起
「あなたを守るために、未来から馳せ参じました」
そいつは、血濡れた顔で俺を見下ろしながら、そう言った。
機関銃を手に持ったセーラー服姿の少女だった。血の匂いが充満したありふれた教室の一角で、ただ一人、少女は立っていた。
机や椅子は至るところに投げ出され。割られた窓ガラスを体中に突き刺したクラスメイトたちが、目を見開いた状態で床に横たわっている。視線を巡らせるまでもなく、ふとした拍子にそこにいる誰かと目が合ってしまいそうだった。彼らは、死んでいた。
いや、自分でも馬鹿なことを言っているのはわかっている。しかしそれは真実なのだ。
この日、俺の日常は絶え間なく鳴り響く銃声と共に一変した。あるいはもっと前からその予兆はあったのかもしれない。
そのときのことを――そう、つい数週間前のあの出来事のことを、俺は胸に抱きかかえている想い人の顔を見つめながら、思い出す。力の抜けた彼女の手を握りしめ、そして目の前のそいつを鬼の形相で睨みつけた。
七月、蝉の音がうとましい夏の日のことだ。
※ ※ ※ ※
俺は飲み物やカップラーメンが入ったコンビニのレジ袋を片手に、線路沿いの道をぼんやりと歩いていた。辺りからは夏の虫の声が聞こえる。内房線が慌ただしい音を響かせて通り去り、それを追いかけて遠方に目をやると、燦然と煌めく星の夜空がはっきりと見えた。
一人暮らしを始めて、もうすでに一年以上が経っている。親に頼み込んでアパートを借りるまでに至ったのはいいが、未だ自炊も洗濯もろくにできていない。これといった不満はないが、ありきたりな不便はあった。
しばらく歩いていると、高架下のトンネルに辿り着いた。
壊れているのか、天井に設置されている蛍光灯がばちばちと明滅していた。淡い橙色の光が幾度もまたたき、そして音のないトンネルに異様なほどの不気味さを覚えさせる。
俺は立ち止まった。トンネルの中心に、誰かがいるようだった。
「見つけました」
背の低い、小学生くらいの少女だった。見間違いだと思ったが、確かにそれは小柄な女の子の形をしている。
ちかちかとする目を擦ってみれば、彼女が闇に溶けるような漆黒のセーラー服を身に纏っていることがわかった。髪は日本人には似つかわしくない白金色をしていて、ともすれば顔立ちはくっきりとした西洋風の奥行きがある。しかし能面を張り付けたようなまったくの無表情は、俺をひどく混乱させていた。
「白江隼人、ですね」
少女は、その青色の瞳でじっと俺を見据えてきた。やけに冷え切った声をしている。
「これから二週間、私はあなたと共に行動します。その間、あなたの身の回りの世話は、私にお任せください」
「いや、は? なに言って……」
純粋におかしな人間に絡まれたと思った。この少女は、もしかするとある一定の時間に限り、ここに通りがかった誰かの前に出没し、わけのわからない常套句を吐きつけては自分の欲を満たしている。
そうに違いない、と無理やりに納得した俺は、気味の悪いものを見る目で彼女の横をそそくさと通り過ぎた。彼女はうわごとのようにぶつぶつと何かをつぶやいていた。罵声を浴びせてきたり、背中から襲い掛かってくるなどといった奇行には及ばなかったが――ただ一言だけ、少女のものとも取れる声が、トンネルの壁に反響して響き渡った。
「申し遅れました」
ぴたりと足が止まる。俺は肩越しに振り返った。
「私は追従人型殲滅機、レイラ・オルタナティック・バースト。あなたを守るために、未来から馳せ参じました」
※ ※ ※ ※
宣言通り、少女は俺の家に勝手に上がり込んだ。拒んだら四六時中、家の扉の前に佇んでいそうなので、そうせざるを得なかったのだ。
「……それで? 家出か、それとも嫌がらせか」
俺は丸テーブルを挟んで向かい側に座る彼女に、低い声で訊ねた。
六畳間の狭苦しい一室だった。その殺風景な部屋の中で、時計の針の音だけがかちかちと鳴っている。
「どちらでもありません」と少女は答えた。
背筋を伸ばし、もう何十分もその体勢で正座をしているのに、微動だにしなかった。
「私はあるお方の頼みで、あなたの命を救いに来たのです」
「あるお方?」
「私の創造主でもあり、そして、あなたの姉でもあります」
「いや……」
ばかばかしい、と俺は思った。妄言もここまで来ればいっそ清々しかった。
「あなたは二週間後、この地球に潜伏しているエイリアンによって、殺されます。そしてそれを阻止するために私が作られたのです」
「それを信じろと?」
「信じなくても構いません。ただ、これは真実なのです。ここからおよそ十年後、地球はエイリアンによって支配されます。人々は嘆き、世界は崩壊し、尊い命すらも生まれることのない、破滅の道へと歩まざるを得なくなるのです」
「だからなんだよ」と俺は言った。「そもそも俺は姉さんとは仲が悪いんだ。どうして姉さんが俺を救おうとする?」
「あなたのお姉さまは、ずっと心を痛まれていたのです」
彼女はほんの僅かに、首を傾けた。日本人形のようなおかっぱの髪が、小さく揺れた。
「ずっと後悔なされていました。どうしてあのとき、優しい言葉をかけてあげられなかったのだろう、と」
姉さんとは、喧嘩をして別れたきりだった。俺が一人暮らしを始めたのは、それが理由でもある。
「そうかい」
そう言って、俺は台所のコップを手に取り、水道水を一気に飲んだ。
この少女といると、どうしてか気が狂いそうだった。気持ちを落ち着けたところで、俺はあからさまに気丈に振舞った。
「それにしてもお前の名前、やけに物騒だよな。どういう意味なんだ?」
「ただ人型の生き物を殺すのに長けているというだけです。物騒だと思うのなら、私のことはレイラとお呼びください。私もあなたのことは、ハヤトと呼びます」
「いきなり名前呼びかよ」
年下に上の名前を呼び捨てにされるよりは、まだましかもしれないが。
「これもあなたのお姉さまが付けてくれたものなのですよ。あなたの名前と同じように」
四つほど歳の離れた姉が、俺の名前を、小さい頃に名付けてくれたことは両親から聞かされている。しかしそれがどうしたと言うのだろう。
「その話が全部本当なら、自分が謝りに来いよ」
未来から得体の知れない少女をけしかけるのではなく、ただ一言、姉さんが謝ってくれればそれだけでよかった。それで何もかも許せるはずなのだ。
けれどそれがもう不可能なことだと言うことを、俺は次の一言で知ることになる。
「残念ながらそれはできません」
目の前の少女が、冷淡に言い放った。
「あなたのお姉さまは死にました。私を製造した次の日に」
エイリアンによって首を撥ね飛ばされたのだと。
「……は?」
一瞬、息が詰まる。訊かなければ良かったと、そのときの俺は思った。