異世界転移テンプレの主人公が大阪のオバちゃんだったら
目が覚めると、真っ青な空と白い地面しかない世界で、彼女は大の字で寝そべっていた。
その女性は短くも長くもない髪に、だぶっとしたサイズでヒョウ柄の柔らかい生地の上着にヒョウ柄ズボンという、全身ヒョウで固めたかなり奇抜な服装をしている。
状況が把握できていないようで、辺りをきょろきょろと見回している。
「なんか、けったいな場所におるなぁ。買い物してた帰りやったんやけど」
「ようこそ、吉本笑子。ここは死後の世界だ」
笑子と呼ばれたオバちゃんの前に、いつの間に一人の男性が立っていた。
白いローブに節くれだった杖。顎には立派なひげを蓄えている。
「なんでやねーん! 初対面の一発ギャグにしては、まあまあおもろかったで、おじいちゃん」
ケラケラ笑いながら、目の前のおじいちゃんにツッコミを入れた。今の話を微塵も信じていないようで、純粋にギャグとして受け取ったようだ。
「まあ、直ぐには信じられまい。1996年の七月七日午前七時に死亡したのだよ。思い出させてやろう、死んだときのことを」
老人が指先をオバちゃんの額に伸ばすと、触れた部分が輝き始める。
「まぶしっ! あー、なんか……思い出してきたわ。子供が道路に飛び出してきて、それを助けようと飛び出したんやった。隣の幸代さんも「笑子はんは思ったより先に体が動くから、きいつけなあかんで」っていっつも言うてくれとったのに、堪忍な」
「思い出したようだな。ここが死後の世界だとい――」
「そや! あの女の子はどないなったん⁉ うちが死んだのは納得いったけど、あの子は無事なん?」
説明を遮って迫るオバちゃんの勢いに負け、おじいちゃんは半身を反らした。
「安心していい。あの子はお主のおかげで無事だ」
「そやったらええわ。そかそか、無事なんか。あーでも、うちの子たちに悪いことしてもうたな。お父ちゃん家事できへんけど、まあ、娘はしっかりしてるから大丈夫やね」
「死んだというのに、あまり取り乱していないようだな」
「そんなことあらへんよ。めっちゃびっくりしてんねんで。でもなぁ、後悔せんように毎日を一生懸命に生きてきたから。そやから、うん、いい人生やったわ。そやけど、お父ちゃん喪服と数珠の場所わかるんやろか。あの子は来年受験やいうのに迷惑かけてもうて、堪忍なぁ。多恵さん、自治会長の引継ぎちゃんとしてくれるやろか」
オバちゃんは正座をすると、腕を組んで「うんうん」唸っている。
老人は顔を綻ばせ優しい目でじっと見つめると、すっと杖を上げ先端を彼女へと向けた。
「清く温かい魂を持つ者よ。家族は穏やかに幸せに過ごすことを保証しよう。お主には今後の選択が二つ用意されている。このまま、あの世へと旅立つか、それとも異世界へと転移するか」
「あの世は分かるんやけど、異世界へ転移ってなんなん? 異世界って外国?」
「地球とは違う世界へ転移させ、第二の人生を歩むことができる」
「違う世界? 宇宙人とかおるん?」
オバちゃんには想像がつかないようで、眉根を寄せて首を傾げている。
「宇宙人か……間違いではないのだが、異世界人と言った方がよいだろう。人間も存在し、魔物やエルフやドワーフといった亜人もいる世界」
「エルフ……あーっ! 息子の持っている漫画にそんなんあったわ。ピコピコとかにも出てくるんやよね。旦那もそういうの好きなんやけど、うちはさっぱりで。そんな面白そうな世界に旅行させてくれるんやったら、ちょっと行ってみたいわ」
「ピコピコ……もしやテレビゲームの事か。それに世界旅行とな。……そうではないのだが、お主なら物見遊山でも乗り越えられそうではあるな。では、異世界に転移するのであれば、一つだけ特別な力を与えよう。偉大な魔法の力、超人のような身体能力、膨大な知識、魅力的な外見に若返り。別の時間軸ではチートスキルと呼ばれているらしいが……なんでも構わぬ申してみよ」
「なんや、夢のような話やね。ほんまに、なんでもいいん?」
「ああ、どのようなことでも叶えよう」
