第六話『憑依』
「本当に契約を解除することって出来ないんですか?」
「本当に出来ない!」
「本当の本当にですか?」
「本当の本当だ!そもそも出来ても教えねえよ!欠片を全部回収したら契約は終わるんだから良いだろ!もう諦めろ!」
彾嘉の質問に答えるつもりがないエンジュの態度に少し腹を立てながらも、込み上げる怒りを深呼吸をして抑える。
そんな彾嘉の気持ちなど気にしていないエンジュは嬉しそう飛び回っている。
「よしっ、一回お試しで憑依してみるか」
「え?憑依ってさっき言ってた僕の身体を借りるっていう?ちょっと待って下さいよ。まだ心の準備が」
「いつかはやるんだから良いだろ。よ~しいくぞ~」
「待って下さい!どういう原理で憑依するのとか、僕の体に影響とかないのとか教えて」
「憑依~!」
エンジュは彾嘉に向かって飛んでくる。
「ちょ、待って!あっ……」
彾嘉の額にエンジュがするりと入っていく。
「ふ、ふふふ……にゃはははは!どうだ成功だ!」
『ど、どうなってるんですか?!』
意識はあるが、指一本も体を動かなせないことに彾嘉は困惑する。
「そうだな……良いところに鏡があるじゃねえか。どうなったか見せてやるよ」
『わっ、体が勝手に!」
彾嘉の意思とは関係なく体は動き出し、部屋にある姿見に移動する。
「どうだ?これで見えるだろ?お前は視覚や聴覚、あとは触覚も感じるはずだ」
エンジュが姿見を触れると、彾嘉の手にも冷たい感覚が伝わってくる。
「だが安心しろ。痛覚だけは共有しないようにしてある」
『どうしてですか?』
「お前も痛いのは嫌だろ?俺が憑依されてる状態で誰かに殴られたり、刺されたりしたら大変だからな」
『いやいや、怪我してるじゃないですか!』
「俺が身体から出たら治るから安心しろ」
彾嘉はホッとしたような気持ちになったと同時に、少し不安にもなった。
『あれ?』
その気持ちは姿見に映る自分を見て吹き飛んだ。
「どうした?」
『なんだか変じゃないですか?』
「変だと?俺が憑依して変になるわけないだろ!」
彾嘉は姿見に映る自分の姿に違和感に気が付いた。彾嘉自身も違和感がなさ過ぎて気が付くのに時間が掛かったほどだ。
『やっぱり変ですよ。だって僕ってこんなに女の子みたいでしたか?』
姿見に映る彾嘉は髪が少し伸び、女の子独特の丸みのある体型になっている。それに、ほんの少し胸も膨らんでいる気がする。
『て、天使さん……!ねぇ!やっぱり僕って女の子みたいになってないですか?!』
「ああ。女の子みたいじゃなくて、女の子になってるぞ」
『どういうことですか?!』
「どういうことって、契約書に書いてあっただろ?注意事項の二十一項目に『男性に憑依した場合は憑依した天使の性別に変わる』って」
『読んでないですよ!って、何度も言いますが何語か分からなくて読めませんでしたよ!!』
「ふん。なら俺も何度も言うが、確認しなかったお前が悪い。まあ、俺が憑依してる間だけだから気にすんなよ」
『そんな……』
彾嘉は自身のコンプレックスがさらに助長されたことにショックを受ける。
「やっぱりこの体にして正解だったな」
エンジュは姿見の前でグラビアアイドルのようにポージングする。
『……なにしてるんですか?』
「見て分からないか?お前の体は俺が入ったら可愛くなってるとは思わないか?」
『……』
エンジュが憑依したせいか彾嘉の歯は鋭利な八重歯になっていた。
姿見の前で嬉しそうにポージングをするエンジュを見て、彾嘉は『もしかしてそんな理由で僕って決められたのかな』っと思ってしまった。
「チッ、胸が小さくなってるな……やっぱり男の体に入ったせいか?」
エンジュは自身の胸を揉みながら不満そうな顔をする。
『な、なにやってるんですか?!!』
「良いだろ。別に自分の体なんだから……あ~、触感も共有してるんだったな。やらしいやつめ」
『不本意ですから!僕から触ったわけじゃないですから!』
彾嘉はこんなに早くストレス発散の1つを出来るとは思っていなかった。
「男の体のせいで胸が小さくなるとは、これだけ誤算だったぜ」
『そうですか……』
「にしても腹減ったな~。何か食う物ないのか?」
『自由ですね……。もう少しでお昼ご飯の時間ですが」
「なら飯だ!」
彾嘉の額からエンジュが抜け出る。
「あっ、動ける!よかった~」
手を開いたり閉じたりして、彾嘉は自分の体が自由に動くのを確認する。
「さっさと飯食いに行くぞ」
呆れた顔をしたエンジュがドアの前で待っている。
「下にはお母さんが居るので、天使さんはここに居た方が良いんじゃないですか?」
「心配ねえよ。俺は契約者か自分が見せたいって相手にしか見えないようにできんだ」
「そうですか……」
エンジュを引き連れて、彾嘉はドアを開けて一階のリビングに向かった。
「あら、彾嘉。ちょうどお昼ご飯できたところよ。呼ぶ前に来るなんて偉いわね」
そう言って母はテーブルの上にホットケーキの乗った皿を置く。
「お前のかあちゃん若えな……お前のお姉さんで通用するだろ」
彾嘉の母親は周りに比べて圧倒的に若く見え、親が学校に来る行事があると目立ってしまう。たまに父親の再婚相手などと学校に来た時にクラスメイトたちに色々と噂されることもあった。
「無性にホットケーキが食べたかったから、今日はホットケーキよ」
「そうなんだ。いただきます」
彾嘉はハチミツのかかったホットケーキを食べ始める。
テーブルの上では、彾嘉の皿のホットケーキをエンジュが手でちぎりながら食べていた。
「うめ~!甘い物ってなんでこんなにうまいんだろうな?!」
その小さな体のどこに入るのか、エンジュはモリモリと食べていく。
「そういえばお母さん、部屋の掃除は?」
洗い物をしていた母に、朝の掃除について気になったので聞いてみた。
するとピタリと手を止めて、彾嘉に向き直る。
「あれはお母さん1人じゃ無理ね。ガタイの良い男が4~5人居ないとあの部屋の片付けは無理よ」
母は頭を抱えて項垂れる。
「あの部屋の掃除は諦めて、まあ凛か私の部屋で一緒に寝てもらえば良いわよね」
「なんの話?」
「言ってなかった?今日から」
言いかけた母は、彾嘉のホットケーキが乗っていた皿を見て言葉を止める。
「あれ?もう食べたの?今日はよっぽどお腹空いてたのね」
「え?」
彾嘉も自分の皿を見ると、綺麗に無くなっていた。
「うまかった~、ごちそうさま!」
お腹を膨らませたエンジュが横になって寝ていた。
「ごめんね、彾嘉。そんなに食べると思ってなくてそれだけしか作ってないのよ」
「え……いいよ。お腹いっぱいだし、ごちそうさま」
そう言って母にエンジュが綺麗に食べ終わった皿を渡し、自室へと戻った。