前世の知識は役に立たない。
初めての短編チャレンジです。
異世界転生を嗜んでみようと現実逃避を兼ねて書いたので、ゆるーい気持ちでお読みください。
私は異世界転生者である。勿論、名前はある。
私の名前はミシェル・ロエ・ウェルク。ウェルク子爵の娘だ。裕福でも貧乏でもない、平々凡々の貴族で両親と兄が一人いる。
さて、異世界転生である。
私は転生者といっても、自分に纏わる記憶はない。持っているのは前世の知識だけ。しかも、漫画・アニメ・ゲームなどの創作物オンリー。
『日本』という国の社会構造も生活様式や常識も、漫画を通した知識である。いわゆる受け売りだ。本当のところは知らない。
例えば、異世界転生者が渇望する『米』『味噌』『醤油』も、名前と絵しか知らない。半端な知識だから、理解が無さすぎて何もできない。
『経験から改革できちゃう私』とか格好いいよね!経験ないから無理だけど!
あー異世界チートやってみたかったー。
もう一つ、乙女ゲームの世界に転生の線も、私は諦めている。
どれだけ知識のライブラリーを探っても、今、私が生きる『シェルムール国』なんて無いからだ。
婚約者いない。予定もない。子爵は爵位のど真ん中。悪役令嬢にもヒロインにも遠い微妙な立ち位置。
それに、私の容姿は平々凡々。
多種多様な髪色に華やかな容姿の令息令嬢がたむろする中で、寧ろ地味すぎて目立ってない?って思うくらいに微妙にうねる薄茶の髪と焦げ茶の瞳。名前は出てこないけど似てる人いたわって言われる、どこにでもいる特徴のない地味顔。
成績も中の中、魔法だって普通。家柄も見た目も能力も、何もかもベスト・オブ・平凡。
ならばモブ人生を楽しもうと、貴族用の学園に入学した時は期待に胸を膨らませた。
まず、ピンクの髪を探したわ。結構いて、ヒロインの特定は無理だった。
シェルムール国の王子殿下や宰相、騎士団長、魔導師団長などのご子息はとっくに学園を卒業されている。殿下は既に結婚してるし、後継者争いもないし、国は押しなべて平和。
元平民の貴族子女は入学から1年たっても現れないし、婚約者がいる人は婚約者同士仲良くしている。
将来一緒になることが決まっているのに、態々波風を立てるお花畑はいないのだ。貴族社会は意外と狭い。
何も起きる要素が無い。
結局は私は、荒唐無稽すぎて人と共有できない異世界の物語をたくさん知っている地味な子爵令嬢でしかなかった。
「あー何一つメリットがないー」
溜息と共に、言いなれた感想を漏らす。
でも嫌じゃない。平和が一番。
◇◇◇
今日の授業が終わった。
家の馬車が迎えに来るまで、後一時間ほど余裕がある。馬車止めの渋滞を避けるため、爵位で迎えの時間は決められているのだ。
今日は天気も良いし、風も心地良い。のんびりと中庭でも散歩しよう。
そう決めて、中庭に向かう。
こじんまりとして、適度に整えられている緩い雰囲気の庭は、私のお気に入りだ。
庭の中央で、うーんと思い切り伸びをする。・・・ガツンと頭に衝撃が走った。
「へっ、何?」
キョロキョロすると、鳥の羽音。
まさかっ! いや、鳥の『落としもの』にしては衝撃がありすぎじゃない?
