叫喚
ダイバースの早朝、ゲントはギルドの入り口前で大通りの冒険者の波を見ていた。眼前の冒険者は今日も長大な列を作ってダンジョンへ向かっている。それに反するように仁王立ちでゲントは静止する。それぞれ異なった防具や武器を着た冒険者たちは殆どが顔を動かさず、同じ歩幅で進んでいく。昔から変わることのない朝の冒険者たちの姿だった。
ゲントは普段この冒険者の行列が終わってからギルドへ向かう。この光景がなんとなく嫌いだからだ。今日はそうでないのは昨日受けた依頼に関係している。ゲントは来るかも分からない昨日の依頼主たちを待っているのだ。シュークレスと自警団への連絡手段をゲントは持っていない。だから昨日会えたギルドで張り込みをしているのだった。中のベンチに座って待つという選択肢はなかった。
冒険者の行列が終盤に差し掛かり、最後の一人がダンジョンの中に納まった。それからしばらくして昨日ゲントがギルドに来た時間帯になると長身の黒いロングコートをと仮面をつけた男が現れた。ジェルコだ。視界に入った男から目を背けると、それに被せるように真正面に立ってきた。
「失せろ。」
「はい、おはよう。」
ゲントの言葉にジェルコは挨拶で返してきた。今日も会話は通じないらしい。ゲントはジェルコから離れてギルドの前で仁王立ちを続けた。それを見たジェルコはギルドの中に入っていった。そしてギルドの中にあっただろうベンチをあちこちぶつけた音を立てながら、ゲントの隣に持ってくる。ジェルコはそのベンチに座った。ゲントは無視を決め込んだ。
それからまた暫く、昨日ゲントたちの居た応接室に訪れた時と同じ時間にシュークレス達が現れた。シュークレスの隣にいた御付きは2人から1人になっていた。ゲントは彼らに伝えるべきことを浮かべて口を開こうとするが、それより先にシュークレスが手で制した。
「応接室で話を聞くよ」
昨日と何ら変わらない中性的な声だった。五人の部下を失った筈なのにその声に感情は乗っていなかった。
立っていたゲントと座っていたジェルコの間をシュークレスと御付きが通っていく。そのままギルドに入っていった。そのすぐ後に立ち上がったジェルコが持ってきたベンチを置いたまま中に入る。
ゲントは剣帯に付けられた白い剣を外して左手に持つと、ギルドに入っていった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
応接室には昨日と同じように、入り口のソファにシュークレス達が、テーブルを挟んで反対側にゲント達が座った。今いる人間の配置は同じだが、異なっているのはシュークレスの後ろに一人のお目付役がいなくなっていることだけだ。
ゲントは左手に持っていた白剣をゆっくりと、テーブルの上に横に置いた。
「これは?」
シュークレスがまじまじと剣を見る。部下の使っていた剣を知らないのだなと思ってからゲントは用意していた文言を答える。
「昨日魔物との戦闘中で亡くなられた自警団の一人からお借りしました。魔物をやり過ごすため止むを得ず必要になり使用しました。」
実際には魔物に剣を振るうことはなかったのだがそれは口にしない。命の危機で使わなければ死ぬ不可抗力であったと相手に印象付けたかったからだ。
「そうですか、どうも」
それに対してシュークレスの返答は淡白だった。シュークレスはテーブルに置かれた白鞘の剣を掴むと、振り返ってお目付役に渡した。お目付役は丁寧な手つきでそれを受け取ると空いている側の剣帯に付けた。
「生物と接触した場所は覚えていますか?」
覗き込むような目をゲントに向けてシュークレスは聞いてきた。ゲントは頷いた。
「昨日の倍の報酬を出すので僕たちを案内してください。」
軽やかな笑みと共にシュークレスが言う。ゲントはただ頷いた。シュークレスは笑うと不自然な皺が寄る。昨日この者の顔を歪に感じたのはそのせいなのだなとゲントは思った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ゲントは昨日少女が居た建物の屋上を目指して裏通りを歩いていた。
