番外編4 紫堂炯子 大阪ドーム事件(上)
どうして私はゾスで死ななかったんだろう。
それは多分、死ぬのが恐いからだし──きっと、私が魔法少女で愛と勇気を信奉しているから。
今の私だってそうだ。
この身に愛と勇気がなければ、こんな自己犠牲なんて絶対にありえないです。
私がここで華々しく散ることをみんなに求められているのだろうけど……。
ふっ、と嘆息する。
私って魔法少女である以前に暴力だからなぁ。
みんなが思うように美しくはできないんじゃないかな?
可憐な殉死。桜のような散華。
後輩たちへの影響というのがあるだろうから、そういうのを目指してやれるだけはやってみますけど、私がやったら爆弾が落ちたような爆死、という身も蓋もないことになるんじゃないかな。
──どうでもいいことを考えてるな。
だってさ、今って明らかに死に方を選べるような状況ではないもんね。
何をやった所で、はらわたを撒き散らして死ぬのがオチ。
ざくっざくっ、と大阪ドームの人工芝を踏みつけながら私は歩く。
他は緑色だけど内野の一部の人工芝は背が低く赤茶色だ。
──私はゾスという惑星に召喚されていたことがある。
そこはエルフと呼ばれる人々がイブン=グハジと呼ばれる魔物と争い続けていた土地だ。
私はエルフの人々と一緒に生活し、戦いに参加した。
ゾスの草原には、背の低い赤い草がはえていた。
だからここを歩いていると、あの頃のことを思い出してしまう。
──それに。
顔を上げると、球場をおおう特徴的な半球の天井。
ゾスには二つの月がある。
綺麗な球形のトォーグと、牡牛の頭蓋骨のような形のトォーカ。
……ここの天井はトォーグに似ている。
中央のくぼみは、トォーグの巨大なクレーターみたいだ。
そういえば、クレーターがどう見えるのか? で占いをするエルフがいたな。
えっと──ムケクイマさんだ。エルフの名前は私達と全然違うので、なかなか覚えられなかった。あの頃の私はずっと困ってたな。
地球に戻ってきてから、日がたつごとにみんなの名前を少しずつ忘れてる。薄情な私です。
みんなのことあんなに大好きだったのにね。
こんな風に鮮やかにくっきりとクレーターが見える時は何だったかな? えーっと……。確かこうだ。
──想い人、現る。
あははははっ。
心の中で短く笑う。それは無理。バカにしないでよ。
だって私はゾスには二度と行けないんだもん。もうみんなと会うことは絶対にできないんだ。
でも、うん。
ここがゾスの草原に似てるの嬉しいな。
古風なセーラー服を着た私は意識して手足を大きく振って歩く。
今、通っている学校は服装自由なんだけど、多くの女生徒が自分の好みの制服を着ている。
私はこういうのに憧れてたんです。
真っ黒な生地に、真っ白なタイ。どうしてこういう制服は減ってしまったのかな?
ぶんっ、ぶんっ、ぶんっ、と手を振る。
口に出して言う。
「どうせ終わるなら、ここがいいです」
自分に言い聞かせて、じっとりねっとり覚悟を決めていく。
ねちねちと、ね。
私さ。私は。私さ。私さ~。
愛と勇気の魔法少女である前に、実は人間なのです。
だから、いろんな感情があるのです。
つま先立ちになってその場でくるりと回る。スカートを膨らませて回る。くるくるくるくる。
素直な気持ちをいうならば~♪
言うならば?
一番大きいのは、逃げたい、です。
二番目は、隠れたい、です。
三番目は、誰かが失敗して私が戦わなくてすむことにならないかな? です。
そんな気持ちをねじ伏せるために、意識して不敵な笑みを浮かべる。
にやりぃぃ!
不自然なくらい思いっきり口角を上げる。
狼が笑ったこんな顔になるだろうって笑みを顔面に張り付ける。
そうやって自分に力を入れるのだ。
暴力スイッチをオンにするのだ。
……死ぬかと思うことなんてゾスで何度も味わった。こんな気持ち、今さらじゃない?
