の、つもり
俺は、蛾になった。いつの間にかなっていた。どうしてかは分からない。元々は、人間だったはずだ。きっと。
「昌介、入るよ。今日はお医者さんが来たよ」
母親がそう言った。入ってきたのは、お茶を持ってきた母親と、薬の臭いを纏っている白衣を着た背の高い男だった。母親が最近、前と変わった気がする。気のせいか?
「それでは先生。お願いします」
母親の、片手には真っ赤なリストバンドが付いていた。それを、どこかで見た気もするが、どうしても思い出せない。
「失礼する。昌介君。いきなりで悪いが、君は病気なんだ。君は、蛾じゃないんだ。人間なんだよ」
医者と名乗る男はそう言った。でも、でも俺は蛾だ。蛾だけど、人間な気もする。少なくとも、蛾は人間の言葉を理解できないよな。つまり、人間か?いや、でも蛾だ。
「良いかい?君は偽人病と、呼ばれる病気さ。なったつもり病と、呼ばれることもある。本当は違うのに、それになったつもりになる病気なんだ」
俺は、反論したかった。俺は、本当に蛾なんだ、と。でも無理だった。なぜなら、蛾だから。部屋の中を飛び回る事しか出来ない。でも、自分の体を見るとそこにあるのは羽じゃなくて手足だ。
「君は僕の言っていることが理解できるかい?」
俺は、そう言われても何も言うことが出来ない。理解はできるが、
「君は、蛾だからまだ良い方だ。ある患者は、自分をメキシコだと思っている。メキシコ自体になったつもりなんだ。言葉を選ばないで言うのであれば、狂ってるね」
狂ってる?俺は、本当に蛾なんだ。蛾なんだけど、人間かな?
「では、今から治療を始めるよ。まずは、健康状態を確認する」
医者はそう言って、腕捲りをした。手首には、母親がしていたのと同じ真っ赤なリストバンドが付いていた。これは何なんだろう。
そこに、スーツを着た三人の男がいきなり入ってきた。
「すみません。我々の病院から逃げ出しまして、ほら行きますよ?佐藤さん」
男達は医者と名乗る男に話しかけていた。
「すみませんね。この赤いリストバンドが偽人病の患者の印です。偽人病の方は、これをつけるのが、国で義務付けられていますのであなたも付けてください。この佐藤さんは偽人病を、治せる医者になったつもりでいる、という特殊な偽人病です」
なるほど。あの、真っ赤なリストバンドを付けているのは患者なのか。と、すれば母親も偽人病なのか?そうか、思い出した。あれは、母親じゃない。母親は数年前に死んだ。母親なのに、男だから変だと思っていた。なぜ、気が付かなかったんだ。
「では、失礼します。行きますよ?佐藤さん」
医者だと思っていたその男は、三人に連れられていく。
「何をする?今から診察なんだ。出ていけ」
佐藤さんと呼ばれるその男は、暴れだした。
「私たちは佐藤さんが、入院している病院の医者ですよ。覚えてますか?安心してください、きっと良くなりますから」
その時、強い風が吹きその三人の右手首が見えた。手首には、リストバンドが付いていた。真っ赤なリストバンドが。
「あの人たちも偽人病か」
いつの間にか、喋れるようになっていた。