表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/6

思い出


 銀粘土の基本的な流れは、好きな形を作り、乾燥させ、細かい修正をいれて、コンロの火を使って焼き、本体を磨いて銀の輝きを出して、完成となる。

 だがしかし。宇多がバックヤードの作業台で集中して座れるチャンスは、そう簡単には訪れなかった。


「宇多ちゃん、この箱、組み立てて」

「綾月さん、ここの段ボール、縛っといて。店の裏に置き場があるから」

 名を呼ばれるたびに宇多は、はい、と返事をして席を立つ。


 臨時的雇用の今日の彼女は、バックヤードの主。そこでできる仕事をお願いしている。

 一応、詩織さんの連絡先を聞いたのは、彼女に何か突発的な何かが起こらないとも言い切れないから。何せ本来なら、死んでいる体、のようだし。

 正社員の鈴木さんとパートさん達には、宇多は僕の親戚で、冬休みの一日就労体験中と説明した。指輪制作については「お母さんへの贈り物だが、気にせず用事を言いつけて」と伝えてある。


「さて、指輪はどのくらい終わった?」

 十一時半にバックヤードを覗くと、贈答用のリボンを作る宇多の姿があった。失敗作が一つ、机に転がってる。その他は上出来だ。

 宇多はすぐに顔を上げた。

「形を作って、乾燥させているところです」

「よし。それじゃあ、外に買い出しに行こう」

「え?」

 青色のエプロンをはずし、ロッカーの中から上着と財布を取る。それから、部屋のすみのハンガーにかけてあったダッフルコートと緑色のマフラーも手に取ると、宇多に押し付けた。

 財布をスラックスの後ろポケットにねじ込んで、バックヤードを出る。店内はまずまずの客入りだ。


 レジ台の中の鈴木さんにドアを指差すと、軽く頷きが返ってくる。

 後ろからマフラーを抱えたまま、宇多が追いかけてきた。

「えっと、あの、どこに」

「うちは昼食を買うの、当番制なんだ。経費で落とすから。君は何が食べたい?」

「わ、私も?」

 ドアを開けると、きりりと締まった空気が全身を覆う。

 目の前の道を横切る散歩中の中型犬は、足が寒くないのだろうか。道行く人は何かしら手に提げていて、年の瀬だなあ、と思う。

「君の分も。裏方作業は案外地味だろ。結構、体力使うし。無理させてない?」

 上着のポケットに手を突っ込んで聞くと、勢いよく宇多は首を横に振った。

「いいえ。すごく楽しいです。学校で机に向かってるより、ずっと」

 へえ。僕も、そう思ってる。でも、真面目そうな彼女がそう言うのは意外な気がした。

 隣を見下ろすと宇多と目があった。宇多は弾かれたように顔をそらす。

 ……そんなに悪人顔だったかな。


「あの、木崎さんって、どうして雑貨屋さんの店長になったんですか」

 早口で宇多が問う。僕は彼女の歩調に合わせて歩きながら、うーん、と唸った。

 綺麗な青空に、眩しい太陽。ぽかぽかしたその温かさに、不思議と口が緩んだ。

「僕は短距離走の選手だったんだ。駅向こうの体育大学。そこに通ってた」

「あ、だから体つきもがっしりして……」

 感心するような声に、僕は苦笑した。

「まあ、途中でリタイアしたタチだけど」

「え……」

「よくある話だ」

 そう、僕が世界初ってわけじゃない。


「無茶して怪我して入院して。治せば復帰可能と言われたけど、仲間のタイムが伸びるのを傍で見ているのが悔しくてさ。仲間達は良くしてくれたのに、一人だけ取り残されたように感じて勝手にふてくされてた」

 言葉にすれば、一分にも満たない僕の最後の学生生活。

 すべてが楽しかったというには未だ難しい、苦い思い出だ。


 それでもつい微笑んでしまうのは、

「その時に、時間つぶしができる場所として、『Paquete』のバイトを始めたんだ。それが今につながってる」

 人生って、選択してもしなくても、どこかに道がつながってるんだなって思ってる。

「逃げ場所を探してた僕に、店を作ったばかりのオーナーが言ったんだ。『子供の居場所を作るのも、大人の仕事だ』って。散々ガキ扱いされたけど、今じゃそれも仕方ないなと思うよ。『大人は子供を守るもの』って、よく言ってた」


 あの人に出会って、人生が変わった。

 勝負の世界に生きていた僕に、競わなくても生きていける世界があるのだと、教えてくれた。

 出会えたことに、感謝している。皮肉を言われるか、気持ち悪がられるだろうから、絶対に、本人には言わないけど。


「それで卒業後はそのまま就職して、今に至る。二年前に君達の部屋の隣に越してきたのは、前のアパートが老朽化で取り壊されるから」

 百メートル先にアーケード街が見える。

 正月特有の雅な音楽が流れ、行き交う大勢の人が見える。門松が店の前に置かれていたり、紅白の垂れ幕があったり。食べ物のいい匂いもする。自転車に乗った、着ぶくれたおばちゃんが顔見知りと挨拶をして通り過ぎて行った。

