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『Paquete』


 セレクトショップ『Paquete』。

 駅の向こうにある体育大学在学中に僕がアルバイトをしていた店で、卒業後にそのまま就職して、三年前に雇われ店長になった。

「スペイン語の『小包』という意味で、パケテって読むんだ。店自体が誰かへの贈り物ってコンセプト。オーナーはキザなんだ」

 入口のガラス戸の鍵を開けながら説明する。

 店の外観は、新品の帽子が入ってる箱みたいな、洒落たデザインだ。広さは中規模のコンビニ二店舗分ほど。天井が高めで開放感があるのが自慢だ。


 開店まで、まだ時間は充分ある。店内は防犯用の小さな明かりが灯っているだけだ。

「さあ、どうぞ」

 スムーズに開くドアを押して、宇多を店内に招き入れる。

 宇多がおそるおそる歩を進めている間に僕はバックヤードに行き、照明とエアコンをつけ、店内音楽をかける。現代の作曲家が作るピアノ曲が流れると『Paquete』が目覚めたって気がする。

 店内に戻り宇多を探すと、まだ入り口近くにいた。ロボットの魚が泳ぐアクアリウムを、口を開けて見つめている。


 店は大きく三つのエリアに分かれている。

 天然素材の化粧品と主に女性をターゲットにした小物類。繊細なアクセサリーからユニセックスの靴まで、幅広く取り扱っている。ここが店のメイン。

 次に、食器や小さな家具などの生活雑貨。

 最後に、若年層男子のための雑貨エリア。店の中に仕切りを作って、迷路みたいにして、雑多なものをこれでもかと詰め込んでいる。店長を任された頃、売上が伸びなくて責任を感じていた僕に、オーナーが避難所作成を提案してくれた。今では、男女問わず学生の群れや彼女連れの男性が喜んで突進してくる。


「こういう店、来るのは初めて?」

 店内はまだ寒いから、コートは着たまま問う。

 宇多は夢から覚めたように目を瞬かせると、頷いた。

「買わないのに入るのは失礼かと思って」

「そんなことないよ。同級生と寄り道は?」

 宇多の纏う空気が強張った。

「してましたけど……もう会うことは、ないと、思います」

 呟く声には力がない。僕は、自分の失言を呪った。


 もしかしたら、あえて思い出さないようにしていたのかもしれない。

 限られた時間で、できることは限られているから。


 僕は急いで頭を下げた。

「ごめん、余計なことを言った」

 宇多は「いいえ、大丈夫です。どうせ友達少ないし」と言った。

 子供に気を使われてどうする。己の失態を心の中で罵りながら、話題転換を図る。

「ええと、じゃあ、詩織さんへのプレゼントだけを選べばいいということで。とにかく気になった物があったら声かけて。値段は気にしないで。僕はあっちで仕事してるから」

 じっと見られながら、というのも居心地が悪いだろう。仕事ならいくらでもあるし。

 宇多は気を取り直してくれたようで、興味深げに周りを見回している。無表情の中にも、楽しそうなのが透けて見えてほっとした。


 短い時間でも、少しはわかってきた。

 僅かに緩む頬の動き。多くなる瞬き。顔全体の動きは乏しいけれど、彼女はきっと、僕が想像するよりずっと多くのことを考えている。

 裏で作業をしつつ、時折様子を窺う。

 ふと見ると、宇多はレジ近くのガラスケースのシルバーアクセサリーを見ていた。次の瞬間、体がびくっと強張る。値段に気づいたらしい。男物のごついリングもあるけれど、王冠や植物をモチーフにした繊細な銀細工もある。全部、職人の一点ものだ。

 まあ、お高いよな。……そうだ、あれはどこやったかな。


 僕を呼ぶ声が聞こえたのは、それから三十分後だった。

「いろんなところに商品が隠れてて、それを見つけるのも楽しかったです」

「ありがとう。時計の裏は気づいた?」

「え? あ、リスがどんぐり食べてる! 可愛い、けど、目つき悪っ」

 宇多がふき出した。羊毛フェルトで作られたリス一家は評判がいい。近所の作家さんが作っていて、ただいま三カ月待ち。

「それで、何か気に入る物はあった?」

 他の従業員がじきにやってくるだろう。店の前の道を通る人の姿も、多くなってきている。頃あいだ。


 宇多はちらりと僕を見て、周囲を見回して、もう一度僕を見た。

 そして、言い難そうにマフラーの端をいじりながらぼそぼそと呟く。

「あの、無理を承知でのお願いなんですけど」

 ……そりゃ、力にはなりたいと思っているけど。何事にも例外はあるよ?

 しかし、僕の心配は杞憂だった。

 宇多の口から出たのは、意外な『お願い』だったのだ。

「ここで一日、働かせてもらえないでしょうか。お母さんに、初めてのお給料をプレゼントしたらどうかなって、思って」

 顎の強張り。力の入った眉間。僕を見上げる黒々とした瞳の強さに、生半可な気持ちで言い出したことではないと、わかった。

「人からもらったお年玉で物を買うより、自分で稼いだお金を、お母さんに渡したいんです。私が誰かの役に立ったっていう証拠だと思うから……駄目、でしょうか」

 

 今時の学生って皆、こんなに良い子なの? 

 警戒心を一瞬でも抱いた自分が恥ずかしい。


 内心、感動に打ち震えながら、宇多の細い肩に手を置いた。

「うん、いいアイディアだと思う。あー、ただし、何か問題が発生したら家に帰ってもらうかもしれない。それでもいい?」

「ありがとうございます! 頑張ります!」

 宇多はがばりと頭を下げた。膝に頭がつくんじゃないかってくらい、深く、深く。

 その必死さに、目の奥が熱くなる。

 必死になる、その理由を想って。


「僕からも提案があるんだけど、いいかな」

 顔を上げた宇多に、こっそり近くの棚に隠しておいた箱を渡す。

「これ、作ってみない? 興味があって取り寄せたんだけど、まだ手つかずだったんだ」

 シルバー・クレイ、と宇多が興味津々の態で箱の字を読む。

「銀粘土っていってね。その名の通り、銀細工を自分で簡単に作れちゃうキットなんだ。銀の純度は高いし、簡単なやつなら二、三時間くらいで作れるらしいよ。使用方法は紙に書いてある。世界に一つだけの、君だけのシルバーアクセができる」

 箱の表面に載っているのは、繊細なレース模様の指輪。

 レジ横の銀細工に目を止めていたから、こういうのが好きかなと思って。


 しかし、目の前の少女は小さく首を振った。

「やってみたいけど今日は働かなきゃ。……残念だけどいいです」

 ふむ。そうくるか。それなら僕だって。

「特別に、バイトと並行することを許可します。お金はいいよ。僕からのプレゼント」

 僕だって、君のために何かしたい。

 君が詩織さんを想う気持ちには負けるけど、知ってしまった者として、はいさよなら、って君と別れるのは薄情じゃないか。


 宇多は目を見開いた。日本人形の驚いている顔ってこんなんだ、きっと。


 それでも宇多はすぐに眉根を寄せて考えた後、

「それじゃあ、私のお給料をこれにあててください。足りるかどうか、わかんないけど」

 別にそんなことしなくても、と言おうとした僕を、片手を上げて制した宇多は、

「初めてのお給料で買った物が、自分で作った物だとしたら、それも素敵だなって思って。指輪だったら、お母さん、いつでも取り出して見られるし」

 強い口調は、頑なというより、確かな意志を感じさせた。……君がそれでいいのなら。

「OK。それじゃあまずはコートを脱ごうか。暖房がきいてきたから」


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