でも、さすがに今回は死ぬかな?
かなりの確率で死ぬよね。
歌うようにつぶやく。
「終わる気なんかないけども~。もし終われるならば~ゾスに似たここがいいです。ここで終わったとしても、私としては問題ありません」
いや、問題ある。
もしこれで最後なら何かおいしいものを食べたかなったな。
──なんだろう? ……………………せっかく大阪にいるし551の豚まんかな?
いや、待って私。最後の食事がそれでいいの?
でも、まぁ、それでいいかな。私なんてそんなもんっしょ。
あはっ。あはははははっ、そのレベルの後悔しかできないんだから今、終わってしまってもいいです。
「──私はここで終わっても後悔しません」
口に出してハッキリと言う。
どうせその時が来たら死にたくないって泣きわめくんだろうけどさ、それはギリギリまで我慢しよう。
だって今は私が頑張るしかないのだから。
「ふぅぅぅぅぅ」
長く息をはきながら、慎重に魔力を全身に広げていく。
数年前までは意識するだけで変身できたのに、今は魔力をどの魔法神経にどれだけ通すのか意識しないと、変身できなくなってしまった。
年齢と共に魔力が落ちているのだと思う。
だとしても、経験で補えばまだ全盛期と同じ戦いはできるはず。
魔法神経を意識しながら、惑星ゾスに生きるエルフ達の言葉を口の中で詠唱する。
「ムグルウナフ クトゥグア ホマルハウト ウガア=グアア」
どくんっ、どくんっ、どくんっ、と心臓が大きく脈打つ。
ばうっ、と突風を受けた炎のような音が響く。
制服が消えると同時に、体に沿って全身をおおう真っ赤な鎧が現れる。この鎧がある限り防御魔法は常時展開。
右手には私の背丈ほどもある赤きコルヴァズの魔剣。
……いつも思うけど私の変身姿って、魔法少女というより魔法戦士だ。
他のみんなみたいにふわふわでファンシーなのがよかったのかもしれないけど……。
私はそういうの恥ずかしくて耐え切れなかっただろうな。
……この鎧もちょっとセクシーすぎかな、と思うけど。
二塁ベースの少し先、球場の真ん中まで歩いて立ち止る。
コルヴァズの剣の切っ先を足元に落す。
人工芝を超え、コンクリートに軽々と突き刺さる。
さて、現状確認の時間です。
黒き猛獣──アウラニイスが300頭、大阪に現れました。
こいつらは人を食う。もちろん犬や猫も食う。けっこーヤバめな魔獣。
アウラニイスが現れると同時に『さわやか魔法事務局』に所属しているファンシーなななさんが大阪市内に多重結界を張ってくれた。
彼女の頑張りで、アウラニイスを大阪ドームに誘導することができたのだ。
閉じ込めてそのままにしておければいいんだけど、放置しておくとやつらは、わしわしと結界を噛み破る。
アウラニイスが発揮できる魔力の量はたいしたことないから、一匹なら噛み破るまでかなりの時間がかかる。でも、300頭ですからね。数は力。
分散されたらどこを噛み破られるかわからないので、一か所にアウラニイスを集めてそこにさらなる多重結界を張り、結界の傷口を修復し続ける。
なななさんに無限の魔力があるなら、修復し続けることも可能だろうけど、そんな都合のいい話があるわけない。
結局は誰かが結界の中でアウラニイスを始末しなくてはならない。それをやれる魔法少女は現在、大阪に私しかいない。
本来ここにいるべき少女達はみんな日本海側に出払ってしまっている。
どうやら私達は『ネクロノミコン騎士団』の陽動に見事に引っかかってしまったらしい。
東京暮らしの私が大阪にいたのは梅田スカイビルにどうしても昇りたくなって昨夜、発作的に夜行バスに飛び乗ったから。
都庁ビルの展望室にいた時に、ゾスへと召喚されたせいか、高い場所に行きたくてたまらなくなることがあるのだ。
──まったく運が悪い。
でも、私以外の人にとっては幸運だろう。
だって、たった300頭に立ち向かえる魔法少女は私しかいないもん。
思いっ切り息を吸う。
「わっ!」
叫ぶ!
