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私はまだ

「凪」


 揺り起こされてふ、と意識が覚醒する。


 目の前には濡れたアスファルト。屋根からしたたり落ちる滴。


 つんと土の匂いが鼻をさして、湿った空気が肺に染み渡った。


 ゆっくりと自分の体の形を認識して、まだぼんやりとする頭で今ここがどこだか思い出す。


「大丈夫か?」


 声につられて隣を見る。


 気遣わしげな表情を浮かべる青葉と視線がぶつかった。


「うん。少し、夢を見てた」


「この状況で良く寝られるな」


 呆れたように言ってペットボトルを差し出してくる。


「ありがとう」


 それを受け取ってキャップを捻った。


 あまり喉が渇いているとは思っていなかったが、水が喉から胃に流れ落ちていく感覚がひどく心地よい。


 ふうと口を離して一息吐く。


 雨はまだ降っているけれど小康状態といった感じだ。


「どれくらい経った?」


 訊くと青葉は手に持っていたスマートフォンを見る。


「三、四十分ぐらいだな。そろそろ止みそうだ」


「そっか」


 私もジーパンのポケットに入れていた携帯を取り出した。


「ん……?」


 通知を知らせるランプが点滅している。


 何事かと画面をつけると着信が十件以上来ていた。


「十五分ぐらい前からすごかったぞ。そろそろまたかかってくる頃合いだ」


 辟易したような声音で青葉が言う。


 それとほぼ同時に携帯がバイブレーションを始めた。


 表示された宛先に慌てて通話ボタンを押す。


「もしもし」


『良かった、凪、やっと繋がった』


 出るとひどく焦りの滲む声が耳元で響いた。


「桃花」


 相手は桃花だった。


『何度掛けても繋がらないから何かあったんじゃ無いかって心配したよ。大丈夫なの?』


「うん。桃花、どうしたの?」


『どうしたのって、そりゃ、こんな時は大切な人に電話をするものでしょ?』


 彼女は呆れ混じりにそう言った。


 こんな時。そう言われて、そうかと思う。


 そう、世界が終わるのだ。


 それなら確かに大切な人に電話をするのかもしれない。


「そっか、うん、そうだよね」


 思わずこぼれた呟き。


『凪……?』


 桃花の訝しむような雰囲気が電話越しに伝わってきた。


 見えてないとわかっていながら「なんでもない」と首を横に振る。


「なんか、久しぶりだね」


『そうね。最近忙しくて……、まあ、こんな状況になったら何もかも無意味だけどさ』


 彼女はあっけらかんとした口調でそう答えた。


「そんなことないよ」


『そうかなー?』


「そうだよ」


『うん、凪がそういうならそうなんだろうね」


 そして鈴の鳴るような声で笑う。


「凪は今、何してたの?』


「えっと……」


 その笑い声に耳を傾けていると不意にそう問いかけられた。


 答えに窮して青葉を見る。


 彼は気を遣っているのか、少し離れたところで雨を見つめていた。


「青葉といる」


『あ、やっぱり?』


 桃花はおどけたようにそう答える。


「やっぱりって何?」


 それに気が緩んで自然と笑みがこぼれた。


『いや、どうせそうだろうなって』


「桃花には何でもお見通しだ」


『まあね』


 見えもしないのに胸を張る桃花の姿が想像できる。


『あ、そうだ。ねえ、凪』


「何?」


『私ね、彼氏が出来たんだ』


「そうなの?!」


 突然の報告に思わず大きな声を上げてしまった。


『なんでそんなに驚くのよ』


 拗ねたような声が言う。


「ごめん。でも、だって、まさか桃花が……」


『まあ、言いたいことはわかるよ。私もまさかと思ったし』


 桃花は高校時代、男嫌いで有名だった。


 具体的な理由を聞いたことはない。


 ただ「愛とか恋とか見てる分には楽しいけど、我が身になるとなんか乗り気になれないのよね」と言っていたことは知っている。


「そっか……。うん。おめでとう」


 なんだか感慨深くて噛みしめるようにそう呟く。


 すると桃花は可笑しそうに笑った。


『凪と河野のおかげだよ』


「え……?」


 ぽつりと囁く言葉に首を傾げる。


 考えてもそう言われるような心当たりがない。


『ごめん、もうすぐ充電が切れそうだから言いたいことだけ』


 私が何も言えずにいると桃花は口早にそう告げた。


『私、凪と友達になれて良かったよ』


「……」


 それはあまりにいきなりで。言葉が喉に詰まってすぐには答えられなかった。


 私も、とただそれだけを言いたいだけなのに。


 これで終わりだなんて、そんなことをどう信じろというのだろう。


「もも……、桃花、ありがとう」


 それでも何か言わなきゃと口を開く。


 返事はなく、画面を見て通話が切れていることに気付いた。


 ちゃんと届いたのか、確かめる術は無い。


 だから、ただ祈る。届いていますようにと。


「……あ」


 見上げた空、立ちこめる雲の隙間から僅かな光が漏れていた。


 雨が上がる。


「行くか」


 静かに青葉が言った。


「うん」


 一度携帯に目を落とす。


 これが鳴ることはもう無いのかもしれない。


 その考えを振り切るように私はジーパンのポケットにそれを押し込んだ。

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