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アイリスという名前は、ある妖精の名前らしい。
妖精信仰の多いこの街ではよくある縁起担ぎだ。
妖精には絶世の美貌を身に着けているものが多いが、幸いにも名前負けしない程度の顔立ちに恵まれた。
同期の男子何人かは、コイツは俺に惚れている。そう述懐している。別の人からは綺麗だ美人だと褒めてもらったこともあるが、睨まれると怖いと泣かれる数の方が多かった。
正直損だと感じる思い出が多い。ボーッとしているだけで怒ってると勘違いされるし、ある男からは、君の美貌は胃もたれするとまで言われた。肉か。
それでもこの顔を嫌いにはなれない。母親似だと言われるこの顔を。
母はどんな気持ちで父を見染めたのろう。二人はどんな家族を夢見たのだろう。
その答えを聞けるのは、死んでまぶたを閉じる時だろう。それはきっと……そう遠くない未来。
かと言って今まぶたを閉じているのは、別に答えをすぐ聞きたいとかそういうわけではない。
「眠い……」
容赦なく突き刺さる朝の陽ざしが肌に刺さる。痛い。つらい。灰になる。
若草の匂いを嗅ぎながらアイリスはのっそりと起き上がった。やはり野宿は体に悪い。
だだっ広い草原に建てられた簡素な小屋。
近くの水溜りを見下ろしてみると、うっすらとアイリスの姿が映し出された。
腰まで届く長い髪は乱れている。細いけれど鍛えられた躯。疲れてボロボロだなとアイリスは笑った。
顔を上げると澄んだ青空が広がっている。昨晩の嵐が嘘のようだ。
突風で小屋が壊れる危険があったからこそ、夜通しで守ってきたのだ。
どこか遠くから龍の鳴き声が聞こえる。野良ではない。道が入り組んだ広大な都市で効率の良い交通便を構築するために、ドラゴンを飼育して移動手段にすることがあるのだ。
しかし欠点がある。酷く喧しいのだ。
鶏が子守唄に聞こえるレベル。この騒音の中で二度寝できる奴がいるなら、その人はきっと人間じゃない。尊敬する。
音圧で壁が震えている。振動で小屋が壊れないか、思わず祈る。世界を創造せし大妖精ニーヴに。
幸い祈りは届いたらしい。
何の前触れもなくドアが開く。
出てきたのはアイリスそっくりの女の子だった。背丈も体つきも瓜二つ。
ただし、よくよく見れば微妙な差異があるとわかるだろう。ポニーテールのアイリスと違って相手はサイドテールだし、顔立ちは綺麗というより可愛らしい。
そのそっくりさんはボロボロのアイリスを見て、心底驚いた様子でこう言った。
「本当に外で寝たの? 嵐の中で?」
妹――クラリス・リベルテは呆れている様子だった。
だから答える。
「寝るときは止んでたよ」
「…………」
クラリスは特に何か話しかけるわけでもなく、姉の隣に並ぶ。
まるで鏡写しのような双子。
容姿のささいな違いはあれど、二人はよく似ている。
「成功するかな?」
甘い林檎のようなクラリスの声が空に溶ける。
「成功させるの」
鋭い矢のようなアイリスの声が、大地をかすかに振るわせる。
小屋の壁をアイリスは撫でる。
これからやることは正義だ。
これからやることは犯罪だ。
二人は互いに見つめ合い、微笑んだ。
「やろう」
「うん」
照りつける太陽は高く、風は涼しさを含み始めていた。木々の枝がのどかに揺れている。
アイリスの朝は、そんなふうに始まった。
Starring 【人物紹介】
アイリス・リベルテ
Creator:緋花李さん
http://tirnanog.okoshi-yasu.net/characters/iris/
クラリス・リベルテ
Creator:緋花李さん
http://tirnanog.okoshi-yasu.net/characters/clarice/