囚われの美乃里(みのり) ~登場、ギアルゲィン三兄弟~
◇
――ここは、どこ?
美乃里はゆっくりと目を開けた。
見覚えのない天井。やがて視界に入ってきたのは、格子の入ったガラス窓だった。外は暗く、部屋も薄暗いが、ぼんやりと照明がついているようだ。室内の正確な広さは分からない。
意識がハッキリとしてくる。薄明かりの正体は、天井から吊り下げられた古めかしいシャンデリアの蝋燭の炎、そして暖炉の揺らめく炎だった。
まるで外国映画に出てくる城の中のようだ。金の装飾が施された調度品が幾つも置かれている。そんな部屋のソファーに寝かされている。
途端に現実感が希薄になる。ここは十字と共に迷い込んだ異世界であり、悪夢の続きであることを悟る。
「……ジュージ?」
声は自分でも驚くほど弱々しく、か細かった。そして、孤独であることに気がつく。
一緒だったはずの十字が傍に居ない。それだけで気持ちが折れて、闇の底に堕ちてゆくような心細さを感じる。
右も左も分からない場所に来て気丈に振る舞っていられたのは、隣に十字がいたからに他ならない。
呼吸を整えて、一度目を閉じて全身の感覚を確かめる。そして再び目を開けると、ゆっくりと身体に力を入れてみた。縛られてはいない。
両腕で支えながらそっと上半身を起こすと、自分の制服のスカートと、つま先が見えた。
靴も履いたまま、革張りのアンティーク調ソファに無造作に寝かされていたようだ。服も着ているし、身体も……なんともない。
とりあえず、何もされていないことに安堵しつつ片足を床につける。きょろきょろとあたりを見回すが、部屋は広すぎて闇に何かが潜んでいそうな得体の知れない気配がする。
――知らない部屋。私……連れ去られたんだ。
ゆっくりと記憶をたどる。
ヴァレンタイン邸の庭先で対戦した「闇騎士」という魔人。突如始まった戦闘に敗北し、倒れて動かなくなった十字の姿が脳裏に蘇る。
だがリールマインが『降参』を宣言し、全滅する前に領地の譲渡と投降を申し出た。しかし、闇騎士は「サキュバスの汚らわしい血など要らぬ。かわりにその黒髪の少女……おまえを頂こう!」と、悪魔のような笑みを浮かべた。それが記憶の最後だ。
何か不思議な力で意識を奪われて、あとは強引に拉致されてしまったのだろう。
古びた屋敷に一人だけで暮らしていた少女リールマインは、そして十字はどうなったのだろう?
不安と疑問、胸を締め付けられるような孤独が襲い掛かってくる。
「……お目覚めですか? お嬢さん」
「――!?」
不意に、声がして反射的に身構えた。
声は斜め前方、部屋の窓辺からだった。闇の向こうでレースのカーテンが揺れたかと思うと、いつの間にか一人の金髪の青年が立っていた。美乃里を静かに見つめている。
赤い軍服のような衣装に白いズボン、そして革のブーツを履いている。細い体つきの青年は、蝋人形のような白い肌、闇の中で浮かび上がるような赤く燃える瞳を持っていた。
ゾッとするほどに端正な顔の美青年だが、どことなくキツネを思わせる。
人間ではない、と直感する。
金髪は整えられていて襟足は短いが、前髪は長い。何かの拘りなのかオシャレなのか、長い前髪が顔の左半分を隠している。
「あ、貴方は……?」
「あててごらん」
聞いていることに対して、静かな声で質問を返す。だが、美乃里は一呼吸置いて、相手の顔を凝視する。
キュピンと音がして、ポップアップで情報が表示された。
――出た! ステータス画面、ここでも使えるんだ……!
★------ステータス------★
小公子
ギアルゲィン・アトラシア
種族
真・ヴァンパイア(年齢?)
階級
・レベル28
属性
・闇、無限
★----------------------★
「ギアルゲィン……! アトラシア。貴方が、伯爵……ってことですか?」
その名は、サキュバス少女のリールマインが言っていた闇の王の名だ。この地を次々と自分の領地にしている悪いやつ。
だが、このアトラシアという青年は、少なくとも会話を交わせる。いきなり命を奪うつもりはないらしい。
「ふむ……? やはりヴァレンタインの遺産、忌々しい呪いは、まだ生きている、というわけですか」
金髪の青年が自分の手を見つめ、ぐっと握りしめる。苦々しい表情で一歩踏み出すと、カツンと硬い靴底が床を鳴らした。
「呪い……? このステータスが?」
「そうです。この土地全体にヴァレンタイン伯爵がかけた冒涜的な呪い。戦いを盤上のゲームとして、我らに『足かせ』をつけるためのもの」
「……足かせ、ゲーム……」
今まで敵が発した断片的な言葉をつなぎ合わせると、おぼろげながらこの世界の形が見えてきた気がする。
十字と何故か同じ姓を持つヴァレンタイン伯爵が、何か魔法を施したのだ。簡単に敵の手に渡らないよう、六角陣でしか進めないようなルールを付けたのだろうか?
