届けられた『魔鏡』
登校しようとしていた俺と美乃里に向かって、一台のトラックが相当な勢いで突っ込んできた。周囲は畑だらけの見張らしの良い道だ。どうやら運転手は注意散漫なのか気が緩んでいたのか、手元の宅配予定表か何かを見ているようだ。
――ヴァンパイア、通学途中でトラックに撥ねられる。輸血で大喜び。
なんて記事が脳裏をよぎる。っていうか後半の妄想はなんだ。冗談じゃない。
横を歩く美乃里は脳天気な様子で手元のスマホをいじっている。俺はとっさにその手を掴んで、道の脇へと引っ張った。
「みのり!」
「きゃ、何!?」
「自分でボケッと歩くなとか言っておいて、油断してんじゃねーよ……!」
「ジュージ……」
だが、音を立てて走ってきたトラックは、幸いにもこちらに気がついて急停車。どうやら宅配便のトラックで、黒いコウモリマークが描かれていた。
「なんだよ脅かしやがって、危ないなぁ」
思わず運転手を睨みつけるが、青年は何食わぬ顔でドアを開けた。や、やるのか!? と一瞬身構えた俺に運転手は笑顔でペコリと頭を下げた。そして高い位置にある運転席から軽快に飛び降りると後ろの荷台へと駆けていった。ちょっとホッとする。
「……うちに来た宅急便みたいだね?」
「らしいけど、家には母上さんもいるし、ほっときゃいいよ」
ちなみに、美乃里母のことは「母上さん」と呼ぶことにしている。「おばさんと呼んだら顔が変形するまで殴るかも」と言われたからだ。向こうは「だけど、母さんとなら呼んでもいいわ」と言ってくれた。
けれど流石にそれは気恥ずかしい。ていうか居候の分際で、図々しいものな。
身の丈ほどもある大きな荷物を台車に載せると、コウモリマークの宅急便の制服を着た青年は、荷物を運ぶ。広い庭先を通り玄関で呼びかけている。
俺たちは再び通学路を歩き始めた。ところが、すぐに美乃里のスマホが振動した。
「……あ、お母さん? え? 何ジュージなら、まだ家の前だよ……うん」
朝日に輝くポニーテールの後れ毛を横目で眺めながら、会話に聞き耳を立てる。どうやら宅急便はジュージ、つまり俺への手渡し荷物であると告げているようだ。
すると、玄関から美乃里の母上が出てきて俺を手招きしている。
「あの荷物……俺あてってこと?」
「そうみたい。学校の時間だけど、夕方また再配達も悪いから、来て受け取れって」
「……あ、うん」
危険運転のトラック運転手の青年など、夕方再配達の刑だ! とも思ったが、素直に従うあたり、俺もすっかり善良な日本市民になったと思う。
◇
「で、何これ大きいね?」
「なんだこりゃ……? 『ワレモノ注意』だって」
とりあえず荷物を受け取り、俺の部屋に運び込んだ。どうやら発送主は異国人、それもシュツルバルト王国の住所が書かれていた。だが、肝心の氏名欄は霞んで字が読めない。
……まさか。父さんか母さん!?
最初に思ったの紛れもなくそんな事だった。俺を10年前に日本に亡命させてから行方不明の音信不通。半ば諦めていたのだが、もしかして……。
ダンボールに包まれた荷物を紐解いてみると、古くて大きな『鏡』だった。
「鏡……?」
大きさは180センチメートルほどもある。外国の絵画を飾る高価な額縁のような、重厚な彫刻が施された黒い枠に、やや曇った銀色の鏡がはめ込まれている。どっしりとしているが、自立するような脚もついている。
狭い部屋がますます狭くなった。ていうか凄い存在感だ。
「おしゃれな姿見の鏡ね! アンティークじゃん? 高そう……!」
美乃里は目を輝かせて鏡を横から後ろから眺めている。だが、俺の関心は、見慣れない古臭い鏡ではなく、何か手紙が添えられていないか、だった。
封を開ければ何か、手紙やメモがあるのではないか、と俺は密かに期待していたのだ。けれど何も見つからない。
「……なんだよこれ。じゃぁ一体誰がこんなものを送ってきたんだ」
「え? ジュージの知り合いじゃないの? ……なんか怖くない?」
「だよなぁ。呪いの鏡とかだったらやだな」
「怖いこと言わないでよ」
美乃里は猫のような素早さで俺の背後に回り込んだ。
差出人は不明、突然送りつけられた鏡――。先程までの喜びは何処へやら。鏡自体が不気味に思えてくる。二人の顔もなんだか歪んで見えるし、相当古い時代のものでガラスの製造技術も低いものらしい。まるで魔鏡のようだ。
「かなり古いものみたいだ。これ……それに、歪んでないか?」
鏡を正面から見ると、時計回りに曲がっている気がした。美乃里も同じように感じたのか、右に身体を曲げている。
「ホントだ。歪んで……あれ? さっきより曲がってない?」
「は? ……ホントだ!?」
グニャリ……と目の前の鏡が徐々に右に曲がり、90度近く折れ曲がったように見えた。いや、違う――。
「空間が……歪んでいるんだっ!?」
「えっ!? ちょヤバくない!?」
「――美乃里!」
「ジュージッ!」
視界が曲がる、なんてもんじゃない。ぐるぐると円を描くように回転し始めて、鏡へと吸い込まれてゆく感覚にとらわれる。
「手を!」
俺は叫んでいた。傍らにある手を無我夢中で掴む。
温かく確かな感触を離すまいと力を込める。手を握ったのは、考えてみれば今朝だけで二度目。中学以来かな……なんて呑気なことを考えた刹那。
意識はそこで完全にブラックアウトした。
<つづく>