「ほんなら……人を笑顔にする力とかも、いけるん?」
「は?」
その願いは予想外だったようで、今まで冷静な対応をしていた老人が、思わず間抜けな声を出してしまう。
「そんなん、無理やよな。ごめんな、無理言ってもうて」
「い、いや、可能ではあるが。そんなものでよいのか?」
「そんなもんって、笑わせるってのは結構難しいんやで。うちの友達で鬱になってもうた子がおってな。どうにか笑顔になって欲しくて、面白い話をしまくってたんやけど結局……。人間笑えるうちは大丈夫。笑えんようになったら、おしまいや」
「そうか、お主らしいな。では、『笑顔にさせる』能力を与えよう。強く念じて相手に触れるか声に込めると力が発揮される。相手の精神状態にも影響され、使い込めばその効果は増していく」
「つまり、おもろいことをして能力を発動させたら、笑かしやすいってことやね」
「そういうことだ。では、吉本笑子よ。異世界でも達者で暮らすのだぞ」
「おじいちゃんも元気でいてね。年取ると直ぐに骨折して治りも遅いから、無理したらあかんよ? こんな寂しい場所に一人で大丈夫なん? 子供さんはおらへんの?」
「ふはははは、いやはや、人に心配されるなど初めての経験だ。だが、悪くないものだな。お主が異世界でも健やかに過ごせることを心から願っておるよ」
杖を振り上げると、オバちゃんの足元から光があふれ出し、その姿は光の中に消えていった。
「ちょっとした、おまけをしておいたぞ。お主には異世界を楽しんでもらいたいからのう」
「ふあああっ、よう寝たわ。ここが異世界ってところなんやね」
オバちゃんの視界に広がるのは短い雑草が生えた草原で、見上げた空は雲一つない晴天だった。
「ピクニックやったら最高なんやけどね。さて、どうしたらいいんかな。あの子のしてたピコピコやったら、モンスターと戦ったりするんやけど……あれっ、こんなもん持っとったっけ?」
オバちゃんの格好は老人と話していた時と同じなのだが、手には細長い棒状の武器が握られている。
その武器は特殊な形状をしていた。柄には黒い布が巻いてあり、そこから真っすぐ伸びた棒。先端は四角く平べったい形をしている。それはまるで――。
「ハエ叩き?」
のようだった。
「他になんか持ってへんかったかな。ポケットには……アメちゃん入れた巾着袋があるわ。ちょっとしかないけど、ないよりマシやね。ボーっとしててもおもんないし、どこ行こかな。どーちーらーにーしーよーおーかーなー、てーんーのーかーみーさーまーの、いーうーと」
左右に指先を振りながら能天気に進む方向を決めようとしていた、オバちゃんだったが、遠くに見える砂塵に気付き動きがピタリと止まる。
「あれなんやろ。めっちゃ急いでいるようやけど、だんだんこっちに迫ってきてへん。バーゲン中の吉田さんも真っ青な勢いやわ」
妙な関心をしている間に、それとの距離は一気に縮まる。
ちなみに吉田さんは三軒隣に住んでいる、バーゲンになると人格が変わるオバちゃんのお友達である。
「あらあら、あれって馬車なんかな。馬やないみたいやけど」
オバちゃんの呟きはあながち間違いではない。ただ引いているのが馬ではなく、六本足の馬に似た魔獣であることを除けばだが。
そして、その後ろから追いかけているのは二本足で走る巨大なトカゲで、その背には全身毛むくじゃらで単眼の猿が乗っていた。その口は大きく頬まで裂け、鋭い牙が垣間見える。
「お嬢様、しっかりと捕まってください!」
御者席の青年の声がオバちゃんの耳に届く。本来なら声が届く距離ではないのだが、その耳は正確にその声を捉えている。
「なんか、ヤバいんとちゃうん! どうにかしてあげたいんやけど……何かできへんかな。ええと、そや! おじいちゃんからもろうた、能力があったはずや! ええと、笑わせられるんやったな。ほんでもって、触るか声でもいけるんやよね。あの一つ目のお猿さん厳つい顔してはるから、笑わせてみよか」
オバちゃんは大きく息を吸い込み、体を軽くのけぞらせる。そして口元に手を当てて、大声を放つ!