髪が濡れていたら怖いので、頭に触れないまま、祈るように周囲を見渡す。
すると、黒くて細くて光るものが足元に落ちていた。
「・・・眼鏡?」
黒縁の地味な眼鏡だ。さっきまで無かったから、先ほどの衝撃はこの眼鏡で間違いないだろう。
(なんで鳥が眼鏡を・・・)
不思議に思いながら眼鏡を拾う。ビリっと指が痺れた。
「きゃっ、なにこれ、悪戯グッズ?」
痛むほどでは無かったから取り落とさずにすんだけど、びっくりした。
あの鳥も変なものを持ってきたものだ。とりあえず事務棟に落とし物を届けに行こう。誰か困ってるかもしれないし。
眼鏡をたたみ、ハンカチに包もうとしたところで、突然声を掛けられた。
「君! 大丈夫か!?」
「はいっ!?」
慌てて声の主を探す。が、周りには誰もいない。
「だ、誰!?」
「ああ、すまない! 眼鏡だ!」
「眼鏡!? 眼鏡が本体!?」
初めて使った異世界ワード『眼鏡が本体』。無駄知識が日の目を見たような充足感に心が満たされる・・・気がする。
「本体?眼鏡が? いや違う。・・・違うとも言い切れないか? んん? 今は本体のようなものか?」
あちら様も大分混乱されているようだ。変なことを口走って申し訳ございません。
「ああいや、本体はどうでもよい。君はまだ眼鏡を持っているな? 大丈夫か? 気分が悪くなったりおかしくなったりしていないか?」
「特に問題ありませんが・・・これは呪いの眼鏡なのですか? 持った瞬間ビリっとしましたけど」
「呪われてはいない。が、違うとも言い切れない・・・」
眼鏡の会話スタイルは、否定からの肯定が基本のようだ。どっちだよ!っていうツッコミは一先ず置いておく。
「えっと、落とし物だと思ったので事務棟に持っていこうと思ったのですが、どうしたら良いですか?」
「事務棟はダメだ!・・・少々私に問題があって、私の魔力に触れると良くないことになるのだ。君は? 本当に大丈夫なのか?」
「? えぇ。普段と変わらないと思いますけど?」
「そうだな。今も会話ができているからな。信じがたいが、平気なのか・・・」
眼鏡が黙った。
そもそも、この眼鏡は学園の関係者なのだろうか。届けられる範囲ならいいけど、伝説の洞窟の眼鏡とかならお手上げだ。冒険者ギルドに依頼したら運んでもらえるだろうか。
異世界ファンタジーのお話が、頭に展開されていく。
「申し訳ないが、その眼鏡を私のいる部屋まで届けて貰えないだろうか」
妄想を眼鏡が断ち切った。
「学園内ですか?」
「そうだ。場所は・・・」
何てことはない。学園内の自習室だった。
空から眼鏡が落ちてくる。なんてマンガみたいなことが起きたから、ついに異世界ストーリーが始まると思ったのに現実はこんなもの。
それでも、平凡な人生の中でワクワクする時間が持てたことが嬉しい。
さっさと眼鏡を届けて、これをオカズに妄想に励もう!
私は意気揚々と自習室に向かった。
◇◇◇
自習室に居たのは、スカロップ公爵子息のマクトレイ様だった。
この方は、公爵家嫡子でありながら地味すぎる容姿で有名だった。容姿だけでなく、成績も活動も特筆する所は何もなく、私は勝手に親近感を持っていた。
眼鏡を渡すと、すぐにマクトレイ様は眼鏡をかけた。
「ありがとう。助かったよ」
ほんのりとほほ笑んで私を見つめると、マクトレイ様は何故か手を差し出してきた。
「確かめたいことがあるので、手に触れてもよいだろうか」
私はつい、自分の手を見た。
学園内だし、立場のある人だし、変なことはしないだろう。握手くらいならいいかな。
そう思い、手を差し出す。
指が触れ合うと、ビリっと指先が痺れた。眼鏡を拾った時と同じだ。
「大丈夫? 気分は?」
マクトレイ様が探るように見てくる。
何を心配しているのか分からないけど、私はすこぶる普通だ。
「眼鏡の時と同じで、一瞬指先が痺れましたけど、それだけですよ?」
「本当に? こんなこと初めてだ!」
マクトレイ様は、感動した!とばかりに声を震わせる。