昨日貰いそびれた報酬は先ほどシュークレスから受け取った。ジェルコの方は昨日既に貰っていたらしい。
ゲントが先頭に立ち左後ろにお目付役が続く。お目付役の後ろでシュークレスが歩き、できた列をなぞるように9人の隊員が並ぶ。最後尾にジェルコが陣取った。シュークレスと御付け役と9人の隊員達は皆白い服を着ている。
裏通りを歩く白い列は普段なら異質に映った筈だろう。だが今日はそれを誤魔化すように太陽が強い光で裏通りを照らしていた。昨日の曇天が嘘のような、いっそ不気味な快晴だった。額から汗がこぼれた。
そう時間をかけず昨日少女が居た建物につく。すぐ先に仲間の死体があることをシュークレス達に伝えたが、後回しで構わないと言われた。目の前の建物が目的地であることを伝えるとシュークレスはゲントをどかして建物の中に入ろうとした。慌てた様子でお目付役がそれを止める。シュークレスは無表情だった。結局先頭にお目付役が立ち、9人の隊員とシュークレスの順に進むことになったらしい。となりで聞いていたゲントとジェルコには特に指示はなかった。ゲントは取り敢えず彼らの跡をついていこうと思った。ジェルコはというと興味なさげに空を仰いでいた。
お目付役が素早く建物のドアを開け内部に侵入していく。隊員達もそのあとに続いた。シュークレスどこか抑えが効かないような足取りで入っていく。ゲントはシュークレスが武人でないことを改めて認識した。ゲントは黙って昨日来た建物に入った。
階段を駆け上がる忙しない音がした。部屋中にホコリが舞っている。ゲントはあまり焦らず階段を登った。埃が落ちて目に入ったら嫌なので顔を上げないように気をつけた。
上から硬い何かが割れる音がして、建物ごと少し揺れた。ゲントは少し足早になって階段を登り屋上を出た。
屋上に出てすぐに隊員達が並んで剣を構えているのが見えた。彼らの先には真っ黒の少女が居た。昨日は欠けていた右脚と右腕は生えている。左腕は魔物の時と同じ大きさの黒腕に肥大していた。ゲント達とは反対側の屋上の縁で少女は左腕を垂らしていた。少女の前には、乱雑に叩きつけられたような隊員の死体が転がっている。死体から広がる血は超えてはいけない境界線を表しているようだった。
隊員達を睨む目がゲントを捉えたとき、どこか悲しげな表情を少女は浮かべていた。
「フランちゃん、お家に帰ろう。僕たちは君のことを心配してるだけなんだ。」
隊員の列の少し後ろでシュークレスが少女に話しかける。それに対して少女--フランは嫌悪の眼差しを向ける。
「嘘つき!!お前たちはみんな私を虐めるんだ。私をずっと騙して大切な妹をどこかにやったくせに!!」
少女の両足が外側にゆっくり曲がり始める。人間の足ではなくなっていくそれは逆関節の形になった。
「君の勘違いなんだフランちゃん。誤解させて怖がらせてごめんよ。君は少し混乱してるだけさ。妹ちゃんなんていないんだ。けど僕たちが君の家族だよ。」
笑みを浮かべてシュークレスが言う。が、フランの警戒は解けていない。突然フランが苦しむように顔を歪めた。彼女の垂らしていた左腕は指が溶け合い手刀のような形で落ち着く。フランは息を荒くつき大量の汗を流している。だがそれすら気に留めず怒りのまま叫ぶ。
「お前たちは家族なんかじゃない!!妹を返せよ!!」
フランの劈くような叫びが炸裂する。昨日魔物に浴びせられた身が震える咆哮をゲントは思い出した。同じように身体を張ってやり過ごす。
シュークレスの方を見ると汗を垂らし、歯をガチガチに食いしばって少女を凝視していた。
ゲントはシュークレスの笑顔以外の表情を始めてみた。中性的な美しさの消えた歪んだ顔だった。
「フランちゃーん!!妹だよー!!」
いつのまにかゲントの横にいたジェルコがフランに向かって大声で叫んでいた。フランはジェルコに目をやり何度が目を瞬かせると、鬼の形相で潰した死体を投げつけて来た。前にいた隊員たちは左右に分かれ、ジェルコは頭を抱えてしゃがみ、ゲントは横に転ぶ。ジェルコの頭上に隊員の死体が残像を描いて
通り過ぎていった。
「誰だお前!!」
フランの絶叫が響いた。またも身体を貫く震動にゲントは耐える。鼓膜が痛む。
