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第9話 とんだ後遺症

 【魔法複写】でコピーした炎で火を点けた、ぱちぱちと小気味よく弾ける焚火に当たりながら、既に一番星を瞬かせた暮れなずむ空を仰いで、カサネはほうっと一息ついた。



「あぁー……頭痛ぇ」



 左目の周囲を手のひらでマッサージしながら毒づく。

 鬱陶しい頭痛は、カサネの持つスキル【TAS】を使用した後遺症によるものである。

 【TAS】は、この『リアルなゲーム世界』を一時的に『()()()ゲーム世界』に置き換えることで、そのデータをいじり、放った魔法の威力を高めたり、バグ技の如き人間離れした動きを可能とする絶大な力を持つ、文字通りのチート能力。

 しかし代償として、左目に相当な負担がかかってしまう。喩えるならば、暗闇の中でゲーム画面を丸一日凝視し続けた後のような状態に陥るのだ。



「そのくせ、地味に使い勝手が悪いんだよなあ……」



 カサネは火に枝をくべながらぼやいた。

 強いチートを使う程に反動が大きくなることもそうだが、チート使用のために前提条件が必要となるものもいくつか存在するからだ。

 その最たる例が、エステルの【火炎弾】をコピーした【魔法複写】である。

 これは魔法や剣技などのスキルを、魔力コストを無視して発動することができるチートだが、コピーすることができるのはそのゲーム中においてカサネが見知ったものでなければならない。

 つまり現在のカサネがコピーできるのは【火炎弾】のみ。



「『再走』するとリセットされるとか、酷え話だぜ」



 もっとも、『再走』することでこそ使えるチートも存在する。痛し痒しの中、そうやってたまに手が届いてしまうのだから質が悪い。



「ん、んぅ……」



 隣で聞こえた呻き声に、カサネは火から視線を上げる。



「起きたか、エステル」

「ん……、おはよ?」

「もうすぐ夜だけどな。体はなんともないか?」

「うん……だいじょぶ」



 寝ぼけ眼を擦りながら体を起こすエステルに、カサネは苦笑した。小一時間くらいしか眠っていないはずだが、随分とまどろみあそばされておられることで。

 そんな、時間帯なら平和にも思える光景は、しかし、すぐに鳴りを潜めてしまう。



「かしゃ……ね」



 舌のもつれたような口調で名前を呼びながら、エステルは手をついた四つ足の姿勢で這いよって来て、やがてその手を、カサネの太ももを撫でるように置いた。



「かーしゃーねー」

「まだ寝ぼけてんのか。起きろー?」

「からだ、あついの……」



 耳元での甘ったるい囁きに、カサネは驚いてエステルを見た。

 酒に酔ったような上気した頬。うろんな眼差し。息をする度に大きく上下する紅潮した胸元。

 こちらの体を撫で回す手つきは覚束ず、艶めかしい指先のタップダンスが心を苛ませようとしてくる。



「お前、何をして……」

「んにゅふふ、なにもしてませーん」



 カサネの胸に頬ずりでマーキングしながら、エステルは猫なで声で答えた。



「(まさか、スライムキングの粘液か……? だが麻痺や毒ならともかく、酔っ払いなんてステータス異常はないはずだぞ)」



 カサネは戸惑いながらも彼女を引き剥がそうと試みたが、ひしと腕を絡ませられてしまってはままならない。

 こいつが酒を飲んだところは何度も見たことはあるが、こんな悪酔いをするようなタイプではなかったはずだ。むしろ最後まで理性を保ち、他の酔っ払いたちに目を光らせるのが彼女だ。



「何だか判らねえけど、ひとまずチートで治すか。超動せよ、【ターミネイト――」



 唱えようとしたところで、カサネはエステルに押し倒されてしまった。

 不意のことにあっと開いた口に、温かいものが滑り込んでくる。それが彼女の舌だと理解した瞬間、身動きがとれなくなる。



「んちゅぅ……カサネ、カサネ……ちゅる、ちゅ、ちゅっ」



 優しくひっぱり上げられ、吸い取られる。体の内側は肌よりもずっと火照っていて、味蕾の微かなざらざらで銅線の被膜を剥かれた思考回路は、たっぷりの唾液に浸されてあえなくショートしてしまう。



「ちょ、待てって!」



 やっとのことで金縛りから脱したカサネは、エステルの方を掴んで引き離す。



「どうしちまったんだよ、エステル!」



 問いただすと、エステルは無邪気で艶やかな笑みを浮かべて唇を舐め、糸を引いた唾液を掬いとり、言った。



「らって……カサネがいったんじゃん。ちゅーっとしてなおす、って」

「違えよ!? チートで治すって言ったんだよ!!」

「ちーと? なにそれ。へえ……そうやってごまかそうとするんだあ。んふふ」

「ええー……」



 カサネは言葉を失った。確かに【TAS】に関しては極力秘密にしているし、この世界に『チート』という概念がないから、エステルが知らないのも無理はないのだが。



「(というかこれ、媚薬か!?)」



 ようやく合点がいった。エステルは発情しているのだ。おそらく、スライムキングに呑み込まれた際、口に突っ込まれたあの肉ひだが原因だろう。



「カサネ、ちゅーうー」

「そんなのアリかよ……」



 とんだ後遺症である。



「超動せよ、【ターミ――」

「はあい♡」



 再び【TAS】を発動しようとしたが、今度は『超動』を『ちょうだい』と捉えたらしいエステルから、たちまち口を塞がれてしまった。



「(どうすりゃいいんだ、これ。つーか頭痛ぇ……)」



 頬から首へと唇でついばまれるのを、カサネはなされるがままに身を委ね、もう星空となりつつある景色をぼうっと見上げる。


 どうやら今日中には、ウーノ村へ着けそうにないかもしれない。

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