3章 終戦へ。その2 谷川こずえ『クイーンウンディーネ』(下)
――『バルザイ戦争』でのことについてお聞きしたいのですか、谷川さんはどのような活動をされていたんですか?
谷川 海に現れる化物を退治していたわ。海は私の領域だから、危険なことは滅多になかったわね。
――海での活動に特化した化物も多かったと聞きますが。
谷川 いたけど問題じゃなかったわ。
そんな奴らより私の方が、海に愛されていたもの。
──海に愛されていた?
谷川 そう。これは、感覚的な話だから説明しづらいのだけど……。私が有利な状況になるように海が動いてくれた、という感覚がずっとあったわ。
──有利な状況になるように?
谷川 波の大きさや潮の速さで戦況は大きく変わるわ。海が私に合わせてくれていたような気がするのよ。私が戦いやすいように波打っていたし、潮は流れていたような気がするわ。
──苦戦するということはあまりなかったんですか?
谷川 そうね。海での活動に特化した化物はやりやすかったわ。動きが読めるから。……大変だったのは私と同じタイプ。
――同じタイプというと?
谷川 海に愛されて、水魔法を駆使する女の子。『カドゥルー』と名乗っていたわ。彼女には苦戦したし、何度も戦うことになったわ。
――女の子ということは『悪堕ち』した魔法少女ですか?
谷川 『悪堕ち』の可能性は高いと思うわ。
でも、もしかしたら形が女の子なのだけだったのかもしれない。
──形が?
谷川 冗談じゃなく、あの薄そうな皮の下には無数の触手がつまっているのかもしれないわ。スライム上の物質が人の皮をかぶっていたのかもしれない。
──そう思わせる人間離れした雰囲気があった?
谷川 あったわ。だから彼女が何者だったのか、私にはなんとも言えない。
……よくない雰囲気の時は必ず。……次元が乱暴に切り裂かれていたり、裂け目が大きかったりした時は、必ず海上に彼女がいたわ。
――失礼ですが、その話はあまり知られていませんよね?
谷川 二宮さんくらいしか『カドゥルー』のことは知らないと思うわ。地上と違って、目撃者なんていないし。ほとんど誰にも話さなかったし。
――どうしてあまり話さなかったんです?
谷川 それは……その……。変な言い方だと思うかもしれないけど。
(間)
谷川 『カドゥルー』を誰かに横取りされたくなかったから。
――横取り、ですか。
谷川 ……木更津港のコンビナートが破壊されて、作業員が死亡した事件を覚えているかしら?
「千葉県の京葉工業地域の南側に位置する工業港、木更津港は元化14年の7月『ネクロノミコン騎士団』に海上から攻撃された。民間人に被害が及んだことから『魔法庁』に非難の声が集まった事件である」
谷川 あの人達が死んだのは私のせいだわ。
――どういうことですか?
谷川 MWⅠL(多世界探知機)に反応が出ていたから、洋上で待ち構えていたのよ。半漁人タイプの『ボクルグ』が50体くらい出てきたわ。50というと、大変な数に聞こえるかもしれないけど、そのくらいだったら簡単。
100を越えると難しいけど、それは全滅させるのが難しい、という話。紫堂さんの『大阪ドーム事件』の時に出た化物は300だったけど、場所が海なら私はその倍でも怪我さえしなかったと思うわ。
……だからあの日までは、水の上で危険を感じたことなんか一度もなかった。
(間)
谷川 『ボクルグ』を半分くらい倒した時、急に足首を誰かに引っ張られたの。私は足の裏の感覚で、潜水艦のソナーみたいに水の中を把握できるから、ありえない出来事なのよ。……どう例えればいいかしら。
そうね……透明人間に正面から顔面を鷲掴みにされた。そんな感じ。
──それが『カドゥルー』?