「ジェルコ・バントだよ!!賞金首狩りやってます!!そこのお兄さんと同じだよ!!」
しゃがんだ体勢のまま右手を挙げてジェルコが自己紹介をする。そして右手の人差し指をゲントの方へ向けた。
立ち上がりジェルコから距離を取ろうとした ゲントは、自分に濃密な殺気が絡むのを感じた。自分は賞金首を狩る前に殺さなければいけない相手がいたことをゲントは痛感した。
観念し、両手を挙げてゲントは少女に向き合う。憤怒の顔を浮かべる少女の目の色が黄色に塗り変わっているのにゲントは気づいた。
「お前、やっぱり敵だったんだ!!こいつらと同じ嘘つきだ!!」
いい加減慣れてきた絶叫に耳を塞ぐ。両手を戻し降参のポーズを維持したまま答える。
「違う。昨日答えた時には俺は依頼を受けていなかった。今日彼らを連れてきたのは君の位置まで誘導するよう改めて依頼されたからだ。私は金の伴う依頼に従う。故に今も敵でも味方でもないといえる。」
「意味の分からないことを言うな!」
ゲントなりの論理的な答えを聞いても少女は納得した様子を見せない。きつい残響が耳から伝わるせいで頭痛がしてきた。耳鳴りと頭痛の襲う脳内でゲントは自分が嘘つき呼ばわりされたことがなんとなく気に食わなかった。若者に金をチラつかせて賞金首を誘いだす餌にした前科のあるゲントだがあれだって嘘はついていない。詳細を明かさずとも食いついてきたのはあの若者だ。ゲントは嘘をつくことに対して妙な潔癖さを持っていた。
「叫べば解決すると思っているのか。うるさいから黙れ餓鬼。」
「そいつらを黙らせろ!!」
特に何も考えずゲントが口走った暴言にシュークレスが止めに入る。
ゲントの前に居た隊員が、振り返って剣を首の前に置く。甲冑越しからでも隊員の必死の感情が伝わってくる。ゲントは抵抗せず、両手を挙げて降参の意思を示した。横を見ると同じく剣を突き付けられたジェルコが両手で口に手を当て押さえている。そのまま斬られろと思った。
「みんな、みんな嫌い。大嫌い。」
叫びではなく呟くように俯きながらフランが言った。黄色い両眼から涙を流す。
フランの右腕が肥大し形を変えていく。そして左腕と同じように手刀の形のまま指の輪郭が溶けてなくなる。逆関節の両足の先が三つに分かれて地面にめり込んだ。首元から頭を囲うような筒がゆっくりと伸び始める。頭以外の身体から黒い枝のようなものが規則的に生えていく。
「駄目だよフランちゃん!!その形状は僕たちが認知していない段階のものだ。もう君は戻れなくなる。そうなったら君はどんな変身を遂げてしまうんだろう!!」
静止なのか狂喜なのか分からぬ言葉をシュークレスが投げかける。
フランは朦朧とした顔のまま、それに反応しない。
黒い枝はフランに生え続け、みるみるうちに身体の隙間を埋めていく。顔から伸びる筒は彼女の口元まで伸びている。
本能的な予感がゲントに、あるいはこの場の全員に降りる。この少女が災厄となる予感だ。
ゲントは目の前のジプンを抑える兵士に顔を向ける。
「おい。」
ゲントが話しかけた途端喉元に僅かに剣が押し込まれ血が垂れる。背後の異形と上官の命令で、ゲントを黙らせなければ自分が死ぬのだという強迫観念に隊員は囚われたようだ。死にたいわけでもないゲントは臆せずただ確認を取る。
「倒せるのか?」
必要最小限の言葉で聞く。隊員は答えなかったが、ゲントの首を斬り落としもしなかった。現在いる9人で実際にどう戦うのかを考えているのだろうか。昨日ゲントと共にいた自警団たちはかなりの力量で魔物と渡り合い、追い詰めた。ひとりの不意打ちはともかくとして、4人だけで優秀な立ち回りを見せた。装備が同じことを単純に考えれば倍以上の人数で挑めば問題なく倒せるはずだ。ゲントもそう思っていた。だが眼前の少女の変身の脅威は計り知れない。昨日魔物を見たはずのゲントにとっても異質な、全く別のものに変わろうとしている兆候と気配をこの少女は見せている。
フランの目元まで筒は伸び、生えた枝が羽に変わる。
