ベッドの上から始まる、二人の異世界
◇
一瞬意識がブラック・アウトした後、目の前に一つの光点が現れた。
それはみるみる大きくなり、視界を眩い光で覆い尽くす。そこは目眩を覚えるような極彩色の、輝きに満ちた無限の空間に思えた。
「――な、なんだこりゃぁああ!?」
森羅万象、すべてを圧縮したような映像が縦横無尽に流れている。そして俺たちは「チューブ式のウォータースライダー」に叩き落されて、急降下や急カーブしているような感覚に襲われていた。
「やばっ……やばば!? ひぃやあああ!?」
「きゃぁああああああっ! ちょっ!? 何これ何これぇええ!?」
悲鳴を上げている自分の声に被って美乃里の叫び声が聞こえた。首をなんとか動かすと、横には制服とポニーテールが見える。手を強く掴む感覚も確かにある。つまり俺たちはちゃんと生きているのだ。
混乱する頭の片隅で思い出せるのは、家に届けられた怪しげな鏡に、俺と美乃里は突然吸い込まれてしまった……という事だ。
地獄のジェットコースターのような感覚の連続――。もしこれが本当の落下だとしたら、最後は地面か何かに激突してしまうんじゃないかと戦慄が走る。
だが、次の瞬間。
四角い窓のような、ドアのようなものが目の前に迫った。
「――ぶつかる!?」
「いや、出口!?」
急激な落下感覚から、相当の衝撃を覚悟する。が――
ボフン! となんとも間の抜けた音がした。
続いて俺の体重で、ギシッとベッドのスプリングが軋むような音。更に硬めの寝具に落ちた程度の衝撃が続き、二度三度とバウンドする。
「た、助かっ……?」
夢か現か、俺は起きていることを瞬間的に理解できなかった。
突然怪しげな「鏡」に吸い込まれたと思うとグルグルと視界が廻り、極彩色の空間でジェットコースター。最後はベッドに落下したということは、やはり夢……なのだろうか?
見知らぬ天井だ、と思った刹那。視界を塞ぐように美乃里が落ちてきた。
「――きゃわあぁああッ!」
「ぐッはあっ!?」
むしろこっちの衝撃のほうが大きかった。内臓を潰されたかと思うほどに全体重でのダイブを食らったのだ。
「わ、ジュージ!?」
「ごはっ!? 重い……ッ! 死ぬ!」
「何よ失礼ね! 重くないもん! 体重は乙女の範囲だもん!」
「聞いてねぇよ!? てか降りろ……」
「……あ」
「みのり……」
俺の真上に温かくて柔らかい美乃里の身体が覆いかぶさっていた。
しかも大きなキングサイズのベッドの上でだ。重なりあった身体は思いのほか密着し、ふわりと髪からはシャンプーの甘い香りがする。いわゆるこれはラッキーな状況……なのだろうか!?