謎の感動に興味は沸くが、私はさっさと帰って異世界妄想に励みたいのだ。用は済んだし、もういいでしょう。
「あの、申し訳ありませんが、そろそろ家の者が迎えに来る時間ですので、失礼してもよろしいでしょうか」
「あ、ちょっと待って。是非今日のお礼をしたいから、週末に私の家に招待させてくれないか」
「え? いえ、偶々拾った落とし物をお届けしただけです。お礼なんて・・・」
「遠慮は不要だ。迎えを出すから気楽に遊びに来てくれ。では週末に会おう」
断りの言葉は被せられ、強引に約束させられてしまった。にっこり笑顔で手を握られ、そのまま馬車までエスコートされる。
その日のうちに我が家にスカロップ家からの招待状が届き、両親は卒倒しかけた。
公爵家、仕事が早すぎ。
野心も無く、派閥も無所属。
貴族の群れの中で、目立たぬように埋没して生きている父にとって、公爵家のパワーワードは刺激が強すぎたようだ。
私は落とし物を届けただけ、お礼で呼ばれただけ、それ以外に意味は無い、と父に言い聞かせた。
義理堅く、子爵家に借りを作りたくないのだろうと、父は無理矢理納得していた。
気になることが無いわけではないが、私は前世の創作物に影響されている自覚がある。
そして現実は物語とは違い、特別なことは早々起こらないことを知っている。
だから、空想の世界で遊ぶのだ。ネタは私の中にいくらでもあるのだから。
◇◇◇
楽しい妄想に明け暮れていたら、スカロップ家に行く日になってしまった。
迎えの馬車は途轍もなく乗り心地が良く、恙なくお屋敷まで運ばれた。
門の前で私は馬車から降ろされた。門の内側では既に立派な身なりの男女が待ち構えていたからだ。
「まぁ、このお嬢さんがそうなの?」
「可愛らしいお嬢さんだ。ようこそスカロップ家に。歓迎するよ!」
挨拶をする間もなく、腕を取られ、屋敷に引きずり込まれた。
歩くの早い! 仕事も早いけど、足も速いな! 小走りじゃないと付いていけないよ?
公爵ともなると、下々の者とは時間の流れも違うのか? 所作は優雅だけれども、このスピード感半端ない!
湖に浮かぶ白鳥は人知れず水を掻くっていうアレか。高位貴族の神髄を見た気がする!
目を白黒させながら、必死で付いていく。
なんか思っていたのと違う!
高位貴族ってこれが普通なの? 初めてだから分かんない!
「マクトレイが大丈夫だって言うけど、あの時は人形越しだっただろう? 心配だから同席させて貰うよ」
「そうね。でもきっと大丈夫よ。素敵なお嬢さんだもの」
立派な紳士が話しかけてくれる。素敵な淑女が相槌を打って微笑んでくれる。
いやでも会話の意味が分からないから!
突っ込むこともできず、早く目的地に着くべく必死で足を動かす。
早く落ち着きたい。どこに連れて行かれるんだろう。こんなに広いお屋敷なのに、使用人の姿は影も形も見えない。
驚きが不信感に変わる前に、私は目的地と思われるガゼボに到着した。
お茶の用意がされたテーブルと、数脚の椅子。その向こう側で庭を眺めていた青年が振り返った。
青年の顔を目にした私は息を飲む。
彼は、絶世のという表現がチープに感じられるほど、美しくて神々しくて、圧倒される程の存在感を放っていた。
ふわりと美しい笑みを浮かべ、青年はこちらに歩いてくる。
「お待ちしていました、ミシェル嬢。お会いできて嬉しいです。・・・父上も母上も急ぎすぎですよ。ミシェル嬢が息を切らしているではないですか」
「はははっすまん! 気が急いてしまった!」
「ごめんなさいね。でも、早く顔を合わせて欲しかったのよ」
とてつもない美青年と彼の両親という人たちが爽やかに会話をしている。
でも、待って。肝心な人がいないじゃない。
「あの、すみませんがマクトレイ様はいらっしゃらないのですか? 私は彼に招待を受けたのですが」
ぐるりと見渡すが、自分たち以外は人っ子一人いない。
マクトレイ様は席を外しているのだろうか。それにしても使用人が誰も控えていないなんてどうなっているの?