この屋上で最初に死んでたのはお目付役だった。仮に彼が自警団のリーダーなら今現在この隊員たちを指揮する者はいないということになる。この9人の中に異なる隊服をきている者はいなかったからだ。だからゲントは確証を聞いた。果たして未知の脅威に対して、指揮官も無しに無事勝つことができるのかと。ゲントは押し付けられた剣が震えているのに気づいた。この隊員にも怯えはあるのだろう。首に刺したまま震えるのはやめてほしいが。ゲントは隊員の剣をどかすためにもう一度口を開く。
「頭を潰され。薙ぎ払われ、握り潰され、擦り潰され、押しつぶされた。高い技量で油断の無かった彼らでさえ、アレに殺された。」
隊員はゲントの言葉の意味をすぐには理解できていないようだった。しばらくして隊員から殺気が薄れた。怯えなのか諦めたのかは分からない。首に浅く刺さっていた剣は下げられた。構えは解いていないが。
プランの筒は額まで伸びている。真っ黒な羽根が全身に広がり、鴉とも鷲とも取れるような生物が出来上がっていく。
アレに蹂躙されれば自分は死ぬのだろうとゲントは理解した。戦うどころか逃げる選択肢もアレは与えてくれないだろう。待ち望んでいた終わりが形を持って迫ってきたのに、何故自分は行動を続けようとするのか。どこか現実味のない感覚を持った状態でゲントはシュークレスに問いかけた。
「妹の名は」
大きい声ではなかったがゲントの声を聞いたらしいシュークレスが目だけをゲントに向ける。だが返答は来なかった。一端の賞金首狩りと会話をしたくないのだろうか。それとも絶叫と殺意にやられて喋ることもできなくなったか。
「知らない。」
シュークレスの答えはゲントの期待を裏切るものだった。
「彼女の名を知っていて、何故ほかの親族の名が分からない。」
筒が彼女の頭を完全に包んだ。エリザベスガードのような形状だった。
「フランは私の付けた名だ。味気ない被験体番号ではなく、特別な存在として見分けがつくように。私が研究所を継ぐ前から彼女はいたが名前がなかったからね。」
陶酔したような顔で鳥の魔物を見つめながらシュークレスが語る。
「簡潔に言え。」
「私のあずかり知らぬ昔から少女は研究対象だったということだよ。記録を漁れば妹とやらの名前が保管されている可能性もあるかもしれないが、今からでは確認するのは間に合わないだろうね。」
命の危機だというのにシュークレスの声には抑揚がない。まるで他人事のようだった。ゲントは彼もまた自分と同じ何か屈折した性分を持っている者なのだと察した。
「……昔からとはいつからだ。」
「言っただろ、遥か昔だよ。この街が成り立つのと同じぐらいのね。」
予想していたものよりも残酷な答えだった。
ゲントは隊員の列を超え。また名前の分からなくなった少女の元に近づいていく。
完全に変貌を遂げた少女--鳥羽の魔物はゲントが近づいても反応を見せない。裏通りに場違いな何かが突然置かれてどう行動すればいいのか分からないような、そんな心境だらうか。
「お前の守る妹は」
僅かにぴくりと魔物が身体を揺らした。
「既に死んでいる。何百年もの間お前は生き続けてしまったんだ。」
推察できた決定的な言葉を魔物に告げた。
魔物はしきりに頭の飾りを傾げて変な足取りで羽ばたこうとする。反応すら許されない翼の打ち付けがゲントの横の地面を抉った。魔物おぼつかない足取りでどこかを攻撃し続けるが、狙いが定まらない。長大な翼は滅多撃ちに地面を抉るのに誰一人として届くことはなかった。凶悪な破壊力と釣り合わないように打ち付けた翼が塵となって崩れ去っていく。逆関節の足も、頭冠のような筒も見る影もなく急速に萎えて落ちて塵になる。誰も何も言わず立ち尽くしたままそれを見つめる。
魔物の奇妙なダンスはすぐに終わった。黒い塵が剥がれて打ちひしがれた少女が現れる。長い白髪が遮断するせいで少女の顔は窺い知れない。
何を語るのも無粋だというように沈黙が続く。照りつける陽光が違和感がある程に空間を照らしていた。顔を下げたまま当たり前のように少女が縁に足を進める。
誰かが静止に入るより先に両手を広げて少女は飛んだ。
鈍い音が遠くから聞こえた。
大量の黒い塵だけが周囲にのこった。




