番外編1 睦月まゆみ(上)
「せっ、先輩ッ!」
身長150センチ。
軽くウェーブしたふわふわのピンク色の髪はボリュームが凄い。
丈の短い赤色の可愛いエプロンドレス。
肘の辺りまで伸びた白い手袋。
それが、俺を先輩と呼んだ少女の姿だ。
「先輩! これってどういうことなんですか?」
彼女の悲痛な声が学園のグラウンドに響く。
「先輩、嘘ですよね? こんなの嘘ですよね?」
長すぎる髪を、ぶわぶわ、と左右に揺らす。
「せ、先輩がネクロノミコン騎士団の仲間だったなんて何かの間違いですよね!」
「間違いなんかじゃない。本当のことだよ」
「ッ!」
彼女はビクンと大きく全身を痙攣させてから、胸に手をやってすがるように俺を見る。
「わ、私! 信じません! だっ、だって、先輩は優しくて強い人じゃないですか! 私なんかより……。ずっと! ずっと優しい人じゃないですか」
──魔法少女は今にも泣きそうな顔をしている。
俺は苦笑して言う。
「俺がまゆみより優しいわけないだろ」
心の底から優しい女の子じゃなければ魔法少女なんかにはなれないはずだ。俺と比較するようものではない。
「私! 先輩を尊敬してます! みんなに優しくて、困っている人を助けて……。何より強い気持ちを持っているじゃないですか! それなのにどうしてッ!」
「違う。俺はまゆみが思っているような人間じゃない」
──みんなに優しいのも困った人を助けてきたのも、自分も他人もどうでもいいからなんだ。
祖母と両親は、俺には一生かかっても使いきれない金と広い土地を残して死んだ。
祖父は末期ガン。
明日明後日には死ぬかもしれない。もう意識はほとんどない。
家族を全員、失ったも同然なんだ。
そういう状況だから、俺は誰かに怒られたり殴られたりしても平気なのだ。
何かを途中でやめてしまっても、野垂れ死にするってことはないし、俺が何かやらかしてまっても悲しむ人はいない。
だから──。
この人を助けたらあとから面倒なことになるんじゃないかな?
この喧嘩を仲裁したらもっと怖い人が出てくるんじゃないかな?
学校を退学になるんじゃないか?
警察に怒られるんじゃないか?
暴力団員に殴られるんじゃないか?
そういうことを考えなくていい。
なぜなら、自分の人生なんかどうなってもいいからだ。
どうでもいいからこそ、誰かに優しくしたり、困った人を助りたりできる。
その余裕が、まゆみには強い気持ちに見えたのだろう。
「あ! わかりました! ネクロノミコン騎士団に脅されているんですね!」
「違う」
「本当のことを言えないんですよね? 誰かを人質に取られているんですか? そうなんですよね?」
すがりつくように俺を見る。
「……ムーンライト・ピンク」
俺が魔法少女名を口にすると、彼女は怯えたようにビクッと全身を震わせた。
「おまえが俺との決闘を拒んだら……」
俺は、すっ、と校舎を指差す。
「どこかの教室が爆破されることになっている。俺が嘘をついてないってことくらいわかるだろ?」
「ッ! ど、どうしてそんなひどいことを……。わ、私……そんなひどいことを先輩に言わせているネクロノミコン騎士団が、ゆっ、許せません」
「だから、違うんだって。ムーンライト・ピンクと闘わせてくれ、と俺がネクロノミコン騎士団にお願いしたんだ」
「言っている意味が分かりません! どうして先輩が私と戦いたがるんですか! 先輩、私のこと嫌いだったんですか?」
「違う。まゆみのこと嫌いだなんて思ったこと一度もない」
これは本当だ。俺は幼馴染のまゆみのことをいつだって尊敬していた。
「だ、だったらどうして!」
「説明しておいた方が、まゆみもやりやすいだろうな。俺の家庭がどういう状況なのか知っているだろ?」
微かに身を捩って言いづらそうに、
「は、はい。知っています」
「爺さんはもうすぐ死ぬ。だから俺の家は俺だけになる」
まゆみはつらそうにうつむいた。他人の悲しみを自分の悲しみのように感じる性格なのだ。
俺は自分の人生なんかどうでもいいが、一つだけどうでもよくないことがある。
これは自分だけの話じゃないからだ。俺の家族──一族の話だからだ。
「俺の家は久慈島藩の御留流武術を受け継いでいるんだ」
「くじじまはん? え? なんですか?」
「昔々は県じゃなくて、藩だったことくらい知ってるだろ? そこの御留流武術の伝承者なんだ」
「お、乙女流、ですか? ……先輩の家は、けがれを知らない女の子の、その……何かなんですか?」