「それと、ギアルゲィン伯爵は僕の父君です。この国の真の王! 世界を正しき姿に、美しい永久の闇で包まんとする、慈悲深き救済者ですよ……!」
アトラシアは高揚した声で、恍惚とした表情をうかべると、ゆっくりと近づいてくる。
まるで綺麗なマネキンが歩いてくるような違和感を覚える。歩く度に冷気の塊のような冷たいオーラが吹き付けてくる。
ステータスに表示されていた「真・ヴァンパイア」というのは、十字の「ハーフ・ヴァンパイア」とは明らかに違う。レベル、仕草、その全てに圧倒的な「格」の違いを感じる。
「いきなり……中ボス、幹部クラス登場ってことね……」
5メートルまで近づいてきたところで、美乃里は立ち上がった。
一応、口に出した皮肉めいたセリフは、自分を鼓舞するためのもの。やれる、いつもみたいに。気の強い自分を演じるんだ、と制服の裾を整えて相手を負けじと睨みつける。
「君は実にユニークだね。一体どんな世界から来たんだい?」
「……当ててみたら?」
冷静な顔をしていた青年の瞳に、妖しい欲望の光が宿る。
「だが、血は温かいんだろうね、どんな味かな? きっと美味しいんだろうね? あいつは……バフェクラリアは毒だって言ったけど……あぁ」
恍惚とした狂人が、眼の前に迫っていた。
身体が思うように動かない。しまった……! これは『魔眼』だと理解する。
「や……!」
指先が肩に触れた途端、凍りつくような恐怖で足がすくむ。だが、倒れ込むことも出来ない。全身が硬直している。ゆっくりと白い顔が近づいてくる。喉元めがけて「カハァ……!」と口を開けた時、そのキバの鋭さと恐怖に、気を失いそうになり目を固く閉じる。
――助けて、十字ッ……!
だが、痛みは襲ってこなかった。
かわりに聞こえてきたのは男の、悲鳴。
「……う、おぇええ!? く……臭ッ……なんだ……この娘っ、ウゥオオオエエエエエエエエエエ!?」
美しい美青年が、口と鼻を押さえ、くの字に身体を折り曲げてえずいている。
「ちょっ……!? な、なんなのよ臭いって!? 失礼ね!」
「お、おうえっ、ニンニク……か……! ひどい臭いだ……! 嘘だろ……どうやったらこんなになれるんだ……ウップ」
「あの、ブン殴ってもいいですか?」
恐怖など吹き飛んで、一転して怒りが沸々とこみあげてくる。失礼にも程がある。グーに拳を握りしめたところで、別の声が響いた。
「キャハハ……! だから言ったじゃん? アトラシア兄ぃ。抜け駆けはダメだよー?」
ずっと幼い少年のような挑発的な声だ。ハッとして振り返ると、さっきまで寝ていたソファの上に、あぐらをかいて座って居る少年が居た。
同じく白い肌に真っ赤な瞳、髪はやや緑色で、前髪が切り揃えられている。
それは中学生ぐらいの少年だった。白いフリルのついた襟付きのシャツに半ズボン。典型的なお坊ちゃまスタイル。
――かわいい顔、だけどこの子も……ヴァンパイア?
「バフェクラリア……!」
金髪の青年アトラシアが制服の襟を直し、苦々しい顔をする。
「このおねーちゃんは、僕のエサだよ? ニンニク臭いけど、今日から毒抜きするんだ。きれいな食事に、入浴もね」
「食事にお風呂!?」
「そ。綺麗になったら、じっくり殺して血を味わうんだ。だから……抜け駆けは許さないよ、アトラシア兄ぃイイ?」
「殺すのはいけません。父君に叱られます」
欲望に歪んだ顔が一転、静かな表情で弟を諭すアトラシア。
「食べようとしてたくせに? キャハハ」
兄弟なのだろう。やはり、狂気じみた笑みをうかべる少年に怖気が走る。
可愛い顔をしているが、狂気度合いではずっとヤバそうだ。
だが――
「オイこらテメェらァ! 俺様を差し置いて、勝手にメシを喰うんじゃぁあねぇぞぁああああ!」
バァアン! とドアが蹴破られると、革ジャンスタイルの兄貴が乗り込んできた。ツンツンに立った赤い髪に、燃えるような瞳に狼のようなキバ。
「なんですか騒々しい、シャズウォルフ……!」
「あぁもう。シャズ兄ぃも来ちゃったし……」
ギアルゲィン伯爵の長兄らしい。ギラギラとした野獣のような熱を感じる。いや、暑苦しいほどに。
「オメーは俺様のエサだ。いいか! 他のやつに食われたら承知しねぇからな……!」
ズッカズカと近寄ってくると、ぐわっ! と顔を近づけて吠えるシャズウォルフ。
「え……あ、はぁ?」
――ななな、なんなの、この状況ッ……!?
まるで夢にまで見た乙女ゲーの主人公。美乃里はそんなことを考えながら、白目状態のまま固まっていた。
<つづく>




