転
本当ならすぐさま駆け寄るべきだったのかもしれない。それはここにいる誰もが思っていることだった。しかしそれができない理由が、そこにはあった。
明日香のいなくなった机の上に、プラチナブロンドの髪を靡かせた少女が、土足で乗っかっていたのだ。そしてその両手には短機関銃が二丁、握られていた。
彼女は両手を前方に突き出すと、茫然と目を見開く人間たちに向かって、銃を乱射した。重たくも鋭い音を響かせて、銃弾が何人もの肉体を貫いた。恐怖で身動きが取れなくなった者は血しぶきを上げ、かろうじて動ける者は教室の外に向かって逃げ出した。
しかし機関銃を手に持った少女はそれを阻止する。跳躍し、動転して飛び出していった人間たちに――今度はいつの間にか自動小銃に変わっていた――兇器を定め、背中から弾丸を浴びせた。廊下の奥で言葉にもならない悲鳴がいくつも上がった。
少女は床のタイルの上に片膝をつき、もう片っぽの膝を立てながら狙いを澄ませた。その小さな体が銃の反動で何度も震えている。弾倉を落とし、装填し、死体撃ちでもするかのように銃口から火花を散らす。
――ただ人型の生き物を殺すのに長けているというだけです。
俺の脳裏では、微かにそんな言葉が思い出されていた。
追従人型殲滅機、レイラ・オルタナティック・バースト。その名の通り、彼女は躊躇なく人間を虐殺した。廊下に逃げた人間を殺し終えると、ゆっくりとした足取りで教室に戻ってくる。それから俺の横を通り過ぎ、窓からベランダに逃げようとしていた男子の頭と背中を、二度、撃ち抜いた。
銃は乱射せず、まるで殺戮を愉しむみたいに一発一発を丹精込めて撃っていた。
教室の隅で固まっているクラスメイトたちの額に穴を開け、あるいは床で死んだふりをしていた女子の髪を引っ張ると、強引に顔を上げさせ、口の中に銃口を突き付けた。そして発砲した。ぱーん。空虚な音が鳴り渡る。
すると。教卓の後ろに隠れていた男子が、レイラの背後に忍び寄ったかと思うと、彼女のことを羽交い絞めにしようとした。それから銃を奪って反撃をしようと試みたのかもしれないが、その男子の顔面には気がつくとレイラの肘が当てられていた。
大きくのけぞった男子は、そのまま両目を撃ち抜かれてもんどりうった。
「これは悲劇ではありません」
レイラは這いつくばる彼を見下ろし、脳天をぶち抜いた。
「あるいは喜劇でもないのです」
蛍光灯の明かりが消えた暗がりの教室に、発砲によるフラッシュが何度となくまたたいた。俺はその光の中を無傷のまま歩き、床に倒れ込む明日香のもとまで行った。
「心苦しいことではありますが、これは仕方がないことなのです」
仕方がない、その言葉が無慈悲にも俺の耳元を通り抜けていった。
俺は崩れるように座り込むと、明日香のことを抱きかかえた。まだ少しだけ息をしているように思えた。手足を痙攣させ、か細く吐息を漏らし、焦点の定まっていない瞳で俺を見つめている。
――ああ、どうしてこうなってしまったんだろう。
絶え間ない銃声を傍らに、俺は明日香の頬をそっと撫でた。支えている後頭部は血の影響なのか、痛いくらい熱かった。
「はや、と……」
明日香の唇が、ほんの少しだけ、動いたような気がした。
「あ、あすかっ……」
俺は必死に呼びかけた。ここにいる。ここにいるから大丈夫だぞと。
それでも明日香は朦朧としたままで、俺の呼びかけには答えてくれない。「ごめんね、」と小さく繰り返すだけだった。
彼女の自慢の黒髪が血で濡れている。すべらかな肌にはガラス片が突き刺さり、意思の強かった瞳は虚ろで、もう何度もキスを交わしたはずの唇は、青紫色に変色している。
立ってるだけでも汗が滲むような、うだるような夏だった。しかし彼女は寒がっていた。その震えた手を握りしめ、俺はただただ彼女の名前を呼ぶことしかできなかった。そうすることで彼女の傷が癒えるわけでもないのに。
いつしか、明日香の体に流れていたはずの熱が、どこにもなくなっていた。
喉が窮屈に締めつけられる。嗚咽が込み上げ、流れる涙を堰き止めることができなかった。
本当に、どうしてこうなってしまったんだろう。
俺はあとで渡すはずだった髪飾りを、死んだ彼女の前髪に飾った。頬が恐ろしく冷たかった。それから丁寧に頭を撫で、笑いかけると、目の前にいるそいつを睨みつけた。
「敵性生物を排除しました」
両手で機関銃を携えたレイラは、淡々とそう言った。
すすり泣く声も、痛みうめく声も、助けを乞う――そんな声すらも、この教室内のどこにも見当たらない。
校舎に響き渡る校内放送の音だけが、冗談のように現実を突きつけてきた。校舎内に銃を持った不審人物が侵入したという、ありきたりなメッセージ。その不審人物が、こともなげに問うてくる。
「無事ですか、ハヤト」