第6話 vsスライム(前)
東大手門を出たカサネは、頬を撫でる風に、大きく伸びをした。
この場所を牧歌的な空気感で眺めるのは、何日ぶりくらいだろうか。遠くで山羊を散歩させている農家の若夫婦へと手を振りながら、噛みしめるように歩き出す。
「いい天気だね、暗くなるまでにウーノに着けたらいいなあ」
エステルは、冒険に出るという高揚感からか、やや浮足立ったような足取りだ。
隣の村にくらい何度も行ったことがあるだろうに、まるで初めて歩く道であるかのように、目を輝かせながら進んでいく。
時折立ち止まっては、こちらを振り返って微笑むのが、可愛らしかった。
もちろん彼女には信頼を寄せている。これまで何十周とこの同じ道を、旅立ちという同じシチュエーションで歩いてきても、それが薄れていくことはなかった。
それが、今朝の一件から、彼女の一挙手一投足が妙に気になってしまう。
『一周目』の時にあった、ゲームのヒロインが目の前にいる興奮とはまた違う、鼓動の高鳴りを感じる。
「(いいや駄目だ。しっかりしろ、俺)」
首を振る。実を言えば、はじめの何周か目で、エステルと結ばれようと試みたことがある。
しかし、それは失敗に終わった。
元々のゲームにおいてそんなエンディング分岐がないせいだろうか、どれだけアピールしても仲の良い幼馴染としての会話イベントの一環。意を決して寝室に突入すれば『きゃーのび太さんのエッチー!』タイプのお叱りイベントが発生して終わるだけなのである。
それに、目標を達成して元の世界に帰ることができれば、結局は別れることになるのだ。
「(俺までおかしくなるわけにはいかない)」
胸に固く言い聞かせる。
それが、ミスだった。
カサネは周囲の光景に気付いてハッとした。王都からウーノ村までの道中、最も森に近づく地点まで来てしまっていた。
道に影を落とす木々は、通行者たちの休憩所であるとともに――魔物の住処が近い可能性の高い危険地帯でもある。
「エステル、避けろ!」
「……えっ? きゃあああ――――――!?」
時すでに遅し。
木の上から降ってきたスライムがエステルの帽子に着地する。そこで彼女が首をすぼめてしまったものだから、ずり落ちたスライムはそのまま、襟首にするんと入り込んでしまった。
「ひぅっ!?」
背中側から胸元へとスライムが蠢くのが、服の上からでもわかる。
「や、や、やだ! 取って! ネバネバ嫌ぁ!」
「わかった、今取るから、暴れんな!」
予測できていた展開を避けられなかったことを悔やみながら、カサネはじたばたともがくエステルの腰元をひっつかみ、インナーとスカートごと引っ張った。
『にゅるー』
隙間ができたことで、そのままずり落ちてきたスライムは、最後に彼女の太ももを一撫でするように伝ってから、ようやく地面に落ちた。
「こ……の……!」
こめかみに青筋を立てたエステルが、般若の形相で足を上げる。
「わー! 駄目だエステル、ステイ! ステイ!」
カサネは宥めようとしたが、頭に血が上った彼女の耳には届かず、
「ど、りゃああああああ!!」
『にゅらーん』
見事なキックによって、スライムを森の奥へと蹴り飛ばしてしまった。
「(や、やっちまった……)」
カサネは頭を抱えた。この場合、正確には「やらせてしまった」が正解だろうか。
仕方なく剣を抜いて、未だ「スライム死スベシ、コロス……コロス……」と目を血走らせている殺戮マシーンを一瞥する。
「エステル。休む間もなくて悪いが、戦闘態勢を取ってくれ」
「え? だって、もう……」
元に戻ったエステルが、ルビーの付いた魔道具の指輪を指に召喚しながらも、怪訝な顔をして訊ねてきた。
「小型魔物を一匹見つけたら、百匹はいるって言うだろ?」
カサネはこの世界の慣用句で返す。はじめはゴキブリかよと笑ったものだが、本当にそれくらい潜んでいてもおかしくないのが魔物なのだ。今ではカサネ自身、ゲームのエンカウント率が多少高くても文句は言うまいと心に決めている。
剣を構えて数秒。かすかに『にゅるー』『にゅるー』と声が聞こえたかと思うと、森の奥に光る双眸たちが次々と現れる。
次々と。次々と。次々と。
「おいおい、百匹っては言ったけどさ……慣用句だろ?」
次々と。次々と。次々と。
「ちょっとカサネ。これ……ヤバい状況だったり?」
「ああ。こいつは想定外だ」
森の闇をあっという間に埋め尽くしてしまった眼光たちが、一瞬、にたりと歪んだように見えた。
次の瞬間、
『『『『にゅるる――――!!』』』』
地上から木の上から、スライムたちが雪崩のように一斉に飛びかかってきた!
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次回もお楽しみください!
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