 正月まで、あともうちょっと。


 黙って聞いていた宇多が、ぽつりと呟いた。

「木崎さんが怪我してくれてよかった。そうじゃなきゃ私、ここにいられなかったもの」

 不謹慎なこと、考えてごめんなさい。

 小さいけれど、その声ははっきりと耳に届いた。


 宇多が不意に立ち止まる。

 そしてただ、前だけを見て呟いた。

「私は、昔のことって、苦しいこととか嫌なことばっかり覚えてる。嬉しいことは、いつの間にか忘れてしまうのに」

 感情を削ぎ落としたようなその声に、僕は何と言うことが正解なのか、わからなかった。


 宇多の黒髪が、風を受けてさらりと靡く。

「でも、あのことは絶対に、忘れない、です」


 商店街のざわめきの中、宇多の声は凛として聞こえた。

「うち、お父さんが暴力を振るう人でした。三年前にお母さんと離婚が成立して、母と私はあのアパートに越してきたんです」

 デリケートな話だ。部外者の僕が、聞いてもいい話なのだろうか。

 でも、宇多は淡々と続けた。

「一度、お父さんが今のアパートまで追いかけてきたことがあったんです。その時、隣の部屋から木崎さんが顔を出してくれて。壁が薄いから色々聞こえてたんだと思うんですけど、『警察に通報する』って」

 ……んん?

「そうは言っても、本当にしてくれる人なんて今までいなかったから、お父さん、余裕ぶってたら、本当に警察官が来て、お父さんを連れて行ってくれました。その時から、木崎さんは私達のヒーローなの」


 ああ、そういえば。

 あのアパートに越してきてすぐ、そんなこともあったな。

 近くの派出所にいるのが高校の後輩だと知っていたから電話しやすかったのもあるし、第一、女の人を蹴りまくる男なんて尋常じゃない。ほっとけないよ。


「それ以来、お父さんは来なくなって。お母さん、感激しちゃって。色々、おすそわけしにいくの、木崎さんだけなんですから」

 大したことはしてない。だけど、褒められて悪い気はしない。よくやった、過去の僕。

「差し入れはありがたいっていつも思ってる。詩織さんのお喋りも面白いし」

 詩織さんはユーモアがあって美人で、時々鋭い瞬間もあって、僕の周りにいないタイプ。だから、ちょっと腰が引けるけど。


 ぼんやり詩織さんを思い出している僕の隣で、宇多の消え入りそうな声が聞こえた。

「……私がいなくなったら、お母さん、どうなるんだろう」

 俯いた表情は、黒髪に邪魔されて見ることは叶わない。

 ただ、雫が乾いた地面に落ちる。

 乾いた笑いが、宇多からこぼれた。

「はは、何度考えても、泣いちゃう……。一人ぼっちって、怖いもの」

 怖いし、つらいです、と宇多は呟く。

「今まで私、お母さんがいるの、当たり前って思ってました。お母さんのために、全然、何もしてこなかった。お母さんはいつだって、私のために頑張ってくれてるって知ってたのに……私……どうして私、こうなんだろう……」

 宇多はとうとう両手で顔を覆った。

 くぐもった呻き声は、僕の涙腺も刺激する。

 周囲を通り過ぎる人々から見たら、立ち止まって俯く僕達は奇異に見えることだろう。


 僕はとっさにポケットを探った。そして、

「宇多さん、こっち見て。はい、チーズ」

 構えたスマホのカメラは、両手で顔を覆った宇多を捕えた。音に驚いて顔を上げた宇多を、再び撮る。カシャリと、硬質な音が響く。

 僕はスマホをかまえたまま、鼻をすすって笑いかけた。

「本当に君が死んでしまうのか僕にはわからないけれど、いざという時は心配するな。詩織さんの様子は、気にかけておく」

 約束する。君がこんなに必死になっているのだから。

 だって、僕は君が良い子だと、知ってしまった。

 知ってしまったらもう、見て見ぬふりはできない。それが、僕が思う『大人』だから。

 

 宇多が僕に抱きついた。そのしがみつく強さが、宇多の気持ちだとわかっている。

 僕はその髪をそっと撫でた。一度も染めたことがないのだろう、綺麗な黒髪。


 宇多の涙声が聞こえた。

「こんなこと言ったら、木崎さんに迷惑になるって、わかってます。でも……でも、私が、もし本当に死んだら、ちょっとだけ、お母さんの様子を気にしてあげて、ください。わ、私は、お母さんの、そばに本当は」

 ずっとずっと、いたいんです……。

 かすれた声に、僕はただ、彼女の頭を撫でることしかできなかった。



 それから、宇多が泣きやむのを待って、僕らはお昼ご飯を商店街で物色した。泣いても目が赤くならないのは本当らしい。今は、それがありがたい。泣いてる女の子を連れ回してる男って、不審者だもんな。

 

 僕はスマホで何枚か宇多の写真を撮った。賑やかな人の熱気に触発されたのか、宇多が笑ってくれた時は、本当に嬉しかった。

 途中、嗅覚も味覚もきかなくなっていることに気づいた宇多だったけれど、気丈に動揺を押し隠して、買い物を済ませた。

 我慢しなくていいよって言って、途中の公園で泣いて。僕らが店に戻ったのは一時を過ぎていて、鈴木さん達に文句を言われた。そりゃそうだ。

 

 店に戻って、仕事の合間に指輪を作って。結局店では粘土を焼成することはできないので、僕が持ち帰って焼き固めて、明日、宇多が磨いて仕上げをして詩織さんに渡す、ということになった。


 明日の夜。


 本当に宇多は死んでしまうのだろうか。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