さすがにおかしいと首を傾げていると、「おぉ!」「まぁ!」と驚きの声が上がった。
「レイを見ても普通だ!」
「すごいわ! 私達以外では初めてよ! あぁ夢みたい」
感嘆の声を上げる彼の両親たち。何事?と身構える私の前に超絶美形がやってきた。
「ミシェル嬢、自己紹介をさせてください。私はマクトレイ・クラム・スカロップ。私の招待を受けて下さり有難うございます」
胸に手を当て、恭しく礼をするマクトレイと名乗る男に、私は混乱する。
「え? マクトレイ様ではないですよね?」
「学園に通う地味なマクトレイは、私が外で活動するための人形なんだ。本体は私」
パチンと指を鳴らすと、マクトレイ様が現れた。
私の知っているマクトレイ様の姿をしているけど、それは明らかに人型の人形である。美形の自称マクトレイが、人形のマクトレイに眼鏡をかける。そして魔力を流し込むと、その人形は立ち上がった。顔に表情が生まれると、途端に人間に見えるから不思議だ。
そこに居るのは、あの日、私が眼鏡を渡したマクトレイ様だった。
「私は訳ありでね・・・君は祝福を知っているかい?」
「はい。神に愛され奇跡を賜る事ですよね。遥か昔にそのような人がいたと本で読みました」
「伝説や御伽噺の類の話だよね。本当に、ただの御伽噺だったら良かったのに。・・・私はその祝福を受けているんだよ」
「へっ・・・!?」
まじまじと目の前の男を見るまでもなく、神の恩寵を受けているなと納得する。
これほどの美しさと神々しさは、神の手でなければ作り出せないだろう。モブ顔の私からしたら羨ましいことこの上ない。
「祝福って人知を超えて厄介なんだ。例えば、私は人に会えない。私を見た者や、私の素の魔力に触れた者はおかしくなってしまうんだよ。今まで私に関わって平気なのは両親だけだった。こうして、両親以外で顔を見て会話できたのは君が初めてだよ」
嬉しそうに笑うマクトレイ様に、私はうひゃーってなる。
生ける伝説が目の前にいるって? マジで?
興奮でハクハクする私の手を、マクトレイ様はそっと掬い取った。
「すごい。触れても君は大丈夫なんだね」
感動したように呟くと、マクトレイ様は私の指先に口づけた。
「ひぇっ!?」
驚きのあまり、変な声が漏れる。
「あらあらまぁまぁ」
「やるねぇ。流石私の息子」
外野が騒いでいるが、私はそれどころではない。全身を真っ赤に染め上げて硬直状態だ。
「な、なななな、ま、まままま」
私は家族と使用人以外に、男性と触れ合ったことが無い。夜会のエスコートもダンスも兄にお願いしている。そもそも興味ないから参加率は極端に低い。
男性からの口づけなんて、お話の中だけで十分。現実はないない。
動揺で真面に喋れない私を、熱をはらんだ甘い顔で見つめてくるマクトレイ様。
「ねぇ、ミシェル。私のお願いを聞いてくれるかい? これからも君とこうして会いたいんだ・・・祝福という呪いの所為で、私は誰にも会えず、一人で生きて一人で死ぬんだと思っていた。でも、君という奇跡に出会えた。君が居てくれれば私は孤独ではなくなる。ミシェル、私のそばに居て、私を救ってくれないか? これからずっと・・・。私のお願い、聞いてくれるね・・・?」
うっとりと微笑んで、私の掌に口づけを落とすマクトレイ様に、鼻血が噴き出すかと思った。やっばい!
慌てて深呼吸を繰り返し、頭に上った血を流す。
「えええええっと、マクトレイ様? その、友人としてお会いするにしても、父と話さなくては私の一存ではお答えしかねるといいますか・・・!」
「私が君と会うのに、父上の了承が必要だと言うのかい?」
眉を寄せる表情も、何とも美しくて見惚れてしまう。だがそれはそれ、これはこれ。
未婚の男女が会うのなら、親の同意は必要でしょう! 貴族なんだしさ!
