守るべきもの
◇
「あなた、お名前は?」
女の子が、大きな黒い瞳を瞬かせた。
「……十字。ジュージ・ヴァレンタイン」
「ジュージくん? すごいね、日本語しゃべれるんだ!? あ、えと……よろしくね、私はみのり!」
畑の土で汚れた顔が近い。美乃里と出会った最初の印象は、なんか汚い子だな、だった。
屈託のない声で俺の名を呼ぶと、白い歯を見せて嬉しそうに笑った。その笑顔は今でも覚えている。
あれは、6歳の時のことだった。
東欧のシュツルバルト王国が燃えて、平和だった暮らしが一変した。船で他の大人たちとともに脱出し、飢えと寒さに堪えながら、東の果て――日本を目指した時の記憶は、美乃里の笑顔のあたりから、急に鮮明になる。
初めて連れてこられた日野沢家で、出会った同い年の女の子。それが美乃里だった。
俺は気の利いた挨拶もできず、なれない異国の農家の玄関先で、ただ俯いていただけだったと思う。
照れた訳では無くて、太陽のように明るい笑顔がとても眩しかったから、なのだけど。
「ジュージくんは外国から来たんでしょ? お城に住んでたの? 瞳の色、きれいね。ルビーみたい」
燦々と降り注ぐ強い日差し。日本の夏は熱くて、目眩がした。
「……うん……」
「……顔色悪いね、病気なの? お日様が苦手だって言ってたわ?」
子供特有の、容赦のない興味が俺に向けられる。俺の事を連れてきた施設の大人たちが、日野沢家の人々と会話をしている間、美乃里は興味津々と言った様子だった。
「……病気っていうか、もともと、ヴァンパイアだから」
「バンパ? なにそれ」
「きゅうけつき、ほら」
俺は、乳歯から生え変わったばかりの牙を見せた。普通の人間よりも、少し尖った、吸血鬼と呼ばれる種族の、命を奪う牙。
「えー!? 怖い! でも凄い……かっこいい!」
「……どっちなの?」
嬉しいのか怖がっているのか、よくわからない顔ではしゃぐ。けれど美乃里はすんなりと俺を受け入れてくれたようだった。
小学校に転入しても、中学に上がっても、ずっと一緒だった。
変な病気持ちの青白い顔の異国人、そういう位置づけのハーフ・ヴァンパイアにとって、日本の学校は決して居心地の良いものではなかった。皆に受け入れてもらえるまで、少し時間がかかった……のだけれど、その時間は驚くほど短かったように思う。
だって、元気で、とにかく煩いくらいに話好きな美乃里が居てくれたからだ。
いつしか俺の心のなかで美乃里は、とても大切な、兄妹のような、本当の家族みたいな……いや、もしかすると、もっと大事な、友達以上の存在になっていて――。
いつも助けてばかりもらっていたからこそ、訳の分からない異世界に来た時は、全力で命がけで守るだなんて、思っていた。
★------ステータス------★
ジュージ・ヴァレンタイン
HP 0/58
状態 死亡
★------ステータス------★
ピー……! という心停止の音が耳に蘇る。
――俺が守らなきゃって思ったのに……!
奥歯を噛みしめる感覚とともに、眩しい光が頭のなかで湧き上がった。
――美乃里! 俺が……倒れたら……、ダメなんだ!
「……ッ!」
トク……トクン、ドクン……ドクンと心音が鼓膜の内側で太鼓を鳴らすと、熱い血流を全身に送り出すのがわかった。心臓に熱を感じる。やがて、喉、肺、首、そして目の奥に光のような熱い物が蘇る。
気が付くと身体全体の感触がある。徐々に手、脚、そして指先に意識が向いてゆく。
「……っかはっ!?」
「ジュ、ジュージ様っ! あぁ、ジュージさま!」
次に感じたのは、暖かな柔らかい身体が覆いかぶさるようん感触だった。甘い髪の香りを感じた時、五感が全て戻ってきていることが分かった。
声を出そううとして、掠れた空気のような音を絞り出す。
「……みのり……?」
「ジュージさま、私ですよ! リールマイン……!」
顔がものすごく近くにある。俺の頬を両手で支えるように語りかけている。ツインテールの髪が顔に触れてくすぐったい。
「……マインちゃん……。ここは? 俺は……?」
視界がようやく戻ってくる。やはり、というか見知らぬ天井だった。もとの家でもなければ、ヴァレンタインのお屋敷でも無さそうだ。古い歪んだ梁に崩れ落ちた土の壁。ランプの明かりが一つ壁にあり、ボロボロのドアを照らしている。暖炉には炎が小さく揺れている。
俺はどうやら藁の上にシーツを被せただけの、粗末な納屋のような場所で寝ているようだ。
「ジュージ様は……、蘇りました」
「蘇生……。って、ことか。……やっぱり死んだの? 俺」
「はい」
死んだ、という恐怖と体験を徐々に思い出す。恐るべき闇騎士・マハートクラゥの連撃を浴びて俺はあえなくブッとばされた。トラックに衝突され多様な衝撃でほぼ即死のような状態だったはずだ。
だが、腕を動かし見てると、動く。指先も、身体もなんともない。骨や内臓は元の通りなのだろうか?
「……生きてるのは なんで?」
単純な疑問を口にするのが精一杯だ。けれど、リールマインちゃんが、気丈な笑顔を見せて涙を拭く。ずっと看病してくれていたようだ。
「ヴァレンタイン伯爵が施していた遺産です。ヴァンパイアだけに有効な……蘇生の秘術が……あのお屋敷には施されていましたから」
「あの場所に、魔法が……」
細かいことは分からないが、なんとなく納得する。
「良かった。でも、三日間……私が、蘇生のための……血を……注ぎました……」
そこまで言うと、リールマインちゃんはフッと意識を失い、崩れ落ちるように俺の上に崩れ落ちた。
「お、おいっ!? ちょっ……」
慌てて上半身を起こし、力をなくした小さな体を抱き起こす。だが、俺も頭がクラクラする。力が入らない。辛うじて、生きているだけという感じだ。
でも、サキュバスの少女、ヴァレンタイン家のメイド。リールマインちゃんの様態はもっと悪い。手首が真っ赤で血だらけだ。包帯からは血が滲んでいる。
まさか、血を注いで……って俺にリールマインちゃんが血を!?
思わず抱きしめて声を掛け続ける。と、意識はなんとか取り戻してくれたようだ。
「……ジュージ、さま」
「いい、喋らなくて。いま、みのりを呼……」
と言いかけて気がついた。この納屋のような小さな部屋には俺と、衰弱したリールマインちゃんしか居ない事に。
――そうだ、美乃里は……!?
まとわりつくような闇が忍び寄っていた。ランプの明かりが揺れる。
「……連れ去られました」
「な……!?」
なんとか、その言葉だけは伝えようとしたのだろう。リールマインちゃんはそう言うと再び意識を失った。
<づづく>




