ハーデルン・ベルウッド・ヴァレンタイン公爵邸に迫る『闇』
※間が空いて申し訳ありませんでした!
「ジュージさまも、やっぱりヴァンパイアなのですね!」
リールマインは、くりくりとした瞳を輝かせて身を乗り出すように顔を寄せてきた。
「ま、まぁ一応……そうだけど」
ヴァンパイアの定義が「吸血願望のある人間」ということなら間違いない。日本政府も認めている「特別在留許可を得たヴァンパイア」それが俺なのだから。
「やっぱり、言い伝えの通り! 新しい主さまなんですね! よかった……。これでわたしも元に戻れ……」
目頭に浮かんだ涙を白いハンカチで拭うリールマインちゃん。ていうか、元に戻れるとか聞こえた気もするけれど、次々と明らかになる情報に頭がついていかない。
「どうやらジュージが、このお屋敷の『新しいご主人様だ』って言ってるみたいよ。名前がヴァレンタインだから同じで、確定だって」
美乃里がリールマインちゃんの話を整理してくれた。
このお屋敷の主「だった」というハーデルン・ベルウッド・ヴァレンタイン公爵様。その名字が「ヴァレンタイン」らしい。そして俺の名は「十字・ヴァレンタイン」。
なるほど……。って!
「いやいや!? 名字は合ってるけど、ご主人とかじゃないし!」
「でも偶然が重なりすぎよ。きっとあの『魔鏡』に召喚された的な感じなのね」
ベッドルームの端には、大きな鏡が置いてある。それこそが俺達を異世界へ呼び寄せた原因だ。美乃里は腕組みをしたまま、『魔鏡』を顎で指し示す。
「物分りが良いな、みのりは……」
「こんなの、アニメやマンガでよくあることじゃないの。ジュージにマンガとかラノベを貸してあげていたのはね、こういう事態に遭遇したときに、動揺しないように……。って意味もあったのよ! つまり鍛えてあげていたってわけ。だから、パッと理解しなさいよね!」
「え、えぇ……!? そなの?」
「そうよ」
ずびし! と鼻先を指で指し畳み掛けてくる美乃里。妙に理解が早いしノリノリだ。普通なら、もう少し女の子らしく困惑し、泣いて俺に頼っても良いような……。
「でも……正直に言えば、少しは動揺してるわ」
「え……?」
「『吸血鬼の男の子を、ウチで預かることになった』って言われた時の、私の気持ち、わかる?」
「みのり……」
そうか。
美乃里にとっては、ヴァンパイアの俺が居ることが、非日常。
ファンタジーめいた世界や、異能の力を持つ存在、そして重なり合う世界なんて、「起こり得る想定内」の事案だった、というわけなのか。
何をされるかわからない恐怖、未知の存在である俺との同居は、きっとまだ幼かった美乃里にとっては不安で……怖い思いをしていたのだろう。
なんて俺はバカなんだ。
出会ったあの日、普通に笑顔で「こんにちは!」と接してくれた美乃里。
その笑顔に俺は救われて……ずっと友達になれたと思っていたのに。
本当は心の何処かで――。
「なんて顔してるのよ! 大丈夫……。あの時ぐらい動揺はしてるけど。今はジュージと一緒だし」
「俺と……一緒?」
その言葉にハッと息を飲む。
「そ、私が居るじゃん!」
ぎゅっと力強く、美乃里が俺の手をとる。
躊躇いも何もない、俺を気遣う優しさと、温かさ。嘘偽りのない、気持ちが伝わってきた。
「あ、あぁ……。て、ていうか帰らないとマズいんじゃない?」
そこで俺は大事なことに気がついた。身に付けていた制服をまさぐる。
身分証明書はポケットの財布の中。そして制服のジャケットの胸ポケットに、スマートフォンが入っていたことを思い出す。
――そうだ! 家に連絡を……!
と、見ると美乃里は俺よりも早く、手に持ったスマートフォンの画面を眺めて、首を横に振った。
やっぱり、『魔鏡』を通り抜けてたどり着いたこの異世界と、俺たちの世界で通信できる程に、都合は良くないらしい。
横では、期待に満ちた眼差しを向けてくる、淫魔族だというリールマインが俺の言葉を待っている。
「まずはこのハーデルン・ベルウッド・ヴァレンタイン公爵様のお屋敷を案内しますわ!」
今度は、小さな両手が俺の手をぎゅっと握りしめた。
「あ、あのさ……このお屋敷には、君しか?」
「……はい。その……ご主人様の不在に、この地方を公爵様の代わりに治め始めた、ギアルゲィン伯爵の一族が……、連れて行ってしまいました」
「え!? 本当に一人で?」
「昔はもっと大勢居たんです。このお屋敷にも……外の村にも……けれど今はもう」
リールマインちゃんは、静かに力無く視線を下げた。
「一体何が……!? 連れ去ったって、拉致されたってこと?」
「はい。若い村の娘さんが最初でした。次第に一人、二人と居なくなり……。やがてこのお屋敷の侍女たちも……。それで、わたしだけが……」
「男の人達は?」
「探しに行った人達は、誰も……戻りませんでした」
「その元凶が……ギアルゲィン伯爵?」
「はい」
「地方領主だったハーデルン・ベルウッド・ヴァレンタイン公爵様は、広大なこの地を治めておいででした。その隣にある小さな荒れ地の領主がギアルゲィン伯爵だったのです」
こくり、と頷き紫紺色の瞳を俺に向ける。瞳には涙が溢れている。
「伯爵ってことは、このお屋敷の主様の公爵様より格下じゃないの?」
「詳しいな、みのり」
「当然じゃない! 伯爵だの男爵だの公爵だの、転生したり、迷い込んだりして、悪徳令嬢とか、イケメン貴族に囲まれて、素敵な物語が始まるのは鉄板ですもの!」
妙に自信満々の美乃里。それは乙女ゲーとか設定だろう。
「そんなもん始まってたまるかよ……! と言いたいところだけれど……」
「もう、始まって、巻き込まれているみたいね」
俺と美乃里は窓の外に広がりつつある驚きの光景を目にして、静かに言葉をかわす。
「ジュージさん、みのりさん! 逃げてくださいっ! ギアルゲィン伯爵の手下が来たんです!」
リールマインちゃんが、必死に俺の体を揺さぶる。
「伯爵の手下……!」
それは信じられない光景だった。ついさっきまで明るかった窓の外が、一転。
濃い闇のようなガスが漂い、青空がまるで絵の具で塗り潰されてゆくかのように、ジワジワと浸食され闇色に染まってゆく。
「どうも、素敵な物語には思えないな」
「同感ね」
<つづく>