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第39話 信じる勇気

「カサネ!!」



 彼の姿が浮上してこないと悟るや否や、エステルはローブを脱ぎ棄てた。



「みんなごめん、ツナミの相手をお願い!」



 叫びながら、上着のボタンを外していく。



「エステル、これを!」



 対岸のアルマから、鎖分銅に乗せて小瓶が届けられた。



「それは、さっき私が水に溶かした毒を解除する薬よ。彼を引き上げたら二人で飲んで!」

「ええ、わかった!」



 手放さないようにぎゅっと握り締め、エステルは水の中へと飛び込んだ。



『させるか! もう終わりなんだよお前たちは! 【泡沫波紋(バブル・リプル)】!』



 蒼竜が吐いた泡が、機雷のように水面へ拡がり、エステルの後を追おうとする。



『勇者もろとも沈め!』

「――【影華鏡(デュプリケイション)】!」



 飛来した苦無が蓮のように花開き、泡爆弾は水面で処理された。

 その光景に、蒼竜の顔が怒りで歪む。



『何ぃ……?』

「いかな『五厄災』の術とて、泡を割るだけなら容易いものね」

『貴様、虚仮にしやがって……!』



 ならば直接手を下すまでだと、蒼竜は一度とぐろを巻いてから、水に飛び込もうと巨体を波打たせた。

 しかし、その脇腹を一陣の風が狙う。



「【華風の咆哮(ウィンディ・ロア)】」

『ちぃっ……!』

「カサネお兄ちゃんとエステルお姉ちゃんのところには、行かせないから!」

『クソガキが!!』



 蒼竜はソーニャを丸呑みにしようと大口を開けて飛びかかるが、風の力で宙を飛び回る小柄な体躯を捉えきれず、二、三繰り返してから苛立たしげに吼えた。



『こ、の……ちょこまかと!!』

「そっちばかり見ていていいのかしら? ――【雷桜繚乱(ガーンディーヴァ)】!!」



 かっ開いた顎の内側に、十数本の雷の矢が着弾した。



『がああああああっ!? 口が、私の口がァ!!』



 蒼竜が大きく身をのたうつ。

 奴はすぐに手近な水をクジラのように喰らい、患部を冷やしにかかった。



「クラーケンを倒した雷。お味はどうかしら?」

『は、ははっ、あはははははっ! その割には威力が乗り切ってないわね!』

「くっ……」



 自分にはまだまだ余力が残っていると誇示するように、蒼竜は高く首をもたげて見せる。

 高みから見下ろす眼は、二の矢をつがおうとして失敗してだらりと垂れたキアラの指を、ぎょろりと見逃さなかった。



『あら? ボロボロじゃなあい! 頑張ったわね、痛いでしょう?』

「その猫撫で声、生意気ね……【稲妻魔法(ライトニング)】!」



 キアラが意地で放った二の矢は、蒼竜の肌を撫でるだけに終わった。



『あははははははっ!! その程度? その程度なの!? ああそう、あんたたちは、あの勇者が使う妙なスキルがないと、この程度の威力で精いっぱいなのね!』

「そんなことないもん!」

『ガキはお黙りっ!』



 飛びかかるソーニャを尾を払って弾き、蒼竜は牙を見せた。



『もう足掻くのはやめなさいな。勇者は沈んだ。あいつを失ったあんたたちじゃあ私には勝てない。もっとも? 勇者がいたところで勝てはしないのだけれど!』

「…………ふっ」

『何がおかしい!!』



 キアラの不敵な笑みに、蒼竜は金切声で叫んだ。

 その狂気に濁った目を、まだ闘志の火が消えていないキアラの瞳が見つめ返す。



「いえ? あなたの言う通り、私たちはカサネなくしては無力だなあと思っただけよ」

『だったら!』

「――けれど、私たちはまだ、カサネを失っていない」

『……はあ?』

「あら、聞こえない? 私には感じるわ。水を蹴りつけてくる、エステルの気配が!」



 キアラが快哉を叫ぶとほぼ同時に、エステルが水面から顔を出した。

 その手には、ぐったりとしているカサネが抱えられている。



『ちぃ、そうはさせるか!』



 エステルたちめがけて鉄砲水が放たれる。



「【蔓縛鎖(コンテンツィオーネ)】!」



 間一髪のところで、横からアルマの鎖分銅が絡めとり、エステルたちを引き上げた。



