30話 いつの間にかこのざまだ
「あ……、あの隊長。副隊長」
コツコツコツと三度のノックのあと、控え目な訪いの声が廊下から聞こえてくる。
「どうした」
セイモンが立ち上がる。
代わりに俺は脱力したようにソファに座った。乱暴にテーブルの上にグラスを置き、両掌で顔を撫でる。べたついていて気持ち悪い。顔を洗いたい。というか風呂に入り、酒を飲んでそのまま寝たい。
「失礼します。あの、ご報告したいことが」
「アリエステ嬢になにか?」
ドアが最低限の速度で開閉する。セイモンの声が硬い。
俺も顔から手を離し、振り返った。
入室してきたのは警備を命じていた隊員たちふたりだ。
眼帯無しで目が合ったというのに動じる様子はまるでない。
「いえ、そうではなく。マデリン嬢なのですが……」
ただ、童顔の隊員が報告内容のことで戸惑っているようだった。
俺とセイモンの視線が一瞬交錯した。
「なにか動きがあったか」
尋ねる声が我知らず尖っている。そろって隊員は頷いた。
「部屋を出て廊下をそっと移動するので……。あとをつけたのです」
「どこに向かった」
まさかアリエステの部屋じゃないだろうな。
「カルロイ王太子の寝室です」
「「………え」」
俺とセイモンの声が揃う。
隊員二人は相変わらず同じ動きで報告を続けた。
「カルロイ王太子の寝室前にも警備員がいたのですが……。マデリンが会釈をするとそのまま寝室に通して……。その」
そこで童顔の隊員が口ごもり、顔を赤くする。もうひとりの隊員は、と顔を向けるとこっちも困り切った様子で口を開けたり閉めたりしていた。
「中でヤッてんの?」
セイモンが身も蓋もない言い方をしたが、隊員ふたりはどこかほっとしたような顔で大きく首を縦に振った。言いにくいことをよくぞ、と言いたげだ。
「マジか……。これ、もう先がないじゃん。え。ってかさ」
大ため息をついたセイモンだったが、すぐに俺に顔を向ける。
「この状態をアリエステ嬢は知ってんの?」
「……え」
さっきから「え」しか言っていないが、もう頭がついていかない。
どういうことだ。
カルロイはアリエステに惚れてるんじゃないのか。
ナイト公爵も、学院時代はアリエステとカルロイの仲が噂されていたと言っていた。
アリエステ自身も「カルロイ王太子もわたくしのことを」と言っていたではないか。実際、ふたりの様子を見ても仲睦まじい。
「待て。あのとき……店には誰がいたんだ……?」
「あのとき? 店って?」
口から勝手に脳内の言葉が漏れていた。柳眉を寄せるセイモンに向き直る。
「ダンスやサロン用のドレスを買いに行ったあの日だ! 馬車の中でアリエステが泣いていて……。あのとき、俺は前もって店に連絡しただろう。明日、アリエステが行くから支払いは公爵家に回してくれって」
いつの間にか口の中がカラカラだ。さっとセイモンがテーブルのグラスを受け渡してくれる。がぶりと俺は飲み、口の端から漏れた水を手の甲で拭う。
「あのとき、一旦断られたんだ。『その日は別にご予約がありまして』って。だけど、こっちだって合同訓練のことがあったし、日がないからどうにかしてくれって伝えたら……」
「待ってよ。こっちは公爵家だよ? いくら先約があったとしても、相手の方にまずは日程調整をさせるだろ……」
訝し気なセイモンの言葉はそこで止まる。俺は頷いた。
「そうだ。本来なら先約をどうにかしようとするだろう。だけど、俺に変更を申し出て来たってことは、先約の相手が俺より格上」
「ってことは……。限られてくるよな」
セイモンが再び大きくため息をついた。
「確証はないが、王太子か王妃か……。誰かがいたんだろう。そこでひょっとしたらアリエステはなにかを知った。それで……」
泣いていたんだ。
「でも……。だったらなんで『花嫁候補を降りる』って言わないんでしょうか? 王太子がもしアリエステ嬢と結婚したとしても、愛人であるマデリンも一緒な可能性が高いと思います。第二妃あたりにおさまりそうな気が……。そしたらあのアリエステ嬢の性格だったら……。なあ?」
「わたくしはお断りですわっ、とか言いそうなのに」
隊員ふたりが顔を見合せて首を傾げているが。
「モーリス伯爵家のことがあるからだろう」
情けないが、風船がしぼんだみたいな声が出た。
「アリエステが王太子に惚れていたのもあるんだろうが……。もともと、伯爵家を建て直そうと花嫁候補を受けたようなもんだった。自分からは降りられないんだろう」
その家名が没落した原因も、もとを正せば俺が原因だ。
俺が……アリエステとの縁談を壊したから。
だから彼女が幸せになるように、と。
処刑ルートを避けられるように、とカルロイとの仲を取り持とうとしたのに。
「最悪だ……」
全部、俺のせいだ。
「隊長」
どん、と肩を殴られた。顔を向ける。サイモンだ。
「店に隊員を行かせよう。当日誰がいて、どんな様子だったかを探らせて……。それで、隊長。状況によってはあんた、腹くくれよ」
セイモンがまっすぐに俺を見つめる。
端整な顔だ。軍人になんかならなければ、舞台役者として成功しそうなほどの綺麗な男。
そいつが、真剣な顔で俺に言った。
「大事な女なら、危ないところに置いとくんじゃねえ。少なくとも、俺の知っている隊長は、そんなことをする男じゃねぇ。ここにいるみんなを救ってくれたように」
セイモンは鼻を鳴らした。
「アリエステ嬢を救ってやれよ」
アリエステを救う。
そのつもりで動いてきたというのにいつの間にかこのざまだ。