「はい、父はその・・・貴族的なことが不得手でして、子爵家の我が家が公爵家と関りを持つのは、父の心情的に難しいかと思うのです。今日の訪問も、落とし物を届けたお礼ということで、何とか送り出して貰った次第でして」
「君の御父上のことは存じているよ。とても実直で慎み深い方だよね」
物は言い様ですね。ありがとうございます。
わが父は、争いごとが嫌いな小心者なだけです。権力とかマウント合戦とか、気配を感じただけで逃げ出しますよ。今後も会いますなんて言ったら、間違いなく卒倒します。
マクトレイ様の目を伏せた憂い顔、これまた美しく・・・以下略。
神様ってスゴイ! 全方位美しくできるなんて、美への拘りが相当なのね。
目が眩む美貌を明後日の方向に押し流し、うーんと眉を寄せる私に、マクトレイ様は溜息を吐いた。
「私は、君とも君のご家族とも良い関係を築きたいと思っているし、その為の努力は惜しまない。君の懸念は階級の差かな? 御父上に自信がついたら、私たちのことを認めて下さると思う?」
「分かりません」
あの父の性格がそう簡単に変わるとは思えない。
そもそも野心が無く事なかれの父に、何らかの手柄を上げられるわけがない。
「マクトレイ様は私を奇跡といいましたが、マクトレイ様とお話しできる人は私の他にもいると思いますよ? ほら、一人見つかったらその陰に30人はいるって言うじゃないですか。存在するか分からないものを見つけるのは大変ですが、いると分かったものを探すのは、意外と簡単に見つかるものです。大丈夫、マクトレイ様は孤独にはなりませんよ!」
私は自信をもって断言した。
私はベスト・オブ・平凡。私に似た人なら有り余っています。
おかしくなるっていうのがどういう事か分からないけど、もっと視野を広げて探してみたら、案外たくさんいるんじゃないかな。
見つかるといいですね。マクトレイ様。
にっこり笑った私に、マクトレイ様も笑顔を返してくれた。
こうして、お礼訪問は終了した。
行きと同様、素晴らしい乗り心地の馬車で送ってもらい、私は漫画のような一日を反芻した。
はぁ~、これで当分は妄想に困らないわ。
◇◇◇
「いやー、実に素晴らしいお嬢さんだったねぇ」
「本当よぅ。是非お嫁に来て欲しいわ! レイくん、きっちりモノにしなさいよ」
「当然です。逃がしませんよ」
私は知らなかった。
私が帰った後のスカロップ家で、不穏な会話が交わされていたことを。
人を狂わせる美貌を前に、口説き文句をさらりとかわして、颯爽と帰って行った私に彼らが惚れ込んでしまったことを。
「絶対に、私のものにしてみせます」
マクトレイは小さく呟くと、うっそりと笑った。
◇◇◇
あれから、スカロップ家から招待も無く、穏やかな日々を過ごしていた。
私の頭の中では、祝福の呪いを消す秘宝を手に入れるため、仮面を被ったマクトレイ様が冒険の旅に出ていた。そして、様々なクエストをクリアしながら順調に仲間をゲットしている。
やっぱり、信頼できて頼りになる仲間がいるといいよね!
助け合いながら謎に挑むマクトレイ一行は楽しそうで、私も満足だ。
そんな平常運転のウェルク家にある日激震が走った。
なんと、事なかれの父が救国の手柄を上げたのだ。
「偶然」具合が悪い男を介抱したら、「偶然」麻薬の運び屋の元締めで、「偶然」父と男が同じ鞄を持っていて、「うっかり」鞄を間違えて持ってきてしまった。
男の鞄には、シェルムールで新しく販路を確保するための事業計画書と協力者のリストが入っていて、麻薬のサンプルと仕入れ元、製造元の場所も書いてあった。
泡を食って憲兵隊に持ち込んだら、大事すぎると国の上層部に回された。
時間をかければ逃げられる。
仲間に気づかれる前に、運び屋の元締めを速やかに確保し、父が押収した資料から、犯罪組織を摘発するための作戦が練られ、国王の命で一気に事にかかった。
一斉に迅速に、幹部や構成員の捕縛、盗品や薬物の回収、販売ルートの解明と破壊、資金源の遮断、施設の押収などなど。
特に、国を滅ぼすと言われた麻薬の摘発には、最大かつ苛烈な捜査が行われた。
かつて麻薬で滅んだ国もある。それが国内に入り込む前に、犯罪組織を一網打尽にした功績は計り知れない。
父は国王から直々に褒美の言葉を賜り、陞爵の話も出た。早ければ来月にも伯爵位を賜るらしい。
「いやー偶然が重なっちゃって、びっくりだよね~」
父が照れながらも嬉しそうに笑った
陞爵の話は遠慮して辞退するかと思いきや、前向きに受け取るそうだ。
父の背中が伸び、少し逞しく見えるようになった。
喜びに沸くウェルク家。
私だって、勿論嬉しい。家族の喜びは私の喜びだ。
でも、何故か、あの顔がちらつくのだ。
神に与えられし美貌を持つ男。マクトレイ。
「君の懸念は階級の差かな? 御父上に自信がついたら、私たちのことを認めて下さると思う?」
まさかと思うが。
本人にも気づかれず、思い通りに事を成すのは人の業とは思えないが。
・・・お腹がもやもやして何だか気持ち悪い。
◇◇◇
ウェルク伯爵となり、高揚した空気も少し落ち着いてきた頃合に、スカロップ家からお祝いの手紙と共に私への招待状が届いた。
また何かしたのかと聞かれたので、当たり障りのない話を作っておいた。お話を作るのは得意なので!