「そういう勘違いすると思った。じゃなくて、御留というのは、そこにとどめるって意味だよ。藩から外に出さない武術ってこと。武術はわかるよな? 柔道とか空手みたいな闘うための技術のことだよ」
「闘うための……。あ! わかりました。先輩が使える武術をネクロノミコン騎士団が利用しようとしているんですね!」
「だから、違うって。昔々も、まゆみみたいな魔法少女っていたらしいんだ」
「昔々も、ですか」
「昔々は魔法少女って名前じゃなかったし、今みたいに目立つ存在じゃなかったし、牧歌的っていえばいいのか? そういう存在だったらしいけど……。闘える魔法少女が、いることはいたらしいんだ。彼女らの正義が、藩の正義と対立することがあった」
まゆみは胸の前でキュッと手を握った。
「魔法少女は弱者の味方だ。例えば農民反乱の時、藩は鎮圧する側、魔法少女は反乱した側の味方になった。久慈島藩って農民反乱が多かったんだ。だから、魔法少女を倒す技術が必要だったんだ」
俺は拳を作る。
「その技を俺は先祖から受け継いでいる」
まゆみは絶句して、
「せ、先輩が魔法少女を倒す技を……。で、でも、だからって。それを先輩が知っているからって、私と戦う理由にはなりませんよね」
「なるよ」
「なりません! だって、拳銃を持ってるいるからって、誰かを撃たなきゃいけない、なんてことにはなりません!」
「拳銃はその威力を何度も証明しているだろ」
「え?」
「でも、俺はこの術で魔法少女が倒されるとこを見たことが一度もないんだ」
「そ、それはとてもいいことじゃないですか」
「よくない」
「どうしてですか?」
「父親は事故で死んだ。祖父はもうすぐ病死する。……俺の一族が今までつないできた技術が無意味なものだったらって考えると、とっても恐いんだ」
近代になって魔法少女は国家に接近し、現代では魔法庁が作られている。
民間の魔法少女組織もあることはあるけど、魔法少女達は国に取り込まれ、その正義が国家と対立することは少なくなってきた。
藩政では大切にされてきた俺達の技術は、現代になって見捨てられてしまった。
公的な機関は俺達を見ようとしない。祖父も父もそういった機関とは無縁な人生を送ってきた。
それなのに、なぜか俺の一族は技術を相伝してきたのだ。
いつか、魔法少女と戦うために技術を磨いてきた。
──血反吐を吐いた。内臓を痛めて血の小便を出した。
そこまでして伝えられた技術だ。
「技術が無意味なモノだったら、って考えたら震えそうなくらい恐いんだ。その事実から目をそらすのも恐いんだ。そして、俺の技術が偽物なのか本物なのか知らず生きていくのはもっと怖い」
「せ、先輩……」
俺はゆっくりと腰を落として姿勢を低くする。骨盤を前傾させて、仙骨──背骨の一番の下の骨と真っすぐにつなげる。こうすると自然と全身のバランスがよくなる。
そして丹田──ヘソの下に意識を集中する。こうすることで全身に力が行き渡る。
骨盤、仙骨、丹田。
ここをしっかり意識すれば、押されても簡単に倒れなくなるし、前後左右に自在に動けるようになる。
──魔法少女とやりあえる力を出せる。
「まゆみ──いや、ムーライト・ピンク。俺と戦ってくれ」
「せ、先輩。ど、どうして私なんですか? 私は先輩と戦いたくなんかありません!」
「俺にはまゆみとしか戦いたくないんだ」
「ど、どうしてですか! 他の魔法少女だっていいじゃありませんか!」
「まゆみが俺の幼馴染だからだよ。俺はまゆみが優しくて強い気持ちを持っているって知ってるから。まゆみが強い魔法少女だって知ってるから。そういう相手じゃないと試す意味がないんだ」
「意味がないって。私より強い魔法少女なんか他にも……」
「まゆみをおもいっきりぶん殴ったら、どんな顔するのかなって昔から思ってたんだ」
「ッ!」
まゆみは目を大きく見開いた。
「気に食わなかったわけじゃない。嫌いだったわけじゃない」
「せ、先輩……」
「優しくて立派なまゆみが泣いて苦しむ姿を見たいって思ってたんだ」
「ど、とうして……」
「まゆみが魔法少女になってから、もっと強く思うようになった。みんなのためにがんばってるまゆみが、信頼している相手に裏切られた時どんな顔で泣き叫ぶんだろうな、って……」
「う、嘘ですよね。せ、先輩はそんな人じゃない! そんなこと思ったりしない!」
「残念だけど、そういう人だし、そういうこと思うんだ。まゆみの絶望に歪む顔が見たいんだ」
「やめてください! そんなわけないもん! 先輩はそんなひどいこと言ったりしないもん!」
「まゆみのこと好きだよ」
「ッ!」
「まゆみのこと好きだから、絶望に苦しむ顔を見たいんだ」
