日常、日野沢家の朝
◇
「いただきまーす!」
「いだきます!」「おうよ!」「たんとおたべ」「いただきまーす」「フガガ……」とまぁ、家族みんなで囲む朝食の時間は、とても賑やかだ。
ここは――俺が居候している日野沢家のリビングダイニング。といえば聞こえは良いが、築60年を誇る古民家の居間だ。
大きな木の座卓を囲むように座布団が置かれていて、十人ほどの大家族が揃って朝食を食べるところだ。その光景はまさに、古き良きホームドラマのようでもある。
「ジュージ、ほら納豆食べて」
「ニンニク抜きで頼む」
「ペーストしか入れてないわよ」
「それを入れたって言うんだよ!」
食卓の上に並べられた朝食が湯気を立てている。白いご飯に、豆腐のお味噌汁、青菜の漬物に納豆。そしてニンニク味噌の炒め物……。
ニンニク農家である日野沢家の朝食は、日本の伝統である「一汁三菜」を踏襲している……って、まあこれは美乃里の受け売りだけど。
円卓を挟んで俺の反対側に座り、くちくちと納豆にニンニクペーストを混ぜているのは、美乃里。すでに高校の制服に着替えている。
ぐるりと見回せば美乃里の両親、つまりはお父さんとお母さん、そして妹と弟、さらに爺さんと婆ちゃんまでいるという家族構成が一望できる。
「でもまぁ、うまい」
ホカホカの白いご飯に納豆が実に美味い。最後に俺はお茶代わりにと、コップから赤い液体をゴキュゴキュと飲み干した。
「っぷは! ごちそうさま!」
「いつもながら良い飲みっぷりね」
「やっぱり朝はトマトジュースだろ!」
「きっとそのうち農協がスポンサーにつくかもね」
「つかねぇよ」
などと美乃里とアホな会話を交わしているが、ヴァンパイアは健康第一、朝ごはんには一杯のトマトジュース。これが俺の母ゆずりの健康の秘訣なのだ。
舌に纏わりつくような濃厚で滋養に満ちた味わい。喉元を通り過ぎる感覚に思わずウットリと目を瞑ると、赤い液体が胃に流れ落ちてゆく。
「ジュージ、なんだか調子良さそうだな? 先日の胃もたれは治ったのか?」
「あ、おかげさまでなんとか。ていうか『胃もたれ』っていうレベルじゃなく、アレルギー反応で死にかけたんですけど……!」
「ラッキョウとニンニクを間違えて食べて、大変だったものなぁ。ハハハ」
日焼けした顔にガッシリとした体躯。短髪にメガネの親父さんが軽い調子で笑う。これは美乃里の実の父。ニンニク農家『日野沢農園』を営む家長さんでもある。
実は俺の母さんの遠い親戚筋らしく、日本に来て行く宛の無い俺を引き取ってくれた「恩人」だ。
ヴァンパイアである俺は、下手をすると謎の実験施設とかに収容されて、某亜人のようにモルモットにされていたかもしれないのだ。
それを考えると、この賑やかな食卓は眩しくて温かな天国のように思えてくる。
「大変どころか、生死を彷徨う大惨事ですよ」
先日の夕食はカレーだったのだが、美乃里のアホが、「はい、お漬物」と軽いノリで差し出した漬物を、俺は何の疑いもなく食べた。
どうみてもラッキョウ漬けだと思ったのだが……それはラッキョウ漬けじゃなくて、ニンニク漬けだった。お陰で俺は顔を青くして卒倒した。
「いっとくけど普通のヴァンパイアなら死んでるからな!」
「えー? ジュージは別に死なないじゃん?」
美乃里がまるで「ゴキブリは叩いても死なないじゃん?」みたいなノリで眉根を寄せる。ポニーテールに赤いリボン、紺色のブレザーが似合っているが軽く腹が立つ。
「いや!? 着実に生命力削れてるから!」
「どこが? 元気じゃん。今朝だってエッチなビデオ見てたくせに」
「観てねぇよ! 誤解だっていってんだろ」
「あーはいはい。湯けむり美女に襲いかかる変態紳士だっけ」
「黙れよ……!」
俺がゴゴゴと殺気を漂わせた瞬間、更に凄まじい殺気にかき消された。
「ジュージ。若いからって変な汁で洗濯物増やさないでくれよ……な?」
穏やかな口調でありながら、俺を鋭い眼光で睨み付ける。低くドスの利いた声で絡んできたのは、美乃里の母さんだ。金髪にピアス、村一番のご令嬢だったと言うけれど、どう見ても元ヤンだ。逆らうとマジで怖い。
「あっ……その。本当に勘弁してください、そういうんじゃないんです」
「ならいい」
美乃里が俺の萎れ具合を見て笑う。どんぶり飯をかきこみながら、ほっぺたにご飯粒が付いているとか、昭和の漫画かおまえは。