「猿はエンりょせずに去る!」
カラオケと料理中の鼻歌とパートで鍛えた見事な声量だったが、どうやらギャグは苦手らしい。
だが、その効果は十二分に発揮された。声の届いた猿の魔物の目が垂れ下がると、大きな口が開き「ウキャキャキャ」と大声を上げて笑い出す。
それだけではなく、猿が乗っているオオトカゲと、御者席の男や六本足の馬まで笑い始めている。
トカゲたちは笑った拍子にバランスを崩して転び、乗っていた猿たちが投げ出される。
馬車の方も一瞬足が止まりかけたが、六本足の安定性のおかげで持ち直し、転ばずに走り続けていた。
「あっちゃー、お猿さんこけてもうたけど、大丈夫やろか。足がぎょうさんあるお馬さんは平気みたいやね。んー、お馬さんの手綱握ってんのは若いにいちゃんみたいやし、あっちに声かけてみよか」
少し先を猛スピードで駆けて行った馬車を。オバちゃんが追いかけていく。
全速力で走る馬車は八十キロ以上の速度が出ているのだが、オバちゃんとの距離がぐんぐん縮まっていき、ついには並走した。
「こんにちはー、ええ天気やねぇ」
「へっ!? え、え、え、え」
御者席で笑う馬を懸命に制御していた青年は、暢気に話しかけてきたオバちゃんに戸惑っている。
そんな反応になるのも無理はない。異世界の住民が地球の人々より身体能力が優れているとはいえ、走ることに長けた魔物である六本足の馬に追いつくなんてことはあり得ないからだ。
「さっきのお猿さん、もしかしてお知り合いやったりする?」
「え、あの、そのですね……我々を襲おうとしていた魔物ですので、知り合いでは……」
「ほんまに! あーよかったわぁ。私の能力らしいんよ。髭のおじいちゃんがくれたんやけどね。誰でも笑わせることができるんやって」
口元を押さえてもう片方の手で手招きするような仕草をするオバちゃんに、御者は驚きを通り越し、脳が思考を放棄したようでただ頷くばかりだった。
「もうびっくりやわー。堪忍な?」
「い、いえ、こちらとしても助かりました」
軽く手を合わせて茶目っ気のある笑みを浮かべるオバちゃん。御者はつられるように微笑むと頭を下げる。
「笑わせる力ですか……さっきは、私も不思議な力で笑ってしまいましたが、あれがそうなのですね。それは神から与えられる特別な能力、オンリーセンスでは」
「オンリーセンス? おじいちゃんなんも言ってなかったんやけど、特別な力ってのは間違いないんちゃうかな」
「一度死を経験した、渡り人に与えられる特別な力……話には聞いたことがありましたが、実在していたのですね」
「どうしたのですか。魔物はどうなりましたか?」
そんな二人に割り込んできたのは、豪華な馬車の中から聞こえてきた幼い少女の声だった。
「お嬢様。魔物はもう心配いりません。このお方が魔物を追い払ってくださいました」
「このお方? どういうことですの」
御者席の真後ろにある小窓が開き、そこから顔出したのは色の抜けた茶色い髪の少女だった。顔は白く陶器の様で、まるで西洋人形みたいやわー、とオバちゃんは心の中で驚嘆していたのだが、一切顔には出していない。
「あら、べっぴんさんやね。こんにちは」
「あ、初めまして。ええと、走って疲れません?」
この状況を見て、言いたいことや疑問が少女の頭に浮かぶが、口から出たのはそんな言葉だった。
「それがちっとも疲れへんのよ。オバちゃん今日は絶好調みたいやわ」
「そ、そうですか。助けていただいたようで、ありがとうございます。あの、よろしければ、馬車にお乗りください。馬車を止めて、バセス」
「はい。お嬢様」
徐々に速度を落とし、馬車が完全に停車すると側面の扉が開かれた。
そこからお嬢様が顔を出して軽く会釈すると、オバちゃんに入るよう促す。
「ごめんくさい。大阪から来た笑子です。お入りください、おじゃましまんにゃわ」
「は、はい。どうぞ」
オバちゃんのパクリ混合ギャグは異世界の住人に通じるわけもなく、キョトンとされている。
しかし、滑った程度で怖気づくオバちゃんではない。堂々と中に入り、躓くような素振りを入れてコミカルに転ぶのも忘れない。
「大丈夫ですか!」
「平気、平気。これで掴みはバッチリやな」
「そちらのご婦人が」