父は前ほど狼狽えることなく招待を受けてくれた。
私もモヤモヤを解消したかったので渡りに船だった。
返事を出したら、男手と女手を一人ずつ連れてくるよう指定された。
少しプライベートな相談もあるので、信頼できて親しい者が良いということで、幼い頃から一緒に育ったマリーとルッツを連れて行くことにした。
彼らの立場は使用人だが、私にとっては、友人、幼馴染枠だ。
マリーとルッツは友人以上恋人未満という焦れ焦れな関係で、私を楽しませてくれている。
彼らのおかげで妄想も捗るし、私にとっては得難い友なのだ。
そんな三人でスカロップ家を訪れた。
今日も門まで当主と奥方が迎えに来てくれて、私たちを案内してくれた。
「それでは、ミシェル嬢は私と一緒にマクトレイの所に行こう」
「貴方方は持っていって欲しいものがあるので、私と一緒に来てちょうだい」
当主夫妻に言われ、私たちは別れた。
ガゼボで待っていたマクトレイ様は、本日も神々しいばかりに美しかった。
「ミシェル、久しぶり。会いたかったよ」
うっとりとした表情で私の手の甲に唇を落とす。
この人なんで、この地味顔にうっとりできるんだ? これだけ突き抜けてると、一周まわって冷静になるわ。
狼狽えることなく挨拶をやりすごし、私もカーテシーをして椅子に座る。
前回は色々あって、お茶の一滴も口にしなかった。今日はお茶会ができそうな雰囲気ですね?
使用人がいないため、マクトレイ様が手ずからお茶を入れてくれる。恐縮してしまうが、慣れた手つきから自分のことは自分でやっているのが伺われる。
「陞爵おめでとう。伯爵になってどう?」
「ありがとうございます。呼び方以外、何も変わりませんね」
ウェルク家は小心者の集いだ。爵位が上がったくらいで調子に乗る者はいない。
茶葉のランクを一つ上げるのにも、贅沢か否かの議論が交わされるくらいに慎重な血筋なのだ。
「さすがだね。安心したよ」
ふんわりと微笑み、カップに口をつける様は優雅で気品に溢れ美しく官能的でもあり・・・以下略。
いやー、美貌の垂れ流し、美しさの無駄遣いだよねこれ。はー勿体ない。
すました顔でお茶を頂く。香りが良くてとっても美味しい。
「何を考えているの?」
「いえ、何も? このお茶美味しいですね」
笑顔と笑顔の応酬。あら、ちょっと貴族っぽくない? おら、ワクワクしてきたぞー!
心が戦闘モードに移行しつつある時に、マリーとルッツが荷物を持ってやってきた。
「ミシェル様、奥様がこれをミシェル様へと──────」
マリーが笑顔で私を見る。その顔がガラリと変わった。
顔が紅潮し、口がだらしなく開いて涎が垂れ、舌が忙しなく唇を嘗め回す。距離はあるのに聞こえてくる荒い息遣い。目は充血して極限に見開かれ、持っていた荷物はその場に放り出された。
「抱いて──────!!!!!」
獣のような声で絶叫し、マリーは狂人のごとき表情で走り出した。
マクトレイに向かって。
「えっ何? マリー、どうしちゃったの?」
「おい! マリー!」
マリーの後ろで大きな荷物を持っていたルッツが、奇行に走ったマリーに叫ぶ。
そしてマリーが走る先、ミシェルとマクトレイのいるガゼボに視線を動かした途端、ルッツも荷物を放り出した。
「俺のものだ──────!!!!!」
ビリビリと鼓膜が震えるほどの大声を放ち、ルッツも走り出した。
お仕着せのボタンを引きちぎり上半身を露わにするマリーと、股間を大きく膨らませたルッツが迫る。
息を飲み、硬直する私をマクトレイ様は抱きしめた。
「大丈夫だよ。彼らはここに入れない」
耳元で囁かれ、恐る恐る見ると、透明な壁があるみたいに空中をドンドンと叩いている。
その顔はまさに狂人だった。
理性を無くし、本能と色欲だけにしたらこうなるのか。幼き頃よりの友の面影はどこにもない。
「な・・・んで・・・」
