後記・僕が魔法少女として見つけたい答え
ゲラを読み終えた時、最初に浮かんだ感想は、このまま本にしていいのだろうか? というものだった。
魔法少女達の本であるべきではないか? そう思ったのである。
魔法少女の本である。
その目標はほぼ達成できているはずだ。というよりも、魔法少女に関わることしか書かれていない、といっていいだろう。
魔法少女の語られてこなかった部分を提示することができたはずだし、知られていなかった側面に光を当てることもできたと思う。
また、解決しなくてはならない問題を提起することもできたと思う。
さらに言うなら、それよりももっと基本的な部分。
メディアへの露出を拒む魔法少女達の声を記録することができたのは、資料としての意味も持つかもしれない。
これ基礎に、僕が気づかなかった問題などが浮かび上がることがあれば嬉しく思うし、魔法少女に関する政策や研究の助けになるなら、これ以上の喜びはない。
話を戻そう。
どうして僕が、これは魔法少女達の本であるべきではないか? と思ったのか?
読者の方はもう理解しているからもしれないが、その理由は大槻ゆんへの二度目のインタビューにある。
このインタビューのせいで、この本は作者である僕自身の物語となってしまっているのだ。
大槻ゆんへの二度目のインタビューを削除すべきではないのか? 何度もそう考えた。
しかし、僕は掲載することに決めた。
男性が魔法少女に覚醒する過程を記録した例はないと思うので、貴重な資料になる可能性があると判断したのだ。
もう一つの理由は、個人的なものである。
そもそも本作は、魔法少女達は何を思って僕達の平和を守ろうとしているのか? という疑問から生まれた。
予定していたインタビューを全て終えた今も、この疑問への答えは出ていない。
今になって考えてみれば当たり前のことなのだが、愛と勇気と正義を信奉するという共通点はあっても、魔法少女達はみんな個性的で、考え方がそれぞれ違うのだ。
同じチームを組んでいた、秋山朔美と澁澤すくねでも、似ている部分はあるにしても、考え方は大きく違う。
それ以前に、学園の中だけで争った結果、化物に激しく凌辱された経験を持つ種村泉と、『魔法庁』のエースとして日本各地の最前線で戦い続けた瀬名るいとでは、愛の定義も、勇気の解釈も、正義の基準も、違っているはずだし、違っていて当たり前なのだ。
僕は魔法少女になることができた。
いつだって、僕は魔法少女になることができる。
つまり、なぜ戦うのか? という疑問への答えを自分自身で見つける機会を得たのだ。
僕にとっての答えを僕自身で見つける。
それが今の僕の決意なのだ。
それをする、と決めたのだ。
そこまで考えた時、仮に本作が僕の自身の物語である、と解釈されてもかまわないのではないか? そう思えたのだ。
僕は、する、と決めたのだ。
そして僕は、魔法少女、なのだ。
そういう自分に、望んでなったのだ。
だから、大槻ゆんへの二度目のインタビューを掲載することにしたのである。
僕が今、参加している戦いは『バルザイ戦争』のように大きな戦争にはならないだろう。
敵は化物を召喚するような派手な活動をあまり見せていない。
影から影へと移動しながら、攻撃を仕掛けてくる。
だから、今後もメディアであまり大きく報道されることはないだろう。しかし、魔法少女達は今も戦い続けている。
僕も戦っている。戦っている最中にゲラを読んで、校正作業をしているのだ。
あなたとは言わない。
だけど、どこかであなたに関係する誰かのために、傷ついている魔法少女は必ずいるのだ。
あなた達の日常の背後には、その平和を守る魔法少女がいるのだ。
そのことを知ってもらえたら、僕は嬉しい。
そして彼女達の幸せを祈っていただけるなら、これ以上の感謝の言葉はない。
ここから先は僕の傲慢なお願いだ。その自覚はある。
できることなら、魔法少女達がなぜ戦っているのかを真剣に考えて欲しい。
魔法少女達の言葉を読んだ人は、その義務を持つと僕は信じている。
読者の方々にも愛と勇気と正義を――。