「えっと、助けていただいたようで、ありがとうございます」
「ちっちゃいのにお利口さんやねぇ。ええ子、ええ子、アメちゃん食べる?」
「アメちゃん、とはなんでしょうか?」
「アメちゃん知らんの? これこれ、どの味がええかなー。ミルクイチゴ味にしよか。はい、どうぞ」
巾着袋からイチゴの絵が印刷された包み紙を手渡すと、少女はまるで宝石でも渡されたかのように目を輝かせている。
「素敵な絵ですね。これがアメチャンという物ですか」
「いやいや、ちゃうがな。その包み紙をほどいて、中身が甘い食べ物なんやよ」
「これがただの包み紙だというのですか。ええと、濁った赤の丸い玉ですが……食べ物なのですか」
「めっちゃ美味しいんやで。ほら、こうやって、こひょこひょこひょがひへ、なへるんひょ」
躊躇する少女の前で同じ飴玉を取り出すと、先に口に放り込んでみせる。
それを見て安心した少女が同じように飴玉を口にすると、驚きに目を見開くと花が咲いたように笑う。
「おいひいでふ! し、失礼しました。すっごく、美味しいです!」
舌に広がる甘さのなかに仄かに感じるイチゴの味。そして、ミルク独特の風味が混ざり合い、少女は思わず頬が緩む。
「そやろー。オバちゃんはのど飴も好きなんやけどね。お嬢ちゃんは馬車に乗って、旅行の最中なん?」
「いえ、この先にある町に住む、父の元へ向かっている最中なのですよ」
「お父ちゃんに会いに行く途中やったんやね」
「はい、その途中でモモンキーに襲われて、護衛は途中で逃げてしまい、どうしようもないところでした」
「モモンキーってあの猿なん?」
「はい、そうです。有名な魔物なのですが、ご存じありませんか」
「オバちゃん、外国から来たばっかりやから、ここら辺のことようわからへんのや。よかったらなんやけど、教えてくれへん?」
「ええ、それは構いませんが。外国ですか」
「そうやで。ここからめっちゃ遠いところなんやけどな……」
オバちゃんは遠い目をして、馬車の外を流れる景色をぼーっと眺めている。それはどこか寂しそうでありながらも、悲愴さは感じなかった。
「どうやらお話を聞く限り、ショウコ様は渡り人のようです。オンリーセンスを使えるそうなので」
「まあ、凄いですわ! 渡り人ならこちらの常識に疎いのも納得です。なんでも聞いてくださいね、ショウコ様」
「ほんまに! ありがとうなぁ。うちの子よりしっかりしてるわー。あーっとね、様はやめてくれへんかな。そんな言われたら背中がかゆうなるわ。オバちゃんでええよ」
「では、ショウコオバちゃん、でどうでしょうか」
「それでええよ。えーと、お嬢ちゃんの名前はなんて言うの?」
「申し遅れました。私はスイルです」
「スイルちゃんやね。バッチリ覚えたわ。ほな、この世界のこと教えてもろうてかまへん?」
そうして、ショウコはこの世界には先ほど遭遇したような魔物が存在し、それを倒すことを生業とする冒険者という職業があることを知る。
スイルは向かっている町の大商人の娘で、町に着いたら十分な謝礼を渡すと言われたのだが、オバちゃんは「子供がそんな気ぃ使わへんの」と笑い決して受け取ろうとはしなかった。
それでは気が済まないと、せめてものお礼に町での身分証代わりになる冒険者ギルドへの紹介文と、幾らかの金銭を貸すこととなった。
貸すとは言ったが、オバちゃんがそれなら受け取るといったからであり、スイルは返してもらう気は全くない。
「むっちゃ、凄いやないの。ほわー」
巨大な壁に囲まれた町の外観を馬車から眺め、オバちゃんは感嘆の息を漏らす。
スイルの馬車は検問も素通りして、町中へと入っていく。
「ほなら、ここでお別れやね。この町の地図までもろうて、ありがとうな」
「いえいえ、これでも足りないぐらいですわ。本当にお世話になりました。地図に我が家の場所も記載しておきましたので、何かあったらいつでもお越しください」
「今度会う時はオバちゃんの得意料理タッパーに詰めて持ってくわ。ほな、風邪ひいたりせんように気ぃつけるんやで」
「本当にありがとうございました……ショウコオバちゃん」
「スイルちゃんもまたなー」
去っていく馬車が見えなくなるまで手を振っていたオバちゃんは、自分の頬を軽く叩いて気合を入れると、地図を開き冒険者ギルドを目指す。