『クソがああああっ!』

「もう少し、頑張るわよソーニャ!」

「うん!」



 希望の光を見たキアラとソーニャは、力強く立ち上がった。






   *   *   *   *   *






「ご、ふっ!」



 胃の中に溜まった悪しき何かをすべて吐き戻したような感覚で、カサネは意識を浮上させた。



「よかった、目が覚めた!」

「エス……テル……?」



 酸欠気味にふらつく脳味噌で、現在の状況を理解しようと唸る。

 落雷の音に遅々と顔を向ければ、ソーニャの肩に跨ったキアラが、蒼竜に右から左から矢を放ってかく乱している姿が見えた。



「ああ、俺……」



 空虚な手の平を見つめる。命を取り留めたというのに、絶望が拭えなかった。

 諦めるように手を下ろした時、指先に剣の柄が触れる。



「そうだ、剣が折れて……!」



 鍔元から先のない無残な姿。いかな名剣だろうと、こんな状態では無抵抗の子供を襲うことさえ難しいだろう。


――私が知っているのは、宝剣コラッジョは刃のない剣だってことなの。


 これが真の姿だというのなら、笑えない。



「大丈夫? 体、どこか痛む?」

「いや……」



 不安そうに覗き込んでくる、くりっとしたアーモンド形の目を直視できなくて、カサネは顔を背け、膝を抱えた。



「もう、無理だ。奴を倒すルートが見えないんだよ」

「カサネ……」

「もう魔力切れで『TAS』もまともに機能しない。機能したところで決定打にはならない。コラッジョだって、奴の攻撃を受け止めたらこの通りだ!」



 既に、握り拳を作る気力も残っていなかった。



「なあエステル……俺はどうしたらいいんだよぉ……」



 もう、この『再走』には何も見いだせない。今後もこのように熾烈な戦いが続くとなれば、百日での魔王討伐など、妄言でしかない。



「しっかりしろ、カサネ!」



 エステルが声を荒らげたかと思うと、カサネの頬に熱い痛みが走った。

 水に沈んで冷え切った体にとっては、引っ叩かれた頬がじくじくと余韻を拡げるのは、まるで心臓が二つできたかのような奇妙な感覚だった。



「諦めちゃ駄目! 絶対!」



 手を握って擦られ、また体に熱が増える。



「あなたはは一人じゃないから。私たちが傍にいるから!」



 彼女の涙が零れる度に、触れたところからじわりと温もりが広がっていく。



「私は――ううん、私たちは。カサネならできるって、信じてるよ」



 柔らかく開かれた手のひらに、カサネは手を伸ばそうとして、自分の手が震えているのが解った。


 自分にこの手を取る資格はあるのか?

 彼女たちの信頼に応える力はあるのか?


 彼女の手を取れば、一時は不安から目を背けることができるかもしれない。けれど、そうやって得た『勇気』は、ただの依存でしかない。

 誰かを救うとか、誰かを守るだとか、そういったご立派な大義も、一歩間違えれば上から目線のエゴでしかない。



「(勇者は、一人ではなれない……)」



 頭では理解しているつもりだった。しかし、泣き喚きながら培ったはずの想いは、『勇者カサネ』と呼ばれることに慣れていく中で、いつしか慢心に変わっていた。

 百日で魔王を倒すというゴールが近くなるほど、周りが見えなくなっていた。決まったチャートを、決められたとおりになぞるだけ。

 だから、不測のチャートが起きただけで、ぽっきりと鼻が折られてしまうんだ。



「……エステル」

「うん?」

「俺に、勇気をくれないか」



 口にしてから、怖くなった。受け入れてもらえるのか、不安に駆られた奥歯がかちかちと鳴る。

 けれど、RTA走者築城暈が、勇者カサネ・ツイキとして立ち上がるためには、もう一歩だけ――



「うん。わかった」



 エステルは優しげな瞳ではにかむと、先ほど引っ叩いた頬を労わるように撫で、慈しむように背中に手を回し、そっと唇を重ねてくれる。


 刹那、カサネの心に逆巻く炎が噴き上がり、爆発した。

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