「エロビデオおねーちゃんもみたのー?」
「ぼくもみたいー!」
「ダメよ目が腐るから」
こっちはみのりの妹と弟だ。小学生と幼稚園。ドタバタと朝から晩まで実に騒がしいし、探検と称して、俺の部屋を漁ってお宝とかを廊下に出すのはやめてくれ。マジで。
「ゲッヘヘッ若いねぇ。若いエナジーを感じるねぇ、レッドブルだねぇ」
「……ホガガ、ホガガ!」
「おじいちゃん、口からゴハンがこぼれてるよ」
いい歳をしてシモネタ話が大好きなバーちゃんに、即身仏寸前のじーちゃん。
とまぁ、こんな賑やかな大家族の中に、異国人でヴァンパイアな俺がポツンと混じっている光景は、傍から見ればかなり面白いかもしれない。
12畳ほどの広さの和室は、木の梁と半分障子の仕切り襖が古めかしい。南側のサッシは開け放たれていて、縁側と呼ばれる廊下を挟んで見晴らしのいい風景が広がっている。そこは低い山々に民家がポツポツとあり、手前の畑は一面ニンニクが植えられている。ヴァンパイアにとっては地獄の光景とも言える。
開け放たれた縁側から夏を予感させる梅雨明け後の南風が優しく吹き抜けてゆく。朝食の香りと、湿った土の香がなんとも心地よい。
部屋を見回せば、妙に新しいテレビが置かれている以外はどれも古びたものばかり。大きな仏壇、天井近くの壁に掲げられた賞状や、ご先祖様の写真。武器の薙刀が飾られていて、小判や小銭などが額縁に収めて飾られている。
今でこそ見慣れたが、6歳のとき初めてここに連れて来られた時は、あまりのあまりのカルチャーショックに恐怖と目眩を覚えたほどだ。
「ぷっ、はぁ……! あー美味い」
グラスに注がれた真っ赤な液体を飲み干すと、喉越しが濃密で血のような味がする。
中身はもちろんトマトジュース。
テーブルに置き口元を拭う。今、チラッと尖った犬歯が見えたかもしれないけれど、それも吸血鬼らしい数少ないチャームポイントだ。
地元で取れたトマトを使ったジュースは、新鮮かつ濃厚でとっても美味しい。
田舎では夏の盛りになると無人販売所でトマトが安く手に入る。夏の日差しを浴びて完熟したトマトのジュースは、本当にえもいわれぬ美味しさなのだ。
けれど、噂に聞く『乙女の生き血』は、多分もっと美味いのだろう。多分。あくまでも想像だけど。
血は命なり。と言ったのは誰だっけ?
ヴァンパイアの糧であるはずの「生き血」は、きっと暖かくて美味しいはずなのだ。
けれど、現代日本においての吸血行為は、性犯罪と同列の扱いだ。吸ったら変態、即逮捕。
当然、生で血を飲んだことなんて、あるわけもない。
今はこうして血を吸う妄想にふけるのが精一杯。ましてや女の子から血を吸うなんて、普通の高校生活を送っている身からすれば遠い夢のまた夢というわけだ。
だって考えてもみてほしい。
血を吸わせてよ! とクラスメイトの女子に言えるだろうか?
言えるわけないよな。
血を吸うには、キス……と同じ、いやいや、それ以上に親密な関係にならなきゃないわけだ。当然、付き合うとか、結婚を前提にとか、命を懸けられる関係ぐらいにまで仲良くなきゃだめに決まっている。
残念ながら俺はどうも人付き合いが苦手らしい。女の子と手を繋いだのは小学校のフォークダンスの時と、中学の時に祭りの帰り道で幼馴染と一瞬だけ手をつないだ事がある……ぐらい。当然、キスなんて未経験。禁断領域、未知の世界だ。
会話をして、仲良くなって、デートして、そしていい雰囲気になって、ようやくキスができる。そこでようやくお互いを知り、「血を吸わせて!」って言え……るのかな?
ん? あれ? 言えないか。
……やっぱり言えないじゃん!?
何はともあれ、吸血行為のハードルはとてつもなく高く、社会的に死を招く危険な行為ということらしい。
◇
「いってきまーす」
「いってきます!」
朝食を終えて身支度を整えた俺と美乃里は、元気よく玄関を出て歩き出した。
家の周りは見渡す限りの畑が広がっている。青い空にはちぎれ雲が浮かび、小鳥がさえずる。遠くに隣家が見えるけれど回覧板を置きに行くのが辛い距離だ。
と、その時。
ガーッ! と音を立ててトラックがこちらに向かって走ってきた。
「ジュージ、ボケーッと歩いてると撥ねられて異世界転生しちゃうわよ」
「そんな簡単に転生してたまるか!」
<つづく>