「私を見ると、誰もがこうなってしまうんだ。君と親しくしている者だったらあるいはと思ったけど・・・」
悲しげに目を伏せるマクトレイ様。
「マリーとルッツはどうなっちゃうの?」
「大丈夫。心配しないで」
マクトレイ様は、二人に視線を向けると「お休み」と優しく囁いた。激しく興奮していた二人が、同時に崩れ落ちる。
「マリー!? ルッツ!?」
二人に駆け寄ろうとしたが、マクトレイ様の腕が離れない。
「大丈夫だよ。眠らせただけ。目が覚めたら今のことは何も覚えていない。何も無かったんだよ」
マクトレイ様の穏やかな声。引きちぎられたマリーのお仕着せが元に戻っていく。
スカロップ夫妻が、倒れた二人を魔導タンカに乗せた。
「この子たちの事は任せて、お茶を楽しんで!」
「目が覚めるまで私たちが付いてるから、心配しないでいいのよぉ」
にこやかに去っていく手慣れた姿に、これが初めてでないことが分かる。
「マクトレイ様・・・」
「怖い思いをさせてごめんね。祝福を受けて産まれた私は、物心がつく頃から人の欲望を向けられるようになってしまってね・・・男女問わずに・・・。幼い頃は魔力の制御も上手くできなくて、相手を殺しかけてしまうことがあって、一人で生きることを決めたんだ」
憂い顔のマクトレイ様を見ていられなくて、私は顔を伏せる。
「両親以外と関わること無く、魔力で国に貢献して一人で死ぬ。そう思っていたんだ。君に会うまでは」
顔を上げると、優しい顔のマクトレイ様がいた。
「君という奇跡に出会って私は夢を見た。孤独でなくなる夢を。他にも私に狂わない人がいるかもしれない。君の近くにいる人なら可能性は高いかもしれない。・・・夢を見たんだ。結果は君を怖がらせてしまった。ごめんね」
「私・・・ごめんなさい・・・何も知らなくて・・・」
私は後悔した。意外と簡単に見つかるなんて気楽なことを言って、私こそこの人を傷つけた。
「謝らないで。欲を出した私がいけなかった。もう、色に狂う人は見たくない。私は君さえ居てくれればいいんだ。お願いだよ、ミシェル。私は君を失いたくない。これからも私と会ってくれる?」
「・・・はい」
「私を嫌わないでくれる?」
「はい」
「私の側にいてくれる?」
「はい」
「私と結婚してくれる?」
「は・・・・・・あ? ちょっと待って!?」
うっかり頷きそうになって、我に返った。
やっばい危ない! なんか舌打ちが聞こえてくるけど、幻聴に違いない。
「マクトレイ様? 私、先ほどの衝撃的な出来事で混乱しているようです。今日は帰らせて貰ってもよろしいですか?」
「駄目だよ。君の使用人も、まだ目覚めてないでしょ?」
にこやかに微笑むマクトレイ様。・・・胡散臭い。
「ねぇミシェル。私の事はレイと呼んで?」
いつの間にやら呼び捨てられている。おかしい。親しくなったつもりはないのだが。
「いえいえ、私如きが公爵様に愛称呼びなど、烏滸がましいことでございます」
「私が望んでいるんだよ?」
「そう言われましても」
「ミシェル、愛しているよ」
「!?」
「私と結婚して下さい」
真摯な姿とお言葉に、私の意識が遠くに羽ばたいていくのを感じた。
いつか、眼鏡を運んできた鳥のように、厄介事をどこかに落としにいけないかしら。
そんなことを考えながらぶっ倒れた私を、マクトレイ様が嬉しそうに抱きしめていたことを私は知らない。
マリーとルッツと私。
公爵家で三人、すっきりと目覚めて帰ったら、公爵家から婚姻の打診が届いていて我が家は大騒ぎだった。
公爵家は仕事が早すぎる。
というか、婚姻って。普通は婚約じゃないの?
色々とすっ飛ばして、公爵家は早すぎる。
モブ人生のはずが、いつの間にか物語が始まっていた!?
私、これからどうなっちゃうのー!?
前世のテンプレなセリフを思い出し、私は深い溜息を吐いた。
やっぱり前世の知識は役に立たない。