配すんなって」
「それなら良いんですけど」
エンジュがバツが悪そうに道場の方を見る。
道場の入り口にタンクトップに筋骨隆々の20代ほどの男が道場の門をくぐって行った。
「あれがウワサの決闘の申し込みか」
「え?」
「武侠は一日一回だけ金を賭けて決闘をしてるんだよ!見に行くぞ!」
エンジュが急いで男を追いかける。
「え!ちょっと!」
彾嘉も着いて行くべきか迷うが、エンジュに憑依されて無理矢理に連れて行かれるのが頭に浮かんだ。
「はぁ……うわっ!」
エンジュに続いて門をくぐるろうとしたが足を止める。
門を入って直ぐの場所で先ほどの男と、女生徒が対峙していたのだ。
「アイツが武侠翼紀か」
エンジュも入ってはいけない空気を察したのか、門から出て来た。
「あの人が……?」
最初に見た時と変わらない翼紀がそこに立っていた。
腰まである長い黒髪に、整った顔立ち。キリッとした目元や高い身長のせいか可愛いよりもかっこいいの方が勝っている。
「俺が勝てば何でも言うこと聞いてくれるんだよな?」
男が翼紀を見つめて質問する。
後ろ姿なので男がどんな顔をしているのかは分からない。だが翼紀の周りにいるチラホラいる女生徒が汚物を見るような目を男に向けている。
どうやらとんでもないくらい下品なことを考えている顔をしているのだろう。
「もちろんだ、だが負けたら20万だぞ」
「ふん、わかってるよ。これで文句ないだろ?」
ポケットからお札の束を取り出す。
「いいだろう。その前に質問だ」
男に向けて人差し指を立てる。
「この指の上に何か見えるか?」
「何言ってんだ?上に何かあるのか?」
「もういい、さっさとかかって来い」
「ゲッヘヘヘヘ、これでお前は俺の女だ!!」
男が翼紀に駆けて行くと、拳を思い切り振る。
「やはりこの程度か」
「なっ!」
拳を避けた翼紀がドスンと男の腹を殴った。
「アガガガガ……アッ」
腹を押さえてヨタヨタと後ろに下がると、崩折れた。
「金は貰っておく」
ピクリとも動かない男のポケットから札束を抜き取る。
「よし、ちょうどだな」
お札の枚数を確認すると、足を掴むと道場の外へ軽々と放り投げた。
「お姉様!終わりましたか?」
「今日も楽勝でしたね」
「ああ、さっきの続きでもしよう」
周りに居た女生徒たちが翼紀の周りに集まりだす。
「それよりキミ!」
翼紀がこちらに向かって歩いて来る。
「さっきから気になっていたが、公園で会ったよね?もしかして私に会いに来てくれた?」
前に立つと、彾嘉の顎をクイと持ち上げられる。
「うぇっ!僕はべ、べつに!」
「僕っ子か良いな。まつ毛も長く、肌も綺麗なのも良い。それに可愛い」
彾嘉の唇を親指で撫でる。
「どうだ?私と今から」
彾嘉の手を引いて、耳元に口を近付けて囁くように言う。
「え?!」
「変われ!憑依!」
思わぬことを言われて動揺する彾嘉の背中に、痺れを切らしたエンジュが憑依した。
「俺と勝負しろ!」
エンジュが翼紀に殴りかかる。
「そうか」
その攻撃を簡単に避けると、唇の端を持ち上げながらエンジュの顔を見つめる。
「そっちの用だったか……私に会いたがる可愛い女の子の用は告白しかないもんでな」
「告白だあ?そんなもんするか!」
『天使さん、もしかして今からじゃんけん勝負するつもりですか?!』
「その通りだよ!」
エンジュが体勢を立て直して構える。
「勝負だ!」
「おっと、待って」
翼紀が手を広げて止める。
「私と勝負をしても良いが、金はあるんだろうな?」
「金だと?」
「ああ、私と勝負するなら20万円だ。無いなら決闘はしない」
「なんだと?!」
先ほどの男もお金を用意していた。勝負をするにはお金を用意するのは決まり事なのだろう。
「そんな金はない!」
「そうか。だが特別に20万を免除してやることもできる」
そう言うと、先ほど決闘した男にやったように人差し指を立てる。
「この指の上に何か見えるか?」
「はあ?何も、ただの指だろ?」
「なら金を用意したらまた来るんだな。いつでも相手してやる」
翼紀はそう言い女生徒たちも元へと戻って行った。
「待て!勝負しやがれ!」
「いい加減諦めなさい!」
「お姉様は忙しいのよ!」
エンジュが喰ってかかろうとすると、翼紀の取り巻きの女子生徒たちに阻まれる。
「お姉様はね、お金を持ってる人か、加護を見れる人にしか興味ないのよ!」
「加護だと?」
「もしくは自分より強い人か……まあそんな人間はいないでしょうけどね。わかったら帰りなさい!」
「うわっ」
女子生徒たちに両脇を抱えられると、道場の外へと閉め出された。