淡蒼球 - globus pallidus -
つまりボクも、ボクが忌み嫌う化学物質の塊で、無機質な化学反応が人の形を模倣しているだけの存在だった。
*** ***
「それを美しいと思えるなら……君からまだ、ひと欠けらの美しさが失われていない証拠だよ。」
ボクの先生は、不思議な人だ。
何を問いかけても、頭ごなしに否定したりしない人だ。
何をバカな、なんてボク自身が思ったことにさえ、あごを引いて、ひと呼吸は思案してから口を開いてくれる人だ。
「そうでしょうか……?」
その言葉が、嬉しかったというのに、ボクは、酷くあまのじゃくな甘え方しかできない。
先生。
朝倉先生。
ボクは――ボクは、ね。
「恋愛が、必ずしも肌と肌とを触れ合わせないといけないものだとするなら……片想いだけで十分なんです。綺麗なまま始まって、綺麗なまま終わる……恋だけで十分なんですよ。」
淡蒼、それは薄墨が掻き混ぜた空色。
ボクの、絶望。
なのに。
先生は、いつだってボクに答えをくれる。
「君は、プラトニックな愛を、望むんだね。」
その言葉が希望だからこそ。
ボクは。
先生が大嫌いなんだ。
「先生は、ロマンチストなんじゃないですか?」
そんな、甘えた厭世観。
諦観のままごと。
「ロマンチスト……それもまた楽しいものですよ。」
「なんで、そんなこと言うんですか。」
「それはね。」
そう言って朝倉先生は続けるんだ。
「大人だからといって、絶望しなきゃいけない、なんて道理はないからだよ。」
――そんな。
ズルいですよ。
だけど、ボクもズルいんだ。
「こんなに、苦しいのに?」
「その苦しみは、ずっと続きます。私も、いまだにその苦しみから逃れる術を知りません。……情けない話ですけれど。」
そんな。
ズルいですよ。
「なら、今すぐ死んだ方が、賢いじゃないですか。」
「はい。」
ねえ、先生。
朝倉先生。
それ、肯定しちゃ、ダメでしょ。
「私も、そう、、、思うのですが。……情けないことに踏ん切りがつかなくて。」
なんで、そんな無防備な顔をするのですか。
「ああ、でも、ときどき、死ななくて良かったなあ、って思うこともあったりして。そういうときに、生きていると良いこともあるのかなあ、なんて、間の時間を潰すのも、悪くないなんて――」
「先生っ!」
「――はい。」
「ボクは――ボクは……っ。」
「はい。」
朝倉先生。
「――わかりません。」
「わからない、ですか。」
「はい。」
「それは、困っちゃいますね。……私たちみたいに、"何か"ではないですから。」
「……はい。」
「膨大な可能性という、無責任の大きさと重さに押しつぶされて、それなら初めから何者かである方がマシだ、なんて思ったりして。」
「はい。」
「私も。今でもそう思っています。」
「先生も?」
「はい。……そうでなければ、いまだに苦しんでいませんよ?」
「――はぁ。」
朝倉先生の、煤けた笑顔。
それはズルいですよ。
「けれど、だからこそ。」
「はい?」
「大胆にもなったり、したりして。」
「はぁ。」
「先生、この前、ひとりでバーに行って、いくつかカクテルを頼んでみました。」
「はぁ。」
「私の他にも、ひとりで飲んでいる方もいて、話が盛り上がったりしました。」
「はぁ。」
「楽しかったですよ。」
はぁ。
なんて、小さな世界の話なんですか。
ボクの先生なのに。
ボクの朝倉先生なのに。
「それでもね?」
「はい。」
「私が先生だから、どこか冷静な部分もあって。」
結局それだ。
先生。
ねえ、先生?
もし、ボクが。
ここで先生にキスしても。
先生は最期まで、溺れてはくれないのでしょう?
~fin~
淡蒼球は大脳基底核の一つで、運動の抑制に働く脳の部位です。