「……ッ! ……ッ! どっ、どういう気持ちなんですか、それ! 好きなら幸せな顔を見たいですよね」
「変態なんだよ。変態に好かれて大変だな、とは思う。同情する」
まゆみは棒を飲んだように呆然と立ち尽くしている。
「私を倒したいんですか?」
「そうだよ」
「それって私を殺したいってことですか?」
「別に殺したくはないよ」
「だったら、結果が死でもいいと思ってるんですか?」
「……そんなのわかんないよ。何度も言うけど、俺との決闘を拒んだから10人単位でここの生徒が死ぬよ。信じてないのか? とりあえずどこか爆破してみるか?」
ムーンライト・ピンクは肩をぶるぶると震わせた。
「そんなことしなくていいです。それと同情もいりません。私の気持ちは、私だけのものだから……。だから同情はしてくれなくていいです」
そう言った瞬間、彼女の震えは止まっていた。
ゆっくりと両手を回すように動かしてから、ビシッ、と俺を指差し、
「月のキラメキパワーで倒してあげる。覚悟を決めてかかってきなさい」
稟と言い放った。
「決闘ッ! しますッ!」
ムーンライト・ピンクは何のフェイントもなく、一直線に猛スピードで接近してきた。
──これが、魔法少女かッ。
レース用のオートバイが突っ込んでくるような迫力だ。
落ち着け。祖父と父に教わったこと冷静にやればいいんだ。
「え~~いっ!」
ムーンライト・ピンクは耳の後ろまで拳引いた。テレフォンパンチだ。どんな軌道を描いて、どこにどのようにパンチが来るのかわかる。
だけど……。
そういう問題じゃない。どこに来るかわかっていても圧倒的な迫力に気圧されてしまう。
それに──。
父が言っていた通りだ。
──肘まで覆った白い手袋。
ただ白いだけではないのだ。
その白が空や雲、背景に混じって手の位置がどこにあるのかわかりづらい。
服が派手な色をしているだけに、手だけが消えてしまったように見える瞬間がある。
「え~~~~~い!」
かん高い声に、足がすくむ。全身に汗がにじんだ。
人間の圧迫感じゃない。
当たり前じゃないか! 何を言ってるんだ。こいつは人間じゃない。魔法少女なのだ。
くぅぅうぅうぅぅっ。
化物どもが魔法少女のパンチを食らうのは、化物だからだと思っていた。
化物には術理がない。だから、食らうのだ。
パンチがどういうものかわかっていればあんなことにはならいと思っていた。でも、違う。
スピード、パワー、叫び声。
その三つに威圧されで身動きできなくなるのだ。
さらに白い手袋による迷彩効果がプラスされる。
爺ちゃん! 本当にできるのか? 俺にできるのか?
──勇気だ。
どこからか爺ちゃんの声がした気がした。
腹の底から捩れるような声を出す。
「いひぃいいぃぃぃぃっ!」
勇気! そうだったな。
どんなに速くても軌道がわかるなら、できる。半身の姿勢になる。
しっかり見ろ!
「や~~~~~っ」
スレトートパンチが空気を切り裂いて近づいてくる。恐い。
──その恐怖を喜べ。
祖父も父も経験できなかった恐怖なんだ。
ふっ、と息を吐き、止める。
半身から、くるり、と半回転してムーンライトピンクに背を向けながらパンチをかわす。
魔法少女のパンチは打ち抜くパンチだ。
打った拳をぐぐっと前に伸ばしていく。
魔法少女達は様々な格闘技の基本である、反撃に備えて出した腕をすぐに戻す、という動作をしない。
打ったパンチをひたすら前へと押し込む。圧倒的強者の戦い方だ。
──祖父は教えてくれた。
魔法少女は強く頑丈だから、反撃されることを考えていないのだ。
「いひっ!」
俺は悲鳴をあげながら、顔の横に伸びたムーンライトピンクの腕を両手で掴み、ムーンライトピンクの腹を腰にのせて担ぎ上げる。
「え?」
ムーンライトピンクの間の抜けた声が聞こえた。
「だあらっしゃ!」
俺は雄叫びを上げながら、投げた。
変形の一本背負い──魔法少女鉢砕。
一本背負いは相手の腰の側面を地面に叩きつける技だ。
しかし、叩きつける瞬間、片膝をつくと、落下角度が急になり、相手を頭頂部から地面に落とすことができる。
文字通り、鉢──頭部──を砕く技となるのだ。
ドグンッ、と凄い音がした。
当たり前だ。新幹線のように突っ込んできた力を利用して投げたのだ。
地面に叩きつけた衝撃で、ビンッ、と手足に痺れが走り抜けた。
──殺したか?
そこまでするつもりだったのか?
わからない。ただ、祖父と父に鍛えられた体が自然と動いてしまったのだ。
まだ感情は動かない。歓喜が来るのか? 絶望が来るのか?
死んだか?
死んだか、ムーンライト・ピンクッ!