「わっ!」
吠える。
「わああああぁぁあぁあぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁっ!」
私の絶叫に反応して、あっちこっちの入場ゲートから、カリカリカリと爪で床を削る不快な音が響いた。
現れたのは黒く長い毛に覆われた、体長3メートルはある狼に似た魔物。
──アウラニイス。
私の叫びに呼応して、ドームのあちらこちらでアウラニイスが肉食獣の咆哮を響かせる。
ドームの天井が震えるほどの声量。
アウラニイス性質は獰猛にて残虐。
経験のない魔法少女が相手なら、ひと噛みで戦闘不能にすることができる。
「はっ。あははははっ!」
心を委縮させられないように強がって笑う。
弱い犬ほどよく吠える、などと言って威嚇する相手を侮る人がいるけど、そういう人って真剣に戦ったことあるのかな、って疑問。多分ないんじゃないかな。
戦いで鬨の声をあげるなんて基本中の基本。
よく吠えなきゃ戦いなんかできない。
威嚇の声は本能に響く。
目の前で唐突に吠えられたら誰だってビクッとなる。それは一瞬の反応の遅れを誘発する。その一瞬で死ぬ。
弱い犬はよく吠えるが、強い犬だって吠えるのだ。
いつの間にか客席の全周にアウラニイスがいた。
これだけの数の魔物と対峙するのは初めての経験。
──イシキヒコ平原で囮をやった時だって100はいなかった。
そういえばあの時、私は何度死ぬって思ったかな?
ゾスにいた頃の私はみんなのために命を捨ててもいいって本気で思っていけど、今は誰の為にこういうことしてるのかな?
この命、誰の為に捨てるの?
ダメ。考えるな。鈍る。
目の前の正義を守るだけの暴力にならないと。
──300対1だ。
うふふっ。
あはっ。
「どうぞ、来てください」
剣先でおいでおいでをすると、一匹のアウラニイスが客席からグラウンドに音もなく降りて、ジリジリと私に接近する。
獲物に迫る肉食獣の動きだ。
まずはこの子が、私がどれだけの生き物なのか確かめる、ということか。
彼らは私のことを全然知らない。
一斉に襲い掛かった途端に私の不思議な力が発動して全滅、なんてことを避けたいのだろう。
──そういう知性、私の好みじゃないな。
最初からみんなでがむしゃらに突っ込んで、滅茶苦茶にしてくれればいいのにさ。
近づいてきた一頭のアウラニイスが、ぐるるるっ、と狼のような低い鳴き声で空気を震わせる。
がっ、と口を開け牙を剥き出しにする。
鋭い爪で人工芝ごとコンクリートを削り取る。
炯々と輝く紫色の双眸でにらみつける。
私はそれに反応して左足を前に出し、コルヴァズの魔剣を頭の上で構える。
アウラニイスは前後に体を揺らして間合いをはかっている。
こういう剣道の試合みたいのは好きじゃないな。
私は左足を前に出した状態を維持しながら前に出て、間合いを潰す。
それを嫌がってアウラニイスは下がる。
──逃げたら戦いになりませんよ? 凶暴な空気を発しているのに私が恐いの?
これ以上、私にペースを握られるのが嫌だったのが、背中をぐぐっと盛り上げて体を縮める。
ッ!
次の瞬間、ばぎっ! と後ろ足で人工芝を削り、猛スピードで私に迫ってきた。
くぅぅぅっ!