「ええと、この道をガーッと行って、二つ目の角をシュッと曲がって、曲がり角をグニャッと曲がったらドーンと冒険者ギルドやねんな」
スイルは自分の商店で働かないかと持ち掛けたのだが、オバちゃんは自分の恵まれた力を人のために使いたいと丁重に断り、冒険者になる道を選んだ。
地図で正確な場所を確かめながら物珍しそうに辺りを見回す。
「なんや、イギリスかオランダみたいやな。行ったこともないから知らんけど」
オバちゃんの目に映る異世界の光景は、テレビで見る外国とさほど変わらないようだ。
ただ、町行く人の格好が日本とは似ても似つかない格好なので、外国のドラマみたいやわ、という感想だった。
「ここやここ。なんや、ごっつくて厳つい建もんやね。めっちゃ威圧感あるやん」
巨大な岩をくり抜いて作られた冒険者ギルドの迫力に、オバちゃんはしきりに感心している。
「カメラあったら写真撮るんやけどな。絵ハガキにしたら、お父ちゃんたち喜んでくれるんやろうな……って、辛気臭い顔してたらあかん。命があっただけでも儲けもんなんやから、もっと人生楽しまんとな! ごめんくさい!」
冒険者ギルドの扉をあけ放ち、元気よくオバちゃんが乗り込んでいく。
ホールに響く大声に全員の視線がオバちゃんに集中した。
女性にしては短めの髪に、異世界の住民は見たこともない模様をした動物の革を加工した服といういで立ち。荒くれ者が多い冒険者ギルドに入ってきたというのに、一切物怖じしていない中年女性。
――オバちゃんはかなり目立っていた。
「おにいちゃん、おにいちゃん」
一番近くのテーブル席にいたスキンヘッドで頬に刃物傷がある男に、オバちゃんはとことこと歩み寄ると声をかける。
「な、なんだ、てめえ」
冒険者の中でも腕が立ち、この風貌と相まって他の冒険者達に恐れられている男なのだが、オバちゃんは全く気にもしていない。
「うちの名前? ショウコ言います。名前覚えんのタダやから、バッチリ覚えたってや」
愛嬌のあるウィンクをされ、厳つい男はたじろいでしまう。
未知の反応に男は軽く混乱していた。
「そんでなぁ、冒険者になるための手続きってどうしたらいいん? ちょっと教えてや」
「あ、ええとだな、あのカウンターの一番左の職員に聞けば教えてくれるはずだ」
独特なノリと雰囲気に毒気を抜かれてしまった男は、オバちゃんにどうすればいいか素直に答える。
「おおきにな。これお礼やから遠慮せずに受け取ってや」
そう言って男の手に強引に握らせたのは、アメちゃんだった。
言われた通り堂々とホールを横断して、一番端の職員にオバちゃんは向かう。受付嬢の前に立つとにっこりと笑みを浮かべる。
「こんにちは~」
「は、はい。冒険者ギルドへようこそ。ええと、冒険者になる手続きでしょうか」
「あんれま。なんでわかったん? もしかして、心が読めるん? さすが、異世界やわー」
「あ、あの。あれだけ大声で話されていましたので、こちらまで声が……異世界?」
「あはははは、そない大きな声やった? うちの娘にも、お母ちゃん声でかいから、テレビ聞こえへんやん! ってよう怒られてたんやけどね、もっと声のボリューム落とさんとあかんね」
豪快に笑うオバちゃんに受付嬢は苦笑いを返すしかできないでいる。
「それで、ご用件は……」
「そやった、ごめんなさいね。いっつも話がそれて、ついつい長話になってしまうんよ。うちの子達やお父ちゃんにも、しょっちゅう注意されていたんやけど、あかんなー。えとね、冒険者になりたいんやけど、年齢制限とかあったりするん?」
「いえ、特にございません。ですが、冒険者は危険な依頼もありますので、ある程度は実力がないと……」
「それなんやけど。冒険者って町の人からの依頼を受けて、お仕事する便利屋さんみたいなもんやよね?」
「はい、まあ、そうです」
「そやったら、危険な魔物と戦うだけやのうて、雑用とかは依頼にないん?」
スイルと話していた時からオバちゃんはずっと疑問だったのだ。魔物のいる世界なので、魔物討伐はもちろんあるだろうが、ちょっとした雑用の仕事を頼まれることはないのかと。