谷川 そう。……足を引っ張ったのは真っ青な長い髪の小さな女の子『カドゥルー』。
私の顔を確認するなり『カドゥルー』は攻撃魔法を展開。私は咄嗟に防御魔法を展開したけど……信じられないくらい滅茶苦茶にされたわ。今でも『カドゥルー』に殺される夢を見るくらい(苦笑)。
私が『カドゥルー』と戦っている間に『ボクルグ』は木更津港にたどりついてしまったというわけ。
――他人にあまり話さなかったのは、その恨みを晴らすために?
谷川 違うわ。私の勘違いかもかもしれないけど……。『カドゥルー』が殺してくれって言っているように思えたの。
──殺してくれ?
谷川 そう。だから私がそれをしてあげないといけない気がして……。うまく言えないのだけど、そうならないと、私も『カドゥルー』も納得できないような気がして……。だって、立場は違ったけど、私も彼女と似たようなモノだったから。
──似たようなモノというのは?
谷川 いつか誰かに殺されるなら、目の前の相手がいい、と互いに思ったということ。
殺されるのは嫌よ。でも、それが運命なら、運命の相手は『カドゥルー』がいいと思った、ということ。
――結末はどうなったんですか?
谷川 あの年(元化14年)、日本に近づいた最後の台風の日。風はあまり強くなくて、豪雨を連れてくる雨台風っていうやつね。
上に豪雨、下に海。私と『カドゥルー』が限界まで力を発揮できる、最高のコンディションだった。
どう戦ったかまで、詳しく話す必要はないわよね? 彼女は殺されるつもりで、私は殺すつもりで、向かい合った。
そして15分後に2人の待ち望んでいた決着が訪れた。
私にとっての『バルザイ戦争』はその時に終わったわ。
……今でもね……彼女の。……とっても痛そうにした後に……ふんわりと微笑んだ顔が忘れられなくて……。
あの顔を私は絶対、一生覚えているわね。
脳裏に焼き付いて、もう離れないわ。
――足を海に浸していると、どんなことを感じるんですか?
谷川 あそこらへんに魚の群れがいる、とか、岩陰でイセエビが息を潜めている、とか。そういう海の日常。クジラの鳴き声を感じることもあるわね。集中すれば、北海道や台湾の海のうねりだってなんとなくわかるわ。あと……こんなこと言うのはいけないことなのかもしれないけど、嫌な感じもするわ。
――嫌な感じですか。
谷川 また何か嫌なことが起こるんじゃないかって……。これはちょっと無意味な発言だったわね。
いいことだって、嫌なことだっていつか必ず起こるんだから。
どちらにしろ、私は以前のように戦うことはできないわけだし……。
……こんなこと言うと変な女だって思うかもしれないけど『カドゥルー』を感じることもあるわ。
――彼女は死んだのではなかったんですか?
谷川 間違いなく死んだわ。
だから幻聴のようなものだと思うの。乙女チックなことを言ってしまえば……彼女も海に愛されていたから、その魂が海に溶けて漂っているのかもしれないわ。
……私も死んだら、海に散骨してもらおうかしら(笑)。
そしたら『カドゥルー』とお話できるかもしれない。彼女に聞きたかったことがあるのよね。
――それが何か聞いてもいいですか?
谷川 私のこと好きだった? と聞きたいのよ。
(微笑。沈黙)
谷川 答えはわかっているわ。
好きじゃなかったら、あんな素敵な笑顔で死んでいくわけない。だから言葉なんか必要ないのだけど……。それでも確認しておきたいことってあるわ。『カドゥルー』だって、きっと言ったら嬉しくなるわ。私だって聞いたら嬉しくなるわ。そういうことよ。
(間)
谷川 煙草って毒だわ。
──健康的なものではありませんね。
谷川 毒だから吸っているのよ。毒だから、煙草は私の心の健康にいいの。
彼女のように『魔法庁』で重要な役割を果たした魔法少女でも、どのような活動をしていたのか一般には知られていないことが多い。
彼女達の多くがメディアに露出するのを嫌がるという事情はあるものの、後世のためにもなんらかの手段で彼女達の活躍を記録しておく必要があるだろう。
インタビュー/渡辺僚一