歯を食いしばり、逃げたい、って気持ちを押さえつけて──。
「かっ!」
私は頭の上に構えていた魔剣を真っ直ぐに振り下ろす。
バキャ! と頭蓋が砕ける音。
腕に伝わる反動が弱いので、綺麗に断ち切れたのだとわかる。
しかし、頭蓋を両断しただけではアウラニイスは止まらなかった。
紫色の鮮血を撒き散らしながら突進してくる。
「きゃっ!」
伸ばしてきた前足の爪を咄嗟に避けはしたものの、アウラニイスの肩が私の胸がぶつかった。
足が浮く。体ごと弾き飛ばされる。
「くうぅぅぅぅぅっ!」
人工芝に顔を擦りつけてしまった私は魔剣を地面に向かって振り下ろし、その反動で立つ。
少し向こうで顔面が真っ二つに割れたアウラニイスが倒れている。
頭蓋から飛び出した真白な臓器も二つに割れていた。
客席で私を見下ろすアウラニイス達から、むわり、と臭気が立ち昇る。
こういう連中とはゾスで何度もやってきたから、だいたいの感情がわかる。
仲間を殺されて怒っているわけではない。今、彼らは喜んでる。
──このくらいの強さか、と思っている。
私を殺し、結界を破り、街の人々を殺す。
そういう絵が彼らにハッキリと見えたのだろう。
一匹を殺すだけで吹っ飛ばされてダメージを受けている。
同時にかかればすぐ終わる。そう見たに違いない。
歓喜の臭気だけでなく、低い唸り声がドームに蓄積されていく。
「ふふふふっ」
自分の頬に下卑た笑みが浮かんでしまったってわかった。
我ながら下品だと思うけど、アウラニイスのみなさんが集団でオナニーしているように見えてしまったのだ。
この臭いと声が天球まで満ちた瞬間に一斉にグラウンドに降りるつもりなのだろうな。
なんとなくの感覚でわかる。
私がそれを待つわけない。
ならば唐突。
私は突然。
「シイイィィィッ! アアアァァァアァアァァアァァッ!」
怒号を張り上げ三塁側の客席に向かって走る。
──あなた達の好きなタイミングでやらせるわけがないです!
忍者のようにフェンスを駆け上がり、客席に飛び込み目の前にいたアウラニイスの眉間に魔剣の切っ先を突き刺す。
こぼんっ、と金属の甕を割ったような手ごたえ。
表面は硬いが中身は柔らかい。
ぶるるっ! と死の痙攣をするアウラニイスの脳天を踏みながら魔剣を抜く。
「イッいぃぃぃぃいぃいいぃアッ!」
抜く勢いを利用して魔剣を振り回して威嚇しながら、客席の通路を走る。
あなた達のサイズじゃ客席が邪魔で歩きづらいですよね?
通路は人間が歩くために作られたものだ。彼らのサイズでは明らかに狭い。
一歩進むごとに客席を爪で破壊してるようでは、私の動きについてこれるわけがない。
私は近くのアウラニイスに向かって疾走し、かっ、と口を開ける。
「なああぁあっ!」
ステップを踏んでから左足を床に叩きつけるようにして停止して、ぶんっ、と腰を回す。
野球選手のスイングのよう魔剣を振って、斬る!
スパンッ、とアウラニイスの頭頂部が真横に外れ、ブーメランのように飛んでいく。
頭部の1/3を失ったアウラニイスは、ごぼっこぼっごぼっと工場の排水口のような声を響かせて巨大な泡を口から吐き出し、椅子を破壊しながら前のめりに倒れた。
でかい体をしてるのにこんな所で私を見物してるとか、私を包囲しているって雰囲気に酔いすぎです。
奔る。
もう一頭!
今度は頭部を斜めに削ぎ落す。
ぞるる、と頭からこぼれ落ちた臓器が飛沫を上げて落ちる。
そういえば球場の形は輝くトラペゾヘドロンに少し似ているかもしれない。
それであなた達は降りるのに躊躇したんですか?
駆ける。
もう一頭!
私はトラペゾヘドロンを使うような魔法なんか使えないんですけどね。
ッ!
ビリリリリッと全身が震えるほどの咆哮が響いた。
アウラニイス達が声で合図しあいながら複数で私を多重に包囲しようとしている。
私が疾走して一頭抜いたとしても、その先で待ち構えるという陣形。
私はジャンプしてグラウンドに戻る。