「一応、雑用もいくつかあるのですが、冒険者の皆さんは魔物討伐や護衛といった仕事を好みますので、雑用は怪我をして暫く戦えない時や、武器防具を失ってしまい、購入金額を貯めるために、渋々受けたりするぐらいです」
「うーん、それっておかしない? 町の人からしたら、困ってるんは一緒やし。そういう依頼もやって欲しいんとちゃうん」
「そうなのですが、冒険者の皆さんは一獲千金を夢見て、財宝や名誉を追い求める方々が多いので。そういった仕事を嫌がるのですよ」
実際、雑用をやるのは初心者冒険者か、戦うこともできない雑魚という認識だ。
「あれやね、高校生ぐらいになったらバンドやったり、女子に人気のあるクラブに入ったりするみたいなもんやね。あとは芸能人目指したりする感じなんやろか」
「バンド、クラブ、芸能人というものがよく分かりませんが……」
「ようは女にモテたいビッグになりたい、みたいな感じで冒険者やってんのやろ? 危険な魔物討伐に立ち向かう俺カッケーとか思うてんちゃうの。若いってええなぁ」
うんうんと大きく頷き自己完結したオバちゃんに、職員は口を挟めないでいた。
「でも、そんなんやったら雑用の依頼ばっか溜まって、住民から嫌われるんちゃうん? そんな考えで仕事やったら雑用の手ぇ抜きそうやし」
オバちゃんの意見は的を射ていたのだろう。職員はオバちゃんの耳に口を寄せて囁く。
「ここだけの話ですが、おっしゃる通りです。最近、冒険者達の印象が悪くなってきていまして、雑用をできるだけやってもらうようにしているのですが、嫌々するので態度が悪く、住民の皆様からの苦情が絶えない毎日でして」
「あらまあ、苦労してはんのやね。そやったら、雑用専門の冒険者雇ってみるとかどうなん? 荒事が苦手やけど、手先が器用な子とか、愛想がよくて力持ちの子とか便利やと思うで。あとは女性冒険者を増やしてみるとか。怪我するようなきっつい仕事は嫌やけど、安全な雑用ならやりたい、いう女性って結構おるんちゃうの? 子供がおったり家事せなあかん、お母さんたちも雑用やったらちょっとした時間の合間にできるやろ? 正社員は無理やけどパートならいけるって主婦多いんやよ」
「なるほど……それは、考えが及びませんでした。パートがよく分かりませんが、女性冒険者の雇用ですか」
オバちゃんの提案は職員も予想外だったようだが、真剣に考慮するに値すると判断したようだ。
「それにや。女の冒険者増えたら、ここも華やかになるし、男の人達もやる気出るんちゃうか? なんやかんや言うても、男ってもんは女の前でカッコつけたいもんやし」
「それは、言えているかもしれません。後で会長と相談してみます!」
「役に立てたんやったら嬉しいわ。あ、そやそや。おしゃべりに夢中でここに来た理由忘れるとこやったわ。もう、いややわー」
片手を頬に当て、照れたように笑いながらもう片方の手をパタパタと動かしている。
「あっ、そうでしたね、冒険者になられたいと」
「そうそう。それでさっきの件も絡んでくるんやけど、冒険者になったら、雑用任せてくれへん? 会長さんに相談するにも確かな実績があった方がええんちゃうん?」
「それは、こちらもありがたいですが」
「こう見えてもいろんな仕事やってきたんやで。免許取るの趣味みたいなもんやったしな。タイタニックに乗ったつもりでドンと任してや!」
言っていることのいくつかは分からない職員だったが、オバちゃんの迫力に負け、思わず頷いてしまっていた。
それから、このギルドでは雑用の依頼が見る見るうちに片付いていき、住民が冒険者の認識を改めることとなる。
依頼を受けたオバちゃんの人当たりの良さと、仕事の手際の良さに感銘を受けた住民も多く、女性で冒険者になりたがる人が急増することとなり、ギルドには女性冒険者が急増することとなった。
多くの人に慕われているオバちゃんのおかげで冒険者ギルドだけでなく、この街全体が活気づき、笑顔の絶えない街となる。
それを遥か上空から眺めていた老人は満足気に微笑み、口を開く。
「あの者に、笑顔にする能力は必要なかったようだ。彼女の存在そのものが特別だったか」
能力を使わずにその場にいる人々を笑顔にさせるオバちゃんを、老人は飽きることなくいつまでも眺めていた。