と思ったが、やっぱりちょっとニンニクの臭いもして、萎える。
「あれ、待ってジュージ」
そこで美乃里はハッとして、俺に馬乗りになったまま、上半身を起こして辺りをキョロキョロと見回した。ポニーテールに束ねた栗色の髪が肩で揺れるのを眺めながら、下半身に掛かる重さと熱を感じる。と、俺もそこでようやく気がついた。
天蓋付きの大きなベッドの上に俺たちは「落ちた」らしかった。
レース編みのの透かし模様の入った半透明の布地が、ベッドを蚊帳のように覆っている。支える四本の柱は銀色で、それぞれに繊細な彫刻が施されている。
「ここ、何処だ?」
「……ラブホ?」
「ばっ!? な、何言ってんだよおま、入ったことあるのかよ?」
「な、ないけど、本で見たし」
「……本?」
妹同然の幼馴染、美乃里の発言に心臓がバクバクと跳ねる。確かにそれっぽい設備にも思えるけれど薄い透かし模様のレース越しに見える部屋の様子は、まるで中世のヨーロッパにあるような調度品が並んでいる。
机にクローゼットに本棚。そして大きな花瓶には花が飾られている。そして大きな黒い額縁付きの「鏡」も置かれていた。
「あ、あの鏡……!」
「うちに送られてきた物と同じ?」
「私達、鏡に吸い込まれたよね?」
「多分な……痛ッ!? 何すんだみのり」
「いや、夢かなって思って」
「俺のほっぺたで試すな! ……よくあるシーンだけどな!」
「えへへ、一度やってみたかったんだ」
「ったく!」
ひりひりする頬を擦りながら、いつもの調子の美乃里にホッとしている自分が居る事に気がつく。
ベッドから起き上がり、天蓋を覆うレースから出てみると部屋は結構な広さがあった。壁は石造りで、床板は黒光りしている。不思議なことに掃除が行き届き、ホコリなどは無い。やはり何処かのお屋敷の一室のようだ。
俺たちは制服姿のままで、靴下のままだった。鏡に吸い込まれたのが夢でないのなら、辻褄は合う。
古めかしい木枠の窓がふたつ有って、光が斜めに差し込んでいる。外は昼間で青空も見える。どうやら時刻は昼のようだ。
足の裏で床板の冷たさを感じながら窓に近寄って、美乃里と顔を並べて外を見回してみた。
するとそこには、普段暮らしていた「地元」とは違う、見慣れない風景が広がっていた。
「知らない場所!?」
「嘘だろ、マジかよ……」
どうやら二階の部屋らしい。眼下には広い芝生の庭と周囲の森を仕切る塀がある。どうやら「お屋敷かラブホ」説が現実味を帯びてくる。
さほど森は暗くない。木々の間には車が通れるような未舗装の道や、綺麗な小川のせせらぎも見える。更にその向こうには教会っぽい建物と、ぽつぽつと小さな家々がいくつか見えた。不思議なことにどれも西洋風……いや、よくある中世ファンタジーのような建物だ。
しかも森の上を悠々と飛んでいるのは鳥でも飛行機でもなく、ワイバーン。いわゆる「翼竜」のような姿をした、トカゲにコウモリの翼を付けたような生き物だ。
「……異世界だね」
「あはは! あるある……って、えぇえええ!?」
「鏡に吸い込まれて別世界なんて、アニメとかゲームではよくある話しよね」
「みのり、受け入れるのが早いな!? 信じられるかよこんなこと!」
「ヴァンパイアのジュージが言う?」
「……そうだな」
状況を受け入れるのが早い現代っ子な俺たちは、大体状況を飲み込めた。
どうやら鏡に吸い込まれて、見知らぬ異世界に来てしまったらしい。人がいるのか、魔物が居るのか、どんな世界なのかもわからない。
「それより帰れるのかよ!? 学校とか家とか心配するじゃんかよ!」
動揺を隠せないのは俺の方だ。けれど以外にも美乃里はケロリとした様子だ。
「ま、なんとかなるでしょ」
「なんとかっておま!」
「ジュージと一緒だし」
「あ、あぁ……」
息がかかるほどの至近距離で、美乃里が微笑んだ。鳶色の瞳がしっかりと俺を捉えている。胸は小さいのに意外と肝が座っていて頭の回転も速い。こういうときでも頼りになる、俺の……妹。そういや美乃里は俺の中では、兄妹のような幼馴染であり、一番の友だちだ。そして……多分。その……。
と、背後でギィとドアが開く音がした。
ハッとして振り返ると、小さな女の子が一人、重厚なドアの前に立っていた。
見た目は10歳ぐらい、とても可愛らしい女の子だ。
小さく整った顔に、ぱっちりと大きくて丸い紫紺色の瞳が瞬いている。パープル色の髪を可愛らしいツインテールに結い分けている。その服装は所謂、黒いゴシックロリータのメイド服っぽい。それに白いエプロンという、外国の「ドール」を思わせるような雰囲気だ。
「ジュージ! 女の子だよ!」
「あ、あの……こんにち……は」
「あ……、あ、主さまー!? ヴァレンタインさま……! 戻ってきてくれたのですねー!?」
<つづく>